魔法使いと栗色の小鳥

宵川三澄

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33話

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キースは慌てて駆け出して、声のありかを探す。
そこはキースがいつも使っている書斎だった。
扉を開けると物音にも気がつかず、そこには床にうずくまる彼女がいる。
栗色の小鳥がその長い尾羽をたたんで丸まって、主の帰りを待っていた。
ただし、ひくひくとしゃくりあげ、時に声をあげて泣きながら。
彼女は胸にひっしとなにかを抱いている。

――本だ。
そうだ、確かマキュスで読みかけだった本だ。

キースはそれに気がついて、動揺し、思わずカタンと開けたドアに寄りかかった。
ようやく人の気配に気がついて、彼女は戸口を泣きはらした目で見つめ、そして、彼を見つけた。
「――キース様!!」

正直、キースは驚いた。

彼女は自分より小柄でいつもずっと歩みも遅いのに――。

それこそ、飛んだのかと思うほど速く 彼に抱きついてきたのだから。
ばさ、と広がる栗色の巻き毛は本当に翼かと思うほどに広がった。
勢いで、キースは抱きついてきたイルネギィアごと、ドンとドアにぶつかるが、イルネギィアは気にせずギュウギュウと抱きついてくる。
キースの頭がついていかない。

「…良かった…! ご無事だった…!!」
「え?」
キースは間抜けな声をあげた。

「だって、夕べ、もう戻られないかもしれないって…!! それに手紙にあたしにどこに行ってもいいなんて…。そんなの、キース様の身になにかあると思っても仕方ないじゃありませんかぁ!」

だって。

「だって、一生、あたし、キース様のお傍にいるのに。キース様の――〝魔力庫〟なのに」

キースが あ、と息を詰めた。
ぶら下がるように抱きつくイルネギィアは 今もしゃくりあげている。それでも、話そうと必死だ。

「だから、だから…ずっと、待っていたんです…! キ、キース様があたしの魔力を引き出すんだと思って…。
なにか危ないことになったら、あたしの魔力をきっと使って下さるんだと思って…。
あ、あんなに離れていては絶対無理だと思ったから 公爵夫人とご一緒に王都に戻ってきたのに、ぜ、全然、魔力が使われる気配もなくって…!! キース様はどこに行ったかわからないし、とっても怖かったんですよ!!」
ひっくひっくとしゃくりあげながらなので、イルネギィアの言葉は聞き取りづらいがその懸命さは伝わった。

――そう、解釈したんだ。

キースは、そっと彼女の髪を撫でる。…結い上げもしないで、と思った。
「…泣きすぎて、ひきつけ起こすよ」
くすり、と笑った。きみは子供ではないのに…。本当に。

それを聞いて、イルネギィアは止まらないのです、と顔を隠す。やはり、恥ずかしいのだろう。
「ごめん。言葉が足りなかったね。あれは、きみを自由にしたくて書いたんだよ」
イルネギィアはきょとんとした目をする。
そういう発想がまるで、なかったかのように。

「…あたし、自由です」
「そのようだ」
きみはきっと、僕よりずっと、その心に自由な子だったんだね。

「戻って来れない可能性は確かにあったんだよ。軍から要請してもらうように頼んだけれど、認められなければ――反逆ととられても仕方ないことをするつもりだったから。…王族に魔法を行使するのは、セヴァレトでは反逆罪になる。だから、ああ言ったんだ。不安にさせて済まなかったね」

ああ、とイルネギィアは思う。〝彼女〟はやはり、とても身分の高い方だったんだ、と。

それから、彼は自分にしがみつくイルネギィアに離すように言った。さすがに苦しいから。
イルネギィアは慌てて しがみついていた手を離すと離れる彼の肩を見ながら唇を噛む。
――なにか、言いたいのに、言葉が出てこないのがもどかしい。
それから、そっとその赤い顔のまま 自分より頭二つは上の彼の顔を見上げる。
そして、久しぶりに ほにゃ、と緊張を解いて笑った。

彼はそんなイルネギィアの涙でぐしゃぐしゃになった顔を見て くつ、と笑った。
「…ひどい顔だ…!」
笑い出したらなかなか止まらない。
イルネギィアは今度は怒りで顔を真っ赤にしてしまう。
「ひっどい…!」
お腹を抱えて笑う彼は数歩 歩いてソファにその体を預け、ごめん、ごめんと何度も手を上げて言う。
そして、顔を覆って笑っている。
あんまりですよ! とイルネギィアが彼の前に立って非難すると、息を整え顔を下に向けたまま イルネギィアの腕を引き、そして、イルネギィアをその腕にすっぽりと収めた。そして、顔を見ないでくれ、と言う。

