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18話
しおりを挟む「え…」
イルネギィアは目に付いてしまった文章に驚きの声をあげた。
これは男性からの愛の告白ではないか。
チラと見てしまった一文にあわわと、なる。
今日はバレリーは観劇にお出掛けで、テオドールとキースもお仕事のため書斎にこもっている。
イルネギィアは最近覚えたレース編みを海が望める庭で、と思って針とレース糸を手提げに入れてここに来た。ベンチに腰掛け、編み始めたらば、風に吹かれていきなり顔にパァンと便箋が飛び込んできたのだ。
「ど、どうしよ。どなたのだろう?」
そう、便箋を裏返して挙動不審になっていたらば、そこに一人の女性が来た。
「ごめんなさい、ここに便箋が飛んでこなかったかしら?」
それは花嫁候補の一人、銀髪のベティ・アン嬢の侍女だった。
彼女はふっくらとした優しい方で、艶やかな黒髪をしていた。だが、あまり周囲に話しかけることはしない。どうしたのだろう、とイルネギィアは周囲を見回す。いつもは伴にいるベティ・アンの姿もない。
こんなところで一人でなにを…。そうか、ベティ・アン様もバレリー様や公爵夫人と観劇にお出掛けになったから、きっと彼女も自由を満喫していたのだろう。
――と、思ったところで自分の手の中の手紙に気がついた。
「あ、申し訳ありません。こちらでしょうか?」
イルネギィアはそっとその便箋を彼女に渡す。
ベティ・アンの侍女は頬を赤くしてそれを受け取った。
ほぅ、と互いにため息すると、彼女はおずおずとイルネギィアを見た。
「あの…、中、見てしまった…?」
正直者のイルネギィアだが、さすがにこんな時はどうすべきか判断出来る。
「いいえ」
にこり、と笑うと侍女は今度こそ安堵の息をついた。
それから、すぐに立ち去るかと思ったが、彼女はイルネギィアのレースの編み針に注目する。
「レース編みをなさるの? ね、少しお話していい…?」
ふっくらとした侍女はイルネギィアの隣に腰掛け、そして、なんとはなしにイルネギィアを見る。話すタイミングを求めているような気もする。そうイルネギィアは思った。
「もしかして、貴女もレース編みをなさるのですか? ええと…」
「クレアよ。ええ」
ベティ・アンの侍女、クレアは笑顔をこぼした。
そして、ああ、と納得する。
この人はきっとここでの社交に馴染めていなかったのかもしれない――。
歳はイルネギィアよりひとつふたつ上だろうか、ふっくらしたえくぼのある手の甲が愛らしい。いつもご令嬢と一緒なので、きっと同じ身分の同姓の話し相手に飢えていたのだろう。
「本当はね、ここに来るのは気が進まなかったの」
クレアは手紙をそっと触れて言う。
「私やうちのお嬢様はテオドール様やバレリー様のような華やかな方とは違うし…。それに、…私、王都に好きな方がいるの」
まあ、とイルネギィアが微笑ましくそれを見る。
「なので、夏いっぱい会えないのが辛くて。でも、お嬢様のご両親はこの縁談に乗り気で。身に余る光栄なのですって。でも、無理なの。お嬢様は…。公爵家の皆様とお近づきになんてなれっこないわ…。だから、ここに来てずっと私もお嬢様も戸惑っていて。貴女を見かけて、少しホっとしたの。…キース様の恋人なのでしょう?」
はわ、とイルネギィアは思った。いつの間に恋人に昇格…。いえ、それは違いますと否定すべきだろう。
「いいえ、あたしはオーティス伯爵家の使用人なんです。恋人なんておこがましいです」「でも、キース様は貴女にとっても優しいわ。羨ましい。私も王都にいるあの人と、いつかそうなりたい」
そう言って彼女は手紙をそっと胸に抱く。
「素敵ですね」
女の子は恋の話は大好きなのです。
それで、もじもじとクレアはイルネギィアに問いかける。
「それで…あの…、聞きたかったのだけど…。キ、キスは勿論経験あるわよね…?」
イルネギィアは一瞬固まったが。
「で、でね、そういう時ってどうすればいいのかしら…? 目を瞑っていればいいのかしら…!?」
聞かれて経験ないわけではないが、あれはキスにカウントされるのだろうかとイルネギィアは固まった頭で考える。
じわじわ嫌な汗をかいている。はわわ、と走り出したい。
「く、口を開けて待つものなの? 舌が入ってくるって本当なのかしら…!?」
ク、クレアさん…! もうそこまでで…!!
