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27話
しおりを挟むその晩、主がなにも言わず部屋を飛び出したのを イルネギィアは驚き見ていた。
それから来客があり、彼らを自分の部屋で待つよう促すと、イルネギィアは主が帰ってくるのを息をつめて待った。
怒りを露わにしたキースが部屋に戻ってきたのは深夜だった。
「…こんな手段に出るなんてね…。〝魔法使い〟も舐められたものだ…!」
部屋でキースの寝所を整えていたイルネギィアは主のそのものいいに動揺を隠せない。
「なにが――」
聞こうとしたその時、肩を掴まれ そのままベッドに倒された。なにを、と慌てて見上げると 自分に覆いかぶさるようにしている主がいる。彼の灰色の瞳がひどく揺らいでいるのが眼鏡越しに見えた。今日の彼は人形ではけして、ない。
「…僕に協力すると言ったね? 本気で?」
イルネギィアはかすかに震えるが こくり、と頷く。
「どんなに酷いことをされても? きみの知らない悪意にさらすことになっても?」
イルネギィアの空色の目は一瞬たじろいだかに見えた。
その時、イルネギィアの部屋からコトリと小さな物音がした。
キースはそれに口角をあげただけの笑みを見せる。
「…きみは本当に隠し事が上手だ。初めて会った時の銀の髪、僕を釣るためだったかと思ったけれど、もっと狡猾だったね。きみは魔法の使い方を知っていた。だが、もう――全て表に出そう…!」
イルネギィアは瞠目する。
「――きみが、〝魔法使い〟――だ」
そして、ベティ・アンとその侍女が姿を消した。
曇天の海は早朝だというのに暗い漣を立てている。
いつもなら窓から見える水平線は、海と空との境目を消していた。バレリーは心がさわめくのを抑えられない。
ベティ・アンがいなくなった…。侍女も伴に。
では、きっと彼らは王都に帰ったのだ。今朝見たらばテオドールはこれ以上ないほど憔悴した顔をしていた。(いや、あれは以前にも見た。〝彼女〟との婚約がなされなかった時)ベティ・アンが帰ったことで、銀の髪のヴィクトリアは恋の勝利者になるのだろうか?
バレリーは彼女が銀の髪を披露した日のテオドールの表情を鮮明に覚えている…。彼女は頭を振った。
――ヴィクトリアはキースが好きなのよ…。大丈夫。
呪文のように、心落ち着けるために呟いた。
すると、すっとそれが心に入ってきた。
――そうよ、大丈夫。テオドールは決して揺るがない。そして、ヴィクトリアはキースが好きなの。王都に戻れば、いつもの日々が戻ってくるわ。
やがて彼女は行動に出る。
――今日は女同士で出掛けるの…! 私がなにも気にしていないということを知らしめなくちゃ。キースに察知されると嫌だから。馬車の準備をさせましょう。少し遠いけど、ピクニックに誘ってみようかしら。この天気だけど、ヴィクトリアと色々お話できるいい機会だわ…。乗ってこないなら実力行使ね。
バレリーはくすくす笑って厨房に向かい、急いで昼を二人分用意させた。それから、館の中を、ヴィクトリアを探して歩き回る。
すると長い廊下を息を切って走っているヴィクトリアを見つけた。彼女は帽子をかぶり、出掛ける支度をしていた。前をろくに見もせず駆けていた彼女は危うくバレリーと衝突しそうになる。
「きゃっ」
「ご、ごめんなさい、バレリー様…」
ピンで留めた帽子がずれている。よっぽど慌てているのだろう。バレリーも落としそうになった昼食の入ったバスケットを持ち直し、彼女を見た。
――…なにかしら…? 今日のヴィクトリア嬢は なにか印象が…。なんだかコソコソして見えるせい?
いや、と思いなおした。
違う、彼女はなにかに怯えているのだ。
だが、ヴィクトリアはバレリーをみとめると、表情を変える。
「良かった、バレリー様にお会い出来て…! あたし達、王都に戻るんです」
「え…?」
「もう、あたし怖くて…。夕べ遅く、キース様とイルネギィアさんが話していました。キース様は大層イルネギィアさんを責めていて…! 丁度あたしキース様を翌朝の散歩にお誘いしようと伺ったんです。イルネギィアさんのお部屋で待たせてもらっていたとき、キース様が急に飛び込んできて…。あんなキース様、初めて…! 怖くて、あたしなにも言わずに出てきました」
彼女は一気にまくし立てた。こんなに動揺しているヴィクトリアは初めて見た。
「まさか、イルネギィアさんが〝魔法使い〟だったなんて――まさか――」
ヴィクトリアは震えている。
「ベティ・アンが死んでいるなんて…!」
バレリーは驚愕する。なんですって…!?
