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今日イケメンの胸に飛び込んでしまった(前)
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北国の三月といえば、ようやく春の足音が聞こえてくる時分だ。
雪に閉ざされ、凍える寒さに身を縮めていた北国の住人たちも、暖かく力強い春の日差しに心が浮き立つのを感じる。まもなく雪との戦いから解放され、新緑の萌える季節が到来するのだ。
最上笑佳は、ほうきを片手にビルから出ると、まばゆい陽光に目を細めた。
それから目の前に広がる歩道の光景に小さくため息をつく。
というのも、菓子の包み紙やコンビニエンスストアのビニール袋、たばこの吸い殻、入居者募集のポスターなどが、しっとりと水分を含んだ状態で散乱しているからだ。
「汚いな」
真っ白な雪のベールの下はゴミだらけ。白銀の世界に憧れを抱く人々には見せたくない雪国の真実のひとつである。
笑佳は自社ビルの前のゴミ掃除を始めた。他の社員たちはまだ出勤してこない時間にひとりで黙々とゴミを片付ける。
放っておいたら歩道のゴミ拾いなど誰もしない。
それなら自分がやればいい。だが決して誰かに褒められたいわけではない。ただ単に笑佳は気になったら放置しておけない性分なのだ。
アピールしていると思われたくないから、目立つゴミだけ取り除き、辺りを見まわした。
「これくらいでいいかな?」
満足した笑佳はビルへ戻る。ほうきとちりとりを片付け、制服に着替えた。
笑佳の勤める高木地所は、不動産業界でもトップクラスの売り上げを誇る大企業だ。全国に支社・支店があり、新築マンション・一戸建て住宅販売はもちろん、オフィスビルやリゾート開発、ショッピングセンターの運営などを中心に様々な事業を展開している。
グループ企業も数多くあり、その中には大手芸能プロダクションも含まれ、就活生に人気のある就職先のひとつだ。
とはいえ、国内最北の支社に勤務する笑佳は、華やかな企業イメージとは裏腹にむしろ地味な業務をコツコツとこなす毎日を送っている。
始業10分前になると、ロッカールームはにぎやかになる。全員、笑佳より年下の女性社員たちだ。
いつの間にか最年長になってしまった笑佳は、彼女たちよりも早めに着替えを済ませ、ポツンとひとりだけ隔離された支社長室で朝の準備をする。他の部署から離れているので少し寂しいが、業務中は人目を気にすることなく仕事に集中できるので、笑佳はこの空間を気に入っていた。
「笑佳さん、おはようございます。あのー、ちょっと教えてほしいところがあるんですけど、いいですか?」
ファイル棚の鍵を開けていた笑佳が振り返ると、中岡萌美が通路から顔をのぞかせていた。
「何かな?」
嫌な予感がしたものの、笑佳はできる限り目尻を下げて萌美に微笑みかけた。真面目な顔をしているだけなのに「怖い」と言われることがあるからだ。
「これです。えっと、各事業部実績入力?」
「ああ、それね」
萌美が手にしている青いファイルは、笑佳が作成したものだ。萌美の紫のネイルに内心ギョッとしたが、それはどうでもいいことである。問題はネイルの色ではない。
「何度教えてもらっても、私、全然理解できないんです」
「ごめんね。私の教え方が悪くて」
「いいえ、笑佳さんは悪くないですよ。悪いのは私の頭なので、ごめんなさい! 今月も計算をお願いします」
深く頭を下げた萌美は、ファイルを笑佳の机に置くやいなや、笑佳の顔も見ず逃げ去った。
「えっ、待って! ……って、もういないし」
笑佳は置き去りにされたファイルを睨む。確かに面倒くさい仕事のひとつだ。
「『教えてほしいところがある』って言ったのに……」
教える前に押し付けて逃げ去ったのだから、笑佳もぼやかずにはいられない。
「先輩が優秀すぎると後輩が育たない。うーむ、困ったものだね」
背後から突然上司の声がしたので、笑佳は驚いた。まったく気配を感じなかったのだ。
「支社長! おはようございます」
今日はずいぶんお早いですね、と心の中でつぶやいたのを見透かされたのか、支社長は笑佳に得意げな笑みを向けた。
「もうすぐ客が来る」
「そう、ですか」
笑佳はひそかに卓上カレンダーへ目を走らせた。来客があるとは聞いていなかったから焦る。
「昨日、急に連絡をよこしたんだ。本社の人間だ」
「本社の方が急に……いったいどんなご用件でしょう?」
「最上くん、そんなに緊張することはないよ。私の親戚だし、君より若造だ」
「そうですか」
表情をこわばらせていた笑佳だったが、若造と聞いて少し安心する。
支社長室から「新聞は?」という声が聞こえてきた。
「すみません! 少しお待ちください。」
笑佳は小走りで通路へ出た。新聞を取りに行くのは、本来新人の役目である。しかしそれをチェックしなかったのは笑佳の落ち度でもある。
(まいったな。新人と呼べるのはいつまでなの? もうすぐ次の新人が入ってくるというのに、毎朝の仕事すら忘れてしまうなんて……!)
