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41 フランス式庭園
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王太子は、私にそっと手を差し伸べた。
ヴェルサイユでは、女性が階段を降りる際、手助けを申し出るのは極めて礼儀正しい所作だ。
私はスカートの裾を左手で軽くつまみ、右手を彼の手へ預けた。
二人で王妃の大居室の連結室を抜け、テラスへ続く扉を通ると――冬の光がいっきにあふれた。
扉の外には、宮殿中央の格式ある中庭とは別に設けられた南側の石段があり、そこからは整然と刈り込まれたフランス式庭園が広がっていた。
幾何学模様の低木。
砂利道に敷かれた赤褐色のグラヴェル(※砂利)。
噴水の縁に沿って置かれた鉛製の花鉢。
冬でも緑をたもつ黄楊の垣根が、薄い陽光を照り返していた。
王太子は、ゆるやかに私へ視線を向けた。
「ヴァロワ嬢。君は、ヴィルヌーヴ嬢をどう見ている?」
宮廷らしくない、核心をつくような問いかけだった。
私は庭の中心を走る『王族が好んで使う散策路』へと下りながら答えた。
「可愛らしく、善良なお嬢様です。けれど……ヴェルサイユの“重さ”を、まだご存じないように見えました」
「重さ?」
王太子が歩調をゆるめる。
冬の噴水から立つ薄い水煙が、彼の肩越しに白く揺れていた。
「はい。ここでは一歩踏み出すごとに、誰かの足を踏むことになります。
誰かを立てれば、同時に誰かを押しのける。
ひとつ微笑めば、別の誰かを冷たくする……。それが“宮廷で生きる”ということですわ」
王太子は目を見開き、それから喉の奥で小さく笑った。
「なるほど。噂どおり“鋭い娘”だ。きみに関する悪いウワサは耳に入っている。だが、僕には――君はむしろ魅力的に見えるけれどね」
「畏れ多いことをおっしゃいます」
王太子ルイの視線に熱がこもっているように見えて、私はゆっくりと息を吐き、胸に手を当てる。
いったい、いまの殿下の言葉はどういう意味?
『きみは魅力的に見える』
耳の奥で、その声音だけが何度も反芻される。
冬の噴水の水音よりもはっきりと――。
それは本来ならヒロインがかけてもらう言葉だったはず。
ヴェルサイユで“王太子に気に入られた令嬢”なんて、もっとも危険な立場じゃないの……!
落ち着くのよ、セシル・ド・ヴァロワ。
私は両手でスカートの端を握りしめ、グラヴェルの砂利道を小さく踏みしめた。
細かな音が『サク』と鳴るたび、焦りが胸の奥で跳ねる。
――私は王妃になるつもりなんて、まったくないのに。
むしろ“ならないように”生きている。
王太子殿下のルートに入った瞬間、敵はマリアンナだけでは済まない。
ほかの令嬢たちの視線が、いっせいにこちらへ向く。
羨望と嫉妬と、わずかな悪意を混ぜた視線が。
それに――ヴェルサイユでは、王太子に選ばれた令嬢は、即座に「未来の王妃」としてあつかわれる。
正式な婚約が決まったその日から、王妃教育が始まる。
礼儀作法、宗教儀礼、外国使節への対応、王族としての立ち居振る舞い。
すべてが、逃げ場のない密度で押し寄せてくる。
王妃は国家の顔だ。
教育と称したそれは、ほとんど軍隊式の訓練に近い。
失敗は許されず、弱音は記録され、常に誰かに見られている。
さらに、反王妃派からの監視が始まる。
そして――ヒロインであるマリアンナからの嫉妬イベント。
派閥争いに巻き込まれ、身動きが取れなくなり、気づいたときには、人生そのものが詰んでいる。
――だめ。それだけは、避けなければ。
それにしても、どうしよう。
このままでは、好感度が勝手に上がってしまう……!
