ゼロ・オブ・レディ~前世を思い出したら砂漠に追放され死ぬ寸前でした~

茗裡

文字の大きさ
5 / 66
第一章 邂逅編

断罪と追放

しおりを挟む
 時は流れ、季節はまた巡った。
 十八歳となったレティシアとジークハルトは、王立魔法学園高等部の卒業を間近に控えていた。
 すでに学内では次代を担う若者として注目を集め、王子に近い者たちの名は貴族社会でも常に囁かれていた。

 そんな中、ある新入生が注目を浴びた。
 レティシアの弟セドリック・アーデンである。
 端正な顔立ちと柔和な物腰を持つセドリックは、母である後妻の気品を受け継いでおり、年若ながら魔力にも恵まれ、将来を嘱望され入学早々に人々の関心を集めた。
 だが彼の視線が、いつも一人の少女を追っていることに気づいた者は少なかった。

 それは、マリエル・ノクターン。
 彼女は入学から二年を経て、今や王子や側近、教師たちの信頼を集める存在となっていた。
 人を魅了するその笑顔も、気取らない所作も、誰かを踏み台にすることなく自然と得たものだ。
 マリエルは、人を拒まず、身分の差すら自然と越えてしまうような無垢さで周囲を魅了していた。

 だが、レティシアにとっては、耐え難い光景だった。

 王子の隣に立つべきは、誰よりも努力を重ね、教養も家柄も申し分ない“自分”であるはずだった。
 それなのに、平民出のマリエルが、何の苦もなくその場所を得ているように見えるた。
 人々の視線は彼女に集まり、称賛も信頼も、何もかもを攫っていく。

 婚約者であるジークハルトの態度もまた、レティシアの心を深く傷つけていた。
 かつては傍にいてくれたはずの彼が、いつしか距離を取り始め、代わりにマリエルと過ごす時間が増えていった。
 マリエルが意図して王子に近づいたわけではないことは理解していた。彼女の行動は純粋で、誰を押しのけるでもなく、自然と人々の信頼を集めていったのだろう。

 だが、その「無自覚な純粋さ」こそが、レティシアには恐ろしかった。
 身分を弁えず、それでも堂々と王子の隣に立つ姿。
 まるでそれが当然の権利であるかのような彼女の在り方は、貴族社会に生きるレティシアにとって、耐え難い侮辱だった。

 ──なぜ誰も、彼女を止めないの?
 ──なぜ、ジークハルト様は“私”を見てくださらないの?

 積もる疑問と孤独。それはやがて、彼女自身も気づかぬうちに、嫉妬という名の呪いに変わっていった。
 最初から傷つけようとしたわけではなかった。ただ、あの頃のように戻りたかったのだ。王子の隣に、自分が立てる日々へ。

 けれどその願いが、もはや叶わないと悟ったとき、レティシアはすでに取り返しのつかない場所にいた。
 家柄も才知も備えた自分が差し置かれ、出自の定かでない平民が中心に立つなど、あってはならない。
 そう思った瞬間、彼女の心には嫉妬という言葉すら生ぬるい、暗く重たい執着が根を張っていた。

 嫌がらせは、次第に過激さを増していった。
 マリエルの魔力の記録が改ざんされ、実技試験から除外されかけた。
 彼女が訪れる予定だった教室には、毒の仕込まれた花が飾られていた。
 そしてある日ついに、外部の“不浪人”を通じた暗殺未遂事件が発覚する。

 それは王子の護衛を務める側近・ユリウスの手によって未然に防がれ、事件の全容は静かに、そして着実に明るみに出ていった。
 調査が進む中で、関与した者たちは一人、また一人と捕らえられていく。

 運命の刻は、音を立てて近づいていた。

 ある日の午後。
 王立魔法学園の講堂に、特別召喚の鐘が鳴り響いた。
 王子、側近、教師、そして学園長。
 何も知らず講堂に呼ばれた生徒たちの前に、重々しい空気の中で告げられたのは、驚くべき事実だった。

