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三章 正編
八話 喧騒
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ルイーズは悠然とした足取りで、喧騒の源へと向かっていった。
騒ぎの中心にいたのはラシェル。
そして彼女の両脇にはレナルドとルベン、さらに取り巻きと化した男子生徒数名が控えており、彼らは一様にソレンヌと向かい合っていた。
「どうしてダメなんですか!」
ラシェルの語気強い声が店内に響き渡る。
「ですから、現在は留学生の方々をお迎えしている最中なのです。テラス席は貸切となっており、わたくしたちが場所を移動し次第、開放されます。それまでしばらくお待ちくださいませ」
ソレンヌは変わらぬ冷静さで、丁寧に状況を説明する。
「でも、留学生の方々だってこれからこの学園の生徒になるんですよね? だったら、同じ生徒同士、今からでも一緒に交流してもいいじゃないですか!」
ラシェルの言葉に、ルイーズは静かに溜息をついた。
なるほど。ラシェルの声の大きさのおかげで、騒ぎの大体の原因は把握できた。
どうやらラシェルたちはテラス席に出ようとしていたようだが、それをソレンヌが止めていたのだ。
現在、テラス席は留学生の歓迎を目的とした接待のため、関係者以外の立ち入りは制限されている。しかも、彼らはこの後、構内の案内へと移る予定なのだ。
店を出るまでは、誰であれテラス席に立ち入ることは許されない。
「ソレンヌ、僕も留学生の方々にご挨拶をしたいと思っている。それなら、テラスに出ることも問題ないだろう?」
ラシェルの主張を後押しするように、隣にいたレナルドが口を開いた。
「申し訳ございません、レナルド殿下。ですが、留学生の方々と殿下、ならびにルベン殿下との面会は、すでに別途お時間が設けられております」
ソレンヌは静かに頭を下げ、穏やかにしかしはっきりと断る。
留学生の中でも、特にロラン殿下、デジレ殿下、ロマーヌ殿下といった他国の王族との面会は、国王陛下と外務卿の判断により、別途正式に日程が組まれていた。
というのも、ストレンジ学園でのレナルドとルベンの普段の言動を考慮した結果、彼らとの不用意な接触によって何らかの問題が起こる可能性があると懸念されたのだ。
留学生たちの入国は一昨日のこと。
昨日は外務卿とドナシアン王子が、彼らに学園生活やカリキュラムについて説明し、さらに学園外の主要機関である騎士団およびストレンジ騎士団の視察に同行していた。
そのためレナルドたちとの顔合わせは後回しになっていたが、明日には学園外にて正式な機会が設けられる予定となっている。
「今日でも明日でも、挨拶なんていつしたって変わらないじゃん。それに、どうせここにいるんだから、向こうだって早く済ませた方が楽でしょ」
ルベンが軽い調子でそう言い放った、その瞬間。
「お話中、失礼致します。ドナシアン殿下のご命令により、ソレンヌ嬢をお迎えに参りました」
その言葉に被せるように、ルイーズが静かに口を開いた。
ルベンとレナルドが前に出てくる以上、話が平行線になるのは目に見えている。
ソレンヌだけに任せるには荷が重いと判断したルイーズが、ついに一歩を踏み出したのだ。
「わたくし共は、まもなくテラス席を立ちます。ですので、留学生の方々をご案内した後は、どうぞご自由にお使いくださいませ。ただ、留学生の皆様にはこの後もご予定が詰まっておりますの。これ以上お引き留めしては申し訳が立ちませんので、わたくし共はこれにて失礼いたします」
丁寧な口調でありながら、ルイーズの言葉には明確な拒絶の意志が含まれていた。
ルベンの提案に対し、説明を添えながら自然に断りを入れた形である。そしてそのままソレンヌを連れ、場を離れようとしたその時──
