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15 トスカーナの無塩パン
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午後の陽光が、丘陵地帯に広がるトスカーナの村をあたたかく照らしていた。
村の中央広場にある小さな集会地には、村人たちが集まっている。
円筒形の石井戸のそばには、古びた栗材の作業台が置かれ、その上には、焼きあがったばかりの大きな丸パンが山のように積まれていた。
パンはどれも、表皮のひび割れが深く、ずっしりと重い。
16世紀トスカーナのパンは、現代とはまったく異なる素朴な姿をしていた。
塩を使わず焼く無塩パン(パーネ・ショッコ)は、この地域特有のものだ。
ピサ(※都市)との戦争で、塩税(※塩の税金)が上がり、アルノ川経由の海塩の供給がなくなったため、いまの時代では塩は高価な“ぜいたく品”になっている。
領主の館には塩があるが、農民はそうはいかない。
だからこそ村では、塩をいれないパンが日々の食料になっていた。
パンのひとつを割ると、内側には麦殻の粒がところどころ残っていた。
それを指でほぐすと、ざらりとしたパンくずが手のひらに落ちる。
小麦の香ばしい匂いが、熱気とともに立ち上る。
「お嬢さま、こちらにどうぞ!」
村の女たちが、色あせた前掛けで手をぬぐいながら私をかこむ。
今日は水車の修復祝いもかねて、村の共同窯で焼いたパンをみんなで食べる日だった。
「これは……みなさんの手で作られたのですか?」
「ええ。昨日の粉を分けあって、今朝いっせいに焼きましたよ」
木皿の上に並べられたパンの欠片はどれもやや硬い。
子どもたちはその香りに吸い寄せられるように集まり、男たちは井戸脇の桶からブドウ酒を注いでいる。
「水車の再生に、乾杯だ!」
陽気な声と笑いが、広場に満ちた。
村の広場は、交易の場でも祈りの場でもある。
こうした小さな祝祭が、共同体の結束を生んでいくのだ。
ルカは少し離れたオリーブの木陰に立ち、胸の前で腕を組んでいた。
かつて戦場で鍛えられた瞳が、村の明るさにどこか馴染めずにいる。
私はパンをひとつ手に取り、そっと彼へ歩み寄った。
「ルカ。あなたも、どうぞ」
「……俺は、こういう騒ぎは苦手でな」
「皆さん、あなたに感謝しているのです。
水車が動かないままでは、この村は粉も挽けなかった。
今日のパンも、生まれていませんでした」
ルカは視線をそらし、短く息を吐いた。
「感謝なんて、される筋じゃねぇ。
戦場じゃ、パンより血の匂いが多かった」
「だからこそ、いま“生かす手”になったのです。
あなたの力は、破壊だけのものじゃありません」
そう言って、私はパンを彼の手にそっと押し込んだ。
16世紀のトスカーナでは、パンを手渡すことは“友情や信頼のしるし”でもあった。
ルカはわずかに口元をゆがめ、照れ隠しのように目をそらすと、パンをゆっくり割って口に運んだ。
無塩パンは膨らみが少なく、噛むほどに麦由来の甘さがにじむ素朴な味わいだ。
「……悪くねぇな」
「ね?」
私が笑うと、彼の表情もほんの少しだけゆるんだ。
そのころ広場では、老人がブドウ酒をかかげて叫んでいる。
「今年のオリーブは豊作だぞ!」
誰かが古いリュートを奏ではじめ、素朴な旋律が午後の熱気と混ざり合う。
子どもたちは焼きたてのパンをちぎって走り回り、女たちはオリーブ油を塗った板皿を並べている。
ルカはその音を聞きながら、ぽつりと言った。
「……俺は、この村の音を守りたい」
「水の音でも、風の音でもなく?」
「ああ。人の笑い声のほうだ」
私はそっと微笑んだ。
「では、これからは共に守りましょう。
あなたの力と、私の“魔法科学”で」
ルカは短くうなずき、子どもが差し出した小さなパンを受け取った。
それはまだ、炉の熱をほんのり残していた。
