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【第四部:神の記憶】第三章
新しいフェラン
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よく朝早く目が覚めたナイシェは、わずかに開いた扉の隙間から見えたフェランの姿に息が止まるほど驚いて、ものすごい勢いで彼の部屋へと飛び込んだ。
「やめてフェラン‼ なんてことするの‼」
ナイシェは、自分の首にナイフを向けているフェランの手から無理やり刃物を奪い取った。フェランが目を丸くする。
「なんだよ、髪の毛くらい切らせてくれよ」
「髪の毛……? 首を切るんじゃないのね?」
「首なんて誰が切るんだよ! この長い髪がうっとうしくてさ、男なんだから短くしようとしただけだよ」
ナイシェは安心して表情を緩めたが、それでもナイフは返さなかった。
「髪を切るなんてだめよ。いつものフェランは、毎朝きれいにとかして結ってたわよ」
「今の僕だってフェランだよ! 僕は不器用で髪なんて結えないんだ。とかそうにも寝てる間にほつれちゃってどうにもならないし、自分の髪の毛くらい好きにさせてくれよ」
フェランが半分起こった顔で声を荒げる。しかしナイシェも譲らない。
「だめよ。もしすべて思い出していつものフェランに戻ったら、後悔するかもしれないもの」
「いつものいつものって、そう何度もいわないでくれよ! 僕は僕なんだ。ナイシェは認めたくないかもしれないけど、今の僕がこうしているんだから!」
フェランは声高にそう叫ぶと、ナイシェの目を鋭く見つめた。これほど露骨な感情を自分にぶつけてくるフェランを、ナイシェは初めて見た。思わずたじろぐ。
「ご……ごめんなさい。そうよね、あなたにフェランであることを押しつける権利なんて、私にはないものね……」
ナイシェは素直に謝ってナイフをフェランへ返した。
「でも、こういうのはいいでしょ? 私はあなたの長い髪がとても好きなの。自分で結えないのなら、私が毎朝結ってあげる。そうしたら、切らないでいてくれる?」
フェランはしばらく黙って考えていたが、やがてうなずいた。
「わかった。それならいいよ。僕は髪も結えないし料理もできないけど、君が僕の代わりにやってくれるのなら……」
ナイシェはそれを聞いて満足し、ベッドに座っているフェランの左隣に腰を下ろした。
「さあ、櫛を貸して。私が結ってあげる」
フェランの髪の紐を解いて、絡んだ薄茶の髪を櫛で丁寧にとかし始める。髪はナイシェの手の中で柔らかく波打った。
「フェランの髪って、柔らかくて軽いのね」
ナイシェが髪を結い直しながらいう。
「今まで、触ったことなかったから」
そしてちらりとフェランの顔を見ると、内緒話でもするように少しフェランの耳元に顔を近づけた。
「本当のこというとね、フェランてば、こんなにきれいだし、品もよくて穏やかでしょ。大好きだけど、非の打ちどころがなくて違う世界の人っていう感じだったのよね。だから髪の毛だって、きれいだなとは思ってたけど、こんなふうに触ることなんて考えたこともなかった」
するとフェランは決まり悪そうに口を開いた。
「僕は嫌いだけどな……きれいな顔とかきれいな髪とか。もっと男らしくなりたい」
今までのフェランならそんなこといわなかったわ、といいかけて、ナイシェはあわてて言葉を飲み込んだ。そして反対に、こう考えた――今のフェランも同じ人物には変わりがない、今までのフェランは、本当の気持ちを押し殺していただけだったのではないか。
「さあ、できた」
ナイシェはフェランの髪をしっかり紐で結ぶと、自分でも納得したようにうなずいた。
「さて、ちょうどいい時間になったことだし、私は朝ごはんの買い物に行ってくるわ」
するとフェランが間髪を入れずにいう。
「僕、おいしいサラダが食べたい」
「じゃ、フェランも一緒に来て野菜を選ぶことね。そのあと、お料理を教えてあげる。野菜の切り方くらいは知っていていいもの」
するとフェランは屈託のない笑顔で応じた。
「ナイシェが教えてくれるんなら、やってみるよ」
そしてナイシェの手を取ると、宿を出て市場へと向かっていく。
朝市場はすでに盛況だった。人混みの中、フェランがナイシェの手を引っ張る。
「ナイシェ、あっちに野菜があるよ」
「待ってフェラン、あっちってどっち」
「ほら、あそこ」
半ば強引にナイシェを誘導するフェランに戸惑いながらも、ナイシェは手を引かれるままについていった。いきいきとしたフェランを見ていると、それもいいかな、と思い始める。
フェランに手を握られたことは、以前一度だけあった。カイル伯爵の使者が自分を金貨で買おうとして、フェランが怒ったときだ。彼が本気で怒ったのを見たのは、あれが最初で最後だった。自分の手を引く彼の手の力はとても強くて、ナイシェは痛みとともにほんの少し恐れを感じたほどだった。それに比べると、今自分の手を引くフェランの手は温かくやさしくて、しばらくこのままでもいいと思わせるほどだった。
「ほらナイシェ、これなんかどう?」
問いかけるフェランは子供のよう無邪気で、見ているこちらまで笑顔になってしまう。