「ちょっと待ってください!」
ラシェルの声が、ルイーズの背にかかる。
「……まだ、何か?」
ルイーズは振り返り、静かに顔を上げた。
その瞳は、氷のように冷たく、声音も普段よりも低く抑えられていた。淡々としたその態度に、ラシェルは肩をびくりと震わせる。
彼女にとって、ルイーズは明確な“苦手”だった。
初対面の日以来、ルイーズの冷ややかな眼差しと容赦ない態度に、彼女は圧倒され続けている。
それは周囲の生徒の誰もが知る事実であり、大半は「ラシェルの自業自得」として扱っている。
しかし、中にはそうは思っていない者たちもいる。
「ルイーズ、ラシェルを睨むなって、何度言ったら分かるんだ!」
ルベンがルイーズの前に立ちはだかり、苛立ちをあらわにして声を荒げた。
他の取り巻きたちも、同調するようにルイーズへと非難の目を向ける。
だが、ルイーズは表情一つ変えず、ただ一言だけ返した。
「睨んでなどおりませんわ。ですが、そのように見えたのでしたら、申し訳ございません。なにぶん、生まれつきこのような顔立ちと目つきなものでして」
その声音には、感情が一切含まれていない。
普段のルイーズは、相手が庶民であれ貴族であれ、分け隔てなく優しい笑みを浮かべて接している。しかし、彼らに対してだけは別だった。
ラシェルやルベンたちと接する時、ルイーズの顔からは笑みが消える。
仮に口元がほころんでいたとしても、その目の奥は決して笑ってはいない。
「なんでルイーズ嬢は、いつも私にそう突っかかるんですか!?私のことが嫌いだからですか!?」
ラシェルの声が響いた瞬間、ルイーズは軽い眩暈を覚えた。
貴女が、それを言うのか。と内心、そう呟きながらも表情には出さない。
確かに、ルイーズもラシェルを好いてはいない。だが、それはラシェルが転生者だろうと、男子生徒を惹きつける存在だろうと、そんなことはルイーズにとってどうでもいいのだ。
ただ一つ、彼女が嫌悪するのは、大切な人たちを傷つける者の存在だけ。
ラシェルの取り巻きの一人にはレナルドがいる。そして、ソレンヌは彼に淡い恋心を抱いている。
自然と、ソレンヌとラシェルは関わらざるを得ない立場にあった。
けれど、常に先に突っかかっているのはラシェルの方だ。ソレンヌがレナルドを呼びに来るたび、棘を含んだ言葉で牽制してくる。
ルイーズが間に入るのは、そのソレンヌを守るため。
大切な友人を、理不尽な悪意から庇いたいと思うのは当然のことだった。
それでもラシェルは、自分が「被害者」だと信じて疑わないらしい。
「好きとか嫌いとか、そういう次元の話ではありませんわ。どうして、わたくしがここにいるのか、お分かりになりませんの?」
「私に文句を言うため、ですよね」
短絡的なその返答に、ルイーズは深いため息をつきそうになるのを堪えた。
それはあまりに稚拙で、会話として成り立っていない。
「文句……そうですわね。結果として“注意”という形になりましたが、わたくしがここに来たのは、ただソレンヌを迎えに来ただけですわ」
本来の目的は、ただそれだけ。
無意味な言い争いをするつもりなど、最初からない。
ラシェルが声を掛けなければ、ソレンヌを連れてこの場を離れるだけだった。
──話が通じない。
そう思った瞬間、ルイーズは心の中で静かに匙を投げた。
この相手に言葉を尽くすことは、時間の浪費でしかない。あまりの話の通じなさに、貝になろう。そう思うほど、無力感に近い感情が押し寄せてくる。
「ソレンヌは、留学生の方々が揃われるまで他の生徒がテラス席に出ることを止めいただいておりましたが、もはやその必要はございません。わたくし共はすぐに次の場所へ移動いたしますので、移動が完了次第、どうぞご自由にテラス席をご利用くださいませ」