……イルネギィアは少しだけ彼の体が小さく震えているのを知った。

キースの優しい声が彼女の頭の上から落ちてくる。

「きみは僕の夢に近いところにいる」
「…え?」

キースの声もかすかに震えている。

「きみの記憶を覗き見たとき、その生活に驚いた。きみのお祖父さんはきみの魔力をコントロールして、きみを普通に育てていたから…。きみたちは森に潜むように暮らしながらも、普通に村の人たちとも交流していた…。……僕はね、そんな風に暮らしてみたいと――思っていたんだ。……ずっと」

そうですか、と抱きあう形になったイルネギィアが キースの背中を優しくなでた。

「ええ、あたし、お祖父ちゃんとずっと、そうして来ました。森はあたしの懐かしい故郷です」
イルネギィアはこの離れの館の周囲の庭が、まるで森なのを思い出す。
ここに来てきっとすぐに馴染めたのは、この緑の匂いのおかげなのかもしれない、とも。
その匂いをまとう、彼の腕の中は温かい、と思っていた。
――ずっとずっと、人に見つめないでと願っていたのに、あたしは今は全く別の願いを持っている。

「…憧れた。その風景に」

はい、とイルネギィアはキースの背中にまわした腕で彼を強く抱いた。

「僕はもう…疲れていたんだ…。〝魔法使い〟でいることに…」

魔法の関わりない、その緑の森で、隠れて棲みたい。それこそ、御伽噺の魔法使いのように。そんな願いのひとつもかなわない現実に――疲れていた。ずっと。

だから偶然見つけた清い泉が今はとても熱望するものになっている。
望んでいいかわからないのに。
水面を揺らす 石のひとつになってもいいものかと。
けれど。

触れ合う体から熱が伝わる。ただの体温じゃないことは、イルネギィアもキースも もう、とうに知っている。
……互いの熱が嘘はつけないと言っている。
生まれた願いは消すことは出来ない。

「僕といるとろくなことはない。それは知っていて欲しい」

イルネギィアはふるりと頭を振った。
――けれど。楽しいこともある、と貴方は言った。
あたしはそれを見つめたいと――思っている。――ふたりで。

そして、〝魔法使い〟は言葉をつむぐ。
魔力があると、信じて。

「僕は、――きみを愛してもいいだろうか」








魔法の完成はいつも心の距離にある。
それは幸福の数え方よりもっと容易い。
人生の不幸の入り口より少しだけ遠い。
だけど、きっと、ちょっぴりの許しがあれば、勇気を出して縮めることが出来るのだ。

――小さな森で二人で今日もいれば、きっとこの晴れ渡る空が雲行き怪しくなっても 手に手を取って雨の中、笑いながら走り抜けることも出来るでしょう?

それが、きっと 愛という魔法なのですよ、とイルネギィアはあとから笑った。
あのとき、彼の前では心の中など隠しおおせず、赤裸々に暴かれてしまうので、彼女はただ頷いただけなのだが、
きっと、彼女の心の中のあけすけな愛の言葉は彼に対して 呪文以上の効果があった。



公爵家の東屋の、緑の光の中でキースは本を読みながら うとうととする。
日傘の影に彼を入れ、イルネギィアはキースの傍に身を寄せる。
お屋敷の窓辺にはキースの兄のテオドールが居て、この頃 ため息が多い。どうもベティ・アンに片思い中らしい。
どうして、相手のいる人の方!? と小首を傾げたが、彼への公爵夫人の影響力は測り知れないので、マキュスで公爵夫人がベティ・アンを褒めていたことを思い出した。

公爵夫人の悩みの種はまだまだ尽きない。

彼は自分でいつか脱出口を見つけるよ、とキースは笑った。――僕のように。
それを見て そうですね、と微笑み返せば彼のまた端正な顔が近づいてくる。

イルネギィアは思う。
ああ、儀式なのだ。これは、いつまでも、二人、ともにいるための。
今日の儀式はいつもより ずっと長い。重なり合うことを互いに許した熱が、きっと、含まれているのだから。

それは仕方のないことなのだ。
まったく、仕方のないことなのだ。

これは新しいあたしたちの関係の、これからの祝福の証だから――。




-Fin-




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