24 / 30
24 商人ギルドからの使者
しおりを挟む
屋根の修理をしていたルカは苦笑し、槌を腰に差して瓦屋根の上から声を返した。
「仕事の途中だ。手を止めると勘が鈍る」
「職人のようなことを言ってますね」
私は笑い、屋根の下の石垣に盆を置いた。
木の盆の上には、塩をひとつまみ振ったトスカーナのパン、煮込んだ豆、オリーブの実、そして陶器のカップに入った水。
「今日は、パンに塩を混ぜてみました」
「塩を?」
「ええ、村人たちにも塩をあげたら、すごくよろこんで、パン生地に塩をまぜてましたよ」
ルカは屋根の端に腰を下ろし、ロープをつかんで軽々と地上へ降りた。
土埃が舞い、陽光に照らされた赤い髪が赤銅のように光る。
「……すまん。食事まで世話になるとはな」
「あなたが屋根を直してくださるから、雨が降っても書庫が濡れずにすむのです。これは、お礼のつもりです」
ルカは私から木盆を受け取り、パンを手に取った。
パンの表面には、塩の粒が光っている。
彼は、パンを一口かじる。
厚い石窯で焼かれているため、焦げ茶の皮は堅く、歯を立てるとパリッと乾いた音がする。
「……悪くないな。塩が入っているだけで、こうもちがうのか」
「それは褒め言葉でしょうか?」
「俺の知る限り、戦場で食ったどんな軍用乾パンよりも上等だ」
「あなたが屋根を直してくれている間、私も地下の薬室を片づけていました。
明日から、魔法科学で大量の塩をつくることができそうです」
「もう仕事か?」
「ええ。私には家族を取り戻すという夢がありますから。資金を作って、あなたに魔法科学で武器と防具をつくり、領地の資金を調達して、家族や使用人たちをつれもどさないと」
「……あいかわらずだな」
ルカは苦笑し、陶器でできたコップの水を飲み干した。
当時のトスカーナ地方は、マジョリカ陶器の中心地で、陶器は家庭でも広く使われている。
「もう少しで屋根の修理は終わる。これで雨も怖くない」
「では、今夜は屋根の下で一緒に食事しましょう」
「……ああ」
ルカは短くうなずき、再び木槌を手に取った。
私はその背中を見上げ、小さくつぶやいた。
「この屋根も、この村も――あなたが支えてくれているんですね」
彼は振り向かずに答えた。
「いや、支えてるのは……おまえの手だ。俺のことも、いつも支えてくれている」
風が吹き、屋根瓦の上を太陽の光が流れていった。
盆の上のパンの塩粒が、陽光の中できらりと輝いていた。
◇
ある日、昼下がりの屋敷に、黒い外套をまとった男たちが訪れた。
胸には、メディチ政権下の商人ギルド――塩と油の取引を監督する組合のしるし。
老執事ドメニコが慌てて通すほど、その印章は重い意味を持っていた。
1530年ごろのフィレンツェでは、共和国が滅び、メディチ家による公国支配が始まっていた。
メディチ政権の監視下では、「新しい技術や商品を密かに作った」とウワサが立つと、すぐに役人やギルドが押しかけてくる。
塩の流通はすべて国家の監督下にあり、無許可の取引は「反逆」に等しい。
応接室に通されると、壮年の男が恭しく礼を取った。
「貴女様のお作りになる“塩”の噂が、すでに公国の耳にも届いております」
「……公国の耳に?」
「はい。いまや塩は公の財。質の良い塩を生み出せる方には、正式な許可と引き換えに、相応の義務も生じます」
ルカが壁にもたれ、腕を組む。
「つまり、“従うか、取り上げられるか”って話か」
その言葉を聞いても、男は微笑みを崩さなかった。
「ご理解が早い。メディチ殿下は、秩序を重んじられるお方です。
あなたの塩を、公国のメディチ家に献上しなさい。
見返りに、商人ギルドを通して“合法的に”販売できる許可を与えます」
つまり彼らは、買い取り交渉というよりも、半ば強制的な従属契約の申し出をしているのだ。
ルカの表情がわずかに険しくなる。
「やめておけ、イザベラ。塩税に触れれば、もう後戻りはできねえ」
16世紀では「自由な商売」はできない。
従えば生産者として生かされるが、逆らえば財産没収・処罰。
ルカはそれを理解していて、私に「政治に巻き込まれるな」と警告しているわけだ。
ここでうなずけば、政治の駒として利用される。
でも、メディチ政権からの申し出を断ることは、ほぼ不可能。
もし私が「売らない」と言えば、“密造商人”もしくは“反逆者”あつかいになる。
「仕事の途中だ。手を止めると勘が鈍る」
「職人のようなことを言ってますね」
私は笑い、屋根の下の石垣に盆を置いた。
木の盆の上には、塩をひとつまみ振ったトスカーナのパン、煮込んだ豆、オリーブの実、そして陶器のカップに入った水。
「今日は、パンに塩を混ぜてみました」
「塩を?」
「ええ、村人たちにも塩をあげたら、すごくよろこんで、パン生地に塩をまぜてましたよ」
ルカは屋根の端に腰を下ろし、ロープをつかんで軽々と地上へ降りた。
土埃が舞い、陽光に照らされた赤い髪が赤銅のように光る。
「……すまん。食事まで世話になるとはな」
「あなたが屋根を直してくださるから、雨が降っても書庫が濡れずにすむのです。これは、お礼のつもりです」
ルカは私から木盆を受け取り、パンを手に取った。
パンの表面には、塩の粒が光っている。
彼は、パンを一口かじる。
厚い石窯で焼かれているため、焦げ茶の皮は堅く、歯を立てるとパリッと乾いた音がする。
「……悪くないな。塩が入っているだけで、こうもちがうのか」
「それは褒め言葉でしょうか?」
「俺の知る限り、戦場で食ったどんな軍用乾パンよりも上等だ」
「あなたが屋根を直してくれている間、私も地下の薬室を片づけていました。