「そうね、いいと思うわ」
答えながら、今のフェランはアルセーイがそのまま大きくなった姿なのかもしれないと、ナイシェは思った。
「やめてフェラン‼ なんてことするの‼」
ナイシェは、自分の首にナイフを向けているフェランの手から無理やり刃物を奪い取った。フェランが目を丸くする。
「なんだよ、髪の毛くらい切らせてくれよ」
「髪の毛……? 首を切るんじゃないのね?」
「首なんて誰が切るんだよ! この長い髪がうっとうしくてさ、男なんだから短くしようとしただけだよ」
ナイシェは安心して表情を緩めたが、それでもナイフは返さなかった。
「髪を切るなんてだめよ。いつものフェランは、毎朝きれいにとかして結ってたわよ」
「今の僕だってフェランだよ! 僕は不器用で髪なんて結えないんだ。とかそうにも寝てる間にほつれちゃってどうにもならないし、自分の髪の毛くらい好きにさせてくれよ」
フェランが半分起こった顔で声を荒げる。しかしナイシェも譲らない。
「だめよ。もしすべて思い出していつものフェランに戻ったら、後悔するかもしれないもの」
「いつものいつものって、そう何度もいわないでくれよ! 僕は僕なんだ。ナイシェは認めたくないかもしれないけど、今の僕がこうしているんだから!」
フェランは声高にそう叫ぶと、ナイシェの目を鋭く見つめた。これほど露骨な感情を自分にぶつけてくるフェランを、ナイシェは初めて見た。思わずたじろぐ。
「ご……ごめんなさい。そうよね、あなたにフェランであることを押しつける権利なんて、私にはないものね……」
ナイシェは素直に謝ってナイフをフェランへ返した。
「でも、こういうのはいいでしょ? 私はあなたの長い髪がとても好きなの。自分で結えないのなら、私が毎朝結ってあげる。そうしたら、切らないでいてくれる?」
フェランはしばらく黙って考えていたが、やがてうなずいた。
「わかった。それならいいよ。僕は髪も結えないし料理もできないけど、君が僕の代わりにやってくれるのなら……」
ナイシェはそれを聞いて満足し、ベッドに座っているフェランの左隣に腰を下ろした。
「さあ、櫛を貸して。私が結ってあげる」
フェランの髪の紐を解いて、絡んだ薄茶の髪を櫛で丁寧にとかし始める。髪はナイシェの手の中で柔らかく波打った。
「フェランの髪って、柔らかくて軽いのね」
ナイシェが髪を結い直しながらいう。
「今まで、触ったことなかったから」
そしてちらりとフェランの顔を見ると、内緒話でもするように少しフェランの耳元に顔を近づけた。
「本当のこというとね、フェランてば、こんなにきれいだし、品もよくて穏やかでしょ。大好きだけど、非の打ちどころがなくて違う世界の人っていう感じだったのよね。だから髪の毛だって、きれいだなとは思ってたけど、こんなふうに触ることなんて考えたこともなかった」
するとフェランは決まり悪そうに口を開いた。
「僕は嫌いだけどな……きれいな顔とかきれいな髪とか。もっと男らしくなりたい」
今までのフェランならそんなこといわなかったわ、といいかけて、ナイシェはあわてて言葉を飲み込んだ。そして反対に、こう考えた――今のフェランも同じ人物には変わりがない、今までのフェランは、本当の気持ちを押し殺していただけだったのではないか。
「さあ、できた」
ナイシェはフェランの髪をしっかり紐で結ぶと、自分でも納得したようにうなずいた。
「さて、ちょうどいい時間になったことだし、私は朝ごはんの買い物に行ってくるわ」
するとフェランが間髪を入れずにいう。
「僕、おいしいサラダが食べたい」
「じゃ、フェランも一緒に来て野菜を選ぶことね。そのあと、お料理を教えてあげる。野菜の切り方くらいは知っていていいもの」
するとフェランは屈託のない笑顔で応じた。
「ナイシェが教えてくれるんなら、やってみるよ」
そしてナイシェの手を取ると、宿を出て市場へと向かっていく。
朝市場はすでに盛況だった。人混みの中、フェランがナイシェの手を引っ張る。
「ナイシェ、あっちに野菜があるよ」
「待ってフェラン、あっちってどっち」
「ほら、あそこ」
半ば強引にナイシェを誘導するフェランに戸惑いながらも、ナイシェは手を引かれるままについていった。いきいきとしたフェランを見ていると、それもいいかな、と思い始める。
フェランに手を握られたことは、以前一度だけあった。カイル伯爵の使者が自分を金貨で買おうとして、フェランが怒ったときだ。彼が本気で怒ったのを見たのは、あれが最初で最後だった。自分の手を引く彼の手の力はとても強くて、ナイシェは痛みとともにほんの少し恐れを感じたほどだった。それに比べると、今自分の手を引くフェランの手は温かくやさしくて、しばらくこのままでもいいと思わせるほどだった。
「ほらナイシェ、これなんかどう?」
問いかけるフェランは子供のよう無邪気で、見ているこちらまで笑顔になってしまう。
「そうね、いいと思うわ」
答えながら、今のフェランはアルセーイがそのまま大きくなった姿なのかもしれないと、ナイシェは思った。
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