魔法使いと栗色の小鳥

宵川三澄

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20話

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必要なのだ、と思った。
子爵家はけっして裕福ではない。姉、ヴィクトリアが資産家に嫁ぐことは必要なことなのだ。そうでなければ いずれ姉だって後悔する。
ギルバートは思った。

だが、と彼は庭でくつろぐキースを見た。
傍らではあの娘が昼の準備を始めていた。
着ているものもどうせ伯爵が与えているのだろう。
可憐な姿かたちはしていても、春をひさいで稼いでいる、そんな女のはずだ。今日の彼女は薄水色のドレス、白いリボンでその栗色の髪をまとめている。傍らのキースにも日よけの広いアンブレラを添えて、用意した皿にバスケットから薄切り肉とパンを取り出し主のためにサンドイッチを作っている。
はたから見ていたら幸せな恋人同士に見えなくもない。
けれど、あの娘は売女なのだ、とギルバートは己に罪悪感を抱えないよう、言い聞かせていた。
イルネギィアがキースに軽蔑されるよう、なにか画策せねばならない。父親がもしもキースに目当ての女性がいるならそうしろと、指示したのだから。

必要なのだ。
ヴィクトリアをあんな娘のようにしないために、子爵家には確かな財力が必要なのだ。
そう思い込もうとしたが、姉が昨日自分に言った、高級娼婦という単語がぐるぐる廻った。

そうして、もう一度庭を見たら、こちらの視線に気づいたキースがじっと見ている。それから彼は眼鏡を掛け直した。それを見て、ギルバートは自分の考えが全て見通されていると思った。
――なにか言われるか、釘を刺されるか…。僕に帰れと言い出すだろうか…?

黒髪に灰の目の〝魔法使い〟はもう少し、怖いことを考えていたのだけど。



ギルバートは行動に出よう、と目論んでいた。
あのイリーとオーティス伯爵が呼んでいる娘を街に連れ出し一晩安宿にでも閉じ込めれば、きっと伯爵は彼女に幻滅するだろう。お気に入りの侍女であろうが、高級娼婦であろうがそんな品行の悪い娘はなにより公爵夫人がここにいることをお許しにならないと考えた。
恥を知っているなら、あの娘も伯爵家から解雇される。
噂は必要だと思った。自分の名誉のために。オーティス伯爵から子爵家の嫡男ギルバートに乗り換えた娘はギルバートには相手にされず、そのふしだらな品行を責められた、と。

街で性質の悪い男に話しをふれば、これに簡単に乗ってきた。
宿に閉じ込め、好きにしていいと前金を渡す。
好色そうな男の顔を侮蔑の目で見て彼は別荘に戻る。
これで、準備は整った。
イリーという娘には可哀相だが、仕方がない。
彼女の顔がふと浮かんだ。
可憐な風情の綺麗な娘、という印象だったが他に思い起こすものはない。非情になれる。自分にそう言い聞かせた。

その日の昼より少し前、女中がギルバートに伝言を持ってきた。
意外な人物からの呼び出し。
イリーと呼ばれるあの娘、からだった。




テオドールはその日もいつもの書斎で仕事する。
そろそろ、王都に帰らなければならない。その前に一人に絞れ、と母たる公爵夫人に言われたが正直、伯爵令嬢のベティ・アンも内気なヴィクトリアも結婚相手として不足だった。
なにしろ、あのバレリーすら彼にとっては恋愛対象にならないのだから。――いや、どうしても、あの方と比べてしまう。結果、気持ちが動かないのだ。
一生、結婚しないわけにはいかないのに。
そう考えると弟の態度がまた気に障る。
あいつにとって、あの方はどんな存在だったのだ。
そんな、簡単に忘れられる存在だったのか。
だったら、そんなものに執着している僕がどれだけ、滑稽に見えるのだろうか。

