魔法使いと栗色の小鳥

宵川三澄

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31話

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それから、彼はイルネギィアに今夜は部屋に鍵をかけて眠るように言った。
やがて扉はイルネギィアの目の前で閉められ、イルネギィアはなにも言えずにそのまましばらく立ち尽くしていた。
――僕も男だから、と彼は言った。

……では、体がつながれば あたしとキース様の心の距離は縮まるのだろうか?
彼はこのまま、鍵がかけられないことを望んでいるのだろうか?
彼は今夜は儀式の口付けはしなかった。このまま、魔力をイルネギィアに返すつもりなのだろうか?
イルネギィアはキースの心を覗くことは、出来ない。
イルネギィアは扉に手を伸ばしたが、なにもせず そのまま床に向かった。
そして、ベッドの中でまんじりともせず一夜を過ごした。

明け方、うとうととしていたら 扉の取っ手に手をかけた気配がして、息を殺したが扉は開かれなかった。
やがて睡魔に襲われ目を覚ましたときは既に日は高く、慌てて起きだすとキースの部屋に彼はいなかった。

部屋から駆け出すと従僕の一人がキースが朝早く 一人で王都に戻ったことを教えてくれた。
それからイルネギィアに手紙を渡してくれた。
そこに書かれていたことは、もう、イルネギィアがどこに行こうと関知しない、という内容だった。
そのあまりに一方的な内容にイルネギィアは唖然とする。

あたしが鍵をかけずにいたことを知っているくせに――。

怒りで体が震えたのは初めてだった。
やがてイルネギィアは床にへたり込み、自分でも驚くほど大声で――泣いた。





白い豪奢な建物にキースは足を踏み入れる。門の上に銀の鳥を見た。
ここの主が飼っているのは知っている。なぜ、あんな色なのかも。
鳥とキースは視線を交わす。キースがどこに行くのかわかったかのように、鳥は門から羽ばたき建物の最上階の窓に向かった。
キースの訪れた先は建物の一角、その扉を開けるとそこは緑の園だった。
四季を問わず咲く花は、甘い香りを醸していた。
見上げた先は硝子張りの広い窓と天井が見えている。
贅沢だな、と彼は息をついた。

「オーティス伯爵」
声をかけたのは〝彼女〟の母親。痛ましいほどの顔色だった。
「さきほど、許可が下りました…」
心持ち、声が震えてる。
キースはそれを少しだけでも安堵させようと言葉を選ぶ。
「痛い思いはさせません。勿論、命にも関わりません――だから、どうぞ」
どうぞ…。
「許してください…。叔母上」
あえて、懐かしい呼び名で彼女を呼んだ。

キースは温室の先にすすむ。また、扉が現れた。その前には椅子に腰掛け待っていたのだろう、〝彼女〟付きの侍女と乳母がいた。どちらも三年前までよく見ていた顔だった。
「〝彼女〟は?」
「中に。お待ちになっておいでです」
「ありがとう」
三年前、テオとの婚約をかき消すために、キースが〝彼女〟の両親と画策した婚約話。考えようによっては、〝彼女〟も被害者なのだとキースは思う。
そうは思うが、僕らは決して結ばれない。それを今日は彼女にその身を以って知らしめす日だ。
彼の瞳はなにも映さない灰色の硝子。
その人形のような風貌で彼女の部屋の扉に手をかけ立ち入った。

部屋の中はしんとして、窓からきらきらと光る太陽の日差しが溢れていた。
家具調度品は全て美しく整えられており、その中央に薄い紗で覆われた天蓋付のベッドがある。キースはそこに歩を進めた。
ベッドの脇に立ち、その紗をそっと めくりあげる。軽やかな質感。
なぜか、イルネギィアの髪の触感を思い出す。
そして、ベッドに横たわる〝彼女〟を見た――。

〝彼女〟は褥で指を組み合わせ、まるで御伽噺の姫君よろしくその瞳を閉じている。
三年前、キースが彼女に永久の別れを口にしたとき以来、ずっと開けられることはないという。
〝彼女〟の父親から聞いた話なので、直に見るのは初めてだった。
だが、〝彼女〟は眠っているわけではない。

