魔法使いと栗色の小鳥

宵川三澄

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19話

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夜にキースは彼女を寝室に招きいれた。
なにをと聞くと、きみに〝魔力庫〟としての使い方を見せるよ、と言う。
くすり、と笑う顔は相変わらず整っている。黒髪が似合う人だな、とイルネギィアはいつも思う。そして、ベッドに横になるように促された。
「あの…」
「体がびっくりして倒れこむと危ないからね。一度体験しておくと慣れるから」
「〝魔力庫〟ってどう使われるんですか?」
「前にも言ったよね。僕の仕事では魔力を消耗するって。なので、先にきみの魔力を使うんだ。そうすれば、僕は体力を消耗することはないから、次の行動に出やすい」
む、逃走しやすいいうこと? とイルネギィアは考えた。
そう、とキースは頷く。
「僕は単独行動が多いから。それと、魔法を使うとその魔力の出所を特定される。でも、きみには遠方で魔力をこちらに差し出してもらえれば安心して僕は魔法を使える。それに」
キースは彼女の傍らに腰掛けた。キングサイズのベッドの端に横たわるイルネギィアの栗色の髪を一房指にからめる。
「きみの魔法は魔力の位置を特定しにくい。今までもそうやって使ってきたからだろうね。きみは魔力を隠すのがとても上手いんだ」
「…魔法や魔力にも個性があるってことですか?」
「うん、そういうこと。きみと行動するときは、きみに守護者をつけるから万一については心配いらないけど」
「〝守護者〟?」
「僕の魔法かな…。僕との心理的、血縁的な関係で勝手に発動するらしいんだよね。魔法というより呪いだけど。オーティス家の〝魔法使い〟は代々これを受け継いできた。――母は精霊の加護とも言うよ。でも、これは王家とは関係ないから、実際は精霊じゃないね」
「勝手に?」
「大丈夫、僕の血縁には危害は加えない。さっきは心理的と言ったけど、つまり体液を分かちあった相手の守護をするんだ。きみに血を与えていたのは支配下におくのもあるけど、彼女にきみを認識させるためでもあったんだよ」
――彼女?
いや、とキースは笑う。
「性別はないよ。ただ、その執拗さは女性を連想させない?」
「…キース様って地味に女性不信ありますよね」
――いや、兄弟ともに、か?
そうイルネギィアは声に出さずに考えた。キースは笑いながらイルネギィアの鼻をつまむ。地雷だったらしい。
「さて、きみの魔力を僕に動かす。きみの魔力を一度空っぽにするから、きっとかなり体力を消耗する。キツいと思うけど、少し我慢して」

そして、キースは彼女の髪を手放し目を瞑った。

そのとたん、イルネギィアは体になにかが走ったのを感じる。
つま先から頭の先まで、体の中心を雷に打たれたように。

息が苦しい。
小刻みに胸が上下した。
どうしよう、急に呼吸がしづらくなったみたい…!

それから、少しづつ体から体温が失われていく――気がする。
手の指先、足の爪、髪の毛先。冷たい。ゆっくりと、自分のすべてが失われている…。

どうしよう、お願い、早く終わって…!

ひどく焦れた思いでその苦痛を受け止めていた。
眼前にはキースの人形のような顔がある。
口元がもう少し我慢して、と動いた。

声、聞きたいと思った。
でもあの優しい声はきっとあたしを追い詰める。
なんでだろう、すごく怖くて泣きそうになる。息が、出来ないの。

あたし、死に近いところにいる――。

涙がにじんだ。
キース様はぬぐってもくれない。なんだか、ひどいことをされている気がする。この冷たさが体の中心にまで及んだら自分が死んでしまう。
怖い。
怖い…ううん、ひどい。
ひどい、キース様は楽しんでいる。

――もう少し、我慢して。
――いや、ひどい、死んじゃう。
――死なない。もうちょっとだから。
――いや、あたしで楽しまないで。
――もう少し…。

一瞬くっとキースの声が聞こえてイルネギィアは息を大きくついた。
はあっと荒げた声があがる。

――息、出来る…。

そして涙がにじんだ目を大きく開くと目の前にいたキースの眼鏡の奥の瞳と視線があった。キースはふう、と息ついてこちらに笑みを見せた。
けれど、イルネギィアはぐったりと体から力が抜けて、指の一本も動かせない。
先のような冷たさは全身から消えていた。
けれど、自分のあえいだ胸元から白いなにかが光っているのが見えた。それは細く糸のようにキースにつながっている。キースの体全体を包むそれは彼の背中で大きく膨らんで、そこは白色ではなく銀色の光をかもしていた。

「…魔力が見える?」>
優しい声。さっきは聞きたいような聞きたくないような、ひどく怖かったのに。
イルネギィアは返事をしようとしたが声を出すことが出来なかった。代わりに頷こうとしたが首を動かすのも億劫だった。