廊下には走る笑佳の靴音が響いた。
郵便受けは風除室にある。重いガラス戸を押し開けた瞬間、思いがけずつま先が床のタイルに引っかかり、その勢いで笑佳の上体は前のめりになった。
(やばっ……!!)
転ぶ、と思い、目をぎゅっと閉じる。
しかし笑佳の顔面は床ではなく、硬くほのかにいい香りのする布地に受け止められた。
「大丈夫?」
想定外の衝撃で、頭が真っ白になっていた。
「あ、すみません。大丈夫です」
おそるおそる顔を上げると、心配そうに笑佳の顔を覗き込む若い男性と目が合った。
「あっ、あの……」
「びっくりしたよ。急に飛び出してくるから」
「す……みません」
言いながら笑佳は、自分の頬が異常に火照りだしたのを感じた。醜態を見られただけでなく、いきなり見知らぬ男性の腕の中に飛び込んでいったのだ。
そして彼女の両腕は、未だ抱きとめてくれた男性につかまれたままである。
しかも彼はとびきりのイケメンだった。
互いの身体が密着した状態でいると今さら気がついた笑佳は、慌てて男性の胸を押し返した。
「大変失礼いたしました」
「とんでもない。あなたが無事でよかった」
男性がにっこりと笑った。おそろしく魅力的な顔立ちだが、笑うとほんの少しだけ幼さが加わる。
(この人、きっと年下だ)
笑佳はとっさに思った。同時に恥ずかしさが倍増し、相手の顔をまともに見られなくなる。
「わたくし勤務時間中ですので失礼いたします」
慇懃に頭を下げるとそそくさと郵便受けから新聞を抜き取り、逃げるように早足で職場へ戻った。
支社長室になんとか帰還した笑佳は、動揺する心をなだめてコーヒーを淹れる。支社長が出社したらまず朝の一杯を準備しながら今日の予定を確認するのが日課だ。
「本日は午後から永井様との打ち合わせが入っています」
「ああ、そうだった。何時?」
「14時です」
支社長の山崎は62歳になるが、髪が比較的黒いため年齢よりも若く見える。とりわけハンサムではないが、そこはかとなく高貴な雰囲気があり、面倒見のいい性格ゆえ人望も厚い。
そして山崎は高木地所本社の社長と従兄弟の関係であるため、北日本地区の最高責任者として高木グループ内でもナンバースリーの実力者だと言われている。
そのような重鎮でありながら山崎が本社へ出向くことはほとんどない。
理由はただひとつ。彼は飛行機が苦手なのだ。
それゆえこの最北の支社には、本社から頻繁に来客がある。
はじめて訪れる本社の人間は、まず支社長室のラフな造りに驚き、山崎の気さくな人柄に触れホッと安心する。傍で見ている笑佳の口元もほころぶ瞬間だ。
(本社には優秀な人材が集まるのかもしれないけど、地方にも優れた人材はいるのよ)
こんなとき笑佳は、つい誇らしげな気分になる。
つまり山崎は笑佳が心から敬愛する最高の上司なのだ。
(今日の来客はまずどんな顔をするだろう)
ちょうどそう考えていた笑佳は、ノック音に驚いて肩をビクッと震わせた。あまりにもタイミングがよすぎて、誰かに心の中を見られているような妙な感覚に陥ったのだ。
振り返ると、笑佳のデスク前に若い男性が立っていた。
雪に閉ざされ、凍える寒さに身を縮めていた北国の住人たちも、暖かく力強い春の日差しに心が浮き立つのを感じる。まもなく雪との戦いから解放され、新緑の萌える季節が到来するのだ。
最上笑佳は、ほうきを片手にビルから出ると、まばゆい陽光に目を細めた。
それから目の前に広がる歩道の光景に小さくため息をつく。
というのも、菓子の包み紙やコンビニエンスストアのビニール袋、たばこの吸い殻、入居者募集のポスターなどが、しっとりと水分を含んだ状態で散乱しているからだ。
「汚いな」
真っ白な雪のベールの下はゴミだらけ。白銀の世界に憧れを抱く人々には見せたくない雪国の真実のひとつである。
笑佳は自社ビルの前のゴミ掃除を始めた。他の社員たちはまだ出勤してこない時間にひとりで黙々とゴミを片付ける。