ルイーズは、最初に述べた内容を再度繰り返した。
それは、これ以上の対話を望まないという彼女なりの“終わりの合図”だった。
「ラシェル、良かったな。これでテラス席に行けるぞ」
「邪魔者もいなくなるみたいだし、ゆっくりできるね」
ようやくルイーズの言葉の意味を理解したのか、レナルドとルベンは安堵したように、ラシェルへと向き直って言った。
その言葉に、ソレンヌはピクリと眉を寄せ、唇をきゅっと引き結ぶ。
恐らく、この場にルイーズとエドしかいなければ、彼女は泣いていたかもしれない。
恋する気持ちは、誰かと比べて優劣がつくものではない。
その想いが踏みにじられるのを見て、ルイーズの胸は酷く痛んだ。
ソレンヌの感情を思えば思うほど、ルイーズはその場を一刻も早く離れたくなった。
「さあ、ソレンヌ。参りましょう。留学生の方々をお待たせしてはなりませんわ」
「はい。ルイーズ様には、わざわざお迎えに来ていただいて申し訳ありません」
ソレンヌの声は穏やかだが、微かに張りつめていた。
けれど、次の瞬間にはほっとしたように表情が和らいだのが、ルイーズの目にもはっきりと分かった。
──よく、一人で耐えてくれましたわね。
その姿に、ルイーズは自然と歩を進める。これ以上、彼女の心が傷つけられるのを見たくなかった。
「それでは、皆様。失礼いたしますわ」
ルイーズとソレンヌは一礼し、そのままテラス席へ向かう。
ほんの数分のやり取りだったというのに、体力の半分が削られたような疲労感が全身にのしかかる。
「ちょっと待って!それじゃ意味ないじゃない!」
背後から、甲高い声が響いた
レナルドとルベンの言葉を振り切り、ラシェルがまたしても声を張り上げる。
──まったく、学ばない人ですこと。
深く息を吐きそうになるのを、ルイーズは理性で押しとどめた。
その場でため息をつけば、まるで相手と同じ土俵に立つようで、それすらもくだらなく感じた。
あの手の人間は、自分の言葉が誰にどう響いているのか、一切顧みない。
そして、自分が“悪者”にされたときだけ、殊更に被害者ぶるのだ。
いい加減にしてほしい、と何度思ったことだろう。
ルイーズは立ち止まりかけたソレンヌの袖をそっと引き、小声で囁いた。
「足を止めてはなりません」
ソレンヌはわずかに頷き、振り返るのを思いとどまる。二人は再び静かに歩き出した。
本来、貴族である彼女たちが平民の制止に耳を貸す必要などない。
店内にいた学生たちも、足を止めないルイーズとソレンヌにではなく、声を張り上げたラシェルとその取り巻きたちに冷ややかな視線を向けていた。
しかし、彼女らはそうした周囲の空気に気づく様子もなく、まるで自分たちの振る舞いが当然であるかのように振る舞っている。
視線の痛さにも、ささやかれる陰口にも、一切鈍感。あるいは気づいていながら、気づかないふりをしているのか。
「無視するなんて、酷いわ!私が庶民だから、馬鹿にしてるんでしょ!」
ルイーズたちは歩き出したばかりで、まだそれほど距離は離れていないというのに、ラシェルは店内に響き渡るほどの大声で叫んだ。
その言葉には、被害者ぶった芝居がかった響きがあり、あからさまに悲劇のヒロインを演じているのが見え透いていた。
──何を言っているんだ、こいつは。
そんな心の声が、店内のあちこちから聞こえてきそうなほど、周囲の視線は冷ややかだった。まるで寒気が走るような、場違いな熱量と自己憐憫に満ちた言動。
彼女の振る舞いはひどく浮いていた。
「可哀想なラシェル」
「血も涙もない女だ」
「権力を振り翳すことは禁止されているのに彼女達は知らないのか」
「聡明だ何だと持て囃されて図に乗ってるんだろう」
取り巻き達のヒソヒソとした声が漏れ聞こえてきた。
明らかに聞こえる距離で、それでも“陰口”の体裁を保っているつもりなのだろう。声を潜めていれば許されるとでも思っているのか、なんとも浅はかなことだ。