二人で村人たちの輪の中へと歩み寄ると、笑いと音楽とパンの香りが、私たちを自然に包みこんだ。
丘の風が吹き抜け、焼きたてのパンと新しい季節の匂いが、再生した村をやさしく満たしていた。
村の中央広場にある小さな集会地には、村人たちが集まっている。
円筒形の石井戸のそばには、古びた栗材の作業台が置かれ、その上には、焼きあがったばかりの大きな丸パンが山のように積まれていた。
パンはどれも、表皮のひび割れが深く、ずっしりと重い。
16世紀トスカーナのパンは、現代とはまったく異なる素朴な姿をしていた。
塩を使わず焼く無塩パン(パーネ・ショッコ)は、この地域特有のものだ。
ピサ(※都市)との戦争で、塩税(※塩の税金)が上がり、アルノ川経由の海塩の供給がなくなったため、いまの時代では塩は高価な“ぜいたく品”になっている。
領主の館には塩があるが、農民はそうはいかない。
だからこそ村では、塩をいれないパンが日々の食料になっていた。
パンのひとつを割ると、内側には麦殻の粒がところどころ残っていた。
それを指でほぐすと、ざらりとしたパンくずが手のひらに落ちる。
小麦の香ばしい匂いが、熱気とともに立ち上る。
「お嬢さま、こちらにどうぞ!」
村の女たちが、色あせた前掛けで手をぬぐいながら私をかこむ。
今日は水車の修復祝いもかねて、村の共同窯で焼いたパンをみんなで食べる日だった。
「これは……みなさんの手で作られたのですか?」
「ええ。昨日の粉を分けあって、今朝いっせいに焼きましたよ」
木皿の上に並べられたパンの欠片はどれもやや硬い。
子どもたちはその香りに吸い寄せられるように集まり、男たちは井戸脇の桶からブドウ酒を注いでいる。
「水車の再生に、乾杯だ!」
陽気な声と笑いが、広場に満ちた。
村の広場は、交易の場でも祈りの場でもある。
こうした小さな祝祭が、共同体の結束を生んでいくのだ。
ルカは少し離れたオリーブの木陰に立ち、胸の前で腕を組んでいた。
かつて戦場で鍛えられた瞳が、村の明るさにどこか馴染めずにいる。
私はパンをひとつ手に取り、そっと彼へ歩み寄った。
「ルカ。あなたも、どうぞ」
「……俺は、こういう騒ぎは苦手でな」
「皆さん、あなたに感謝しているのです。
水車が動かないままでは、この村は粉も挽けなかった。
今日のパンも、生まれていませんでした」
ルカは視線をそらし、短く息を吐いた。
「感謝なんて、される筋じゃねぇ。
戦場じゃ、パンより血の匂いが多かった」
「だからこそ、いま“生かす手”になったのです。
あなたの力は、破壊だけのものじゃありません」
そう言って、私はパンを彼の手にそっと押し込んだ。
16世紀のトスカーナでは、パンを手渡すことは“友情や信頼のしるし”でもあった。
ルカはわずかに口元をゆがめ、照れ隠しのように目をそらすと、パンをゆっくり割って口に運んだ。
無塩パンは膨らみが少なく、噛むほどに麦由来の甘さがにじむ素朴な味わいだ。
「……悪くねぇな」
「ね?」
私が笑うと、彼の表情もほんの少しだけゆるんだ。
そのころ広場では、老人がブドウ酒をかかげて叫んでいる。
「今年のオリーブは豊作だぞ!」
誰かが古いリュートを奏ではじめ、素朴な旋律が午後の熱気と混ざり合う。
子どもたちは焼きたてのパンをちぎって走り回り、女たちはオリーブ油を塗った板皿を並べている。
ルカはその音を聞きながら、ぽつりと言った。
「……俺は、この村の音を守りたい」
「水の音でも、風の音でもなく?」
「ああ。人の笑い声のほうだ」
私はそっと微笑んだ。
「では、これからは共に守りましょう。
あなたの力と、私の“魔法科学”で」
ルカは短くうなずき、子どもが差し出した小さなパンを受け取った。
それはまだ、炉の熱をほんのり残していた。
二人で村人たちの輪の中へと歩み寄ると、笑いと音楽とパンの香りが、私たちを自然に包みこんだ。
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