放っておいたら歩道のゴミ拾いなど誰もしない。
それなら自分がやればいい。だが決して誰かに褒められたいわけではない。ただ単に笑佳は気になったら放置しておけない性分なのだ。
アピールしていると思われたくないから、目立つゴミだけ取り除き、辺りを見まわした。
「これくらいでいいかな?」
満足した笑佳はビルへ戻る。ほうきとちりとりを片付け、制服に着替えた。
笑佳の勤める高木地所は、不動産業界でもトップクラスの売り上げを誇る大企業だ。全国に支社・支店があり、新築マンション・一戸建て住宅販売はもちろん、オフィスビルやリゾート開発、ショッピングセンターの運営などを中心に様々な事業を展開している。
グループ企業も数多くあり、その中には大手芸能プロダクションも含まれ、就活生に人気のある就職先のひとつだ。
とはいえ、国内最北の支社に勤務する笑佳は、華やかな企業イメージとは裏腹にむしろ地味な業務をコツコツとこなす毎日を送っている。
始業10分前になると、ロッカールームはにぎやかになる。全員、笑佳より年下の女性社員たちだ。
いつの間にか最年長になってしまった笑佳は、彼女たちよりも早めに着替えを済ませ、ポツンとひとりだけ隔離された支社長室で朝の準備をする。他の部署から離れているので少し寂しいが、業務中は人目を気にすることなく仕事に集中できるので、笑佳はこの空間を気に入っていた。
「笑佳さん、おはようございます。あのー、ちょっと教えてほしいところがあるんですけど、いいですか?」
ファイル棚の鍵を開けていた笑佳が振り返ると、中岡萌美が通路から顔をのぞかせていた。
「何かな?」
嫌な予感がしたものの、笑佳はできる限り目尻を下げて萌美に微笑みかけた。真面目な顔をしているだけなのに「怖い」と言われることがあるからだ。
「これです。えっと、各事業部実績入力?」
「ああ、それね」
萌美が手にしている青いファイルは、笑佳が作成したものだ。萌美の紫のネイルに内心ギョッとしたが、それはどうでもいいことである。問題はネイルの色ではない。
「何度教えてもらっても、私、全然理解できないんです」
「ごめんね。私の教え方が悪くて」
「いいえ、笑佳さんは悪くないですよ。悪いのは私の頭なので、ごめんなさい! 今月も計算をお願いします」
深く頭を下げた萌美は、ファイルを笑佳の机に置くやいなや、笑佳の顔も見ず逃げ去った。
「えっ、待って! ……って、もういないし」
笑佳は置き去りにされたファイルを睨む。確かに面倒くさい仕事のひとつだ。
「『教えてほしいところがある』って言ったのに……」
教える前に押し付けて逃げ去ったのだから、笑佳もぼやかずにはいられない。
「先輩が優秀すぎると後輩が育たない。うーむ、困ったものだね」
背後から突然上司の声がしたので、笑佳は驚いた。まったく気配を感じなかったのだ。
「支社長! おはようございます」
今日はずいぶんお早いですね、と心の中でつぶやいたのを見透かされたのか、支社長は笑佳に得意げな笑みを向けた。
「もうすぐ客が来る」
「そう、ですか」
笑佳はひそかに卓上カレンダーへ目を走らせた。来客があるとは聞いていなかったから焦る。
「昨日、急に連絡をよこしたんだ。本社の人間だ」
「本社の方が急に……いったいどんなご用件でしょう?」
「最上くん、そんなに緊張することはないよ。私の親戚だし、君より若造だ」
「そうですか」
表情をこわばらせていた笑佳だったが、若造と聞いて少し安心する。
支社長室から「新聞は?」という声が聞こえてきた。
「すみません! 少しお待ちください。」
笑佳は小走りで通路へ出た。新聞を取りに行くのは、本来新人の役目である。しかしそれをチェックしなかったのは笑佳の落ち度でもある。
(まいったな。新人と呼べるのはいつまでなの? もうすぐ次の新人が入ってくるというのに、毎朝の仕事すら忘れてしまうなんて……!)
