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第9章
フローリスト西原
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「はーい、いらっしゃいま――あら、澤田さん」
昼下がりの店先に人影を見つけた美織は、その姿を認め頓狂な声を出した。
「こんな時間にどうしたの。スズオさんは戻ってきた?」
向日葵は汗だくの顔をタオルで拭いながら入ってきた。
「それがね、聞いてよ、西原さん。あなたから連絡があった次の日にね、ばら園の休憩小屋のテーブルに、書置きがあって。『すべて思い出しました。大変お世話になりました。ご挨拶もせずにいなくなってすみません スズオ』って。それっきり、音沙汰なし」
美織は冷えた麦茶を二杯用意し、自分も腰かけた。
「嘘でしょ! ……やっぱり、浅川さんの旦那さんだったのかしら?」
「それが、わからないのよ。手紙にもスズオとしか書いてなくて。あんなに礼儀正しい子だったからね、いきなりいなくなるには訳があるとは思うんだけど。それでね、西原さん。スズオ、こっちにも来てない? ほら、ここに出入りしていた、なんだっけ、綺麗なお嬢さん。あの子目当てで、まだこっちには時々来てるんじゃないかと思って、今日寄ってみたのよ」
「いいえ、こっちにもあれっきり、来てないの。スズオさんどころか、山吹さんも、来なくなっちゃって。スズオさんの一件と、関係あるのかしらねえ?」
そういえば、あの仲睦まじかった若いカップルも、同じ頃から来なくなった。
そんなことを思い出していると、向日葵がぱっと目を輝かせた。
「ねえ、もしかして……! スズオ、おたくの山吹さんと、駆け落ちでもしたんじゃないの⁉」
「でも、スズオさんにはあやめさんっていう素敵な奥様が……ああ、でももう亡くなってるんだったわ……」
「亡くなってるなら、堂々とお付き合いすればいいのに」
「でも、まだ亡くなって半年だからねぇ。夫婦仲はよさそうだったし」
「西原さん、ご存知なの?」
「たまに、ご主人の話、あやめさんから聞いてたから。お花には全然関心がなくて、って笑ってたわ。確か、普通の会社勤めの方だった気がするけど……。真面目で優しくて、人生で損をするタイプだ、なんていってた。……浅川さんも、とても素敵な女性だったからね、事故で亡くなったって聞いたときは、本当にショックでね。……そういえば、山吹さんに、顔も雰囲気も、似てたわねぇ」
思い出すように宙へ目を向ける。妙な沈黙が流れたとき、店の入り口のほうで物音がした。美織がぱっと立ち上がる。
「はぁい、いらっしゃいませ~」
立っていたのは、夏には不釣り合いな黒いコートを着た若い男だった。美織は思わず姿勢を正して声をかけ直した。
「……何か、お探しですか?」
男が花から美織へと視線を移す。とても花屋には来そうもない、静かな目だった。
「……あの女は、最近はいないのか?」
「え……と、ひょっとして、山吹さんのことかしら? 白いスカートで、髪の長い若い女性のことです? ええ、彼女は最近来ないんです。あ、もともと、こちらの店員というわけでもなくて。連絡先も知らないんですよ、ごめんなさいねえ」
花ではなく人を探していたことに納得しながら店内に引き返そうとしたところに、また男が声をかけた。
「トルコギキョウ」
「……はい?」
「白いトルコギキョウを五本、もらう」
一瞬の間の後、美織は弾かれたように笑顔を作った。
「……ああ! ああ、ありがとうございます、ちょうど千円になります」
丁寧に花を包み、男へ渡す。
「……トルコギキョウ、お好きなんですか?」
男の動きが止まった。
「前にも、買っていかれましたよね? そのときの女性を、お探しなんですよね?」
男はしばらく美織を見つめると、何もいわずに背を向けた。
「あっ、ありがとうございました! トルコギキョウは秋まで取り扱ってますので、よければまたいらしてくださいね……」
