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#028 天の結晶④

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 結局来海くるみのショッピングに付き合わされ、一時間と少しほどの時間が経った頃。
 ブブブッと来海のスマートフォンが震えた。アラームを設定していた様だ。

「ん、時間か」
「いいえ、まだ少し早いわ。でも、一度見に行きましょうか」

 そうして、俺たちは天の結晶が浮かぶ吹き抜けフロアまで戻って来た。
 来海はおもむろに、以前MGC襲撃事件の際にも付けていたイヤホンタイプの通信機器を装着。

「それ、俺の分は無いのか」
「無いわ。安物じゃないし、失くしたら困るでしょう?」

 いや、俺は子供か。そんなすぐに無くすわけ――と、ふと思い返してみるが、ワイヤレスイヤホンの片側だけを無くして幾つか駄目にした記憶が蘇って来た。
 しかし、おそらく俺が新人エージェントだからという理由も有るのだろう。そこら辺はこれから成果を上げ、評価と信用を勝ち取るしかない。
 まあ、来海とバディ行動している内は無理に支給して貰わなくていい気もするが。
 
 それよりも――と、来海が話題を変える。

 「――ざっと見て、何か気付く事は?」

 ふむ。俺はフロア全体を見回す。
 やや遠巻きながらも、ここからでも様子は確認出来る。
 特段先程と変わった雰囲気は無い。心なしか天の結晶の周囲に纏わる白い靄が少し納まった様な気がするが、気のせいと言われれば気のせいかもしれない。
 なら、来海が言わんとするのはそこではないだろう。

 俺は答える。

「……人が増えたな」

 道行き通り過ぎる人々は問題ではない。ただ、その場に停滞する人が何人か居るのだ。
 これは先程は居なかった。

 来海が首肯する。
 それを確認して、俺は続ける。

「結晶の一番近くにはプリン頭と殆どオレンジ色の茶髪、二人の不良っぽい奴らが、缶ジュース片手に手すりにもたれ掛かって駄弁ってる。話の内容までは分からない。
 それで、少し奥にスーツ姿のサラリーマン風の男、時計を気にしている素振りを見せている。あとはベンチに座ってスマートフォンを弄ってる女、こっちは不良の奴らをちらちら見ている気がする」
 
 俺が軽く観察した結果を伝えると、来海は答える。

「ええ、そうね。私が見た限りでも、今挙げてもらった人物が目に付くわね。奴らも結晶を狙っているのなら、既に近くに来ているはずよ。戦線メンバーか、プラスエス残党か、もしくは……」

 と、来海はスマートフォンを触るふりをしながら視線を這わす。
 ともかく、敵組織の手に天の結晶が渡らない様に目を光らせつつ、時を待つ。

 ショッピングの傍ら、事前に打ち合わせはしておいた。
 結晶の浮かぶ吹き抜けを挟んでそれぞれ配置につき、俺がキューブを投げて、来海が対岸で念動力テレキネシスを使ってキャッチする手筈だ。

 やがて、予定の時刻を周る。
 すると――、

 ドクンと脈打つ様に、一瞬天の結晶から何か強い反応を感じた。
 まるで、命の鼓動の様に。

「おい、これって――」
「ローゲ!!」

 対岸から、来海が叫ぶ。
 
 間違いない。今この瞬間、天の結晶が完全に固体化したのだ。
 見れば、周囲に纏っていた白い靄は晴れ、結晶体は薄い白光を放っている。
 
 来海の合図を受けて、俺はすぐさまキューブを投擲。キューブは弧を描き、天の結晶へと近づいて行く。
 すると、キューブは結晶に触れる手前で8つの小さなキューブに分裂。
 その8つの頂点が結晶を覆い、繋がり、新たな骨子を組む。そして、その骨子と骨子の間を埋める様に透明な板が産まれ、新たな6面体となった。
 天の結晶は、完全に透明なキューブへと納まったのだ。
 
「ウォールナット! 頼んだ!」

 キューブに納まった天の結晶は、投擲の慣性を残したまま、対岸へと放物線を描いて落ちて行く。
 しかし、問題ない。そこにはバディが待ち構えている。

 その刹那、俺は周囲を警戒して目を走らす。
 不良の二人組、突然何かを始めた俺たちを訝しむ様な視線を向けているが、それだけだ。天の結晶を狙う様子はない。
 サラリーマン風の男、気付けばいつの間にかもう一人スーツの男が来ていて、何か話をしている。時計を見ていたのは待ち合わせをしていただけの様だ。こちらに興味を示す素振りも無い。
 ベンチに座っている女は、友人を待っていたらしい。少し前に合流した友人と共にどこかへ行ってしまった。不良の様子を窺っていたのは、単に駄弁っている声が大きく、鬱陶しかっただけだろう。

 全員違う? まだ動きを見せないだけ? それとも、敵組織は来ていない……?
 ともかく、誰一人として結晶を狙う様子も無く、妨害も無く。
 天の結晶を収めたキューブは念動力テレキネシスによって軌道を操作されて、来海の手の内にゆっくりと納まった。
 
「やったわよ、ローゲ!」

 ナイスキャッチだ。何の障害も無く、任務完了だ。
 俺は小走りで来海の側、対岸へと向かう。来海も歩いてこちらへと寄って来る。
 
 しかし、その時だった。
 とんとん拍子で進んでいた天の結晶回収任務に、魔の手が迫る。

「――きゃっ!!」

 突如、来海が何もない場所で倒れた。――まるで、“誰かにタックルでもされたかの様に”。
 そこには他に誰も居ない。ただ、来海が転んだだけだと言われれば、信じてしまうだろう。
 しかし――、

「ウォールナット! キューブが!」

 来海の手に有ったはずのキューブが、“宙に浮いていた”。
 そして、そのキューブは規則的な前後動作を繰り返しながら、凄い速さでひとりでに俺たちから離れて行く。それはまるで、“誰かがキューブを持って走り去っている様”。
 やがてそのキューブもじんわりと色を失って景色に溶け込み、透明になって消えてしまう。
 
 ――まずい、キューブが奪われた!!

 そう認識して俺が追いかけようとするのとほぼ同時に、倒れた来海が身体を起こしつつ声を上げる。

「――こちらウォールナット! 今すぐショッピングモール内、エリアBを封鎖しなさい!!」

 イヤホンタイプの通信機器越しに、S⁶シックスの技術班へ向けて指示を飛ばす。
 すると、警報と共に、ショッピングモールのあちこちにシャッターが降りる。出入口は勿論、通路にも。
 付近に居た一般市民は何事かと、一目散にこの場を逃げ出して行く。
 やがて、広いショッピングモール内の、俺たちの付近の一部のエリアのみがシャッターが区切られて、孤立する形となった。

「これで、袋の鼠ね」
「さすが、準備が良いな。怪我は無いか?」
「問題ないわ、かすり傷よ。それよりも、相手の姿が見えなかったわー―」

 俺と来海は、続きを同時に口にする。

「「――透明人間」」

 視線が合う。
 やはり、同じ見解だ。敵は“透明化”のスキルホルダー。

 てっきり相手はこの場に居る誰かなのだと思い込んでいた。しかし、違う。俺たちには見えていなかった。スキルによって見えなくなっていたのだ。
 これはスキルホルダーの犯行。つまり、敵はプラスエス残党でも天の光信仰教会でもない。組織内にスキルホルダーを擁する――、
 
「――スキルホルダー解放戦線ね」
「ああ。俺たちの追っていた不審船の乗組員かもしれない」

 逃げ道は塞いだ。しかし、相手の姿が見えない。
 どうするかと思案していた、その時――、

 ガンッ! と、大きな何かを叩く様な音。
 一階の出口の方だ。しかし、そこは既にシャッターが下り封鎖されている。
 その音は断続的に繰り返されている。

 来海が嘲笑するようにふんと鼻を鳴らし、以前にMGCでしていた時と同じ様に、タートルネックインナーを引き上げてマスクの様にして口元を隠す。
 
「お馬鹿さんね、自分から居場所をバラすなんて……。さあ、行きましょうローゲ」

 俺は静かに首肯する。
 そして、来海は軽い動作でエスカレーターを三段跳びで降り、俺も遅れながら後に続いた――。
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