その怯む瞳をヴィクトリアは見ていた。そして、彼女はバレリーの手を強く掴む。
「お願い、バレリー様。あたし達と伴に来てください…! こんなところにいてはいけません! 今から出ればヴァレルに夕方には着きますから…!」
「そんな、無茶よ。テオドールにも公爵夫人にも挨拶なしでなんて」
「テオドール様はご存知です」
え、とバレリーは声をあげた。
「もうあたしはキース様が怖い…。そう、ご相談申し上げたら手助け下さると仰いました。馬車をご用意下さったのもテオドール様です。御者は間に合わなかったのでギルバートが馬を走らせますが、彼なら大丈夫ですから」
「…テオドールと連絡を今後もとるの…」
「はい。子爵家の財政の事も…。ご相談に乗ってくださるそうです。さあ、バレリー様、急いで」
動揺したバレリーは引かれるままにギルバートが鞭持つ馬車へと乗り込んだ。腕の中からはカチャカチャと磁器の皿のこすれる音がする。バスケットの中身が揺れているのだ。それをギュッと抱きしめる。
走り出した馬車は止まらない。
そのまま、雨の気配の海を背に、館をあとにした。
やがて降りだした雨は彼らの轍の跡を消し、行き先を、その けぶる水飛沫の中に隠してしまった。
「…リー様、バレリー様…」
肩をゆすぶられ、バレリーは自分が眠ってしまっていたことに気がついた。
はっとして顔を上げると眼前にはヴィクトリアがいる。今日も銀の髪が美しい。
「もうじき、目的地に着きます…」
ヴィクトリアの言葉に え、とバレリーは顔を上げる。
ヴィクトリアはもう先までの彼女と違っていた。怯えていた彼女は今はうっすらとバレリーに安堵を促す笑みさえ見せる。バレリーの心臓が大きく跳ねる。
――おかしいわ…。
バレリーの鼓動は不安によってさらに増す。
――人間、一人死んだと言うのに、この人たちの落ち着きようは。そりゃあ、この人はあまりベティ・アンと親しくなかったけれど。
そこからまた思考を広げる。それもまた、不安から。
――ああ、ベティ・アン。可哀相に! 私が教えてあげたお茶をテオドールに淹れてあげたかしら…。彼女は純粋にテオドールを崇拝していたのに。
バレリーは窓を遮るカーテンの向こうに夢想する。銀の髪を散らす娘の姿。彼女の凍りついた顔――死。
――いや! 私ったら、こんなこと、考えたくはないのよ!
思わず頭を振る彼女にヴィクトリアは怪訝な顔をする。バレリーはもう彼女の顔を見る事が出来ない。まるで、これだけが彼女を助けるもののように、バレリーは硬くバスケットを抱きしめた。
やがて、馬車はその動きを止めた。
ヴィクトリアは にこり、と笑ってバレリーに外に出るようにと促す。
バレリーは異変に気づいている。
おかしい、と。
王都であれば町に入れば石畳のはず。なのに、ずっとぬかるんだ道のまま…。そして、鳥の声がする。あれは海鳥の声ではないの…。
怯えるように彼女はヴィクトリアの開けた馬車のドアに手をかけ降りた。
そして、そこに建っている小さな家に息を呑む。
外は雨も上がり、晴れ渡る青空が広がっていた。かもめだろうか、気持ち良さそうに滑空している。少し向こうにまだ紺色の雲が広がっているが、ここは既に雨の過ぎた後なのは足元の草の濡れ具合でわかる。
ここは岬の突端だった。そこに佇むように、その家は建っている。
ギルバートは既に御者台にはいない。家の中に先に入ったのだろうか?
気持ちが不安で押しつぶされそうだった。このまま、彼らと伴に家の中に入ることは躊躇われた。だが、逃げ道はない――。
後ろから、ヴィクトリアの声がする。
「可愛いお家でしょう? テオドール様がここを用意してくださったんですよ」
ガシャンと大きな音がした。
バレリーは先からすがっていたバスケットを手放した。
それは落下し、草地に落ちた。
ヴィクトリアはそれを目で追った。
落下し、割れたかと思われた皿は中にはなく、先から馬車の中で硬い音を立てていたものは なんなのか――暴露された。
それは、細身のナイフだった。
でも、それで切り分けるためのケーキもパンもない、バスケットから零れ落ちた。
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