どんどん遠ざかる背中に向かって、美織は歯切れ悪く声をかけた。
昼下がりの店先に人影を見つけた美織は、その姿を認め頓狂な声を出した。
「こんな時間にどうしたの。スズオさんは戻ってきた?」
向日葵は汗だくの顔をタオルで拭いながら入ってきた。
「それがね、聞いてよ、西原さん。あなたから連絡があった次の日にね、ばら園の休憩小屋のテーブルに、書置きがあって。『すべて思い出しました。大変お世話になりました。ご挨拶もせずにいなくなってすみません スズオ』って。それっきり、音沙汰なし」
美織は冷えた麦茶を二杯用意し、自分も腰かけた。
「嘘でしょ! ……やっぱり、浅川さんの旦那さんだったのかしら?」
「それが、わからないのよ。手紙にもスズオとしか書いてなくて。あんなに礼儀正しい子だったからね、いきなりいなくなるには訳があるとは思うんだけど。それでね、西原さん。スズオ、こっちにも来てない? ほら、ここに出入りしていた、なんだっけ、綺麗なお嬢さん。あの子目当てで、まだこっちには時々来てるんじゃないかと思って、今日寄ってみたのよ」
「いいえ、こっちにもあれっきり、来てないの。スズオさんどころか、山吹さんも、来なくなっちゃって。スズオさんの一件と、関係あるのかしらねえ?」
そういえば、あの仲睦まじかった若いカップルも、同じ頃から来なくなった。
そんなことを思い出していると、向日葵がぱっと目を輝かせた。
「ねえ、もしかして……! スズオ、おたくの山吹さんと、駆け落ちでもしたんじゃないの⁉」
「でも、スズオさんにはあやめさんっていう素敵な奥様が……ああ、でももう亡くなってるんだったわ……」
「亡くなってるなら、堂々とお付き合いすればいいのに」
「でも、まだ亡くなって半年だからねぇ。夫婦仲はよさそうだったし」
「西原さん、ご存知なの?」
「たまに、ご主人の話、あやめさんから聞いてたから。お花には全然関心がなくて、って笑ってたわ。確か、普通の会社勤めの方だった気がするけど……。真面目で優しくて、人生で損をするタイプだ、なんていってた。……浅川さんも、とても素敵な女性だったからね、事故で亡くなったって聞いたときは、本当にショックでね。……そういえば、山吹さんに、顔も雰囲気も、似てたわねぇ」
思い出すように宙へ目を向ける。妙な沈黙が流れたとき、店の入り口のほうで物音がした。美織がぱっと立ち上がる。
「はぁい、いらっしゃいませ~」
立っていたのは、夏には不釣り合いな黒いコートを着た若い男だった。美織は思わず姿勢を正して声をかけ直した。
「……何か、お探しですか?」
男が花から美織へと視線を移す。とても花屋には来そうもない、静かな目だった。
「……あの女は、最近はいないのか?」
「え……と、ひょっとして、山吹さんのことかしら? 白いスカートで、髪の長い若い女性のことです? ええ、彼女は最近来ないんです。あ、もともと、こちらの店員というわけでもなくて。連絡先も知らないんですよ、ごめんなさいねえ」
花ではなく人を探していたことに納得しながら店内に引き返そうとしたところに、また男が声をかけた。
「トルコギキョウ」
「……はい?」
「白いトルコギキョウを五本、もらう」
一瞬の間の後、美織は弾かれたように笑顔を作った。
「……ああ! ああ、ありがとうございます、ちょうど千円になります」
丁寧に花を包み、男へ渡す。
「……トルコギキョウ、お好きなんですか?」
男の動きが止まった。
「前にも、買っていかれましたよね? そのときの女性を、お探しなんですよね?」
男はしばらく美織を見つめると、何もいわずに背を向けた。
「あっ、ありがとうございました! トルコギキョウは秋まで取り扱ってますので、よければまたいらしてくださいね……」
どんどん遠ざかる背中に向かって、美織は歯切れ悪く声をかけた。
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