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30 ガラス瓶
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ゴブリンのもう1匹が、背後からルカに飛びかかる。
ルカはとっさにマントをひるがえし、ゴブリンの顔にかぶせるようにして動きを止め、その隙にポメル(柄頭)で側頭部を殴りつけた。
鈍い音がして、ゴブリンが崩れ落ちる。
人間とおなじで、モンスターも即頭部は急所のひとつ。
剣の『握る部分』の先端であるポメル(柄頭)は、衝撃を集中させやすい形であり、つまり小型の鉄製ハンマーに近い。
16世紀にあるフェンシング指南書でも、柄頭で攻撃する打撃は正式な技法としてあつかわれている。
ゴブリンたちは、すべて倒されて動かなくなった。
16世紀の社会構造に似たこの異世界において、ゴブリンのような魔物は “人間ではない危険生物” とみなされている。
そのため、ゴブリンを殺しても罪にはならない。
むしろ、害獣駆除として賞賛されることさえある。
多くの地域では、魔物の死体は放置されるか、感染防止のため焼却される。
ルカはふりむくと、私を見た。
「……無事か?」
その時、私は鞍にすがるように座っていた。
恐怖で体が小さく震えてしまう。
ルカは「怖かったな……よくやった、よく耐えた」と言い、私を抱き寄せた。
最初は驚きで硬直したけれど、やがて肩の力が抜けていく。
彼の胸板に顔を埋め、目に涙をためてしがみついた。
この世界で、モンスターを間近に見るのは初めてだった。
イタリアの貴族令嬢は、日常的に外を歩くことはない。
移動は常に馬車か騎馬隊の護衛付きであり、領地や都市国家の外に出るのは、結婚・巡礼・避難・外交など、特別な事情のときだけだった。
だから、こんな戦闘を見る機会など、まったくなかったのだ。
ルカは私の頭をなでた。
「必ず目的地まで安全に送る。俺と一緒なら、誰もお前に手は出せない」
「ええ……ルカ、すごく強いですね。助けてくれてありがとう」
「いや、あれは……“守りたい”って思った瞬間、剣が勝手に動いた」
「ねえ、ルカ」
「なんだ?」
「この装備を作ったのは、生きて帰るためだったんです。……私たち、どちらも」
私は顔を上げ、微笑んだ。
◇
ローマ街道の敷石は、昼の陽をたっぷり吸って、じんわりと熱を返していた。
木陰に入れば風は冷たいのに、ひとたび道を歩けば汗が背をつたう。
ルカは肩のマントを外しながら言った。
「秋とはいえ、ローマへ向かう道はまだ夏の名残がしぶといな」
馬の呼吸も荒い。
ルッカ共和国まで、まだ一日はかかる。
「……少し休もう」
木陰に馬を止め、彼は鞍を外した。
だが、馬のトルナードに水をあげようと水袋を持ち上げると、中はもう空だった。
ルカが眉をしかめる。
「悪いな、トルナード。水がない。さがしてくる」
ローマへ通じるこの道は、石畳がととのえられているが、水がつねに手に入るわけではない。
まず目につくのは、古代の水道橋の残骸だ。
崩れかけたアーチが、丘の向こうへ連なっている。
でも、そこに水が流れているとは限らない。
ローマでは、修復された水道もあれば、放棄されたままのものも多い。
その時、背後から私は声をかけた。
「すみません。言うのをすっかり忘れてました。水ならありますよ」
私は淡い青色の金属でできた水筒を抱えていた。
それは、淡い青色の金属の外装に、ムラーノ島の透明ガラスをはめ込んだ水筒。
ムラーノ島(ヴェネツィア北方)は、16世紀にはすでに世界屈指のガラス工芸の中心地だった。
「これ、魔法科学で作ってきました。あなたとトルナードのために」
私は微笑み、栓をひねった。
――その瞬間、水音が生まれる。
空気の中から冷たい蒸気が立ちのぼり、透明な水が静かにあふれ出す。
ルカは言葉を失っていた。
私の差し出した水筒から、まるで泉のように絶え間なく水が湧いているのだ。
「すごいな」と、ルカが感想を口にする。
「ローマ市内には、教皇庁が管理する公共噴水があるが、その水のように透明感がある」
ただの川の水をくんだものであれば、家畜の排泄物や死獣、上流の集落から流れ込む汚水がまじることも珍しくない。
