5 / 45
5 アラン中尉の目的
しおりを挟む
「ただし」と、私の一言で、また婦人たちの視線がこちらに集まる。
「侍女に“注意”を申し上げたことは、ございますわ。
陛下の御前で、ドレスのすそを乱したまま立っていたので。
それを“怒鳴った”と受け取った方がいたのなら……
私の言葉がきびしすぎたのでしょう」
自分のウワサを“軽く引き取る”ことで、致命的なフラグを消す——宮廷的な回避だ。
王妃が、ふっと微笑んだ。
「なるほど。ヴァロワ嬢は、いつも言葉を選びすぎるところがありますものね」
それは、完全な援護射撃だった。
「侍女を想っての注意を、“叱責”と呼ぶのは、少々行き過ぎでしょう」
王妃の一言で、勝敗は決した。
貴婦人たちは一斉に微笑みを顔に貼りつけ、さきほどまで私を追い詰めていた視線はなくなり、いつのまにか会話は別の話題へと流れていく。
私は、静かにショコラカップへ口をつけた。
甘くて、苦い。
18世紀のショコラは、カカオの濃度が強く、現代のチョコよりずっと野性味がある。
……断罪フラグ、回避成功。
この世界では、運命は言葉の選び方で書きかえられる。
私は、そう確信しながら、再び扇子をひらいた。
◇
お茶会が終わり、サロンから出た私は、王妃の部屋と王の大居室をつなぐ部屋のなかを歩いていた。
ヴェルサイユ宮殿は、近代的な意味での廊下(※通路専用)がほとんど存在しない建築で、王妃の部屋と王の大居室はまっすぐな廊下ではなく、いくつかの小部屋の連なりでつながっている。
とりあえず、今日のお茶会も無事に終えることができた。
悪役令嬢の断罪を回避するには、定期的にサロンのお茶会に出席して断罪フラグを回避しないといけないから大変だ。
ふと、足をとめる。
壁際で、一人の近衛士官が直立していた。
アラン中尉。
王妃の身辺警護をになう“近衛隊士官だ。
彼ら近衛隊の任務は、王と王妃の護衛、サロンでの小競り合い・密談の察知、宮廷内での“ウソの証言”の調査など。
つまり、宮廷でウソが横行した時、真相に最も近い場所にいる存在だった。
今日は、その灰色の瞳がどこか柔らかい。
私は、彼に声をかけた。
「中尉。まだ何か?」
「侍女たちの証言が不自然だ。“同じ場に三人が同時にいた”というが、彼女らは別の勤め場所にいる時間帯だ」
「あなた、私のウワサのことを調べているの?」
「職務の範囲だ」
職務、ね……。
近衛士官は本来、個人に肩入れする立場ではない。
宮廷の中で最も厳格な規律の下にある者なのだから。
アランは、わずか一歩、磨き上げられた寄木の床をきしませて私に近づいた。
「ヴァロワ嬢。あなたは孤独だ。
敵ばかりの宮廷で、たった一人で戦っている」
彼の声は低く、廊下の漆喰の壁に吸い込まれるようにひそやかだった。
「たぶん、“そう見える”だけですわ」
「俺には隠す必要はない。――あなたは助けを求めているんだろう?」
心臓が一度、痛いほど跳ねた。
ヴェルサイユでは、誰もが『家柄』『派閥』などで人を見る。
女官でさえ、誰に挨拶したか、誰の隣に立ったかで命運が決まる世界。
そのなかで――
アランだけが、“セシル”というひとりの人間として私を見てくれていた。
「……どうして私なんかを気にかけるの?」
アランの金具付きの軍靴が静かに近づく。
距離は、息が触れそうなほど近い。
近衛士官が令嬢との距離をここまで詰めるのは、宮廷では本来ありえないことだった。
「理由はひとつだ。ここには“まっすぐな人間”が少ない。
あなたはウソをつかない。……だから放っておけない」
冷酷だと噂される近衛士官が、そんな声でそんな言葉を言うなんて。
廊下の向こうでは、王の大居室へ向かう侍従たちの軽い足音がひびいている。
燭台にささる蜜蝋のロウソクが、静かに炎を揺らし、ヴェルサイユらしいバロック彫刻のモールディング(※飾り縁・装飾線)に淡い光を落としていた。
ヴェルサイユは、いつだって息を潜めたような威厳ある静けさをたもつ。
その中で――
アランの声だけが、私に届いた。
「ヴァロワ嬢。あなたは一人ではない」
それだけ告げると、彼は軍人らしい鋭い動きで背を向け、王妃の大居室へと戻っていった。
残された私は、胸にそっと手を当て息を吐く。
――誰も信じられない世界で、どうしてそんなふうに言うの。
鉄面皮の近衛士官が、私の名誉を守るために動きはじめている。
そんなこと、期待してはいけないとわかっているのに。
助けてほしい……
誰かに、味方でいてほしい……。
胸の奥に生まれた弱さを打ち消すように、私は首を横に振った。
「巻き込むわけにはいかないの。
私は……“悪役令嬢”だから」
