18世紀末ヴェルサイユに似た乙女ゲーム世界に転生した悪役令嬢は、断罪を回避したい

ねこまんまる

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28 二人の距離

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廊下の薄闇、冷たい石壁、遠くに反響する舞踏会の音。
そのすべてがふいに遠ざかり、アランの声だけが私の胸の奥に落ちていった。

言葉は、ロウソクより熱く私の心を焦がす。

さっき、アランが言った『ほかの男におまえの未来をゆだねる気になれない』という言葉。
ほとんど、それは――

「まるで、プロポーズみたいね?」

冗談めかしたはずだった。
けれど彼は、18世紀の宮廷男らしい、絶妙に抑えた表情で言葉を返す。

「……俺のような近衛隊の士官は、貴族であっても、令嬢に結婚を申し込む立場にはない」

それは、この時代の階級社会の鉄則そのものでもあった。

最高位の護衛である近衛士官は、王家と大貴族の安全を守る代わりに、宮廷内で自由に恋愛や婚約をすることがむずかしい。

『騎士が姫の手をとって街でデートをする』という現代風のロマンス小説みたいな展開は、私たちのあいだでは成立することができないだろう。
そもそも、デートという概念すら存在していないのだ。

『街でデート』というのは現代的すぎるけれど、18世紀の感覚で判断した場合、二人で庭園を散策することくらいはゆるされるだろうか。

公的行事への同席でもいい。
アランと二人で、どこかに出かけてみたい。

薄暗い廊下に、沈黙が落ちる。
 
宮殿の廊下は、基本的に薄暗い構造で、大きな窓があっても夜はまったく光が入らない。

やがてアランは、ひどく慎重な仕草で一歩、私との距離を詰めた。

側廊の壁にかけられた燭台の炎が、彼の軍服の肩章に淡い光を落とす。
近づいたことで、彼の吐息が、わずかに冷えた廊下の空気に混ざるのがわかった。

「――本音を言えば、俺は嫉妬している」

ヴェルサイユの廊下では、余計な反響は噂の火種になる。
だからこそ、彼は声量を極端に落としているのだ。

振り向くと、彼の灰色の瞳が、蝋燭の灯りを受けて細く揺れた。
普段は礼儀正しく、感情を隠すことに長けた近衛士官の表情が、ほんのわずかに乱れている。

「王太子殿下にも……ほかの男たちにもだ。おまえのとなりに立つ権利がある異性に、どうしても嫉妬してしまう」

言葉と同時に、彼の影が私の影と重なった。
普段なら、身分の差を気にして決して踏み越えない距離。

次の瞬間――

遠くで、だれかの靴音が乾いた石床にひびいた。
規則ただしく、軽くて速い。
宮廷侍女か、あるいは侍従だろう。

アランはハッとした表情になり、一歩、私から離れた。
その動きは、訓練された兵士の“退避”そのものだった。

そして、まるで先ほどまでの会話が幻だったかのように、端正で無表情な近衛士官の顔に戻った。

「行くぞ。これ以上誰かに見られると、おまえが困る」

宮廷では、男性ではなく女性のほうがウワサの火種になりやすい。
私はアランの背を見つめながら、胸の奥が少し痛むのを感じていた。


大広間へ戻ると、その瞬間に世界が一変した。

音楽と、人々のにぎやかなざわめき。
無数のロウソクの炎がゆらめき、貴族たちの香水と絹の衣擦れが、夜会そのものの香りをつくりあげていた。

ヒロインを見たときに、私は扇子の陰で小さく息を飲む。

「……ああ、やらかしたわね」

視線の先。
ヒロイン――マリアンナ・ド・ヴィルヌーヴ嬢が、見事に転んでいた。
正確には、転ぼうとして失敗したのだろう。

ゲームなら、このタイミングで王太子のスチルが入るのよね……。

前世の記憶がよみがえる。

本来のイベントでは、ヒロインが踊りの列でバランスを崩し、倒れかけたところを王太子が抱きとめる。
『お怪我はありませんか、お嬢さん』
――ここから恋の導入が始まる。

だけど、現実のヴェルサイユは乙女ゲームよりも残酷だ。

マリアンナは王妃の座する上座に近づきすぎていた。
そのサテンのすそが、宮廷侍女の持っていた銀盆に引っかかり――
上に置かれた赤いワインが、ゆるやかに宙へ舞い上がった。
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