18世紀末ヴェルサイユに似た乙女ゲーム世界に転生した悪役令嬢は、断罪を回避したい

ねこまんまる

文字の大きさ
25 / 45

25 呼び捨て

しおりを挟む
「それと――セシル」

アランが低く呼びかけた瞬間、私は思わず目をまたたいた。

……今、私の名前を呼び捨てにした?

本人は気づいていないのか、周囲の視線を気にする余裕もなく、ただ真っ直ぐにこちらを見ている。

「その時間、おまえは王妃陛下のところにいろ」

「王妃の……?」

「王妃陛下は今夜、少し体調を崩されている。信頼できる若い令嬢のつきそいを求めておられると聞いた。
侍女頭に、セシルの……ヴァロワ嬢の名を進言しておいた」

呼び捨てから、急いで敬称に戻したのが、はっきりとわかる。
 
18世紀フランス宮廷では、近衛士官が高位令嬢を呼び捨てにするのは絶対にNG。
身分秩序が厳格なので、かなりの無礼行為になる。

そのあわて方が、逆に私の胸の奥を熱くした。

「……アラン、そこまでしてくれたのね」

「必要な根回しだ」

そっけない返事。
けれど、私を守ろうとする思いが透けて見えた。

彼は姿勢を崩さぬまま、低く声を落とした。

「先ほどの件だが――」

言葉がそこで途切れる。
近衛士官らしからぬ、微妙な沈黙。

呼び捨てにしたこと、気にしている?

アランはわずかに眉を寄せ、人払いをするように視線でまわりを確認すると、さらに声を低くした。

「……さっきは、失礼した。
おまえを……いや、ヴァロワ嬢を呼び捨てにした」

「気にしていないわ」
 
「あれは、気が抜けた。おまえの身を案じて、思わず……。
忘れてくれ。宮廷では、呼び捨ては無用の誤解をまねく」

「忘れないわ。あの呼び方……うれしかったから」

アランの指先が、わずかに揺れた。
それは剣のつばに触れたときの反射のようで、近衛士官としての規律を取り戻そうとする動きだった。

けれど……、視線だけは、やわらかく揺れた。

「……はやく王妃陛下のもとへ行くんだ。遅れるな」

彼はそれだけを告げ、再び無表情の近衛士官の仕事へ戻る。

けれど私の胸の奥では、“セシル”と呼ばれた一瞬の熱が、まだ消えずに残っていた。

 
私はアランに言われたとおり、決められた“王妃の気分が落ち込みやすい時間帯”に、王妃の私室に隣接する小部屋へ向かった。

18世紀のヴェルサイユでは、王妃の健康状態は国家の安定と同義だ。
王妃が熱を出せば宮廷全体がざわめくほどで、侍女たちは朝からずっと落ち着かない様子となってしまう。

小部屋は、王妃の私室より控えめな装飾でまとめられていた。
 
白い羽根飾りのついた椅子、金の象嵌細工がほどこされたテーブル。
暖炉には、パリから運ばれたまきが燃えている。

私は指示どおり、王妃の手を温めるための絹手袋をそっと手に取り、王妃の指を包んだ。

女官長が薬湯(※当時流行した、薬草とミルクを混ぜた緩和剤)を差し出す。
それを王妃がほんの少し口に運ぶのを見守るのも、私の役目だ。

王妃は目を伏せ、ゆっくりと息をついた。
そして――
私の手を包み込むように見上げた。

「……ヴァロワ嬢」

背筋が自然と伸びる。

王妃は、青みのある灰色の目で私をじっと見つめ、柔らかく微笑んだ。

「あなたは、噂で聞くよりずっと静かな目をしているのね」

その一言には、不思議な重みがあった。

ヴェルサイユでは、『静かな目』とは、他人の言葉に流されず己の意思を持つ者という意味をふくんでいる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

モブが乙女ゲームの世界に生まれてどうするの?【完結】

いつき
恋愛
リアラは貧しい男爵家に生まれた容姿も普通の女の子だった。 陰険な意地悪をする義母と義妹が来てから家族仲も悪くなり実の父にも煙たがられる日々 だが、彼女は気にも止めず使用人扱いされても挫ける事は無い 何故なら彼女は前世の記憶が有るからだ

【完結】婚約者はお譲りします!転生悪役令嬢は世界を救いたい!