「侍女に“注意”を申し上げたことは、ございますわ。
陛下の御前で、ドレスのすそを乱したまま立っていたので。
それを“怒鳴った”と受け取った方がいたのなら……
私の言葉がきびしすぎたのでしょう」
自分のウワサを“軽く引き取る”ことで、致命的なフラグを消す——宮廷的な回避だ。
王妃が、ふっと微笑んだ。
「なるほど。ヴァロワ嬢は、いつも言葉を選びすぎるところがありますものね」
それは、完全な援護射撃だった。
「侍女を想っての注意を、“叱責”と呼ぶのは、少々行き過ぎでしょう」
王妃の一言で、勝敗は決した。
貴婦人たちは一斉に微笑みを顔に貼りつけ、さきほどまで私を追い詰めていた視線はなくなり、いつのまにか会話は別の話題へと流れていく。
私は、静かにショコラカップへ口をつけた。
甘くて、苦い。
18世紀のショコラは、カカオの濃度が強く、現代のチョコよりずっと野性味がある。
……断罪フラグ、回避成功。
この世界では、運命は言葉の選び方で書きかえられる。
私は、そう確信しながら、再び扇子をひらいた。
◇
お茶会が終わり、サロンから出た私は、王妃の部屋と王の大居室をつなぐ部屋のなかを歩いていた。
ヴェルサイユ宮殿は、近代的な意味での廊下(※通路専用)がほとんど存在しない建築で、王妃の部屋と王の大居室はまっすぐな廊下ではなく、いくつかの小部屋の連なりでつながっている。
とりあえず、今日のお茶会も無事に終えることができた。
悪役令嬢の断罪を回避するには、定期的にサロンのお茶会に出席して断罪フラグを回避しないといけないから大変だ。
ふと、足をとめる。
壁際で、一人の近衛士官が直立していた。
アラン中尉。
王妃の身辺警護をになう“近衛隊士官だ。
彼ら近衛隊の任務は、王と王妃の護衛、サロンでの小競り合い・密談の察知、宮廷内での“ウソの証言”の調査など。
つまり、宮廷でウソが横行した時、真相に最も近い場所にいる存在だった。
今日は、その灰色の瞳がどこか柔らかい。
私は、彼に声をかけた。
「中尉。まだ何か?」
「侍女たちの証言が不自然だ。“同じ場に三人が同時にいた”というが、彼女らは別の勤め場所にいる時間帯だ」
「あなた、私のウワサのことを調べているの?」
「職務の範囲だ」
職務、ね……。
近衛士官は本来、個人に肩入れする立場ではない。
宮廷の中で最も厳格な規律の下にある者なのだから。
アランは、わずか一歩、磨き上げられた寄木の床をきしませて私に近づいた。
「ヴァロワ嬢。あなたは孤独だ。
敵ばかりの宮廷で、たった一人で戦っている」
彼の声は低く、廊下の漆喰の壁に吸い込まれるようにひそやかだった。
「たぶん、“そう見える”だけですわ」
「俺には隠す必要はない。――あなたは助けを求めているんだろう?」
心臓が一度、痛いほど跳ねた。
ヴェルサイユでは、誰もが『家柄』『派閥』などで人を見る。
女官でさえ、誰に挨拶したか、誰の隣に立ったかで命運が決まる世界。
そのなかで――
アランだけが、“セシル”というひとりの人間として私を見てくれていた。
「……どうして私なんかを気にかけるの?」
アランの金具付きの軍靴が静かに近づく。
距離は、息が触れそうなほど近い。
近衛士官が令嬢との距離をここまで詰めるのは、宮廷では本来ありえないことだった。
「理由はひとつだ。ここには“まっすぐな人間”が少ない。
あなたはウソをつかない。……だから放っておけない」
冷酷だと噂される近衛士官が、そんな声でそんな言葉を言うなんて。
廊下の向こうでは、王の大居室へ向かう侍従たちの軽い足音がひびいている。
燭台にささる蜜蝋のロウソクが、静かに炎を揺らし、ヴェルサイユらしいバロック彫刻のモールディング(※飾り縁・装飾線)に淡い光を落としていた。
ヴェルサイユは、いつだって息を潜めたような威厳ある静けさをたもつ。
その中で――
アランの声だけが、私に届いた。
「ヴァロワ嬢。あなたは一人ではない」
それだけ告げると、彼は軍人らしい鋭い動きで背を向け、王妃の大居室へと戻っていった。
残された私は、胸にそっと手を当て息を吐く。
――誰も信じられない世界で、どうしてそんなふうに言うの。
鉄面皮の近衛士官が、私の名誉を守るために動きはじめている。
そんなこと、期待してはいけないとわかっているのに。
助けてほしい……
誰かに、味方でいてほしい……。
胸の奥に生まれた弱さを打ち消すように、私は首を横に振った。
「巻き込むわけにはいかないの。
私は……“悪役令嬢”だから」
0
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢だけど、私としては推しが見れたら十分なんですが?