ヴェルサイユの庭園の奥で、近衛隊の巡回が規則正しい足音を響かせている。
その整然としたリズムが、かえって私の胸の内の乱れを際立たせた。
私は私は無意識に、スカートの端を強く握りしめていた。
指先が少し白くなる。
息をととのえ、急いで話題を変えた。
「わたくしは、陛下と殿下の御代が少しでも穏やかになりますように……
せいぜい噂の火種を拾い集める役目で満足しております」
王太子は、何か言いたげに歩みを止め、私の表情をまっすぐ見つめる。
ヴェルサイユでは、女性が階段を降りる際、手助けを申し出るのは極めて礼儀正しい所作だ。
私はスカートの裾を左手で軽くつまみ、右手を彼の手へ預けた。
二人で王妃の大居室の連結室を抜け、テラスへ続く扉を通ると――冬の光がいっきにあふれた。
扉の外には、宮殿中央の格式ある中庭とは別に設けられた南側の石段があり、そこからは整然と刈り込まれたフランス式庭園が広がっていた。
幾何学模様の低木。
砂利道に敷かれた赤褐色のグラヴェル(※砂利)。
噴水の縁に沿って置かれた鉛製の花鉢。
冬でも緑をたもつ黄楊の垣根が、薄い陽光を照り返していた。
王太子は、ゆるやかに私へ視線を向けた。
「ヴァロワ嬢。君は、ヴィルヌーヴ嬢をどう見ている?」
宮廷らしくない、核心をつくような問いかけだった。
私は庭の中心を走る『王族が好んで使う散策路』へと下りながら答えた。
「可愛らしく、善良なお嬢様です。けれど……ヴェルサイユの“重さ”を、まだご存じないように見えました」
「重さ?」
王太子が歩調をゆるめる。
冬の噴水から立つ薄い水煙が、彼の肩越しに白く揺れていた。
「はい。ここでは一歩踏み出すごとに、誰かの足を踏むことになります。
誰かを立てれば、同時に誰かを押しのける。
ひとつ微笑めば、別の誰かを冷たくする……。それが“宮廷で生きる”ということですわ」
王太子は目を見開き、それから喉の奥で小さく笑った。
「なるほど。噂どおり“鋭い娘”だ。きみに関する悪いウワサは耳に入っている。だが、僕には――君はむしろ魅力的に見えるけれどね」
「畏れ多いことをおっしゃいます」
王太子ルイの視線に熱がこもっているように見えて、私はゆっくりと息を吐き、胸に手を当てる。
いったい、いまの殿下の言葉はどういう意味?
『きみは魅力的に見える』
耳の奥で、その声音だけが何度も反芻される。
冬の噴水の水音よりもはっきりと――。
それは本来ならヒロインがかけてもらう言葉だったはず。
ヴェルサイユで“王太子に気に入られた令嬢”なんて、もっとも危険な立場じゃないの……!
落ち着くのよ、セシル・ド・ヴァロワ。
私は両手でスカートの端を握りしめ、グラヴェルの砂利道を小さく踏みしめた。
細かな音が『サク』と鳴るたび、焦りが胸の奥で跳ねる。
――私は王妃になるつもりなんて、まったくないのに。
むしろ“ならないように”生きている。
王太子殿下のルートに入った瞬間、敵はマリアンナだけでは済まない。
ほかの令嬢たちの視線が、いっせいにこちらへ向く。
羨望と嫉妬と、わずかな悪意を混ぜた視線が。
それに――ヴェルサイユでは、王太子に選ばれた令嬢は、即座に「未来の王妃」としてあつかわれる。
正式な婚約が決まったその日から、王妃教育が始まる。
礼儀作法、宗教儀礼、外国使節への対応、王族としての立ち居振る舞い。
すべてが、逃げ場のない密度で押し寄せてくる。
王妃は国家の顔だ。
教育と称したそれは、ほとんど軍隊式の訓練に近い。
失敗は許されず、弱音は記録され、常に誰かに見られている。
さらに、反王妃派からの監視が始まる。
そして――ヒロインであるマリアンナからの嫉妬イベント。
派閥争いに巻き込まれ、身動きが取れなくなり、気づいたときには、人生そのものが詰んでいる。
――だめ。それだけは、避けなければ。
それにしても、どうしよう。
このままでは、好感度が勝手に上がってしまう……!
ヴェルサイユの庭園の奥で、近衛隊の巡回が規則正しい足音を響かせている。
その整然としたリズムが、かえって私の胸の内の乱れを際立たせた。
私は私は無意識に、スカートの端を強く握りしめていた。
指先が少し白くなる。
息をととのえ、急いで話題を変えた。
「わたくしは、陛下と殿下の御代が少しでも穏やかになりますように……
せいぜい噂の火種を拾い集める役目で満足しております」
王太子は、何か言いたげに歩みを止め、私の表情をまっすぐ見つめる。
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