──今、発言した奴覚えたからな。後で覚えとけよ。
苛立ちは胸の奥に押し込み、陰口には表情一つ変えず、涼しい顔で歩みを進める。
だが、ちらりと横に目をやった先に見えたソレンヌの悲しげな横顔が、胸の奥に火を点けた。
礼を欠いた愚か者たちに正しい“序列”を教えるために、取り巻きの男子生徒たちへの軽い報復。いや、教育と言い換えてもいい。
それを近いうちに、きちんと実行に移すことに決めた。
「ソレンヌ!」
「ルイーズ!」
レナルドとルベンの呼び掛けに、足を止めざるを得なかった。
流石に王子の制止を無視するわけにはいかない。
「ソレンヌ、無視するとはなんて酷い女なんだ」
「ルイーズも、身分を笠に着た態度を取るとは、性根が腐ってるぞ」
ルベンの発言にいつ身分を笠に着たのかと憤りが込み上げてくる。
だが、隣に立つソレンヌの手が震えているのを見て、怒りを抑えた。
「私がついてるわ」
短くソレンヌに伝え、ルイーズは彼らを振り返る。
「では、ラシェル嬢、もう一度お聞きしますが、先程の意味が無いとはどういう事でございましょうか?ラシェル嬢とレナルド殿下、ルベン殿下、そしてお連れ様方はテラス席で飲食をしたくて、ソレンヌ嬢の言葉を『無視して』騒いでおられたのでしょう?」
本当に、この人たちは自分の言動がいかに愚かなのか、理解していないのだろうか。目出度い頭をしている。
「なっ…貴様、無礼だぞ」
レナルドが顔を真っ赤にして憤る。その姿を見て、ルイーズは呆れたように眉をひそめた。
彼はここまで馬鹿だっただろうかと。
ルベンは幼少期から我儘で、愚者の模範のような人物だと認識しているが、レナルドは今まで共に過ごしてきた中でも、愚かではあったが、ここまで馬鹿な男ではなかったはずだ。
「無礼とは、何がでございましょうか。ラシェル嬢とレナルド殿下が先程口にされた言葉を、私も使用しただけなのですが。何か、間違ったことを言いましたでしょうか?」
その言葉に、彼らは言葉に詰まる。
言葉に詰まるくらいなら、最初からブーメラン発言しなければ良いのに、と思う。
だが、どうやら脳内が花畑と化した者達には、理解する気力もないようだ。
「王族である僕達に向かって、なんだその態度は!」
お馬鹿な発言を堂々と発するルベン。
──貴方、今さっき自分で言ったことも忘れたんですか。
その一言が口から出そうになるのを、必死に飲み込む。
舌戦で負ける気はしないが、自分の発言や行動を顧みない脳内花畑達と、いちいち言い合う気力はない。
平行線どころか、斜め上の発言をしてくる相手に、理解させようとするだけ無駄だ。
それならば、自分が悪者にされようが、さっさと話に終止符を打ったほうがいい。
「これは、大変失礼致しましたわ。ですが、今一度ご自身の発言を鑑みて頂きたかっただけですの。出過ぎた真似を致しましたわ」
「不愉快だ!さっさとこの場から去れ!」
ルベンの発言に、ルイーズは頭を下げたまま、口元をほんの少し上げた。
王子からの発言、つまりは臣下に対する命令でもある。
「承知致しました。御前、失礼致します」
ルベンに向かってカーテシーをして受け入れ、ソレンヌに声を掛ける。
「行きましょう。」
ソレンヌも慌ててカーテシーをし、再びテラスへと歩き出そうとした。
「待ってください!」
──ああ、本当にイライラする。
誰かの存在自体が、こんなに嫌悪感を抱かせる日が来るなんて、思ってもみなかった。
彼女の存在そのものが、ルイーズの心に強く拒否反応を起こさせていた。
怒りで表情筋が固まり、瞳の熱も光も失せていく。
「ルイーズ嬢にソレンヌ嬢、こんな所におられたのですね。無事、貴女達を見つけることが出来て良かった」
