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11話
しおりを挟むオーティス伯爵キース様は齢二十一、爵位は先年継いだばかり。
この公爵邸の離れのお館を私宅にしている。オーティス領には新しいお屋敷があるらしい。古いお屋敷は随分昔に火事で焼けてしまったそうだ。お屋敷は会ったことはないけれど家令さんが管理なさっている。
ここにいらっしゃるのは執事のバーモンドさん、ハウスキーパーのジョゼフィンさん、数人のフットマンと女中。コックのレイチェルさんのお料理は素晴らしく美味しい。
キース様は王室直属の〝魔法使い〟。特別なご指示がない場合はお館で待機していることが多い。大抵は書斎でお仕事の書類を処理したり、ゆったり本を読んだりしておられる。最近は、伯爵家に増えた使用人、イルネギィアに魔力のコントロール法を教えている。
彼の指導はとてもわかりやすい――とイルネギィアは思っている。
今日はお天気。窓の外は青空が広がっていた。イルネギィアはそれを見て、ほぅ、と息を吐く。夏は好きだ。この心地よい夏風は、先日自らに起こった嵐のような、羞恥心に翻弄された出来事も一蹴してくれるような気がするから。
ただ、毎晩、あの指の儀式はいかがなものか、とイルネギィアは思っている。
キース様本人が楽しそうなので言われるままにしているし、特に嫌ではないので続けているけどキース様のご性癖に少なからず疑問も感じる。
今日はキース様の幼馴染である侯爵令嬢がおいでの日。
特に身づくろいにうるさいので客間女中のケティに服装におかしなところがないかチェックしてもらう。
ケティはイルネギィアより七つ上のお洒落さんだ。
「うん、素敵ですよ。キース坊ちゃまはお見立て上手ですね」
栗色の巻き毛を若い娘らしく結い上げてもらいイルネギィアは椅子から立ち上がりその場でくるりと回転する。いつもは足首丈の動きやすい女中のお仕着せを着ているが今日のように侯爵令嬢バレリー様がおいでの時は、礼儀作法の所作見習いに相応しいドレスを身に着けている。その動きすらも点数が付けられるのだ。
今日のイルネギィアは白い生地にレース、水色のリボンをあちこち散りばめた可憐な服装だ。初日にキースが彼女のために何着か仕立てたものの中でも彼のお気に入りだった。
「バレリー様は厳しいです。でも、すごく美しい方。キース様はあの方とご結婚なさるのかなぁ?」
女同士は恋の話題は大好きだ。ケティにそう言ったのにイルネギィアに他意はない。キースを坊ちゃまと呼ぶ女中は長くここに勤めているので色んな情報を持っている。
「いいえ、それはないですよ」
そう言ってケティは声を潜める。
「バレリー様は公爵のご長男のテオドール様に好意をお持ちなんです。でも、魔力もちではないから、テオドール様の婚約者候補には挙がらなかったんですよ」
「え? 魔力もちでないとダメなんですか?」
こくりとケティは頷く。
「テオドール様はなぜか魔力もちの女性にこだわられるんですよ。テオドール様自身も魔力もちですけど〝魔法使い〟を名乗れるほどではないから気にすることはないと思うのですけどね。公爵夫人…奥方様はオーティス伯爵家の出だからこだわられるのもわかるんですけど。オーティス伯爵を名乗っておられるキース坊ちゃまがいるのだから、〝魔法使い〟の血筋を残す義務も責任もないと思うのですけど」
イルネギィアの頭にハテナマークが浮かぶ。
――公爵夫人は最初にご挨拶に伺ったときお会いした。キース様そっくりの美貌の方だった。そういえばあたしが魔力もちだと聞くと歓迎してくださったっけ。
「もしかして、オーティス伯爵家が〝魔法使い〟のお血筋なんですか?」
ええ、とケティはこっくりと頷く。
なんだか誇らしそうだ。そういえば、彼女は公爵夫人が結婚前、オーティス領にいた頃から家族ぐるみでお仕えしていたと言っていたっけ。
「オーティス家は代々優れた〝魔法使い〟を輩出してますの。でも、火事でお屋敷が焼けたとき跡継ぎたる〝魔法使い〟の方も亡くなってしまって。伯爵家は奥方様が公爵とご結婚なさらなければ家名も絶えて没落の一途を辿るところでした」
ほぅ、とその頃のご両親の苦労を聞いたのだろう。ため息をつく。
そうか、とイルネギィアは納得する。
この館の者はイルネギィアが〝魔法使い〟の見習いと聞いても怖がらなかった。キースが彼女の魔力を支配していると聞くと皆一様に安堵していた。
通りで、と彼女は思った。
キースに対する信頼は、このオーティス家への信頼なのだ。彼らは〝魔法使い〟に慣れているのだ。
「すごいんですね、オーティス家って」
ケティはくすり、と笑う。
「いいえ、キース坊ちゃまがすごいからです。あの方がオーティス伯爵家の名誉を守ってくださっているんですよ」
少しだけケティの顔は悲しそう。
この言葉の意味を正しく理解するには今、なにも知らないイルネギィアには難しい。なので、またつい、ほにゃっと笑った。
この顔は侯爵令嬢からやめるようにときつく言われているのだけども。
あ、時間だ、とイルネギィアはそれじゃあ、とケティに手をふって侯爵令嬢と約束している館の南、渡り廊下を渡った向こうに独立している温室に向かう。廊下を走るその姿を書斎の窓からキースが眺めていた。
長い栗毛をまとめて青いリボンが編みこまれているイルネギィアは愛らしい。
やはり、綺麗な子だな、とキースは思う。
目を細めていると視界の端に銀の色を認めて書類を繰る手が止まる。
「あ!」
イルネギィアは庭に見かけぬ鳥を見つける。
なんて、珍しい銀の羽の鳥だろう!
彼女はそれをじっと見ていた。その鳥もこちらを見ている気がする。
誰かに言いたくて辺りを見回した。
キースが書斎の窓際にいるのが見えた。彼もこちらを見ている。きっと、鳥に気がついているだろうと笑いかけたが彼は無表情で視線を避けた。
あれ、と思ってもう一度銀の鳥の方を見たがその鳥はもういない。木立の狭間にも見えないのできっとどこかに飛び立ったのだ。
「残念…」
そう呟いたが侯爵令嬢を待たせていたことに気がついてまた慌てて走り出した。
書斎の窓辺にキースはいた。
先に見た銀の色。それは鳥の形をしていたが覚えのある魔法の気配がした。
それに彼は軽くいらだつ。
「もう、昔のことなのに…。お互い、覚えていたっていいことはないのに」
――僕は決してその手をとらないのだ。自分のために。
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