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16 洗濯物
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その日、私は洗濯物を洗うために使う灰汁(あく)を作っていた。
灰汁は、木灰+熱湯で作るアルカリ性洗浄液で、この時代では洗濯物を洗うためにも使われている。
時間がたつと空気中の二酸化炭素と反応し、洗浄力が弱くなるから、使うときに作るしかなかった。
私は、炉の前にしゃがみ込み、昨夜の灰を集めた。
白く乾いた木灰は、指で触れるとさらさらと崩れる。
灰を入れすぎないよう量を見て計り、井戸からくんできた水を魔法で湯にして、それを静かに注いだ。
灰が湯に沈み、かすかに苦い匂いが立ちのぼった。
棒でかき混ぜると、水はにごり、淡い乳白色へと変わる。
しばらく置けば、重たい灰は底に沈み、上には澄んだ上澄みだけが残る。
この上澄みが、灰汁だ。
灰汁を、別の容れ物へ移す。
「じゃあ、さっさと洗濯物をしようかしら」
そう呟き、私は桶を抱えて家の奥へと向かった。
洗濯といっても、現代のような“洗剤と水”で洗えるわけではない。
灰汁(あく)と温水を使い、木桶の中で衣類を踏みしめる――
それがこの時代のごく普通のやり方だ。
私は、まず四人の衣服をひとつひとつ集めていく。
羊毛のチュニックは厚くて重く、汗や煙の匂いがしみ込んでいる。
麻布のシャツはくたびれて薄くなり、つくろった部分があった。
最後に、炉のそばに干してあった布を手に取ろうとして、思わず手を止めた。
膝丈の麻布のブレー。
この時代の男性が身につける下穿きで、いわば“男性用下着”だ。
「……これ、どうしよう」
現代の感覚が思わず顔を出して、悩む。
洗っていいのか、ダメなのか。
12世紀の農村では、家族の衣類は共同で洗うのが当たり前だが、これはさすがに本人に断りなく触れるのは気が引けた。
私は、家の入口で外の空気を吸っていたギンに声をかけた。
「ギン。これ、洗ってもいい?」
ギンは突然声をかけられて少し驚いたように振り返った。
銀色の髪の先が朝の光を受けて白く光る。
「えっ……あ、うん。洗っていいよ。ぜんぜん」
よく見ると、耳まで赤くなっている。
反抗期なら「自分でやる」「さわるなよ」と言いかねないのに。
ギンは気まずそうに指をもじもじさせながら、素直に頷いた。
「……その、ぼくも手伝うよ。洗濯、重いし」
「いいの? 寒いのに」
「アーデルさんがひとりでやるほうが、ぼくは嫌だよ」
その言葉に、胸がじんとした。
ギンが桶を運んでくる。
私は桶に井戸水を入れ、魔法で温めた湯を少し足して、灰汁をかき混ぜた。
灰のアルカリ成分が油汚れを分解し、石鹸の代わりになる。
「ギン、じゃあ衣服を押し込んでくれる?」
「うん」
ギンは袖をまくり、冷たい灰汁の中に布を浸す。
冬でも洗濯をしなければ匂いが染みつくため、村ではこれを暖炉のそばで行うのがあたりまえだった。
ギンはぎこちないながらも、足で桶の中の衣類を踏みしめはじめた。
12世紀の洗濯では“踏み洗い”が一般的だ。
「アーデルさん、僕……前より上手くなったかな?」
「うん、じょうず。ありがとうね」
ギンは恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに目を細めた。
反抗期の少年なら絶対に見せない表情だった。
一生懸命に洗濯の手伝いをしてくれている姿を見ていると、いい子だなと感動して……
気づいたときには、ギンの頭をなでていた。
「――!?」
ギンの体が止まる。
「ちょ、ちょっと待って、いま洗濯物を洗ってる途中で――」
ついでに、ギンのほっぺを指でさわる。
水気を切りすぎていない凝乳(※フレッシュチーズ)みたいに、ぷるっとやわらかい。
中世では家畜の乳をその日のうちに加工する生活が当たり前だったから、長期熟成を必要としないフレッシュチーズは、日常食でもある。
「……ぷにぷに」
「確認しないで!?」
「――あっ!? わ、私、なにを!! ご、ごめんね、ギン。無意識で……ほっぺが気になって」
「……嫌じゃ、なかったけど」
その様子を、いつのまにか帰ってきていたコハクが見ていた。
「ギン、耳まで真っ赤だよ」
「言うな!!」
ギンは顔をそらしつつ、小さく咳払いをした。
「……その……次やるなら……声、かけて」
「わかった」
でも、ギンは作業を再開しながら、ほんの少しだけ口元をゆるめていた。
洗い終えた布は、しぼってから家のなかの“梁(はり)”にかける。
煙で燻された天井の下は乾きが早く、冬場の貴重な乾燥場所だ。
ギンはブレーを両手に持ち、ためらいながら聞いた。
「……これ、高いところにかけていい?」
「もちろん。お願い」
ギンは背伸びしながら梁に布をかけ、ふうっと息を吐いた。
顔はまだ赤いままだったけれど、どこか誇らしげだった。