でも、この水筒の水は、透明でキレイだ。
ルカはとっさにマントをひるがえし、ゴブリンの顔にかぶせるようにして動きを止め、その隙にポメル(柄頭)で側頭部を殴りつけた。
鈍い音がして、ゴブリンが崩れ落ちる。
人間とおなじで、モンスターも即頭部は急所のひとつ。
剣の『握る部分』の先端であるポメル(柄頭)は、衝撃を集中させやすい形であり、つまり小型の鉄製ハンマーに近い。
16世紀にあるフェンシング指南書でも、柄頭で攻撃する打撃は正式な技法としてあつかわれている。
ゴブリンたちは、すべて倒されて動かなくなった。
16世紀の社会構造に似たこの異世界において、ゴブリンのような魔物は “人間ではない危険生物” とみなされている。
そのため、ゴブリンを殺しても罪にはならない。
むしろ、害獣駆除として賞賛されることさえある。
多くの地域では、魔物の死体は放置されるか、感染防止のため焼却される。
ルカはふりむくと、私を見た。
「……無事か?」
その時、私は鞍にすがるように座っていた。
恐怖で体が小さく震えてしまう。
ルカは「怖かったな……よくやった、よく耐えた」と言い、私を抱き寄せた。
最初は驚きで硬直したけれど、やがて肩の力が抜けていく。
彼の胸板に顔を埋め、目に涙をためてしがみついた。
この世界で、モンスターを間近に見るのは初めてだった。
イタリアの貴族令嬢は、日常的に外を歩くことはない。
移動は常に馬車か騎馬隊の護衛付きであり、領地や都市国家の外に出るのは、結婚・巡礼・避難・外交など、特別な事情のときだけだった。
だから、こんな戦闘を見る機会など、まったくなかったのだ。
ルカは私の頭をなでた。
「必ず目的地まで安全に送る。俺と一緒なら、誰もお前に手は出せない」
「ええ……ルカ、すごく強いですね。助けてくれてありがとう」
「いや、あれは……“守りたい”って思った瞬間、剣が勝手に動いた」
「ねえ、ルカ」
「なんだ?」
「この装備を作ったのは、生きて帰るためだったんです。……私たち、どちらも」
私は顔を上げ、微笑んだ。
◇
ローマ街道の敷石は、昼の陽をたっぷり吸って、じんわりと熱を返していた。
木陰に入れば風は冷たいのに、ひとたび道を歩けば汗が背をつたう。
ルカは肩のマントを外しながら言った。
「秋とはいえ、ローマへ向かう道はまだ夏の名残がしぶといな」
馬の呼吸も荒い。
ルッカ共和国まで、まだ一日はかかる。
「……少し休もう」
木陰に馬を止め、彼は鞍を外した。
だが、馬のトルナードに水をあげようと水袋を持ち上げると、中はもう空だった。
ルカが眉をしかめる。
「悪いな、トルナード。水がない。さがしてくる」
ローマへ通じるこの道は、石畳がととのえられているが、水がつねに手に入るわけではない。
まず目につくのは、古代の水道橋の残骸だ。
崩れかけたアーチが、丘の向こうへ連なっている。
でも、そこに水が流れているとは限らない。
ローマでは、修復された水道もあれば、放棄されたままのものも多い。
その時、背後から私は声をかけた。
「すみません。言うのをすっかり忘れてました。水ならありますよ」
私は淡い青色の金属でできた水筒を抱えていた。
それは、淡い青色の金属の外装に、ムラーノ島の透明ガラスをはめ込んだ水筒。
ムラーノ島(ヴェネツィア北方)は、16世紀にはすでに世界屈指のガラス工芸の中心地だった。
「これ、魔法科学で作ってきました。あなたとトルナードのために」
私は微笑み、栓をひねった。
――その瞬間、水音が生まれる。
空気の中から冷たい蒸気が立ちのぼり、透明な水が静かにあふれ出す。
ルカは言葉を失っていた。
私の差し出した水筒から、まるで泉のように絶え間なく水が湧いているのだ。
「すごいな」と、ルカが感想を口にする。
「ローマ市内には、教皇庁が管理する公共噴水があるが、その水のように透明感がある」
ただの川の水をくんだものであれば、家畜の排泄物や死獣、上流の集落から流れ込む汚水がまじることも珍しくない。
でも、この水筒の水は、透明でキレイだ。
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