明日から、魔法科学で大量の塩をつくることができそうです」
「もう仕事か?」
「ええ。私には家族を取り戻すという夢がありますから。資金を作って、あなたに魔法科学で武器と防具をつくり、領地の資金を調達して、家族や使用人たちをつれもどさないと」
「……あいかわらずだな」
ルカは苦笑し、陶器でできたコップの水を飲み干した。
当時のトスカーナ地方は、マジョリカ陶器の中心地で、陶器は家庭でも広く使われている。
「もう少しで屋根の修理は終わる。これで雨も怖くない」
「では、今夜は屋根の下で一緒に食事しましょう」
「……ああ」
ルカは短くうなずき、再び木槌を手に取った。
私はその背中を見上げ、小さくつぶやいた。
「この屋根も、この村も――あなたが支えてくれているんですね」
彼は振り向かずに答えた。
「いや、支えてるのは……おまえの手だ。俺のことも、いつも支えてくれている」
風が吹き、屋根瓦の上を太陽の光が流れていった。
盆の上のパンの塩粒が、陽光の中できらりと輝いていた。
◇
ある日、昼下がりの屋敷に、黒い外套をまとった男たちが訪れた。
胸には、メディチ政権下の商人ギルド――塩と油の取引を監督する組合のしるし。
老執事ドメニコが慌てて通すほど、その印章は重い意味を持っていた。
1530年ごろのフィレンツェでは、共和国が滅び、メディチ家による公国支配が始まっていた。
メディチ政権の監視下では、「新しい技術や商品を密かに作った」とウワサが立つと、すぐに役人やギルドが押しかけてくる。
塩の流通はすべて国家の監督下にあり、無許可の取引は「反逆」に等しい。
応接室に通されると、壮年の男が恭しく礼を取った。
「貴女様のお作りになる“塩”の噂が、すでに公国の耳にも届いております」
「……公国の耳に?」
「はい。いまや塩は公の財。質の良い塩を生み出せる方には、正式な許可と引き換えに、相応の義務も生じます」
ルカが壁にもたれ、腕を組む。
「つまり、“従うか、取り上げられるか”って話か」
その言葉を聞いても、男は微笑みを崩さなかった。
「ご理解が早い。メディチ殿下は、秩序を重んじられるお方です。
あなたの塩を、公国のメディチ家に献上しなさい。
見返りに、商人ギルドを通して“合法的に”販売できる許可を与えます」
つまり彼らは、買い取り交渉というよりも、半ば強制的な従属契約の申し出をしているのだ。
ルカの表情がわずかに険しくなる。
「やめておけ、イザベラ。塩税に触れれば、もう後戻りはできねえ」
16世紀では「自由な商売」はできない。
従えば生産者として生かされるが、逆らえば財産没収・処罰。
ルカはそれを理解していて、私に「政治に巻き込まれるな」と警告しているわけだ。
ここでうなずけば、政治の駒として利用される。
でも、メディチ政権からの申し出を断ることは、ほぼ不可能。
もし私が「売らない」と言えば、“密造商人”もしくは“反逆者”あつかいになる。
0
あなたにおすすめの小説
帰国した王子の受難
ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。
取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。
悪役令嬢だけど、私としては推しが見れたら十分なんですが?
榎夜
恋愛
私は『花の王子様』という乙女ゲームに転生した
しかも、悪役令嬢に。
いや、私の推しってさ、隠しキャラなのよね。
だから勝手にイチャついてて欲しいんだけど......
※題名変えました。なんか話と合ってないよねってずっと思ってて
聖女解任ですか?畏まりました(はい、喜んでっ!)
ゆきりん(安室 雪)
恋愛
私はマリア、職業は大聖女。ダグラス王国の聖女のトップだ。そんな私にある日災難(婚約者)が災難(難癖を付け)を呼び、聖女を解任された。やった〜っ!悩み事が全て無くなったから、2度と聖女の職には戻らないわよっ!?
元聖女がやっと手に入れた自由を満喫するお話しです。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
出来損ないの私がお姉様の婚約者だった王子の呪いを解いてみた結果→
AK
恋愛
「ねえミディア。王子様と結婚してみたくはないかしら?」
ある日、意地の悪い笑顔を浮かべながらお姉様は言った。
お姉様は地味な私と違って公爵家の優秀な長女として、次期国王の最有力候補であった第一王子様と婚約を結んでいた。
しかしその王子様はある日突然不治の病に倒れ、それ以降彼に触れた人は石化して死んでしまう呪いに身を侵されてしまう。
そんは王子様を押し付けるように婚約させられた私だけど、私は光の魔力を有して生まれた聖女だったので、彼のことを救うことができるかもしれないと思った。
お姉様は厄介者と化した王子を押し付けたいだけかもしれないけれど、残念ながらお姉様の思い通りの展開にはさせない。
結婚前夜に婚約破棄されたけど、おかげでポイントがたまって溺愛されて最高に幸せです❤
凪子
恋愛
私はローラ・クイーンズ、16歳。前世は喪女、現世はクイーンズ公爵家の公爵令嬢です。
幼いころからの婚約者・アレックス様との結婚間近……だったのだけど、従妹のアンナにあの手この手で奪われてしまい、婚約破棄になってしまいました。
でも、大丈夫。私には秘密の『ポイント帳』があるのです!
ポイントがたまると、『いいこと』がたくさん起こって……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる