不完全なΩはαの甘い想いに気付かない

春瀬湖子

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1.不完全なΩ

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 大学からの帰り道。
 最寄りのバス停前の坂道を下った先に見えるのは、赤い布をかけられた小さな縁台。

 その縁台を目印にしているのが小さな和菓子店、『和処なごみ』だ。


「泰斗、今日も行くだろ?」
「行きたいのはお前だろ、楓」

 俺からの声かけにため息混じりで答えるのは、少し固めに見える黒髪が艶やかな友人・井筒泰斗である。

 
 一般的にαとは運動も勉強も出来るとされている。
 種としてもβやΩよりも優れているとされ、また唯一男Ωを妊娠させることが可能である。

 そしてそんなαである泰斗も勉強や運動が出来た。
 顔がいいこともあり当然男女共にモテるこの友人は、流石αだと感心してしまうほどαらしいαで――
 

“なんでわざわざ俺に付き合ってくれるんだろ”

 そんな完璧αな泰斗とは違うΩとしてすら不完全な俺と、何故か対等な友人関係を築き今日も今日とて坂道を下った。


 和処なごみの店内に入ると、いつもと同じ穏やかな笑顔が出迎えてくれる。

「いらっしゃい、平野くん」
「えへへ、こんにちは生垣さん」

 毎日通っているお陰ですっかり常連になった俺の名を呼ぶのは店主であり職人の生垣さんで――

「今日もいつものでいいかしら?」

 そんな生垣さんの隣でふわりと微笑みレジを担当してくれるのは、彼の奥さんだった。

 ツキリと胸の奥が痛むが、表に出ないよう注意しながら代金を支払いお饅頭をひとつ受け取る。
 お礼を言って店の外へ出ると、縁台に座って待っていた泰斗がすぐに立ち上がった。


「帰ろうぜ」
「……おう」

 暫く無言で歩き、緩やかなカーブを曲がり終えたところで買ったお饅頭を半分に割る。
 白いお饅頭から溢れんばかりのあんこが顔を見せ、そしてそのお饅頭の大きい方を泰斗へと手渡した。

 
「やめればいいのに」

 はぁ、と再びため息を吐いた泰斗が俺からお饅頭を受け取ると、その大きな口でがぶりと頬張る。
 たった二口で食べきる様を見つめていると、それに気付いた泰斗と目が合い慌てて俺もお饅頭にかぶりついた。

「あっまぁ……」
「やめればいいのに」
「それ、今日二回目な」

 口いっぱいに広がる甘さに狼狽えつつ必死に咀嚼し飲み込んでいく。

「甘いの苦手だろ」
「でも、あんこの甘さはなんとか食べれるから」
「一個食べれるようになってから言え」
「それはまぁ、そうなんだけどさ……」

 甘いものが苦手な俺はお饅頭ひとつが丸々食べれず、いつも泰斗に半分食べて貰っていて。

「……でも、美味しい、から」

 言葉にしながら胸の奥が軋むのを感じた。
 表情を暗くした俺に気付いたのか、本日三回目のため息を吐いたこの付き合いのいい友人は「そうか」と一言だけでもうそれ以上の追及をしないでくれていて。

 そしてその優しさに俺は感謝する。


「……ヒート、やっぱり来ないのか?」
「ん? あー、まぁ。でも来なくても困らないっていうか、むしろ楽って言うか」
「は? 困るだろ、だってヒートが無ければ……っ」
「困らないよ」

 強めにそう断言すると、まだ何か文句を言いたそうに口を閉じる泰斗。

“でもこの顔は怒ってるんじゃなくて心配してくれてるんだよな”

 そんな少し不器用な彼にくすりと笑ってしまう。


 俺のヒートが来なくなって二年がたった。
 一応病院に行ったが原因不明で、おそらくはホルモンバランスが崩れているからだろうという診断が下されている。

“けど、多分原因は――”

「ま、ヒートが来ないなんてΩとしては不完全だけどさ、日常生活を送るには悪いことばっかじゃないんだぜ?」
「それは、そうかもしれないが」

 ヒートが来なければ、突然誰かをおかしくさせるフェロモンなんてものを撒き散らす心配もないし俺自身も意思に反して襲われる心配もない。

 いつか子供を産みたいと思った時に産めないかもしれないというデメリットはあるが――

“俺のは恋になる前に終わってたからな”

 口に広がるあんこの甘さを、少し苦々しく感じながらごくんと一気に飲み込んだ。



 ――あれは二年前の秋だった。
 しつこく残る残暑のせいか、はたまた終わらない課題に追われ食事も睡眠も疎かにしてしまった代償なのか。

 なんとか課題を提出した大学からの帰り道で耐え難いほどの目眩に襲われた俺は、ふと目についた赤い縁台へ腰かけた。

 じわりと滲む冷や汗、だが座ったことで少しホッとした俺はそっと目を閉じ店の壁へもたれかかっていて。

『大丈夫?』

 そう声をかけてくれたのが、和処なごみの店主である生垣さんだった。


 体調不良だとはいえ、客でもない俺が店の椅子を占領してしまっていると気付き、焦って立ち上がろうとしたのをその穏やかな笑顔で制した生垣さん。

 絶対に迷惑なはずなのに、彼は俺にひとつのお饅頭を手渡してくれて。


“低血糖起こしてたからな。あんこの甘すぎない甘さが体に染み込むようだった”

 これも、と一緒に渡してくれた熱い緑茶も、暑い日だったのに心地よく俺を癒してくれた。

『楽になるまで座っていてね』と言った生垣さんは、気にさせないためなのかはたまた心配してくれていたのか俺の隣に腰かける。
 それはまるで、こうしていることが当たり前のように錯覚させる優しさで。

 そして再び立ち上がれるようになるまで穏やかで緩やかな時間に包まれた。


 Ωは何かと危ないから、と過保護な両親に反発して無理やり一人暮らしをはじめた大学生活。
 一人でなんとかしなくちゃ、と精神的に追い込まれていた部分もあったのだろう。

 Ωだから。
 Ωなのに。

 心配してくれるのはありがたいけれど、だからこそ家を頼ることに抵抗を持ち一人で過ごしていた俺は、ただ隣に座って時間を過ごしてくれるその温かさが、口に広がるあんこの甘さ以上に甘く感じて。


 たったそれだけ。そうわかっているのに、トクトクと速くなる鼓動が、じわじわと熱くなる頬が。
 胸の奥を締め付けるその甘さを自覚した。

 そして。


『おかわりはいるかしら? はい、貴方も飲むわよね』

 二年前も今と変わらないふわりとしたその微笑みのまま店内から顔を出したその女性の姿に、二人の薬指に光る揃いの指輪に。

 胸の奥に芽生えた甘さが苦味に変わり、心が軋んだことで恋と呼ぶには淡すぎるその想いが始まる前から終わっていたことを突き付けた。

 
 タイミングや、他の要因もあったのだろう。
 
 始まる前から砕けたその想いが小さなキッカケとなり、それまでの張りつめていた全てを巻き込むような軋みを生んだ。
 
 それ以来俺にヒートが来なくなったのだ。


「……告白、しねぇの」
「始まる前から終わってたしな」
「ならなんでッ」

 一瞬だけ荒げた声を出した泰斗は、その先を飲み込むようにゆっくりと息だけを吐いた。

“だったらなんで店に通うんだ、かな”

 その疑問はもっともで、あまりにも不毛すぎることは明白だった。


「……貰ったお饅頭が、甘かったからだよ」
「苦手なくせに」
「そうだな」

 甘いのは苦手なんだ。
 受け入れられないのに、欲してしまうから。


「俺なら丸ごと受け取れるぞ」

 ボソリと呟く泰斗の言葉にきょとんとし、すぐに小さく吹き出した。

「んだよ、半分じゃ足りなかったのか?」
「は、はぁ? そうじゃ……」
「ははっ、そうだな。何でも出来るαのお前は俺と違ってお饅頭も丸ごと食べれるもんな!」

 からかうようにそう指摘すると、ムスッとした顔を返してきた友人の腕を取った俺は、まだ緩やかに続いている坂道を下る速度を上げる。

「ほんっと、いい奴だな!」

 急に速度を上げた俺に少し焦った様子の泰斗が慌てて坂を下り横に並んだ。

 
“本能的にΩはαに惹き付けられるっていうけど――”
 
 αだからとか、Ωだからとかじゃない。
 
 この井筒泰斗という男の滲ませるその気遣いが、小さく燻り巣食っているこの苦い気持ちを肯定してくれているように感じ、そんな優しさに今日も救われるようだった。
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