夢と目的の議論

忍野木しか

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夢と目的

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 さて、夢について語ろうか。
 子供の将来の、夢。お化けに追いかけられて高い所から落ちる、夢。作家になる夢は諦めろ、の夢。子供の夢と大人の夢は同じか否かは頭の中の議論の対象外。そもそも、法律を抜きにした場合の大人と子供の境界線があまりにも不明瞭で不明確だ。まぁ、その話はおいおいしてゆくとしよう。
 夢、とは何か? ありきたりで曖昧な言葉。強制力のない願い。夢、の一言で片付けられる問題がこの世に数多く存在するとは思わないかい? それは夢か。これは夢だ。夢は大切だと言われて育つ子供。夢を見るなと言われる大人。どうも時間が関わってくるような気がするね? 深夜に枕と重なる頭で見る夢じゃあない。起きた頭で思い描く夢さ。考える、夢、じゃあない。思い描く、夢。ここが大切。
 え? 早く結論を言え? おいおい、ちょっと待ってくれ。これは僕の頭の中の議論であり独り言だ。人生の叡智を結集しても答えの出ないような問題の結論をおいそれと出せるわけが無いだろう?
 考える、夢。なんだかおかしく聞こえないかい? 夢は思い描くものであり、考えるものではない。思い描くと考える、似て非なる存在、いや、言葉。思い描く、とは想像を膨らますことであり、考える、とは論理を組み立てることである。議論の余地は、もちろんあるぜ?
 想像を膨らます。論理を組み立てる。妄想する。計算する。おやおや、だんだんと夢の正体が分かってきたようだ。もちろん、寝ている時に見る夢は妄想の類だろう。現実に起こり得る事象だ、と叫ぶ占い師もいるかもしれないが、ね? 
 夢とは妄想であり、大人が見るものじゃあない、とある人が言えば納得する人もいるかもしれない。ちょっと待て、と言う人もいる。夢が妄想なら、それを現実のものとする成功者たちはどうなる、と。僕の中のある人が騒がしい。
 夢を現実に変える成功者は確かに存在する。野球選手を夢みてそれを叶える人。宇宙飛行士を夢みて地球を見下ろした人。宝くじで大当たりする夢を見た人の話は、この際、抜きにして貰えるとありがたい。いや、宝くじを買った時点で確率論の分野に入るわけだから、議論の内に入れてもいいか。でも、僕は数学が苦手なんだ。
 長くなるね。独り言は止まらない。そう生きてきたのだから。おっと、話が脱線してしまう。
 大人は夢を見るな、とは叶わぬ妄想をやめろと言うことだ。本当はここで妄想と計算の違いも議論したいのだが、時間がない、いや、短編では終わらない。
 では、夢が妄想ならば、なぜ成功者は存在するのか? 先ほどの宝くじは悪い例だ。議論を長くする。成功者は初めに夢を見た。つまり、妄想したわけだが、ここからが夢みがちな少女と一線を画く。彼らは計算する。どうすれば夢を叶えられるのかを。妄想を考える、はおかしいよね? つまり考え始めた時点でそれは夢から目的に変わる。もちろん、途中で計算をやめれば机上の空論にすらなり得ないわけだが。つまり、夢とは妄想であるからして、いずれ成功する者が見るのは夢の先の目的である、と。
 人生に必要なのは目的だ、と僕の中のある人は言う。夢ではなく目的。例えば家庭を持って子供を育てるのを人生の目的とするものは、安定した経済力が必要であり、大学に出ていい会社に入社するのは目的を達成する良い手段となるだろう。野球選手を夢見ながら白衣を着て病院を闊歩するものがあれば、確かに、もう夢は見るなと言いたくなる。いや、見てもいい、ただ、追いかけてはいけない。夢は妄想なのだから。
 人生に必要なのは目的であり、目的とは計算の上に成り立った将来だ。
 子供は夢を見てもいい。何故なら導いてくれる者がいるから。大人は夢を見るのも大概にしなければいけない。何故なら導いてくれる者などいないのだから。大人は自分で目的を定め、計算し、遂行し、その目的にあった生き方をしなければいけないのだよ。分かったかい、僕?
 例えば作家を目的とするのならば、結婚を夢みてはいけない。安定した経済力は望めないからね? おっと、分かってるさ、そんな事は。全く、嫌な独り言だ。
 
 
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