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第二章
執行の天使
しおりを挟むY市七人死傷事故、道路交通法違反および過失運転致死傷罪でY市議長を起訴…Y地検。「絶対に飲酒はしていない」
12月23日午後、Y市で下校中の児童を含む男女七人が制限速度を超えて走る乗用車にはねられ死傷した事故で、Y地検は6日、同市、日野隆二容疑者(59)を危険運転致死傷罪でY地裁に起訴した。日野議長は当日、飲酒の影響で正常な運転に支障がある状態にも関わらず、乗用車を運転。国道X号で横断歩道を渡っていた児童数名と四十代の男女に外傷をおわせ、同市N小学校に通う藤野桜ちゃん(9)を外傷性脳出血などで死亡させたとしている。なお、日野議員は「絶対に飲酒はしていない」と容疑を否認しており──。
〈教育長、スカートの中を盗撮か〉
A市の電車内で、女性のスカートの中をスマートフォンで盗撮したとして、K県教育委員会教育長が逮捕されました。K県迷惑防止条例違反の疑いで逮捕されたのは、K県A市教育委員長・元Y大学教育学部教授の相葉忠利容疑者(64)です。相葉容疑者は4日午前十時ごろ──。
教育委員会1月臨時会 議題(1)
委員辞職の同意について
委員から辞職届が提出されたため、教育委員会の同意を求める。
20XX年(令和X年)1月7日提出
Y市教育委員会 委員長職務代理者 大畑佐枝子
ショートボブの天使。田中愛は腰に手を当てた。
冬休みの終わり。学校に吹雪く白。無音で校舎に足を踏み入れる白い髪の老女。
警告。警告。警告。冬休みに一度も学校を訪れなかった新実和子に警告を繰り返すショートボブの天使。職務怠慢だと、田中愛は白髪の天使を睨み上げた。
田中愛を見下ろす白髪の天使。天使のショートボブをポンポンと叩いた新実和子は校舎に入っていった。ムッと眉を顰めた田中愛もその後を追うようにして校舎に足を踏み入れる。
新学期の学校は騒がしい。終わりの気怠さと始まりの高ぶりに体を伸ばす生徒たち。彼らは久しぶりに顔を合わすクラスメイトの白い息に頬を緩めた。変わらない光景である。
騒がしかったのは大人側であった。表情に余裕の見えない教員たち。彼らの顔にいつものような笑顔は見えない。
白髪の天使が足を踏み入れると、シンッと張り詰める職員室の空気。天使の存在に気が付いた者はいない。だが、彼らは言いようの無い圧迫感を胸の内に覚えた。錆びた牛刀を背中に押し付けられているかのような。迫り来る電車を前に背中を押されているかのような。
「特進クラスの設置を見送るってどういう事ですか……?」
「大野木校長が来られないとなると……」
「いったい、教育改革はどうなるんだ……?」
白髪の天使が歩くと、道を開ける教員たち。新実和子は青い顔をして受話器に唾を飛ばす山本恵美を見下ろした。
「そ、そんな事を……困ります! ワタクシ共はその為にここに来たというのに! ……ええ、ええ、不可能です。来年度からの校則を名目に自主退学を進めた生徒もおりますの! ……は? それはこちら側の責任ですって? ふざけないで頂戴、ワタクシ共はアナタ方の指示の元に動いておりましたのよ! ……ちょ、ちょっとお待ちを、人事権委譲なんて建前ですわ……ならば……ちょっと、待ちなさい! ちょ……」
ダンッと受話器を机に叩き付ける中年女性。静まり返る職員室。ギロリと乱雑な部屋を見渡した恵美は弛んだ頬を揺らして立ち上がると、職員室を出ていった。騒めく教員たち。朝のチャイムが校舎に響き渡る。
教員たちは肩を丸めて自分の受け持つ教室に向かった。凍える廊下の空気。窓の向こうは吹雪に暗い。