廊下には走る笑佳の靴音が響いた。
郵便受けは風除室にある。重いガラス戸を押し開けた瞬間、思いがけずつま先が床のタイルに引っかかり、その勢いで笑佳の上体は前のめりになった。
(やばっ……!!)
転ぶ、と思い、目をぎゅっと閉じる。
しかし笑佳の顔面は床ではなく、硬くほのかにいい香りのする布地に受け止められた。
「大丈夫?」
想定外の衝撃で、頭が真っ白になっていた。
「あ、すみません。大丈夫です」
おそるおそる顔を上げると、心配そうに笑佳の顔を覗き込む若い男性と目が合った。
「あっ、あの……」
「びっくりしたよ。急に飛び出してくるから」
「す……みません」
言いながら笑佳は、自分の頬が異常に火照りだしたのを感じた。醜態を見られただけでなく、いきなり見知らぬ男性の腕の中に飛び込んでいったのだ。
そして彼女の両腕は、未だ抱きとめてくれた男性につかまれたままである。
しかも彼はとびきりのイケメンだった。
互いの身体が密着した状態でいると今さら気がついた笑佳は、慌てて男性の胸を押し返した。
「大変失礼いたしました」
「とんでもない。あなたが無事でよかった」
男性がにっこりと笑った。おそろしく魅力的な顔立ちだが、笑うとほんの少しだけ幼さが加わる。
(この人、きっと年下だ)
笑佳はとっさに思った。同時に恥ずかしさが倍増し、相手の顔をまともに見られなくなる。
「わたくし勤務時間中ですので失礼いたします」
慇懃に頭を下げるとそそくさと郵便受けから新聞を抜き取り、逃げるように早足で職場へ戻った。
支社長室になんとか帰還した笑佳は、動揺する心をなだめてコーヒーを淹れる。支社長が出社したらまず朝の一杯を準備しながら今日の予定を確認するのが日課だ。
「本日は午後から永井様との打ち合わせが入っています」
「ああ、そうだった。何時?」
「14時です」
支社長の山崎は62歳になるが、髪が比較的黒いため年齢よりも若く見える。とりわけハンサムではないが、そこはかとなく高貴な雰囲気があり、面倒見のいい性格ゆえ人望も厚い。
そして山崎は高木地所本社の社長と従兄弟の関係であるため、北日本地区の最高責任者として高木グループ内でもナンバースリーの実力者だと言われている。
そのような重鎮でありながら山崎が本社へ出向くことはほとんどない。
理由はただひとつ。彼は飛行機が苦手なのだ。
それゆえこの最北の支社には、本社から頻繁に来客がある。
はじめて訪れる本社の人間は、まず支社長室のラフな造りに驚き、山崎の気さくな人柄に触れホッと安心する。傍で見ている笑佳の口元もほころぶ瞬間だ。
(本社には優秀な人材が集まるのかもしれないけど、地方にも優れた人材はいるのよ)
こんなとき笑佳は、つい誇らしげな気分になる。
つまり山崎は笑佳が心から敬愛する最高の上司なのだ。
(今日の来客はまずどんな顔をするだろう)
ちょうどそう考えていた笑佳は、ノック音に驚いて肩をビクッと震わせた。あまりにもタイミングがよすぎて、誰かに心の中を見られているような妙な感覚に陥ったのだ。
振り返ると、笑佳のデスク前に若い男性が立っていた。
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その気持ちは今もまったく変わっていなかったが、しがない書店員の自分が、カリスマ美容師にして御曹司の彼に釣り合うはずがないと、その恋心に蓋をしていた。
そんなある日、優紀は玲伊に「自分の店に来て」言われる。
優紀が〈リインカネーション〉を訪れると、人気のファッション誌『KALEN』の編集者が待っていた。
そして「シンデレラ・プロジェクト」のモデルをしてほしいと依頼される。
「シンデレラ・プロジェクト」とは、玲伊の店の1周年記念の企画で、〈リインカネーション〉のすべての施設を使い、2~3カ月でモデルの女性を美しく変身させ、それを雑誌の連載記事として掲載するというもの。
優紀は固辞したが、玲伊の熱心な誘いに負け、最終的に引き受けることとなる。
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そして、玲伊への恋心はいっそう募ってゆく。
玲伊はとても優しいが、それは親友の妹だから。
そんな切ない気持ちを抱えていた。
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書店の仕事と〈リインカネーション〉の施術という二重生活に慣れてきた矢先、大問題が発生する。
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