カサリと人の足音が聞こえた。助け手が現れたのだ。
イルネギィアはホっと息をついて、その人たちの顔を見上げる。
――う、いかにも。
そう、彼の方はいかにも見下すような視線をイルネギィアに向けていた。彼の腕に手を預けている彼女は彼のそんな様子に困惑している。
金髪のヴィクトリアとその弟、ギルバートだった。
クレアとイルネギィアはベンチから立ち上がる。
クレアはこの相手が苦手なのか、二人が現れた時、顔を背けて それでは、とその場を辞した。
――でも、わかる…、とイルネギィアは心の中で呟く。
彼ら、いや、彼はとても、貴族らしい人物だったので。
「こんなところで使用人同士、息抜きかい?」
いかにも、サボっていたと咎めるような口ぶりで、彼はイルネギィアを一瞥した。それを金髪のヴィクトリアはギルバート、とその細い声でたしなめる。彼は姉のそんなそぶりにも頓着しないようだ。二人の力関係が伺えた。
イルネギィアは つい、ほにゃ、と笑う。
淑女の笑顔ではないとバレリーには止められるが自分の困ったときの処世術なのだ。
しかし、この相手には通用しなかった。
金髪の背の高い青年は、じろりとイルネギィアを見おろす。
――うう、やっぱり今までこれで乗り越えられてきたのは魔法のおかげだったのですね、キース様!
ここにいない人に心の中で助けを求めたが勿論現れるはずもない。いずれにせよ、このままここにいたなら何を言われるかしれないし、それは多分彼の姉、ヴィクトリアにとってもあまり愉快ではないだろうとイルネギィアは考え そのままぺこりと頭を下げ、そこを後にした。
残された姉弟は会話の糸口を探している。
「…高級娼婦め…」
姉のヴィクトリアはそれに反論する。
「ひどいわ、どうして貴方はそんな口をきくの。お父様そっくりよ。あの人たちはちゃんとした女の人たちよ。あの栗毛の人はキース様…、オーティス伯爵にお仕えしている侍女でしょう? 憶測でものは言ってはいけないわ、ギルバート」
「あの女の身につけているものを見ましたか? あんなドレスや耳飾り、一介の侍女が持てるものじゃありませんよ」
「お、お仕着せでしょう? 伯爵家はうちとは違うもの…」
ジロ、とギルバートは姉をにらむ。
ヴィクトリアはひるんだ。この弟のとび色の瞳は父親そっくりだ。自分より大きい人間が怖いヴィクトリアにとって、父親も弟も正直恐ろしい生き物なのだ。
ギルバートはそんな姉の怯えた姿を見ないふりをした。
「姉さん、そうですよ、うちとオーティス伯爵家やエストア公爵家は違います。だから、両親も姉さんに期待しているんです。なのに、なぜ、髪を染めるんですか? 正直、長男より次男の伯爵の方が貴女になびく可能性が高い」
ヴィクトリアはギクリとした。
「いいじゃない、あんな派手な色、私は好きじゃないのよ。社交界に出てからずっとこの髪の色に染めているのだもの。急に色が変わったら、むしろ滑稽でしょう」
彼女は潮風にからまる金の髪をかきあげる。
――いやだ、こんなことに利用されたくない。この髪の本当の色を。
「でも」
「…いい加減にして。貴方やお父様はそれこそ私を高級娼婦だと思っているの!?」
ヴィクトリアはぐっと泣きたいのをこらえる。
ギルバートは はぁ、とため息をついた。
「…僕らだって、好きで姉さんを〝魔法使い〟に差し出そうとしているわけじゃない…」その言葉は風をはらんで空に消える。
勿論、〝魔法使い〟は屋敷中にその蜘蛛の糸を張っているので、彼には丸聞こえなのだが。
そして、眼下には今は保護下に置いている蝶がぱたぱたと走っている。
息を切らせているのが可愛いな、とキースはその灰色の目を細めた。
「そろそろ、イリーに魔力の解放を教えるかな…」
そう、彼は楽しそうにひとりごちた。
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