インディアン・サマー -autumn-

月波結

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第18話 迎えに行くよ①

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 学校でのなんでもない話や将来のたわいもない夢の話をしていると、ハルから連絡が入った。
 駅まで着いたらしい。
 僕が迎えに行こうか、と申し出ると、そうね、お願いしようかしらと見送られる。自転車だから駅まですぐだ。
 母さんにはスミレちゃんから電話をかけてくれることになった。帰ってからのことはまたその時に考えようと決めた。前もって考えておいても、母さんの変化球には対応できない。
 風を切る。
 駅までそれほどの距離はない。
 夕暮れの駅前は人が多く、徒歩で来た方がよかったかもと後悔する。
 簡単に自転車を停めるわけにもいかなくて、ズルズル引き摺りながらハルを探す。
 ハルはスミレちゃんの言っていた通り、地下通路を出たところに立っていた。少し寒そうだった。

「お待たせ」
 まだ吐く息が白い程じゃない。
 それでも自転車で走ってきた頬が凍るほど冷たい。季節は進んだらしい。
「えー、アキ、どうしたの!?」
「スミレちゃんから聞いてなかった?」
「ママめ。わたしを嵌めようなんて」
 ハルはゆっくり歩き始めた。自転車が通りやすいように、道の脇を行く。
 通学カバンによくわからない下手上手《ヘタウマ》な顔をしたキャラクターのアクリルキーホルダーを付けている。歩く度、それが左右に揺れる。
「カバン、カゴに入れていいよ」
「これくらい大丈夫だよ、毎日――やっぱり入れてもらう。人の好意には甘えるものだよね」
 そうだね、と思わず笑顔がこぼれる。
 うれしい、ハルに会えたことがうれしい。それがどんな理由だっていい。この気持ちに付ける名前は特にいらない。
 だって、僕とハルだけのものかもしれないから。

「なんかあったのー?」
 ハルは俯きがちに歩いて、僕の方を見ない。
 舗道を見るために歩いてるみたいだ。
 僕になにをどう言うのか戸惑ってるように見える。
 僕だってその話は避けたい。
 ハルに内緒にするためにスミレちゃんだけがいる時間に行ったんだから。でも、つい長話になってしまった。
「母さんとちょっと喧嘩して。ほら、いつもみたいにさ」
「サクラさんは強烈だよね。ラー油みたい。熱したゴマ油に唐辛子突っ込むんだって」
 僕はちょっと困った顔をした。
 確かに母さんは変わってるし、ハルの言う通りだとも思うけど、それでも僕にやさしい。
 父さんを愛してるけど、僕にも愛情が十分に伝わってくる。極端で不器用な人だ。
「ハルはうちの母さん、苦手?」
 え、とハルは俯いていた顔を上げた。驚きが顔に貼りついている。
 アコギで歌を熱心にうたう人の声が聞こえてくる。僕はああいう人前に出て行ける人にはきっとなれないだろうなぁと思う。あれはなんの歌だっけ?
「嫌いじゃないよ、サクラさんのこと。本当の娘みたいに扱ってくれるし」
「でも変人だしさ」
「そうかもしれないけど、それでも元はママと同じ卵から生まれたわけで、二人はほんとはそんなに変わらないのかもよ」
「その説には頷けないな。どちらかに性格が偏ったかもしれないし」
 そうなのかなぁとハルは本気で考え込んだ。眉根が寄ってる。かわいい。
 僕の『かわいい』の原点は全部ここにあるのかもしれない。

 そんなふうに歩いているとすぐハルの家に着いた。もう少し遠くてもいいくらいだ。
「上がっていかないの?」
 なんの疑いもなく、ハルは僕をそう誘った。
 僕とスミレちゃんのした恋愛トークを聞いてないからだ。
 今日はスミレちゃんと十分に話した。
 お互い、言葉にしないことも話した。
 これ以上遅くなると、母さんが怖いし。
「うん、今日は遅いしね」
「ここから自転車だもんね」
「そうそう」
 ハルは目尻にシワのない、スミレちゃんそっくりの笑顔を見せた。親子なんだなぁと見つめる。
 あんまりうっとりしすぎて「どうかした?」と聞かれる。
「スミレちゃんにありがとうって伝えて」
「また来る? 今度はわたしがいる時だよ?」
「またきっとすぐ来るよ。母さんが新しいお菓子を作ったらさ」
 母さんの新作はスミレちゃん家で披露されることが多い。
 母さんには特定の友だちが近所にいるようでもなかったし、スミレちゃんがいれば十分だということは見ていてよくわかった。

 宵闇が深くなり、車のヘッドライトが眩しくなる。
 早く帰った方がいい時間だ。
 自転車は事故に気を付けないといけない。
「じゃあ」
 心を決めたところでハルは強引に僕の自転車を奪った。カゴに入れたハルのカバンの重さで、自転車は倒れそうになる。なんとかバランスを取ると、ハルは自転車のスタンドをカタンと立てた。
 そして自分の両手を顔の前に持ってくると、はぁっと息を吹きかけた。手が寒かったんだろう。
 それから自転車を支える僕の片頬に手を当てた。
 正直、劇的に温かいというわけではなかった。
 でも心の奥が、じんわり暖かくなった。
「迎えに来てもらったお礼っていうか。あのさ、たまには誰かに迎えに来てもらうっていいものだなぁって思ったの。あ、だからって言ってまた来てもらおうとかじゃないから」
 玄関の灯りはぼんやり僕たちを照らしていた。
 なにかをはっきり見えるほどの明るさではない。
 でも僕には見えた。真っ赤になったハルの顔が。
 ハルは慌てて自分のカバンをカゴから抜こうとして、また自転車を倒しそうになる。「きゃあっ」と大きな声を上げた。

 スミレちゃんが飛び出してくるかと思ったけど、なにも起こらなかった。ハルは度重なる失態に、僕の目を見れずにいた。
 僕がもう少し大人なら、なにか気の利くことを言ってあげられるのに⋯⋯。早く大きくならないと。
「アキ、また背が伸びたね」
「今言うこと?」
「だってさ、今度アキの誕生日もあるし、アキがわたしに少しずつ近づいてきてる気がしてる。いつまで『お姉さん』でいられるか焦るよ」
 確かに僕たちの年頃は身体的にも精神的にも成長が早い。
 だからと言って、いつだって時間は自由に動かせない。
 春生まれのハルに、秋生まれの僕の年齢が届くことは決してない。アキレスと亀のように。
 だから、つまり結局、ずっと同じ距離感で変わらないってことだ。
「その後またハルの誕生日だ。プレゼント、早めに考えておこう。また外すとキレられるからなぁ」
「キレてない!」
「じゃあ、またね。スミレちゃん、待ってるよ。シチューだってさ」
 なんでそんなこと知ってるのよ、とハルは言った。
 僕はにまっと片方の唇を上げて笑った。
 ハルはプンプン怒った。こういうところは、実は母さんに似ている。絶対二人には言わないけど。

 今度こそ「じゃあね」をして、自転車を滑らせる。
 滑走する自転車は僕を乗せて家に連れて帰る。
 途中で寄ったコンビニでスマホを開けると、母さんから『アイス買ってきて。母さんの好きそうなやつよろしく』と母さんらしい、ちょっとユーモラスなメッセージが入っていた。
 僕は母さんのためにちょっとだけ高いプレミアムなアイスを買った。栗のフレーバーだ。
 僕は僕のためのホットのコーヒーを買って、また自転車を漕いだ。
 うちまでもう少し、緩い坂道の上に建っている、それが我が家だ。
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