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30話
しおりを挟む「銀の髪の娘、が二人いたとはな。…これは、母上、貴女はご存知だったのですか? この花嫁選びはキースのためだったのでしょうか」
まず口を開いたのはテオドールだった。
それに公爵夫人は扇をあおいで答える。
「いいえ。…テオドール、貴方は自覚がないの? 銀の髪に一番こだわるのは貴方なのよ。キースではないの。
だから、私は出来るだけ貴方の望む女性を選んだつもりよ。
先までの本物のベティ・アンの対応を見たでしょう。彼女は素晴らしい女性よ。
まあ、私も本人に会うのは初めてだったから、身代わりまでは見抜けなかったわね。人からは、地色だと聞いていたから、ここでベティ・アンが銀に染めていると貴方たちから聞いて驚いたわ。キースは知っていたのね?」
聞きたいことは まずそれか、とキースはこの母と兄に半ば呆然としたが彼女の疑問に答える。
「ええ。最初から。罠には魔法をかけているので、深夜 本物のベティ・アンが髪を黒く染めているのは知っていました。クレアが―偽者のベティアンが―銀髪に染めているのを隠そうとしなかったのは、テオや僕への牽制でしょうね。テオは銀の髪に染めていると あからさまにしている女性を気に入ることはないでしょうし、それは僕もそうです。
彼女らはとても狡猾に身代わりを隠し、僕ら兄弟の嗜好から外れようとしていましたよ。
それに もともとベティ・アンは自分の髪の色が嫌いだったようですし」
あら、と公爵夫人は眉をあげる。王都では人気なのに、と。
「彼女の恋人は山岳地帯の出なので。あちらの人は銀髪を嫌いますから。隠せるものなら隠したかったのでしょう」
イルネギィアはいつの間に調べたのだ、と驚いていた。主は随分色んなことをイルネギィアに隠していたのだな、と今更思う。
「なら、なぜ、茶なんか…」
テオドールが苦虫を噛み潰したような顔をした。
クレアが身代わりであるが故に口に出せない憧れを持っていたことを、さっき、ベティ・アンは話していなかったか!?
その繊細な乙女心を、全く理解しないテオドールに イルネギィアは彼の足を踏みつけたい衝動にかられる。
それを見て ふ、とキースが口元を緩めた。
イルネギィアはキースが「イリーは顔に出過ぎる」と言った意味を理解した。
「…エミリー嬢も、バレリーが…?」
うん、とキースは兄に頷く。
「最初、テオドールに好意を抱いていた彼女がイリーに嫉妬の矛先を向けたことで、僕は〝魔法使い〟のクレアが彼女になんらかの暗示をかけたのかと思ったんだよね。
けれど、罠たちは魔法をいっさい関知しなかった。
それで――もしかしたら、と。いつも僕の恋路の邪魔をするバレリーを疑った。
彼女ならエミリーに、テオとイリーの間を疑わせることも容易いから。彼女は全員を排除したかったと言っていたよ」
「え!?」
声の主はイルネギィアだった。驚愕の事実。
――そうだ、確かエミリー様は本当はキース様が好きだから あたしを狙ったと聞いたのも、バレリー様からだったのだ! それ自体が嘘だったのなら、乙女心は単純至極。
「バレリーは様々に嘘を重ねていたね。悪意をこめて」
「…キース、バレリーはお前のことが好きだったのか…?」
「テオ、貴方がそれを疑うのは無理もないと思う。でも、そうじゃない。彼女が幼馴染以上の気持ちを抱いていたのは貴方だよ。――魔力を持たない彼女はそれを露にすることが…出来なかったんだよ」
――貴方が彼女の気持ちを知らないでいるのは、あまりに彼女が救われない。
「一度も…そんなことを言われたことはなかった」
「だろうね。それが彼女を支えるプライドだった。だからこそ、歪んだ形でこちらに向かっていたんだ」
「――お前、全て知っていたのか…」
テオドールの声に剣呑な空気が絡む。
「なら、なぜここに、マキュスに彼女を連れてきた!? それに何年もそんな真似をしていた彼女を、バレリーをなぜ放置していた!? お前はいつも――そうだ!」
激昂して立ち上がるテオドールをキースは静かに見つめた。
「彼女を連れてきたのは彼女にテオ、貴方と接する機会を与えたかったから。考え直して欲しかったんだよ。彼女を許していたのは――僕の唯一の友人だったからだ」
二人の間に ただ、沈黙だけが落ちた。
やがて テオドール、と公爵夫人が二人の間に入った。
「…バレリーのことはこちらにも非があるわ。なんにせよ、…キースが片をつけるでしょう。そうでしょう? キース」
「ええ。もうこんなことがないように…〝彼女〟と話します。もう休んでも? 明日には、僕らも王都に戻りますよ」
そう言ってキースはイルネギィアに退室を促した。
ともあれ母は察してくれて、〝彼女〟について言及せずにいてくれたことがありがたかった。
