魔法使いと栗色の小鳥

宵川三澄

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32話

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キースの頭に響く声が小さく、か細くなった。
やがてそこには小鳥の鳴き声と風が紗を揺らす音だけが残った。

キースはベッドの傍らのベルを軽く振って侍女を呼ぶ。
「叔母上――いや、王妃様をお呼びして。確認してもらう」

やがて侍女は先にキースが叔母と呼んだ女性を伴って戻ってきた。
それから、キースは恭しく彼女の手の甲に口付けを落とす。

「では、彼女を起こします」
「ええ…」

彼女は胸に手を当てて、眠る銀の髪の少女を見守る。その細さに胸を痛めているようだ。

「――殿下」
キースはいつもの、あの優しい声で少女を呼ぶ。
ぐっすりと眠っていた〝彼女〟は驚くほど すぐ眠りの淵から舞い戻った。
枕元にはチチチと鳴く鳥が〝彼女〟に懐いてすぐ傍らで身を丸くしている。
その羽はいつのまにか、栗色のどこにでもいる平凡な色に変わっている。

〝彼女〟の銀の睫がふると震える。目覚めの証だ。

そして、〝彼女〟は三年ぶりにその明るい緑の瞳を開いたのだ。



女性は銀の〝彼女〟にすがりつく。
「ああ…、王女よ…。良かった、目覚めて…! 私がわかりますか?」
〝彼女〟は枕元に涙混じりに微笑み、自分を心配している母親の顔を まじまじと見て笑んだ。
「勿論だわ…。お母様…。…どうしたの? なぜ泣いてらっしゃるの…?」
それから、彼女は あら、と言って自身の小枝のようになった腕を見る。
どうして、と〝彼女〟が驚いていると 天蓋の外に立っている人物が声をかけてきた。

「殿下はご病気でお倒れでした。三年間も、ずっとお床についてらっしゃったのです」

優しい声の人だ、と――それが〝彼女〟のその人物への第一印象だった。
黒い髪、灰色の瞳。眼鏡をかけている。端正な顔立ちだが見覚えがない人物だった。

「お懐かしゅうございます。幼い頃、我が屋敷にたびたびお越しいただいていました」

〝彼女〟の母は彼の発言にギクリとする。
彼女は記憶の中をたぐる。そして、ああ、とその細い声で答えた。かすれている。ずっと声帯を使っていないせいだろう。
「エストア公爵の…。その髪の色は弟君ね…」
そうだ、確かいつも公爵夫人のドレスの影に隠れていた少年だろう。
あまり、印象は強くない。兄の方のテオドールと遊んだ記憶の方がまざまざと蘇る。
確か、その中にこの少年はいなかったと思う。大人しい子だったのだろう。
――そうだ、確か三年前、テオドールが婚約を望んできたのだ。だが、それはご破算になった。私はあまり乗り気ではなかった。彼は素敵な人だが、自分はまだ恋も知らないのだ。恋を望むこと自体、己の身分では難しいとはわかっていたが――。それで、確か…。

「ああ…、テオドールとの結婚を打ち消すために、あたなとの婚約の噂を流したのだったわね。あの時は名前を借りて悪かったわ…。私、その頃倒れたのね…。病気だったのね…」

〝彼女〟の母は苦しげな顔をした。
キースは はい、と優しげに答える。
「それで、私が呼ばれました。魔法で目覚めさせるために。ご気分は如何でしょう…? 父上様も母上様もとてもご心痛でいらしたのですよ」
「…気分?」
〝彼女〟は笑む。
「とても、いいわ…。ずっと、眠っていたから、今はとても。貴方が目覚めさせてくれたのね、〝魔法使い〟。すごいわ、〝魔法使い〟は病気も治せるのですね。ありがとう…」
〝彼女〟の母が声を殺して泣いている。
〝彼女〟は あ、と驚いている。
「ごめんなさい…。ずっとご心配をおかけしていたのね…。お母様? 私はもう大丈夫です。…キース。貴方は軍に入られたのですね。とても立派になって、嬉しく思います。本当に、感謝しています…」
「身に余るお言葉です」

そこにいるのは、三年前までの、気高い人だった。煌く銀色の髪はふわりと揺れる。
キースは礼を取って母子をそのままにして その場を辞した。


扉の外、温室には青年が一人立っていた。面差しは少しばかりテオドールに似ているだろうか。
キースは彼とは何度となく顔を合わせている。彼も公爵夫人の生徒であったし、公式の場でも会う機会のある人物だった。
なので、彼の促されるまま、建物の外の庭の散策に付き合うことにした。
きっと、彼も色々 キースに話したいことがあるのだろうと察して。