――はい…。

先までの悲壮感はイルネギィアにはもうない。
呼吸を整えることに集中する。
――銀色、綺麗…。
イルネギィアは彼の体をとりまく銀の光をまばゆそうに目で追った。
「怖かった…?」
言われて、また心で返事する。
――はい…。なんだか、すごく…キース様にひどいことされていると思った…。
「そうなるんだ。魔力を吸い取られていると。時に暴発させる〝魔法使い〟もいる。痛くはなかっただろう?」
――でも、苦しくて死んでしまうと思った…。
「上手に出来ていたよ。初めてにしては上出来だった」
彼の周囲の銀色がすぅっと引いていく。体にとりこまれていく、そんな風にイルネギィアには見えた。
彼がイルネギィアの涙を指でぬぐう。
やっと優しくされたと安堵した。
それからゆっくりと彼が覆いかぶさるのが見えた。額にかかる彼の髪がひどく くすぐったく感じた。体は動かせないので仕方ない、とイルネギアは思った。いつもの儀式なのだ。
少し時間をかけて儀式が済んで、彼が舌を軽くかんで唇を離してくれた後、今夜はここで眠りなさい、と言われて すとん、と眠りに落ちた。

眠りの中で、イルネギィアはベティ・アンの侍女、クレアと森の中でお喋りしていた。懐かしい、育った森だ。クレアがキスについて聞いてきた。イルネギィアは彼女になぜかお姉さんぶって指を立てて言っている。

――不埒です、不埒です、そんな男は。
今度はそいつの舌を噛んでおやりなさい。

夢の中の自分が可笑しかった。

噛まれたの、自分のくせに…。



隣で健やかな寝息をたてているイルネギィアをキースは見る。
「楽しんでいる、はないだろ…」
彼はイルネギィアの言葉に軽く傷ついていた。なつっこいイルネギィアの拒絶の言葉は思ったよりキツいな、と。
「魔力が暴走しないよう、こっちだって色々こらえていたんだけどね」
だが、こうして魔力を通わせてみるとイルネギィアの魔力は本当に強いと思う。慣れればイルネギィアもこうして自分に魔力を提供するのにここまで苦痛は伴わないだろう。だが、まだ実用的ではないな。
最近の政治情勢ではあと数年は自分の仕事はなさそうだ。のんびり、馴らしていけばいい。

彼女の手を見る。

荒れた手は随分綺麗になっている。
人前では手袋をつけるよう言っているから。
そっとそこに指をはわせた。
銀に光る自分の指先が見えた。イルネギィアに触れたせいか?
抑えているのに魔力がもれるほどか、と。
ともあれ、それをふぅっと拡散させて彼は屋敷のあちこちの罠と蜘蛛の巣に魔力を宿らせる。これで、今夜もし誰かが不審な行動をしても筒抜けだ。
そして、気まぐれにイルネギィアの唇をもう一度味わうと 彼も眠りについた。


深夜に水音がする。
誰かが湯浴みをしているみたいだった。
「いや…。こんな髪の色、きらい…」
そんなに乱暴に洗うと髪が痛む。
「きらい…。あの人に言えない…」
可哀相に。僕はその髪、好きな色だよ。




朝、目覚めるとイルネギィアは既に起きていて、テーブルに朝食の準備をしている。
少しだるそうにしているな、とキースは思った。
従僕の選んだタイをしめ、食事を終えるとキースは今日はイルネギィアに傍にいるように言った。

キースの仕事中も、そして彼に時間が出来ても今日のイルネギィアのすることはひとつしかない。キースの傍でレース編みをすること。
傍に、というのは侍女なら当然。
しかし、だからと言って特になにもしないのも手持ち無沙汰なので、許しを得て針をせわしなく動かす。こうして集中するのは好きだ。
庭にクッションを持ち込みキースは横たわり本を読む。
その傍らでイルネギィアはせっせとレースを編んでいる。
確かにリラックス出来るなぁ、とふぅと空を仰ぎ見てイルネギィアはキースが気を遣って下さったのだと知る。
以前、無心が心地良い、と言っていたのでキース様もなにも考えないでいるのがお好きなのだと思った。

「お昼はどうしましょうか」
イルネギィアは問う。
「ここで摂るよ」
「では、軽いものを用意しますね」
キースが本から視線を外す。
「…僕は凡人なんだ。きっと、〝魔法使い〟でなければ平凡な人生を送っていたと思うよ」
イルネギィアは小首をかしげる。
「こうして、きみと何も考えずにいられる時間はとても安らぐね。好きだと言ってもいいよ。きみは僕が思っていたより、とても、――いい子だった」

いきなりのキースの言葉にイルネギィアは頬を染めた。褒められたことが素直に嬉しかった。好きだ、という言葉がなぜか特別な音に聞こえた。
意味を取り違えてはいけないのに。

「僕らの距離を縮めよう」

優しい声。魔力がこもっているみたい。逆らえないことを彼は知っているのだろうか?
「…はい」
――どんな風に?
それはなぜかお互い聞かない。

今更のような気がするが、イルネギィアは彼は異性なのだと思った。



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