やっぱりこの子も、まだ反抗期ではないんだ……。
私は心の中でそっと笑った。
灰汁は、木灰+熱湯で作るアルカリ性洗浄液で、この時代では洗濯物を洗うためにも使われている。
時間がたつと空気中の二酸化炭素と反応し、洗浄力が弱くなるから、使うときに作るしかなかった。
私は、炉の前にしゃがみ込み、昨夜の灰を集めた。
白く乾いた木灰は、指で触れるとさらさらと崩れる。
灰を入れすぎないよう量を見て計り、井戸からくんできた水を魔法で湯にして、それを静かに注いだ。
灰が湯に沈み、かすかに苦い匂いが立ちのぼった。
棒でかき混ぜると、水はにごり、淡い乳白色へと変わる。
しばらく置けば、重たい灰は底に沈み、上には澄んだ上澄みだけが残る。
この上澄みが、灰汁だ。
灰汁を、別の容れ物へ移す。
「じゃあ、さっさと洗濯物をしようかしら」
そう呟き、私は桶を抱えて家の奥へと向かった。
洗濯といっても、現代のような“洗剤と水”で洗えるわけではない。
灰汁(あく)と温水を使い、木桶の中で衣類を踏みしめる――
それがこの時代のごく普通のやり方だ。
私は、まず四人の衣服をひとつひとつ集めていく。
羊毛のチュニックは厚くて重く、汗や煙の匂いがしみ込んでいる。
麻布のシャツはくたびれて薄くなり、つくろった部分があった。
最後に、炉のそばに干してあった布を手に取ろうとして、思わず手を止めた。
膝丈の麻布のブレー。
この時代の男性が身につける下穿きで、いわば“男性用下着”だ。
「……これ、どうしよう」
現代の感覚が思わず顔を出して、悩む。
洗っていいのか、ダメなのか。
12世紀の農村では、家族の衣類は共同で洗うのが当たり前だが、これはさすがに本人に断りなく触れるのは気が引けた。
私は、家の入口で外の空気を吸っていたギンに声をかけた。
「ギン。これ、洗ってもいい?」
ギンは突然声をかけられて少し驚いたように振り返った。
銀色の髪の先が朝の光を受けて白く光る。
「えっ……あ、うん。洗っていいよ。ぜんぜん」
よく見ると、耳まで赤くなっている。
反抗期なら「自分でやる」「さわるなよ」と言いかねないのに。
ギンは気まずそうに指をもじもじさせながら、素直に頷いた。
「……その、ぼくも手伝うよ。洗濯、重いし」
「いいの? 寒いのに」
「アーデルさんがひとりでやるほうが、ぼくは嫌だよ」
その言葉に、胸がじんとした。
ギンが桶を運んでくる。
私は桶に井戸水を入れ、魔法で温めた湯を少し足して、灰汁をかき混ぜた。
灰のアルカリ成分が油汚れを分解し、石鹸の代わりになる。
「ギン、じゃあ衣服を押し込んでくれる?」
「うん」
ギンは袖をまくり、冷たい灰汁の中に布を浸す。
冬でも洗濯をしなければ匂いが染みつくため、村ではこれを暖炉のそばで行うのがあたりまえだった。
ギンはぎこちないながらも、足で桶の中の衣類を踏みしめはじめた。
12世紀の洗濯では“踏み洗い”が一般的だ。
「アーデルさん、僕……前より上手くなったかな?」
「うん、じょうず。ありがとうね」
ギンは恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに目を細めた。
反抗期の少年なら絶対に見せない表情だった。
一生懸命に洗濯の手伝いをしてくれている姿を見ていると、いい子だなと感動して……
気づいたときには、ギンの頭をなでていた。
「――!?」
ギンの体が止まる。
「ちょ、ちょっと待って、いま洗濯物を洗ってる途中で――」
ついでに、ギンのほっぺを指でさわる。
水気を切りすぎていない凝乳(※フレッシュチーズ)みたいに、ぷるっとやわらかい。
中世では家畜の乳をその日のうちに加工する生活が当たり前だったから、長期熟成を必要としないフレッシュチーズは、日常食でもある。
「……ぷにぷに」
「確認しないで!?」
「――あっ!? わ、私、なにを!! ご、ごめんね、ギン。無意識で……ほっぺが気になって」
「……嫌じゃ、なかったけど」
その様子を、いつのまにか帰ってきていたコハクが見ていた。
「ギン、耳まで真っ赤だよ」
「言うな!!」
ギンは顔をそらしつつ、小さく咳払いをした。
「……その……次やるなら……声、かけて」
「わかった」
でも、ギンは作業を再開しながら、ほんの少しだけ口元をゆるめていた。
洗い終えた布は、しぼってから家のなかの“梁(はり)”にかける。
煙で燻された天井の下は乾きが早く、冬場の貴重な乾燥場所だ。
ギンはブレーを両手に持ち、ためらいながら聞いた。
「……これ、高いところにかけていい?」
「もちろん。お願い」
ギンは背伸びしながら梁に布をかけ、ふうっと息を吐いた。
顔はまだ赤いままだったけれど、どこか誇らしげだった。
やっぱりこの子も、まだ反抗期ではないんだ……。
私は心の中でそっと笑った。
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