庭は夏の花々が咲き乱れ、野趣あふれるものだった。
噴水が日差しを反射し、先までの季節感のない温室とはまるで赴きが違った。
あそこがいつも花を咲かせていたのは きっと、眠る〝彼女〟への家族の思いやりだったのだろう。
銀の色の自分の魔力。彼女の魔力と同じ色。それが彼女への親しみにもなっていた。
遠くない血のせいか、それとも、あの口伝えだけの山岳の伝承が正しく、やはり、彼女の祖は銀の髪の一族の血脈を受けて、もしかしたらば オーティスもその枝葉なのか。
――などと、そんなことを つとつとと、そう、なにとはなしにキースが考えていると、青年が口を開いた。

「…長い間、すまなかった。妹の我侭に、ずっと付き合わせてしまった…」
「――いえ。決断出来ずにいた僕も悪いんです。殿下がお気になさることではないですよ」

青年は乾いた笑いを口にして、いいや、と頭を振る。

「父も母もあの子を溺愛していたからね…。もっと、早く。魔法を使うべきだったよ。
いや――。あの子が魔法を使い始めたとき、僕らは歓喜したんだ。最初はそこまで悪い使い方じゃなかった。気弱な侍女に少しばかり己に自信をつけさせたりとか――。あの子の魔力は僕のような普通の魔力もちとは違ったから、そうやってコントロールして使っていることは、僕らは微笑ましく見ていたんだ。これこそ、尊敬する祖の力かと。あの子の髪とその魔法によって、再び貴族たちから絶大な支持を集められるだろうと。僕は、その立場から逃げたのに、あの子にそれを押し付けてしまった…」

そうか――と、キースは彼の話に納得する。
なぜ、彼らが〝彼女〟がああなるまで止めなかったのか、正直 不思議だったから。
「…そうですか…。でも、殿下のお気を煩わせるような輩は、それこそ、〝魔法使い〟が排除いたします。それは――〝彼女〟の仕事ではありません」

――そう。魔法は僕らの領域なのだ。

さすがに〝魔法使い〟でも病の治癒は出来ないが、〝彼女〟はそれを一生知る必要はない。
出来ることは、ただ、忘れさせてやるだけでいいのだ。なにもかも。
それが、本当は〝彼女〟にとって、とても酷いことだったとしても。

優しい声で答えるキースより、きっと、真実、ずっと優しく弱い青年は、その優しさゆえ〝彼女〟にその地位を明け渡した。
彼は また ははは、と笑う。そして、キースに問う。

「…もしも、もしもだよ。妹が…第一王位継承者でなければ、きみは妹と結婚していたのだろうか…?」

それにキースは苦く笑って首を横に振った。
青年は納得しただろうか。





帰途は目立たぬ馬車を用意して、辻馬車よろしく門より少し離れて降ろしてもらった。
それからキースは徒歩で公爵家の敷地に入る。
まっすぐ庭に入り己の住まう離れに向かう。今、あの母親に会うのは無理だと判断した。
とても、疲弊していた。心も体も。
まずはベッドに入り、ただ眠りたい。朝早くマキュスを発ったので睡眠不足を自覚していた。
しかし、館に近づくと、なにやら不穏な気配を拾った。

ため息を吐く。

疲れているので魔法は使いたくないが、館の中の声を集める。
いつもと家人の様子は変わらない――が、ひとつ、泣き声が聞こえる。
いや、驚くべきことに、玄関の外にいるというのに、耳に本物の泣き声が聞こえるのだ。
赤ん坊でも捨てられていたのか、と疑うほど。
そのあられもない声が誰のものか気づいてキースは慌ててドアを開けさせる。

「坊ちゃま、お帰りなさいませ…!」
慌てて駆け寄る侍女と、ハウスキーパーのジョゼフィンがおろおろとしているのがわかる。
キースは館の中から、さらに泣き声がもれ聞こえるのを知った。
「良かった、坊ちゃまがお戻りで…。あの」

「イルネギィアですよ」

ジョゼを遮り言葉を放ったのは。
「…驚いたわ。あんなに泣き続けられるものなのね…! 馬車に揺られている間ずっとですよ。私がオーティスの屋敷から焼け出された時だって、あそこまで泣かなかったと思うわよ」
いつも美しい公爵夫人がその麗しい眉を 呆れた、と言って潜ませる。
キースの顔が蒼白になる。
「…とにかく、説明に行っておあげ。このままなら、まだ泣き続けるでしょう。もう、騒音だわ、あれは」


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