予算が下りないのだという話だった。教育改革は決定事項だったにも関わらず、まだ委員会において予算案が通っていなかったのだそうだ。
教育委員会の不祥事は知っていた。だが、その影響が真っ先に自分たちに及ぶなどとは誰も考えていなかった。
いったい何が起こったのか。いや、たとえ何が起ころうとも、ここまで来ておいて教育改革が不首尾に終わるような事があって良い筈がない。そんな事が許される筈がない。
新任教員たちは不安げに俯いた。万が一このまま教育改革を行えないというのであれば、こんな偏差値の低い、生徒の質の悪い、不幸の連鎖するような高校に勤める意味が、彼らにはないのである。
何故、自分たちがこんな目に会うのか。
笑うのを止めた教員たち。受け持つ教室に戻った彼らは、自分たちを敵視する生徒たちの前で出席簿を開いた。
日野龍弥は胸の内の不安を押し潰そうと高笑いした。龍弥に付いて回る取り巻きたちも声を合わせて笑う。
この高校で良かったと龍弥は笑った。教室に木霊する乾いた声。龍弥から目を背けて俯く他の生徒たち。教室において龍弥に逆らえる者はいない。
もしも母親の言う通りに、私立高校などに通っていたとすれば、自分はより惨めで悲惨な境遇に立たされていた事だろう。龍弥はその姿を想像して戦慄した。
早く何とかしなければ……。
笑い声が大きくなる。
早く親父と、あのクズ野郎と、縁を切らなければ……。
龍弥は、ほとんど会話をした事がない初老の男の顔を思い出して喉を開いた。そして、すぐに開いた喉を閉じる。
縁など切れない。日野隆二は血の繋がった実の父なのである。
じゃあ、どうすればいいのだろうか。ほおっておけばいいのだろうか。知らぬ顔で生きていれば、世間は自分をほおっておいてくれるのだろうか。
教室の端に座る男子生徒がチラリと龍弥を横目に見た。はっと笑うのを止める龍弥。男子生徒の瞳に侮蔑の影を見たのだ。
立ち上がった龍弥は男子生徒に近づいた。龍弥に続く取り巻きたち。
「なぁ小森クン」
「あ……」
「外の雪、凄いよな?」
「え……あ、う、うん、凄いね?」
坊主頭の小森太一は曖昧に頷いた。殴られるのかと怯えていた太一は、龍弥の笑顔にホッと息を吐く。
「小森クンって寒いの平気なの?」
「い、いやあ、僕はあんまり……」
「だよな、実は僕も苦手なんだよ」
「そ、そうなんだ、あはは……」
「まーさ、今年は寒くなりそうだし、一緒に冬を乗り切ろうな?」
「う、うん!」
やっと笑顔を見せる太一。龍弥は目を細めた。
何も持たねぇ凡人以下のゴミクズが、人の苦しみも知らずに楽しそうに笑いやがって……。
太一に背を向ける龍弥。彼は、坊主頭の小柄なクラスメイトが凍った地面に突っ伏す惨めな姿を想像して、一人ほくそ笑んだ。
許さねぇぞ……。親父もお袋も、馬鹿な教員共も、生きる価値のねぇコイツらも、全員に同じような苦しみを味合わせてやる……。
白髪の老婆が前を通ると龍弥は無意識に横に避ける。廊下の先に吉沢由里のダークブロンドを見た龍弥は、ニヤリとイヤらしい笑みを浮かべた。いつか、近いうちに、必ず復讐してやる、と。隣で首を傾げるショートボブの女生徒に、龍弥は気が付かない。
今までに感じた事の無い激しい怒りだった。抗えない厄災への怒り。自分以外の者たちの罪に対する怒り。
2年A組に足を踏み入れた龍弥は騒がしい教室を見渡した。突然現れた厄災に慌てて俯く2年A組の生徒たち。
教室の隅で俯く小太りの男子生徒を見つけた龍弥は、その側に歩み寄った。
「おい」
顔を上げる武藤健太。痙攣する丸い顔。
その胸ぐらを掴んで立ち上がらせた龍弥は、取り巻きの一人に健太の顔写真を撮らせた。
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