榎夜
恋愛
私は『花の王子様』という乙女ゲームに転生した
しかも、悪役令嬢に。
いや、私の推しってさ、隠しキャラなのよね。
だから勝手にイチャついてて欲しいんだけど......
※題名変えました。なんか話と合ってないよねってずっと思ってて
無事にバッドエンドは回避できたので、これからは自由に楽しく生きていきます。
木山楽斗
恋愛
悪役令嬢ラナトゥーリ・ウェルリグルに転生した私は、無事にゲームのエンディングである魔法学校の卒業式の日を迎えていた。
本来であれば、ラナトゥーリはこの時点で断罪されており、良くて国外追放になっているのだが、私は大人しく生活を送ったおかげでそれを回避することができていた。
しかしながら、思い返してみると私の今までの人生というものは、それ程面白いものではなかったように感じられる。
特に友達も作らず勉強ばかりしてきたこの人生は、悪いとは言えないが少々彩りに欠けているような気がしたのだ。
せっかく掴んだ二度目の人生を、このまま終わらせていいはずはない。
そう思った私は、これからの人生を楽しいものにすることを決意した。
幸いにも、私はそれ程貴族としてのしがらみに縛られている訳でもない。多少のわがままも許してもらえるはずだ。
こうして私は、改めてゲームの世界で新たな人生を送る決意をするのだった。
※一部キャラクターの名前を変更しました。(リウェルド→リベルト)
その破滅エンド、ボツにします!~転生ヒロインはやり直し令嬢をハッピーエンドにしたい~
福留しゅん
恋愛
自分がシナリオを書いた乙女ゲームの世界に転生したメインヒロインはゲーム開始直後に前世を思い出す。一方の悪役令嬢は何度も断罪と破滅を繰り返しては人生をやり直していた。そうして創造主の知識を持つヒロインと強くてニューゲームな悪役令嬢の奇妙な交友が始まる――。
※小説家になろう様にも投稿しています。
悪役令嬢が睨んでくるので、理由を聞いてみた
ちくわ食べます
恋愛
転生したのは馴染みのない乙女ゲームの世界だった。
シナリオは分からず、登場人物もうろ覚え、タイトルなんて覚えてすらいない。
そんな世界でモブ男『トリスタン』として暮らす主人公。
恋愛至上主義な学園で大人しく、モブらしく、学園生活を送っていたはずなのに、なぜか悪役令嬢から睨まれていて。
気になったトリスタンは、悪役令嬢のセリスに理由を聞いてみることにした。
【完結】ここって天国?いいえBLの世界に転生しました
三園 七詩
恋愛
麻衣子はBL大好きの腐りかけのオタク、ある日道路を渡っていた綺麗な猫が車に引かれそうになっているのを助けるために命を落とした。
助けたその猫はなんと神様で麻衣子を望む異世界へと転生してくれると言う…チートでも溺愛でも悪役令嬢でも望むままに…しかし麻衣子にはどれもピンと来ない…どうせならBLの世界でじっくりと生でそれを拝みたい…
神様はそんな麻衣子の願いを叶えてBLの世界へと転生させてくれた!
しかもその世界は生前、麻衣子が買ったばかりのゲームの世界にそっくりだった!
攻略対象の兄と弟を持ち、王子の婚約者のマリーとして生まれ変わった。
ゲームの世界なら王子と兄、弟やヒロイン(男)がイチャイチャするはずなのになんかおかしい…
知らず知らずのうちに攻略対象達を虜にしていくマリーだがこの世界はBLと疑わないマリーはそんな思いは露知らず…
注)BLとありますが、BL展開はほぼありません。
オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。
転生悪役令嬢は冒険者になればいいと気が付いた
よーこ
恋愛
物心ついた頃から前世の記憶持ちの悪役令嬢ベルティーア。
国の第一王子との婚約式の時、ここが乙女ゲームの世界だと気が付いた。
自分はメイン攻略対象にくっつく悪役令嬢キャラだった。
はい、詰んだ。
将来は貴族籍を剥奪されて国外追放決定です。
よし、だったら魔法があるこのファンタジーな世界を満喫しよう。
国外に追放されたら冒険者になって生きるぞヒャッホー!
悪役令嬢、隠しキャラとこっそり婚約する
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢が隠しキャラに愛されるだけ。
ドゥニーズは違和感を感じていた。やがてその違和感から前世の記憶を取り戻す。思い出してからはフリーダムに生きるようになったドゥニーズ。彼女はその後、ある男の子と婚約をして…。
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる