正義のミカタ

永久保セツナ

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正義のミカタ番外編

正義のミカタ番外編~Snow Beauty~

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警視庁、捜査一課。
ぼく、月下つきした氷人ひょうとは仕事が一段落ついて、休憩室で休憩をとっていた。ぼくの隣には、同じく休憩している警視庁のアイドル、崇皇すのう深雪みゆき先輩が一緒の長椅子で座っている。ぼくの憧れでもあるので、何やら緊張する。
「あ、こんなところにいたんだね。月下君、崇皇さん、お疲れさまだね!」
休憩室の入り口から、ひょこっと少女の顔がのぞいた。角柱寺かくちゅうじ六花りか。警視総監殿のお嬢さんである。ぼくは何故か彼女に妙に気に入られ、よく警視庁に入り浸る彼女のお世話係になっている。
「ああ、誰かさんがまた事件に遭遇したおかげでね」
ぼくは冗談交じりに言ってやった。彼女はまるで推理小説の探偵みたいに、行く先々で事件に巻き込まれ、そして解決するのだ。解決した事件はぼく達刑事が処理することになるので、まあ結果的にはぼくらの仕事が増える。
「言っとくけどボクが事件を呼ぶわけじゃない、事件がボクを呼んでいるのさ」
お嬢はどこかで聞いたことのあるような言い訳を、胸をはって言う。多分言ってみたかっただけだ、この子。
「できれば事件が起こる前に防いでくれよ」
と、ぼくも対抗して無理を言う。
お嬢は休憩室に設置された自動販売機から砂糖とミルク入りのコーヒーを買って、ぼくと崇皇先輩の向かいの椅子に座った。
「そういえば、さっき『おやっさん』と廊下で会ってさ」
お嬢が言うと、崇皇先輩の肩が、ぴくっ、と動いた。
『おやっさん』というのは、捜査一課のベテラン刑事だ。ぼさぼさの灰色の髪で無精ひげを生やし、よれよれのスーツを着てデスクで茶をすする光景が捜査一課で目撃される。四十八歳独身。本名は日暮ひぐらし針生はりおだが、たいてい他の刑事から親近感をこめて『おやっさん』と呼ばれる。ぼくが今まで見た中では、彼を『日暮警部』と呼ぶのは、隣の彼女――崇皇先輩だけだ。
「おやっさん、崇皇さんが有休たまってるのに使わねえのかアイツ、って言ってたよ」
「日暮警部が? そ、そう……」
「そういえば、崇皇先輩、全然有休使いませんよね」
ぼくも、不思議に思っていた。この先輩は、非番以外で休んだことがない。まあ、健康管理ができているということなのだろうが……。
「そりゃあそうだよ、月下君。休んだら崇皇さん、おやっさんを見られないだろ?」
ごふっ。
崇皇先輩がむせた。涙目で、苦しそうに咳をする。
「うわあああ! 大丈夫ですか先輩!」
「ご、ごめん、だいじょう……」
「ずばり! 崇皇さんはおやっさん大好きっ子だ!」
「……っ!」
崇皇先輩は顔が真っ赤になった。この赤は、むせたことだけが原因ではないだろう。
「ね? 好きなんだよね?」お嬢はにこにこしている。
「なっ、ちょ……なんで知ってるの? さては月下君?」
「ち、違いますよ! なんでお嬢が知ってるんだよ?」
「ふっふっふ。情報源は秘密だよ」
お嬢は自らの口に人差し指を当て、くすりと微笑んだ。
「……あーあ、もう。六花ちゃんには敵わないわ」
崇皇先輩は、顔を赤らめてそっぽを向いた。ぼくは、先輩の普段拝めない貴重な顔に、つい見入ってしまった。
「月下君……」
お嬢のジト目で、はっと我に返る。
「あ、そ、そういえば、崇皇先輩、刑事になる前から、おやっさんとお知り合いなんですよね?」
捜査一課の先輩たちの噂話とかで聞いたことがあった。先輩が学生時代、事件に巻き込まれ、おやっさんに出会ったことがきっかけで、先輩は刑事を志したと。そして……彼女はおやっさんに片思いしているらしい、と。
しかし、おやっさんが独身とはいえ、彼は四十八歳、先輩は二十七歳。親子のような年齢差だ。しかも、おやっさんは崇皇先輩の想いには面白いくらい気づいていないらしい。多分、よくて有能な部下か妹くらいにしか思っていないそうだ。恋愛どころじゃない。
「そうね、確か、初めて会ったのが九年前、だったかしら」
「九年前!」
予想以上に昔の話だ。
「ね、出会った時の話、聞かせてよ」
お嬢は身を乗り出して先輩に尋ねた。
「ふふ、もう、仕方ないわね。話、長くなるわよ?」
どうやら今回、ぼくとお嬢は何もしなくていいらしい。
ぼくとお嬢は、先輩の話に耳を傾けた。



――九年前、あるコンビニにて。
セーラー服を着た女が、商品棚の前に立っていた。
セーラー服、とはいうものの、今時のミニスカではない。
逆に、スカートが床につきそうなくらい長い。かつて、不良女子高生――『スケ番』たちの間で流行した『ロンタイ』というやつだ。
女は、手頃な小さい商品を手に取ると、素早くポケットに入れた。――しかし。
――ガッ
女の背後から、いつの間にいたのか、男が女の手首をつかんだ。
(……チッ)
女が睨むと、白髪まじりのぼさぼさ頭の男が立っていた。睨む女に怯むこともなく、まっすぐに女の眼を見る。
「……ん、ちょっと外出て、おじさんとお話ししようか」
何事もなかったかのように女の盗った商品を元の位置に戻し、女を連れてコンビニの裏手に入る。
「んだよ、偉そうに説教でもタレるってか?」
女は相変わらず男を睨みながら、吐き捨てるように言った。
「いや、そんなつもりはないけど。する方もされる方もメンドいし。……なんで万引きすんの? 金ないの?」
男はぼさぼさ頭をかきながらそう聞いた。
――ケッ、やっぱ説教じゃねえか。
女はそう思いながらも答える。
「まあ、金はねえけど。ただの暇つぶしの余興だよ」
「……それで盗まれる方はたまったモンじゃねえがな」
ふう、とため息をつきながら男は言った。
「ああ、あと、気をつけた方がいい。――万引きするヤツは、欲求不満の傾向があるらしい」
男が無表情で言うもんだから、女の反応が遅れてしまった。
「…………!? な、なっ……!」
女は、不良とは思えないほど、真っ赤になっていた。
「ん? なんだ、そんな顔もできるのか」
男は意外そうな顔をして、女の頭をポンポン撫でた。
「てっ、てめえ……!」
女は慌てて真っ赤になりながら睨みつけるが、最早格好がつかない。
「そんなふうに見られたくなかったら、もうやるなってこった。通報はしないでやる。……じゃあな」
そう言うと、男は女に背を向けて、さっさと歩き去った。女はあっけにとられて、呆然としたまま男を見送った。
――出会いは、最悪だった。



再会したのは、それから二週間後の夜だった。
ぼさぼさの灰髪の男は、スーツを着て警察手帳を見せていた。
「はーい、そこの鉄パイプ持ってる女子高生ー止まれー」
相変わらず異様に長いスカートを揺らし、鉄パイプを片手に歩いていた女は、男を見て目を見開いた。
「! お前、あの時の……! ポリ公だったのか……」
しかし、男は首をかしげる。
「んあ? どっかで会ったか?」
「……な……てめえ! 何忘れてやがる! 刑事って普通容疑者とかの顔覚えるから記憶力は良いハズだろうがア! アタシは覚える必要ナシってか、アア!?」
女は目をむいて怒鳴った。
「ん……だってお前容疑者じゃないだろ多分……。覚えてほしいなら名前くらい名乗ったらどうだ」
「ハッ、そのデキの悪い脳ミソにブチ込んどけ! アタシは崇皇深雪サマだ!」
「フーン、変わった名字だな。んで、何やってんだこんなトコで」
「普通にスルーすんじゃねえよ恥ずかしいだろうがアア! てめえも名乗れやゴルアアアアア!」
崇皇と名乗った女は、真っ赤になって怒鳴った。
それを見ながら、刑事はしれっと答える。
「あ、悪い、名前言わなかったか。日暮針生。……一応お前の名前、覚えとくわ。んで、何やってんだ、こんなトコで。夜中に一人でいたら危ねえぞ」
「通り魔、だろ?」
崇皇は日暮(ひぐらし)を見据えて言った。
「……アタシの妹分がやられちまってな。ソイツにケジメつけさせるために探してる」
「そうかそうか、おウチ帰りなさい」
日暮が言った瞬間、崇皇は日暮の胸ぐらをつかんだ。
「ハア……? てめえフザけてんのか! アタシの話聞いてたかオイ!」
「……危ない、って言ってるだろ」
日暮は真剣な眼差しで崇皇を見ながら、胸ぐらをつかむ手をほどいた。
「金属バットで夜中に人を殴って歩く通り魔を探しに来たんだろ。――そいつ、昨日とうとう人を一人殺してる」
「……!」
崇皇の手の力が弱まった。
「仇討ちはやめとけ。俺ら警察で何とかするから――」
「そいつに」
「……?」
崇皇は拳を握ってうつむいた。
「アタシの妹分が昨日、られたんだよ――そいつに」
日暮は、かすかに目を見開いた。
「……そう、か……」
そして、しばらく何かを考えると、
「……仕方ねえな。お嬢ちゃん、俺と一緒に来るか」
崇皇は顔を上げた。
「……いいのか……?」
しかし、傍にいた警官が日暮に話しかけた。
「おやっさん、あまり勝手な真似は……」
「あ? だってよ、このままにしたら単独行動するぞコイツ」
「だからって……」
日暮は、かまわず携帯を取り出し、どこかに電話をかけた。
しばらくして、パチンと携帯を閉じる。
「……『凍牙とうが』に許可はもらった」
そう言った瞬間、周りの警官たちの空気が変わった。
太ったタヌキのような警官が、眉をひそめて日暮を睨みつけた。その男に、日暮は声をかけた。
「悪いな、狸塚たぬきづかさん、一旦抜けさせてもらうぜ。この子に話を聞いておく」
「フン、勝手にしろ」
狸塚と呼ばれた男は不愉快そうに鼻を鳴らした。
「権力を盾に、いい気になりおって……」
日暮は無表情で言葉を受け、背を向けた。
「……じゃ、失礼。行くぞ」
「どうせ貴様は単独行動しても出世コースか!」
狸塚の罵声を背に受けながら、日暮と崇皇は歩き出した。崇皇は困惑しながら日暮に尋ねる。
「……アンタ、一体……」
「ん? ああ、気にすんな。――ちょっと友達が警視総監なだけだ」
「……ケエシソオカン? 何語だ?」
「ん? あー……まあ、いいわ」
日暮は頭をボリボリひっかきながら、崇皇とパトカーに乗り込んだ。



日暮はまず崇皇本人について話を聞いた。崇皇はこの街を縄張りにしている不良グループのリーダーで、敵対している不良からは『鬼雪姫』と呼ばれ恐れられているらしい。
「オニユキヒメ、ねえ……」
「るせっ、こっち見んな! アタシが考えたわけじゃねえよっ!」
崇皇は不機嫌そうに答えた。相当自分の呼び名が気に入らないらしい。
「……まあ、とにかく今までの現場を回ってみるか……なんか気付いたことがあったら言ってくれ、お嬢ちゃん」
日暮はぽりぽり頭をかきながらパトカーのハンドルを握った。
「あ? いいよ、深雪で。お嬢ちゃんなんてガラじゃねえし気持ちワリイ。アタシもアンタのこと針生って呼ぶからさ。
ホントはイヤだろ? おやっさん、なんて呼ばれんの」
日暮は動きを止めて崇皇を見た。
「……くくっ、変わったヤツだな。まあいい、行くぞ、深雪」
「おうよ、針生!」
崇皇は、このとき初めて日暮の笑顔を見た。



日暮と崇皇は、今までの事件現場をパトカーで見て回った。今までの被害者は、十数人の女子高生が頭を殴打されて怪我、昨日とうとう崇皇の妹分が一人撲殺されてしまっている。
「……毎回毎回、張り込みまでしてんのに、こっちの裏をかかれんだよな……どっかで情報でも漏れてんのか……?」
日暮は、頭をバリバリと激しく引っ掻きながら溜息をついた。
「ガイシャは、全員この辺のスケ番だな。アタシのチームの子たちじゃないが、みんなロンタイしてる」
事件の被害者の写真を見ながら、崇皇は言った。
「ってことは、お前も狙われる可能性があるってことか。……深雪、俺のそば、離れんなよ」
崇皇は答えず、何か考え込んでいた。――日暮は、嫌な予感がした。
「おい、深雪?」
「……なあ、針生。アタシが狙われるってことは、アタシを狙って犯人、来るかも知れないんだよな?」
「……! お前、」
「アタシが、オトリやればいいだろ」
日暮は厳しい顔つきで崇皇を見た。
「本気で言ってんのか! 人が一人死んでるんだぞ!」
日暮は怒鳴って、はっとした。
崇皇は、真剣な表情で日暮を見つめていた。しかも、その『死んだ一人』は――
「知ってるよ! ……それでも、アタシを慕ってた妹分が殺されたんだ! 早く犯人とっ捕まえないと、アイツ浮かばれねえんだよ!
――じゃあいい、アタシ一人で捕まえてやる」
そう言って、崇皇は駆け出した。
「深雪ッ! ――ああ、ったく! 犯人の場所も知らねえのに、どこ行く気だアイツは!」
日暮は、頭をバリバリかきながら崇皇を追いかけた。
「っくそ……待てっての……!」
日暮は、崇皇を追っているうちに、彼女の向かっている場所に見覚えがあることに気付いた。
この通り魔事件で一番新しい被害者の発見場所――崇皇の妹分が遺体で見つかった場所。
「……はあ……っ」
目的地に着いた崇皇はうつむいて一息ついた。
「犯人は現場に戻る……出てこい通り魔……
――ッ!?」
崇皇は突然、後頭部に衝撃を感じて、痛みを感じる間もなく意識を失った。
その時、日暮は、自分の目の前で崇皇が何者かに担がれて運ばれていくのを見た。
「深雪ィッ!」
日暮は犯人とおぼしきその人物を追いながら、携帯を取り出した。
「凍牙! 深雪……証人が拉致された! 最後のガイシャの発見場所から逃走! ――近くの廃ビルに入った! 応援頼む! 急げよ!」
通話を切ると、日暮は廃ビルに入った。
ビルの中には手錠で柱につながれたまま気を失っている崇皇と、その傍らに男が立っていた。スーツを着た、太った小男――
「……あ? 狸塚さん……?」
「日暮、遅かったな」
狸塚は、にこにこ笑いながら日暮に歩み寄った。
「さっき通報があってな。女子高生がこの廃ビルの中に連れ込まれたとな。どうやら犯人は逃げたようだが、まだ遠くへは行ってないはずだ。ここからは合流して一緒に犯人を追跡するぞ」
「あ、ああ……その前にこの子を……」
「おお、そうだな、拘束を解いてやらねば」
日暮は、しゃがんで崇皇を軽く叩いた。
「おい、深雪、大丈夫か」
崇皇は薄く目を開けて、日暮を視界に入れた。
「う……あ、針生……わ、わりい、アタシ……」
「待ってろ、今、手錠外すから」
「……名前で呼び合っているのかね?」
背後から、狸塚が声をかけた。
「ああ、ちょっと成り行きで」
日暮は手錠をいじりながら、狸塚を見ずに言った。
「……なあ、狸塚さん。通報って、誰から入ったんだ?」
「匿名だったよ。電話で入って、名前を聞く前に切れた」
「……今この場には、不自然な点が三つある」
手錠がなかなか外れない。ガチャガチャと金属音が響く。
「深雪が拉致されて、廃ビルに入ったのはついさっき、十分も経っていない。俺が追いかけていたからな。通報が入るには早すぎる」
「ということは、通報は犯人がやったのか? 何のために?」
「――二つ目は」
日暮は、狸塚の台詞を無視して続ける。
「深雪をつないでるこの手錠……警察で支給されているのと全く同じものだ」
「確かに見覚えがあるな」
狸塚はうなずいた。
「しかし、三つ目は何かね? ワシにはわからんのだが」
「三つ目は――狸塚さん、アンタ、俺が嫌いだろ? なんで急に協力する姿勢になったんだ? アンタの性格上、拘束されている女子高生を見つけたら俺をほっといて一人で手柄を手に入れそうなモンだが」
「…………」
手錠が外れた。
日暮は立ち上がって、狸塚を見た。
「――ああ、不自然な点、もう一つあったんだな。
何だ、そのでこぼこになった金属バットは?」
「せっかく優しくしてやったのに、愚かだな、日暮」
狸塚は、返り血のついたバットを撫でながらニヤニヤ笑って言った。
「ハッ……なるほどな。主犯格が刑事じゃ、そりゃあ情報ダダ漏れだよな」
「お前っ……刑事の、くせに……!」
崇皇は狸塚を憎悪をこめて睨みつける。
「黙れ、人間の屑が! ワシは正義のためにゴミ掃除をしたに過ぎない。――ゴミに肩入れするなら、貴様も同罪だぞ? 日暮ィ……」
「そうかい、俺にはアンタのほうが小せえ存在に見えるぜ」
「死刑、決定だな」
狸塚が手に持ったバットを床に振り下ろした。
コンクリートの床に金属音が響く。
その音を合図に、暗がりからわらわらと男たちが現れた。年齢は若いが、まともな人間でないことは外見でわかる。全員、チェーンやら釘バットやら武器を手にしていた。
「ゴミでゴミを掃除する……素晴らしいアイデアだろう? 相討ちさせて残ったゴミを、最後に警察の手で駆除すれば良いのだからな」
「……なんか言われてるけど、いいのか? お前ら」
日暮は不良たちに声をかけて、異常に気付いた。日暮の声に無表情のまま反応しない。心なしか顔が青白く、痩せこけているように見えた。
「――おい、こいつらに何をした!?」
「ははは、何をあせっている?」
「いいから答えろ、狸塚ァ!」
狸塚は敬称なしで呼ばれたことにムッとした様子だったが、またすぐにニタついて答える。
「フッ……こいつらはワシの忠実な犬よ……ゴミを一人片付けるごとに、褒美として事件で押収した麻薬を与えたら従順なものだ……」
「……さらに、麻薬の横流し、か……。アンタ……しばらく出てこれねえぜ」
「出てこれない? 何の話だ? 心配は無用だ。お前とそこのお嬢さんが死体で発見され、犬の中から一人を犯人として警察に捧げれば問題ない。今の世の中、模倣犯による第二第三の事件など珍しくない。ワシのゴミ掃除を続けても支障はない」
「畜生……ッ、こんなヤツに……!」
崇皇は歯を食いしばって睨み続けていた。
「深雪……下がってろ。お前がこいつら相手は流石にやばい」
日暮は上着を脱いで、崇皇に投げた。
「――やれ」
狸塚の一言を合図に、不良たちが日暮へ突進してきた。
「……久々に運動、してやっか」
日暮はシャツの腕をまくった。
「……コイツ、殺せば……クスリ、もらえる……」
「クスリィィィィ!!」
不良たちは死に物狂いで日暮に襲いかかった。
日暮は釘バットやチェーンをよけ、みぞおちを殴ったり足払いをかけて応戦する。十数人を相手にして、不良の攻撃はかすりもしないまま、数人が倒れていく。
「す……すげえ……」
崇皇は息を飲んだ。
「ふん、流石は捜査一課最強と呼ばれる刑事。だが……」
日暮が不意によろけた。
「……!?」
日暮が足元を見ると、片足首に倒したはずの不良がしがみついていた。
「クスリ……よこせクスリィ……」
「ちっ……」
日暮は足で振り払おうとするが、不良は異常な力で離れない。
「どうした? そいつらは麻薬で痛みを感じないぞ? いくらやっても無駄だ!」
別の不良が日暮の頭を鉄パイプで殴った。
日暮の顔に血が垂れる。
「ぐっ……!」
「針生っ!」
崇皇が叫んだ。
「ははは、そうだよなあ? お前、たとえ不良でも殺せないよなあ? ゴミの味方なんかする奴だもんなあ? ――お前を見てると反吐へどが出る。ワシは正義だがお前はただの偽善者だ!」
日暮の頭に再び鉄パイプが振り下ろされる。
日暮は腕でそれを防いだ。
「……なあ、狸塚さん……アンタ、本当にこんなやり方を、胸張って正義って言えるのかよ……? アンタの貫く正義ってのは、人を薬漬けにして支配して、人に人を殺させることなのか?」
「……日暮。お前はひとつ勘違いをしているようだな」
狸塚は日暮に無表情で答え、――すぐにニイッと笑った。
「こいつらは人じゃない、ゴミだってさっきから言っとるだろう? ワシはゴミにしか手を下さんよ。――お前のそういうところが偽善者だと言っておるんだ!!
もういい、やれ! 殺せえっ!」
不良が鉄パイプを振り上げた、その時。
――パチ、パチ。
ゆっくりと、手を叩く音がした。
「はいはい、そこまで~」
「誰だっ!?」
この場にふさわしくない気楽な声に、狸塚が叫んだ。
廃ビルの入り口に、男が立っていた。にこにこ笑っている男の後ろには、多くの警官が立っている。
「……誰だ、あのオッサン……?」
崇皇が呟くのをよそに、狸塚の顔は青ざめていた。
「そ、そんな……そんな馬鹿な……なぜ、なぜ警視総監がここに……!?」
「ハッ……遅えぞ凍牙ァ……!」
男の登場に気を取られた不良を蹴り飛ばしながら、日暮は言った。
「やっほお、ハリちゃん。しょうがないでしょ、こっちだって色々準備があるんだからさ。大変だったのよ? こんなに警官用意すんの」
凍牙と呼ばれた男は、相変わらず笑顔で日暮に話しかける。
「あ、そこにいるのがミユキちゃん? かあいいね~。おっと、こんなこと言ったらセクハラになっちゃう? 僕セクハラ親父? ガハハハ」
「…………ッ」
凍牙は、一人でしゃべって一人で笑っていた。
しかし、崇皇は動けなかった。
凍牙の細い目から出る威圧感に恐怖を感じた。
「深雪、あいつの目は見ないほうがいい。今、あいつかなり怒って――って遅いか」
日暮は崇皇を見て、手遅れに気づき溜息をついた。
「――やあ、狸塚君」
凍牙はその足で、腰を抜かし、床に座り込んでしまった狸塚に歩み寄った。自然、凍牙が狸塚を見下ろす形になる。
「ヒッ……!」
狸塚の顔は青白く、しかし、凍牙の目から自分の目をそらせない。
凍牙は静かに口を開いた。
「悲しいなあ。とても悲しいよ、狸塚君。同じ警察の仲間内から犯罪者が出るとね。残念だよ。話は全部聞かせてもらった。君は刑事という身分でありながら、若者に麻薬を横流し、さらにその若者たちに人を殴らせ、その果てに人を一人殺してしまった。何か申し開きすることはあるかい?」
「あ……う……」
「……君の罪はとても重いだろうね。君は間違っても正義なんかじゃない。
――連れて行け」
主犯・狸塚と、十数人の不良たちが逮捕。
こうして、通り魔事件は解決した。



「針生……大丈夫か? だいぶ血が出てんぞ」
「ん? あー……大丈夫だろ、多分」
廃ビルの外。
廃ビルの中は、警官たちが捜査している。
狸塚たちがアジトとして使用していた形跡があり、他の事件で押収され、不良たちに配ったという麻薬も見つかった。
日暮の頭の怪我は、傷口が小さい割に出血が多かった。それももうふさがっている。
「妹分のカタキ、とれてよかったな」
「ああ……それにしても、ムナクソワリイ奴だったぜ」
「そういや、アイツ殴らなくてよかったのか? お前のことだから真っ先にぶん殴るかと思ってたが」
「……いや、やめとく。多分殴っても気は晴れねえっていうかさ……アイツの腐った根性がうつりそうで」
「……ああ、それがいい」
日暮は崇皇の頭をポンポン撫でた。
崇皇は、いつかこんなことがあったな、と思いながら、おとなしく撫でさせた。
――なんとなく、日暮が寂しそうに見えた。
無表情なのに、崇皇にはそう見えた。
嫌な奴とはいえ、元は仕事仲間だったのだ。
「……あのさ、アイツが悪いことしたのは、針生のせいじゃねえよ」
「……?」
日暮は、心を見透かされたことに目を見開いた。
だが、すぐに元の無表情に戻って、崇皇の頭を撫で続けた。
「……だといいがな」
「そうだって。あとさ、ありがとな! 警察も嫌なヤツばっかりじゃないっていうの、アンタのおかげでわかったから。
決めたよ。アタシ、いつかもう一回、アンタに会いに行くから。……じゃあな」
崇皇は、警察に証言するために、日暮とは別のパトカーに乗せられて、警察署に向かっていった。



――通り魔事件が解決して、数年たった、捜査一課。
日暮のデスクの前に、女が立っていた。
「――本日付で警視庁捜査一課に配属となりました、崇皇深雪です」
崇皇は警部補となり、狸塚の代りに警部となった日暮に敬礼した。
「……へえ、本当に来たんだな」
「あら、覚えていて下さったんですね」
「あそこまで印象に残りゃあな。くくっ、敬語を使えるようになったのか?」
「もう! 昔のことは言わないでください!」
「へいへい。じゃ、早速捜査行くぞ、崇皇」
「はい、日暮警部!」



「……まあ、こんなところね」
「へー……崇皇先輩、スケ番だったんですね―……」
現在に戻る。
ぼく、月下は思わず苦笑いした。
「わ、若気の至りよ」
崇皇先輩も恥ずかしそうに笑った。
「すごいね、ドラマティックだね!」
お嬢一人が目を輝かせていた。
「ティ、ティック……」
思わず全員でふき出す。しばらく爆笑がやまなかった。
「ほら、もう休憩終わり! 仕事に戻るわよ」
崇皇先輩が笑いながら言った。まだ顔が赤い。
「おやっさんが待ってますしね」
と、ぼくは言ってやった。
「もう、月下君! 怒るわよ!」
「あれでしょ、竹刀で殴るんでしょ?」
お嬢も笑いながらからかう。
「あーもう、このコンビは!」
崇皇先輩は、困ったような笑顔を浮かべていた。
「じゃあ、行きましょうか、崇皇先輩」
「ボクも手伝うー!」
ぼくたち三人は、並んで捜査一課に向かって歩いていった。

〈了〉
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