その声に、殺伐とした空気が割られ、振り返ると、テラス席にいたはずの人物が二人、
ルイーズとソレンヌの元へと歩み寄って来る姿が見えた。
騒ぎの中心にいたのはラシェル。
そして彼女の両脇にはレナルドとルベン、さらに取り巻きと化した男子生徒数名が控えており、彼らは一様にソレンヌと向かい合っていた。
「どうしてダメなんですか!」
ラシェルの語気強い声が店内に響き渡る。
「ですから、現在は留学生の方々をお迎えしている最中なのです。テラス席は貸切となっており、わたくしたちが場所を移動し次第、開放されます。それまでしばらくお待ちくださいませ」
ソレンヌは変わらぬ冷静さで、丁寧に状況を説明する。
「でも、留学生の方々だってこれからこの学園の生徒になるんですよね? だったら、同じ生徒同士、今からでも一緒に交流してもいいじゃないですか!」
ラシェルの言葉に、ルイーズは静かに溜息をついた。
なるほど。ラシェルの声の大きさのおかげで、騒ぎの大体の原因は把握できた。
どうやらラシェルたちはテラス席に出ようとしていたようだが、それをソレンヌが止めていたのだ。
現在、テラス席は留学生の歓迎を目的とした接待のため、関係者以外の立ち入りは制限されている。しかも、彼らはこの後、構内の案内へと移る予定なのだ。
店を出るまでは、誰であれテラス席に立ち入ることは許されない。
「ソレンヌ、僕も留学生の方々にご挨拶をしたいと思っている。それなら、テラスに出ることも問題ないだろう?」
ラシェルの主張を後押しするように、隣にいたレナルドが口を開いた。
「申し訳ございません、レナルド殿下。ですが、留学生の方々と殿下、ならびにルベン殿下との面会は、すでに別途お時間が設けられております」
ソレンヌは静かに頭を下げ、穏やかにしかしはっきりと断る。
留学生の中でも、特にロラン殿下、デジレ殿下、ロマーヌ殿下といった他国の王族との面会は、国王陛下と外務卿の判断により、別途正式に日程が組まれていた。
というのも、ストレンジ学園でのレナルドとルベンの普段の言動を考慮した結果、彼らとの不用意な接触によって何らかの問題が起こる可能性があると懸念されたのだ。
留学生たちの入国は一昨日のこと。
昨日は外務卿とドナシアン王子が、彼らに学園生活やカリキュラムについて説明し、さらに学園外の主要機関である騎士団およびストレンジ騎士団の視察に同行していた。
そのためレナルドたちとの顔合わせは後回しになっていたが、明日には学園外にて正式な機会が設けられる予定となっている。
「今日でも明日でも、挨拶なんていつしたって変わらないじゃん。それに、どうせここにいるんだから、向こうだって早く済ませた方が楽でしょ」
ルベンが軽い調子でそう言い放った、その瞬間。
「お話中、失礼致します。ドナシアン殿下のご命令により、ソレンヌ嬢をお迎えに参りました」
その言葉に被せるように、ルイーズが静かに口を開いた。
ルベンとレナルドが前に出てくる以上、話が平行線になるのは目に見えている。
ソレンヌだけに任せるには荷が重いと判断したルイーズが、ついに一歩を踏み出したのだ。
「わたくし共は、まもなくテラス席を立ちます。ですので、留学生の方々をご案内した後は、どうぞご自由にお使いくださいませ。ただ、留学生の皆様にはこの後もご予定が詰まっておりますの。これ以上お引き留めしては申し訳が立ちませんので、わたくし共はこれにて失礼いたします」
丁寧な口調でありながら、ルイーズの言葉には明確な拒絶の意志が含まれていた。
ルベンの提案に対し、説明を添えながら自然に断りを入れた形である。そしてそのままソレンヌを連れ、場を離れようとしたその時──
「ちょっと待ってください!」
ラシェルの声が、ルイーズの背にかかる。
「……まだ、何か?」
ルイーズは振り返り、静かに顔を上げた。
その瞳は、氷のように冷たく、声音も普段よりも低く抑えられていた。淡々としたその態度に、ラシェルは肩をびくりと震わせる。
彼女にとって、ルイーズは明確な“苦手”だった。
初対面の日以来、ルイーズの冷ややかな眼差しと容赦ない態度に、彼女は圧倒され続けている。
それは周囲の生徒の誰もが知る事実であり、大半は「ラシェルの自業自得」として扱っている。
しかし、中にはそうは思っていない者たちもいる。
「ルイーズ、ラシェルを睨むなって、何度言ったら分かるんだ!」
ルベンがルイーズの前に立ちはだかり、苛立ちをあらわにして声を荒げた。
他の取り巻きたちも、同調するようにルイーズへと非難の目を向ける。
だが、ルイーズは表情一つ変えず、ただ一言だけ返した。
「睨んでなどおりませんわ。ですが、そのように見えたのでしたら、申し訳ございません。なにぶん、生まれつきこのような顔立ちと目つきなものでして」
その声音には、感情が一切含まれていない。
普段のルイーズは、相手が庶民であれ貴族であれ、分け隔てなく優しい笑みを浮かべて接している。しかし、彼らに対してだけは別だった。
ラシェルやルベンたちと接する時、ルイーズの顔からは笑みが消える。
仮に口元がほころんでいたとしても、その目の奥は決して笑ってはいない。
「なんでルイーズ嬢は、いつも私にそう突っかかるんですか!?私のことが嫌いだからですか!?」
ラシェルの声が響いた瞬間、ルイーズは軽い眩暈を覚えた。
貴女が、それを言うのか。と内心、そう呟きながらも表情には出さない。
確かに、ルイーズもラシェルを好いてはいない。だが、それはラシェルが転生者だろうと、男子生徒を惹きつける存在だろうと、そんなことはルイーズにとってどうでもいいのだ。
ただ一つ、彼女が嫌悪するのは、大切な人たちを傷つける者の存在だけ。
ラシェルの取り巻きの一人にはレナルドがいる。そして、ソレンヌは彼に淡い恋心を抱いている。
自然と、ソレンヌとラシェルは関わらざるを得ない立場にあった。
けれど、常に先に突っかかっているのはラシェルの方だ。ソレンヌがレナルドを呼びに来るたび、棘を含んだ言葉で牽制してくる。
ルイーズが間に入るのは、そのソレンヌを守るため。
大切な友人を、理不尽な悪意から庇いたいと思うのは当然のことだった。
それでもラシェルは、自分が「被害者」だと信じて疑わないらしい。
「好きとか嫌いとか、そういう次元の話ではありませんわ。どうして、わたくしがここにいるのか、お分かりになりませんの?」
「私に文句を言うため、ですよね」
短絡的なその返答に、ルイーズは深いため息をつきそうになるのを堪えた。
それはあまりに稚拙で、会話として成り立っていない。
「文句……そうですわね。結果として“注意”という形になりましたが、わたくしがここに来たのは、ただソレンヌを迎えに来ただけですわ」
本来の目的は、ただそれだけ。
無意味な言い争いをするつもりなど、最初からない。
ラシェルが声を掛けなければ、ソレンヌを連れてこの場を離れるだけだった。
──話が通じない。
そう思った瞬間、ルイーズは心の中で静かに匙を投げた。
この相手に言葉を尽くすことは、時間の浪費でしかない。あまりの話の通じなさに、貝になろう。そう思うほど、無力感に近い感情が押し寄せてくる。
「ソレンヌは、留学生の方々が揃われるまで他の生徒がテラス席に出ることを止めいただいておりましたが、もはやその必要はございません。わたくし共はすぐに次の場所へ移動いたしますので、移動が完了次第、どうぞご自由にテラス席をご利用くださいませ」
ルイーズは、最初に述べた内容を再度繰り返した。
それは、これ以上の対話を望まないという彼女なりの“終わりの合図”だった。
「ラシェル、良かったな。これでテラス席に行けるぞ」
「邪魔者もいなくなるみたいだし、ゆっくりできるね」
ようやくルイーズの言葉の意味を理解したのか、レナルドとルベンは安堵したように、ラシェルへと向き直って言った。
その言葉に、ソレンヌはピクリと眉を寄せ、唇をきゅっと引き結ぶ。
恐らく、この場にルイーズとエドしかいなければ、彼女は泣いていたかもしれない。
恋する気持ちは、誰かと比べて優劣がつくものではない。
その想いが踏みにじられるのを見て、ルイーズの胸は酷く痛んだ。
ソレンヌの感情を思えば思うほど、ルイーズはその場を一刻も早く離れたくなった。
「さあ、ソレンヌ。参りましょう。留学生の方々をお待たせしてはなりませんわ」
「はい。ルイーズ様には、わざわざお迎えに来ていただいて申し訳ありません」
ソレンヌの声は穏やかだが、微かに張りつめていた。
けれど、次の瞬間にはほっとしたように表情が和らいだのが、ルイーズの目にもはっきりと分かった。
──よく、一人で耐えてくれましたわね。
その姿に、ルイーズは自然と歩を進める。これ以上、彼女の心が傷つけられるのを見たくなかった。
「それでは、皆様。失礼いたしますわ」
ルイーズとソレンヌは一礼し、そのままテラス席へ向かう。
ほんの数分のやり取りだったというのに、体力の半分が削られたような疲労感が全身にのしかかる。
「ちょっと待って!それじゃ意味ないじゃない!」
背後から、甲高い声が響いた
レナルドとルベンの言葉を振り切り、ラシェルがまたしても声を張り上げる。
──まったく、学ばない人ですこと。
深く息を吐きそうになるのを、ルイーズは理性で押しとどめた。
その場でため息をつけば、まるで相手と同じ土俵に立つようで、それすらもくだらなく感じた。
あの手の人間は、自分の言葉が誰にどう響いているのか、一切顧みない。
そして、自分が“悪者”にされたときだけ、殊更に被害者ぶるのだ。
いい加減にしてほしい、と何度思ったことだろう。
ルイーズは立ち止まりかけたソレンヌの袖をそっと引き、小声で囁いた。
「足を止めてはなりません」
ソレンヌはわずかに頷き、振り返るのを思いとどまる。二人は再び静かに歩き出した。
本来、貴族である彼女たちが平民の制止に耳を貸す必要などない。
店内にいた学生たちも、足を止めないルイーズとソレンヌにではなく、声を張り上げたラシェルとその取り巻きたちに冷ややかな視線を向けていた。
しかし、彼女らはそうした周囲の空気に気づく様子もなく、まるで自分たちの振る舞いが当然であるかのように振る舞っている。
視線の痛さにも、ささやかれる陰口にも、一切鈍感。あるいは気づいていながら、気づかないふりをしているのか。
「無視するなんて、酷いわ!私が庶民だから、馬鹿にしてるんでしょ!」
ルイーズたちは歩き出したばかりで、まだそれほど距離は離れていないというのに、ラシェルは店内に響き渡るほどの大声で叫んだ。
その言葉には、被害者ぶった芝居がかった響きがあり、あからさまに悲劇のヒロインを演じているのが見え透いていた。
──何を言っているんだ、こいつは。
そんな心の声が、店内のあちこちから聞こえてきそうなほど、周囲の視線は冷ややかだった。まるで寒気が走るような、場違いな熱量と自己憐憫に満ちた言動。
彼女の振る舞いはひどく浮いていた。
「可哀想なラシェル」
「血も涙もない女だ」
「権力を振り翳すことは禁止されているのに彼女達は知らないのか」
「聡明だ何だと持て囃されて図に乗ってるんだろう」
取り巻き達のヒソヒソとした声が漏れ聞こえてきた。
明らかに聞こえる距離で、それでも“陰口”の体裁を保っているつもりなのだろう。声を潜めていれば許されるとでも思っているのか、なんとも浅はかなことだ。
──今、発言した奴覚えたからな。後で覚えとけよ。
苛立ちは胸の奥に押し込み、陰口には表情一つ変えず、涼しい顔で歩みを進める。
だが、ちらりと横に目をやった先に見えたソレンヌの悲しげな横顔が、胸の奥に火を点けた。
礼を欠いた愚か者たちに正しい“序列”を教えるために、取り巻きの男子生徒たちへの軽い報復。いや、教育と言い換えてもいい。
それを近いうちに、きちんと実行に移すことに決めた。
「ソレンヌ!」
「ルイーズ!」
レナルドとルベンの呼び掛けに、足を止めざるを得なかった。
流石に王子の制止を無視するわけにはいかない。
「ソレンヌ、無視するとはなんて酷い女なんだ」
「ルイーズも、身分を笠に着た態度を取るとは、性根が腐ってるぞ」
ルベンの発言にいつ身分を笠に着たのかと憤りが込み上げてくる。
だが、隣に立つソレンヌの手が震えているのを見て、怒りを抑えた。
「私がついてるわ」
短くソレンヌに伝え、ルイーズは彼らを振り返る。
「では、ラシェル嬢、もう一度お聞きしますが、先程の意味が無いとはどういう事でございましょうか?ラシェル嬢とレナルド殿下、ルベン殿下、そしてお連れ様方はテラス席で飲食をしたくて、ソレンヌ嬢の言葉を『無視して』騒いでおられたのでしょう?」
本当に、この人たちは自分の言動がいかに愚かなのか、理解していないのだろうか。目出度い頭をしている。
「なっ…貴様、無礼だぞ」
レナルドが顔を真っ赤にして憤る。その姿を見て、ルイーズは呆れたように眉をひそめた。
彼はここまで馬鹿だっただろうかと。
ルベンは幼少期から我儘で、愚者の模範のような人物だと認識しているが、レナルドは今まで共に過ごしてきた中でも、愚かではあったが、ここまで馬鹿な男ではなかったはずだ。
「無礼とは、何がでございましょうか。ラシェル嬢とレナルド殿下が先程口にされた言葉を、私も使用しただけなのですが。何か、間違ったことを言いましたでしょうか?」
その言葉に、彼らは言葉に詰まる。
言葉に詰まるくらいなら、最初からブーメラン発言しなければ良いのに、と思う。
だが、どうやら脳内が花畑と化した者達には、理解する気力もないようだ。
「王族である僕達に向かって、なんだその態度は!」
お馬鹿な発言を堂々と発するルベン。
──貴方、今さっき自分で言ったことも忘れたんですか。
その一言が口から出そうになるのを、必死に飲み込む。
舌戦で負ける気はしないが、自分の発言や行動を顧みない脳内花畑達と、いちいち言い合う気力はない。
平行線どころか、斜め上の発言をしてくる相手に、理解させようとするだけ無駄だ。
それならば、自分が悪者にされようが、さっさと話に終止符を打ったほうがいい。
「これは、大変失礼致しましたわ。ですが、今一度ご自身の発言を鑑みて頂きたかっただけですの。出過ぎた真似を致しましたわ」
「不愉快だ!さっさとこの場から去れ!」
ルベンの発言に、ルイーズは頭を下げたまま、口元をほんの少し上げた。
王子からの発言、つまりは臣下に対する命令でもある。
「承知致しました。御前、失礼致します」
ルベンに向かってカーテシーをして受け入れ、ソレンヌに声を掛ける。
「行きましょう。」
ソレンヌも慌ててカーテシーをし、再びテラスへと歩き出そうとした。
「待ってください!」
──ああ、本当にイライラする。
誰かの存在自体が、こんなに嫌悪感を抱かせる日が来るなんて、思ってもみなかった。
彼女の存在そのものが、ルイーズの心に強く拒否反応を起こさせていた。
怒りで表情筋が固まり、瞳の熱も光も失せていく。
「ルイーズ嬢にソレンヌ嬢、こんな所におられたのですね。無事、貴女達を見つけることが出来て良かった」
その声に、殺伐とした空気が割られ、振り返ると、テラス席にいたはずの人物が二人、
ルイーズとソレンヌの元へと歩み寄って来る姿が見えた。
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