白雨 音
恋愛
公爵令嬢アラベラは、階段から転落した際、前世を思い出し、 この世界が、前世で好きだった乙女ゲームの世界に似ている事に気付いた。 自分に与えられた役は《悪役令嬢》、このままでは破滅だが、避ける事は出来ない。 ゲームのヒロインは、聖女となり世界を救う《予言》をするのだが、 それは、白竜への生贄として《アラベラ》を捧げる事だった___ 「この世界を救う為、悪役令嬢に徹するわ!」と決めたアラベラは、 トゥルーエンドを目指し、ゲーム通りに進めようと、日々奮闘! そんな彼女を見つめるのは…? 異世界転生:恋愛 (※婚約者の王子とは結ばれません) 《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆

その破滅エンド、ボツにします!~転生ヒロインはやり直し令嬢をハッピーエンドにしたい~

福留しゅん
恋愛
自分がシナリオを書いた乙女ゲームの世界に転生したメインヒロインはゲーム開始直後に前世を思い出す。一方の悪役令嬢は何度も断罪と破滅を繰り返しては人生をやり直していた。そうして創造主の知識を持つヒロインと強くてニューゲームな悪役令嬢の奇妙な交友が始まる――。 ※小説家になろう様にも投稿しています。

悪役令嬢だけど、私としては推しが見れたら十分なんですが?

榎夜
恋愛
私は『花の王子様』という乙女ゲームに転生した しかも、悪役令嬢に。 いや、私の推しってさ、隠しキャラなのよね。 だから勝手にイチャついてて欲しいんだけど...... ※題名変えました。なんか話と合ってないよねってずっと思ってて

悪役令嬢が睨んでくるので、理由を聞いてみた

ちくわ食べます
恋愛
転生したのは馴染みのない乙女ゲームの世界だった。  シナリオは分からず、登場人物もうろ覚え、タイトルなんて覚えてすらいない。 そんな世界でモブ男『トリスタン』として暮らす主人公。 恋愛至上主義な学園で大人しく、モブらしく、学園生活を送っていたはずなのに、なぜか悪役令嬢から睨まれていて。 気になったトリスタンは、悪役令嬢のセリスに理由を聞いてみることにした。

婚約者を奪い返そうとしたらいきなり溺愛されました

宵闇 月
恋愛
異世界に転生したらスマホゲームの悪役令嬢でした。 しかも前世の推し且つ今世の婚約者は既にヒロインに攻略された後でした。 断罪まであと一年と少し。 だったら断罪回避より今から全力で奪い返してみせますわ。 と意気込んだはいいけど あれ? 婚約者様の様子がおかしいのだけど… ※ 4/26 内容とタイトルが合ってないない気がするのでタイトル変更しました。

転生悪役令嬢は冒険者になればいいと気が付いた

よーこ
恋愛
物心ついた頃から前世の記憶持ちの悪役令嬢ベルティーア。 国の第一王子との婚約式の時、ここが乙女ゲームの世界だと気が付いた。 自分はメイン攻略対象にくっつく悪役令嬢キャラだった。 はい、詰んだ。 将来は貴族籍を剥奪されて国外追放決定です。 よし、だったら魔法があるこのファンタジーな世界を満喫しよう。 国外に追放されたら冒険者になって生きるぞヒャッホー!

転生したら悪役令嬢だった婚約者様の溺愛に気づいたようですが、実は私も無関心でした

ハリネズミの肉球
恋愛
気づけば私は、“悪役令嬢”として断罪寸前――しかも、乙女ゲームのクライマックス目前!? 容赦ないヒロインと取り巻きたちに追いつめられ、開き直った私はこう言い放った。 「……まぁ、別に婚約者様にも未練ないし?」 ところが。 ずっと私に冷たかった“婚約者様”こと第一王子アレクシスが、まさかの豹変。 無関心だったはずの彼が、なぜか私にだけやたらと優しい。甘い。距離が近い……って、え、なにこれ、溺愛モード突入!?今さらどういうつもり!? でも、よく考えたら―― 私だって最初からアレクシスに興味なんてなかったんですけど?(ほんとに) お互いに「どうでもいい」と思っていたはずの関係が、“転生”という非常識な出来事をきっかけに、静かに、でも確実に動き始める。 これは、すれ違いと誤解の果てに生まれる、ちょっとズレたふたりの再恋(?)物語。 じれじれで不器用な“無自覚すれ違いラブ”、ここに開幕――! 本作は、アルファポリス様、小説家になろう様、カクヨム様にて掲載させていただいております。 アイデア提供者:ゆう(YuFidi) URL:https://note.com/yufidi88/n/n8caa44812464

処理中です...