マキュスでの夏は散々だったが、テオドールは少しでも別の女性に興味を持ったのだと思う。王都ではなにも知らないヴィクトリアと連絡でもとればいい。
そして、自分は――。
後ろから階段を上がるイルネギィアの不安そうな気配で キースは我に返る。
大丈夫ですか? と彼女は遠慮がちに尋ねてくる。濡れた瞳。小鳥のような。
部屋に入るとキースは彼女の肩にそっと手をやり 言った。
「…明日、僕は〝彼女〟に会いに行くよ。話をするつもりだけれど、もしかしたら、もう帰って来れないかもしれない」
「え」
イルネギィアは目を見開く。
「〝彼女〟のご両親次第だけれどね。ただ、もし戻れなかった場合、きみの魔力の問題が残る。――僕はきみに選択肢をあげるべきだった」
キースは彼女の髪を梳いた。この手触りが好きだった。
「どういう…」
意味ですか、と問おうとしてイルネギィアは瞳をさ迷わせた。
「僕はきみに嘘をついていた。最初から」
「……!」
「クレアのように、〝仕事〟を実行出来ずにギルドへ移る者もいる…。きみにはそういう選択肢だってあったはずなのに、僕はきみの魔力欲しさに きみを囲い込んだんだよ…。きみを共犯者にしようとした。許されるべきじゃない」
「それは…隠していただけです。嘘じゃないです」
「同じだよ。それに、僕は最初からきみを女性として見ていたしね」
イルネギィアの髪を梳いていたキースの手が止まる。そっと離れた。
「そのうち、このままではいられなくなる…。だのに、きみは僕といることのリスクをなにも知らない。こんなのはフェアじゃない」
「リスク…?」
「そう。もしも一緒にいるなら、僕はきみに女性としての全てを要求してしまうから。もしも、そういう関係になったら生まれる子供は――〝魔法使い〟になる。僕はそれを拒絶出来ない。オーティスの家の者として。――きみは」
キースの顔に表情はない。
「自分の子供が殺人者になるのを我慢出来る?」
――ずっと。
ずっと夢見ていた。そう、だから僕はバレリーを許していた。きっと、僕らはとても似ていた。諦めきれない夢を見て、現実から逃げていた。彼女のその弱さを僕はこれからも憎めない。
僕の憧れ。平凡な家庭で、愛ある家族と穏やかに暮らすこと。
人の心を覗き、ときに操るこの〝魔法使い〟でありながら。
手に入らない、と知っていながら。
「…だから、逃げていた。〝彼女〟から。〝彼女〟と結婚すれば、僕は〝魔法使い〟としてだけじゃなく、貴族社会からも逃げられない。今はまだマシ。〝彼女〟の身分と周囲は特別過ぎる…。僕は僕のためにしか生きられない人間だ。そんな生活に耐えられる自信がない。母の兄のようになるのは真っ平なんだ」
「公爵夫人の…、お兄様ですか?」
イルネギィアには初耳だった。
キースがこくりと頷く。
「――母には背中に大きな火傷の痕がある。オーティスの古い屋敷が火事になったときのものだ。その火をつけたのは――母の兄だ」
どうして…? とイルネギィアは口にした。声が震えていたかもしれない。
「彼は優れた〝魔法使い〟だった。ただ、心がそれについていけなかったんだ。〝仕事〟のたびに心が疲弊していった。
そして、最後は砕けて散った。…両親を、僕の祖父母にあたる人たちを剣で貫き、屋敷に火を放った。
――魔法はいっさい、使わなかったそうだよ。屋敷の使用人とたった一人の妹は見逃した。彼らは〝守護者〟が助け出したんだ。本人はそのまま、屋敷とともに火の中で死んだ」
これは――。
「母の記憶の中から見つけてしまったものだから間違いない」
イルネギィアは喉が渇くのを感じた。
「…幼い頃はね、魔法のコントロールが出来ないんだ。だから、一番傍にいる母の心をどんどん読んでしまった。
そのせいもあって、僕は公爵家の離れで母に手ずから育てられたんだ。
…母がどんな思いで生き残り、残ったオーティスの家人たちのために――その身を犠牲にしたかも、知っている。
それでも、彼女は誇りに思っている。家人たちを、自分を助けた〝守護者〟を。それを受け継ぐ、オーティスの魔力を。父たる公爵と出会えたのは幸運だったろう。父は母のその身に残った火傷の痕だけじゃなく、彼女の過去すべてを受け入れてくれた。これらは――テオは知らない。知らなくていいんだと思う。必要なら母か父が彼に話すだろう」
そう言ってキースは後ずさり、そして、ソファにポスンと腰掛けた。
「…どうして私にお話くだされたんですか?」
キースは彼女を見上げる。彼は人形のようだ。どこまでも、綺麗な人。
「知っていて欲しいから」
そして、ようやく笑みを乗せる。
「――知って、きみが僕から逃げても僕は恨まない」
それに、と続けた。
「嫌いにも なれない」
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