くしゃ、とその金の髪をかきあげた。
いつも紳士然を崩さぬ彼には珍しくほの暗い感情がふつふつと沸き起こり、ひどく苛立っていた。

ふと、庭に目を向けた。

裏庭に続く道。確か、あの赤毛のエミリー嬢がキースの侍女に嫌がらせをするため下着を切り刻んだ場所だ。嫌なことを思い出したな、と思う。そして、疑問もよぎるのだ。
――あの、キースがよくあの程度で許したな…。
彼は弟の気質を考える。
使用人の小競り合いくらいなら、確かに目をつぶる奴だ。正直、正義漢とは言いづらい。
自分の侍女が――あるいは情婦が――嫌がらせを受けても、この館で特に問題でなければ見て見ぬ振りが出来る。
それをしなかったのは、侍女の部屋にまで侵入し、そして、刃物まで使ったエミリー嬢の陰湿さのせいだ。だが、結局表沙汰にはしなかった。
確かに、彼女に小金を貰って公爵家で雇っていた女中が部屋に入って盗難をした。これは、キースの言う通り、放置とテオドールが責を問われても仕方ない。しかし、あいつが予想もしなかったというのか?

なぜだろう、なにか不快感が残る。
あいつがなにかを隠しているような――気がするのだ。


そうして目を向けるとあの裏庭に続く木立の中に人の姿を見る。
テオドールは眉根を寄せる。
イルネギィアが一人でそこに立っていた。

イルネギィアは今日は白いドレスに身を包んでいる。確かキースが気に入っている服だ。時折足元を見て、人待ち顔でたたずんでいる。
テオドールは興味を引かれた。
キースは別室で今の自分と同じように仕事中のはず。だったら、あの娘はいったい、誰と待ち合わせだ…?
見ていると、背の高い金髪の男が現れる。子爵家の青年、ギルバートだった。

――あの娘…! キースから乗り換えるつもりか…?

やはり育ちの悪い女なのだ、とそれを見てテオドールは嫌悪感をあらわにする。
これ以上見ていると胸が悪くなる、と視線を外した。しかし、ドサと大きな音がした。
え、と思って窓に再び顔をやると娘は苦しそうに胸元を抑え、そして、ギルバートはそこにうずくまって倒れていた。

テオドールは呼び鈴を鳴らし、そして自分は窓を乗り越え飛び出した。
木立にその頼りない体を娘は託し、足元に倒れた青年を見つめている。
テオドールはそこに走りより、なにをしている! と娘を叱咤した。
しかし、娘――イルネギィアの様子にギョッとした。
イルネギィアはそれこそ今にも死にそうな顔をして、息を切らしてようようの呈で立っていた。ほっそりとしたライラックの木に寄りかかり、それがなければ彼女の方が倒れていただろう。
なにが、とテオドールは辺りを見回す。特に異臭も異変も見当たらない。
「う…」
うめき声で彼はうずくまるギルバートに視線を向ける。こちらもかなり苦痛を抱えているようだ。
テオドールが先に呼んだ従僕が現れ、皆慌てるがともかく病人のギルバートを屋敷へ運んだ。
テオドールはイルネギィアを見る。
「大丈夫か…?」
あまりに辛そうなので手を貸そうかと声をかける。

「かまわないで。テオ」

ギクリとした。
声の主が近づいてくる。
彼はテオドールの背後から近寄り、兄を一瞥もせず木立に寄りかかる少女の肩を抱く。
「イリー、上出来だ」
優しい声だ。テオドールはぞっとする。
イルネギィアはまだ苦しそうだがこくりと頷いて柔らかく差し出されたキースの腕にその身を預けた。そのままキースは彼女を抱き上げて歩き出す。
「…待て」
テオドールは引き止める。当然だ。今の様子はいったい、なんだ?
「説明しろ、お前はなにをしたんだ」
キースはチラリと兄を見た。
「彼が死なないように、したんだよ。…守護者は容赦ないからね」
口角をあげたその面、しかし灰色の瞳は笑っていない。
「彼らを王都に帰した方がいい。…それが、彼らのためになるよ。テオドール」
そう言って、〝魔法使い〟はテオドールを残して屋敷に去った。



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