あの頃言えなかったありがとうを、今なら君に

春瀬湖子

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1.紙コップのコーヒーを温める

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「部長!先ほど頼まれていた資料なんですが⋯」
「あ、できた?ありがと、私の机に置いておいて!」
「理香子さぁん、お客様がぁ⋯」
「笹々商事様ね?私が対応しておくから貴女は上がっても構わないわ」


新入社員として22歳の時に営業部へ配属されて早19年。
わからないなりに突っ走り、今では営業部長として部下を背負い走っている。

相変わらずバタバタとせわしない日常ではあるが、もちろんやりがいだって感じていて。


「⋯っと、コーヒー冷めちゃったわね」

呼ばれるがまま対応した結果、社内自販機の紙コップに入っていたコーヒーがすっかり冷めてしまった事に気付いた私は、仕方なくその紙コップを掴み給湯室へ向かった。


「もうこんな時間か⋯」
はぁ、と思わずため息が漏れるのは、すっかり定時を過ぎ人の気配がない事で気が緩んだからか単純に年のせいなのか。

“年だったら嫌ね⋯”

それでも若い頃に比べ体力の衰えは感じるもので。


「あー、昔はもっと動けてた気がするんだけどなぁ」
なんて呟きながらレンジを開け紙コップごと突っ込み、時間を設定した。


「とりあえず30秒くらいで熱くなるかしら?ていうか昔のレンジって回ったわよね。いつから回らなくなったのよ⋯」

誰もいない事をいいことにぶつくさ言いながらスタートを押そうとして、ハタ、と止まる。

“そういえばー⋯”



ー⋯そういえば。
あれは私が営業としてなんとか一人立ちしたくらいの頃にやたらと腹立つ同期がいて。

私と同じ新卒入社だが、大学院を出ていた彼・盛岡大輔は私より3歳年上。
そして、大学院を出ているというだけで給料も、そして上司からの評判も私より良かった。

“何よ、学力が全てじゃないんだから!”

なんて当時の私はいつも内心張り合っていて⋯
そしてその月も営業成績は僅差で負けているのが悔しく躍起になって残業してー⋯


「あの時も、気付けばコーヒー冷めちゃってたのよね⋯」




ガチャ、と乱雑に電子レンジを開けた私はその当時会社の給湯室に設置されていたレンジのターンテーブルに紙コップのコーヒーを置いてスイッチを入れてー⋯

「バカか!ポリエチレンが溶けるだろ!」

気付けばその気に食わない同期である盛岡に怒鳴られていた。

「は、はぁ!?急になんなのよ!」
「急にじゃねぇよ、まさかと思ってみてたらお前は!!」

“何よ、見てたならチンする前に声かけなさいよ!”

なんて内心文句を言うが、そもそもほっといて欲しい訳で。

「⋯ポリエステルかなんだか知らないけど、私は熱いコーヒーが飲みたいの。ほっといてくれるかしら?」

怒鳴りながら取り出され、未だに盛岡に握られているコーヒーの紙コップを指差しながらそう文句を言う。

「熱いコーヒーがどうしても飲みたいならちゃんとしたコップに移して飲め。紙コップのレンジ使用は不可だバカ」
「な⋯っ!」

二度目の『バカ』で頭に一気に血がのぼった私は、残業疲れもあって冷静さを完全に欠いていて。

「別にちょっとくらいいいでしょ!」
「会社の備品だぞ、バカ!」
「あんたバカしか言えない訳!?」
「山形がバカな事をしなけりゃ、バカ呼ばわりとかしねぇっつの!」


今思えば本当に下らない怒鳴り合いなのだが⋯
それでも相手が腹立たしい男となればより嫌悪感は強くなるもので。


「あーもー、ほんっと鬱陶しいわね!ぬるいまま飲めばいいってことでしょ!」
「紙コップが変形して燃えたり漏れるかもしれないから普通のコップに移せって言って⋯ぅわ!」

引ったくるように盛岡の手から紙コップを奪い返した私はそのまま一気にぬるいコーヒーを飲み干し、ガコンとゴミ箱に叩きつけるように捨て、彼をギッと睨んでから給湯室を後にした。


“完全にやる気削がれたんだけど”

イライラしながらデスクに戻った私は、イマイチ集中出来ない仕事になんとか向き合いつつ作業を進め⋯


コト、と置かれた熱々のコーヒーに驚いた。

「え⋯」

ポカンとしつつ、コーヒーの香りを辿るように見上げた先にいたのはもちろんあの気に食わない同期の盛岡で。

「ほら、熱々のコーヒー飲みたかったんだろ。でも22時には切り上げろよ」
「あ⋯、え?え、えぇ⋯」

動揺しつつ、時間も指摘され時計を見ると21時を回ったところ。
そして私が時計を確認している間に盛岡はさっさと自分のデスクへ戻ってしまって。

“なによ⋯お礼、言いそびれたじゃない⋯”


元気に張り合っている時なら確実に『施しなんていらないわよ!』なんて文句を言っていたところなのだが、その日は疲れていたから。
そして疲れの原因は給湯室で盛岡に絡まれたから。

だから。

彼からの謝罪だから、なんて都合よく解釈しちびちびとコーヒーを口に運ぶ。

上からも気に入られる気遣いを実感しつつ、喉を通るコーヒーのその火傷しそうな熱さにホッとした。


「はぁ⋯もう少し、頑張ろ⋯」

熱々のコーヒーのおかげで少しリフレッシュ出来た私がその日の仕事をなんとか終えると、事務室の鍵を持った盛岡も立ち上がる。

「なに?あんたも終わったの?」
「まぁ、そんなとこ」

たいして興味もなかった私は、ふぅんと聞き流し彼と共に会社を出て。


「駅まで送る」

なんて言われて驚いていた。


「は?いらないわよ、このくらいの時間なんていつもだし」
「何、山形いつもこんな時間まで残業してんのか?効率悪すぎだろ」
「効率悪いですって!?私は念には念を入れるタイプってだけよ!」
「抜けるとこ抜かねぇと倒れるぞ」
「あんたには関係ないでしょ!あんたは同期であって上司じゃないの!」

少し見直したなんてやっぱり幻想だった、と内心思いつつ反論すると、わざとらしいほどの大きなため息を吐かれて。

「わぁったよ、けど何かあったらすぐ電話しろ」

それだけ言い、同じ社名同じデザインの名刺の裏にさらっと何かを書いて渡しそのまま真っ直ぐ帰ってしまった。

“はぁ?なによアレ”

なんて考えながら名刺を捲るとそこには電話番号が殴り書きされていて。

「⋯これ、あいつのプライベート番号?」

うわ、いらな!
なんて思いながら、仕方なく登録した事を今でも覚えている。




「ー⋯ほんと、ぶっちゃけずっと嫌いだったんだけどなぁ」

ふ、と思い出し思わずクスリと笑ってしまった私は、コーヒーを温めるのを止めてそのままレンジから取り出した。

“そういや他にも怒られたわね⋯”
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