「…やあ、久しぶり」

キースはそこに横たわる〝彼女〟に声をかける。
〝彼女〟は柔らかな寝具をかけた姿で横たわり、健やかな息を立てている。純白の夜着で袖まで包み、花びらのようにその銀の髪を散らしていた。

『ああ、キース…! 会いたかった…!』

唇は開かれない。だが、確かにキースには〝彼女〟の声が聞こえた。頭の中に。
これが、〝彼女〟の今の話し方なのだ。
すると二人の間に割って入るように、窓辺に小さな銀の鳥が ここを開けてくれ、と硝子をつつく。彼女の声がまた響く。
『悪いのだけど、その窓の横の紐を引いてくれる? 小鳥を部屋に入れたいの』
言われた通りにキースは紐を引く。するとカタンと硝子窓が開いて銀の鳥が軽く羽ばたいて〝彼女〟の枕元まで歩いてきた。

「…この銀の色はきみの魔法がかかっているからだね?」
『ええ。だって、この子は私の目の代わりよ。貴方が来ることは判っていたのよ』
「望めば起き上がり、元の生活に戻れるよ。きみがこういう状態なのは、魔法を使っているせいだ。魔力に見合った魔法を使っていないからだよ」

キースは〝彼女〟のやせ細った腕を見る。三年前と比べて頬もこけて別人と見間違えるほどだ。
「生き物に物理的な魔法をかけるなんて、もう、止めた方がいい。体への負担が大きすぎる」
『魔法使いは皆 同じことを言うのね! でも、止めないわ。私はこうでもしないと貴方のことを見ることが出来ないのだもの。元の生活に戻ってどうなるというの? どこか知らない男と結婚させられて貴方と永遠に引き離されるだけだわ』
「…それが最初からきみの運命だったんだよ」
『相変わらず酷い事が言えるのね。…バレリーが来たわ。もう協力出来ないと言っていたわ。テオドールに知られたの? いい気味。好きな人の傍にいられるのに求めようとしないのだもの。得られないはずだわ』
「酷いのはきみだ」
『貴方よ。貴方が私を変えたの。私はこれからもずっと不幸なのだもの。貴方が私のものになるまでは。
一番の幸福がなにか知っていて、それが手に入らないのなら私はいつまでも満たされないままだわ。それを避けたいと思ってこうしているのよ』
キースはため息をついた。
そして、改めて思った。この関係の救われなさを。

『今日はなにしに来たの? キース。私を殺しに来たの?』
くすくすと〝彼女〟は笑う。己が不可侵な存在であるのを知っているから。だが、キースは別の答えを返した。

「いや。きみを目覚めさせるために来たんだ」
『……!!』
〝彼女〟が動揺したのが伝わった。

『…出来ないわ。私はそんなの望んでいないもの』
キースは彼女に向けて〝魔法使い〟の証たる――青いふくろうの刺青のある その右手をかざす。それから、彼女の額に人差し指でそっと触れた。

『……! 出来ないわ!! お、お父様がお許しにならないわ…!!』
キースは静かに彼女にささやいた。
「軍から要請してもらった。詳細は話していないが きみが〝守護者〟を利用しようとしたと」
『そんな、私はなにも』
キースが優しい声で〝彼女〟に諭すように言う。
「…毒を使うのはやりすぎだ…。それにきみが僕の気持ちを少しでも慮ってくれるなら、せめて僕の友人は利用しないで欲しかったよ」
心当たりに〝彼女〟は息を詰めた。
『…違うわ、あれはバレリーが勝手に…! わ、私は…私は〝魔法使い〟が魔法をかけていい人間じゃあないわ!』
「それを決めるのは陛下だ。きみごときじゃない」
いや、と〝彼女〟がつぶやく。懇願の色が現れている。
いや、忘れたくない、と。
それにキースは哀れみ溢れる声で答える。

「安心して。僕は忘れない。きみのことを覚えているよ」

――そう、ずっと、僕は覚えているからね。
緑の中で、声高らかに、未来を夢見た銀の色のきみのこと。
僕を憎んで、その色を翳らせた――きみのことを。

違う、と言う彼女の声は彼には届かない。
魔法使いは、いつもとても勝手だから。

「でも きみは」

――僕を愛した事も
憎んだことも
なにもかもすべて 僕に関するすべての感情を

『…いや…』

「忘れるんだ」






――いや…。だって、憎んだことなんて…ない――






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