「レティシア・アーデン。あなたはマリエル・ノクターン嬢に対し、繰り返し悪質な嫌がらせ、妨害、そして──暗殺未遂に関与した容疑により、ここに断罪されます」

 ざわめきが広がる。
 その中心で、レティシアは顔色一つ変えなかった。

「……証拠など、あるはずがありませんわ」

 だが次の瞬間、ユリウスが差し出した魔導結晶により、事実の記録が浮かび上がる。
 証言、証拠、計画図。そして何より、セドリックの言葉。

「……姉さん、どうして……どうしてあんな、真っ直ぐな人を、傷つけようとするんだよ」

 弟の声に、さすがのレティシアも息を呑んだ。
 周囲の視線が、すでに彼女を“貴族令嬢”ではなく“加害者”として見つめていることに、ようやく気づく。

 しかし断罪の声が高まるなか、一部の生徒たちは、どこか釈然としない表情を浮かべていた。
 レティシアの罪は確かに重い。それに異論を挟む余地はない。
 けれど、その根にあった感情に、誰かが真正面から向き合ったことはあったのだろうか。

 ジークハルトは王族としての立場を盾にし、レティシアの想いから目を背け続けた。
 婚約という名の鎖を知りながらも、彼はマリエルへの好意を隠そうとせず、むしろ意図的に彼女を選び続けた。

 マリエルもまた、純粋ゆえに無自覚だった。
 身分の差を意識することなく王子に笑顔を向け、優しさを与え続けた。

 その行動は誰を責めたものではなかった。
 だが、レティシアにとっては、自分の存在を否定されるような日々だった。

 ──努力では、愛されないの?

 誰にも言えなかった、心の奥底の叫びがそこにあった。

 講堂に、威風堂々たる声が響く。現れたのは、アーデン公爵。レティシアの父であった。

「我が娘とはいえ、このような蛮行……断じて許すことはできぬ」
「お父様……!」
「もはやお前に、アーデンの名を名乗る資格はない。レティシア、お前は今日をもって勘当とする」

 膝から崩れ落ちた娘に、一瞥を与えるのみで、彼は無言のまま背を向けた。

 だがその場にいた誰もが、心のどこかで問いかけていた。

 本当に彼女だけが、悪だったのだろうか?

 ジークハルト王子は、心揺れる婚約者にどう向き合ったのか。
 マリエルは、無自覚なまま誰かの居場所を奪っていなかったか。
 誰かが、ほんの少しでもレティシアの痛みに気づいていれば、この結末は違っていたかもしれない。

「罪を償い、己の愚かさを知るがよい。我が名を辱めた報い、その身で受けるがいい」

 その日をもって、レティシア・アーデンは王立魔法学園を退学。
 爵位を剥奪され、家の庇護も失った彼女には、ただ一つの選択肢が突きつけられた。

 辺境の砂漠地帯への追放──

 それは、貴族社会において“死”と等しい意味を持つ処罰。
 政略の道具として磨かれた少女に、もはや救いの手を差し伸べる者はいなかった。

 最後に見たジークハルトの横顔には、確かに迷いがあった。
 だがそれは、もはやレティシアの知る優しき婚約者の面影ではなかった。

 ──愛されたかった。選ばれたかった。ただ、それだけだったのに。

 努力すれば報われると信じていた彼女が、その手で壊してしまったものの大きさに、ようやく気づいたときには、もう遅すぎた。

 講堂の片隅。
 マリエルはそっと涙を拭っていた。

「私は……こんな結末を、望んでなんか……」

 その肩に、そっと王子の手が添えられる。

「君のせいじゃない。……誰よりも、君が傷ついていた」

 マリエルは何も言わず、静かに頷いた。

 

 春が来る。

 けれど、そのぬくもりは、もう一人の少女には届かなかった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

人質から始まった凡庸で優しい王子の英雄譚

咲良喜玖
ファンタジー
アーリア戦記から抜粋。 帝国歴515年。サナリア歴3年。 サナリア王国は、隣国のガルナズン帝国の使者からの通達により、国家滅亡の危機に陥る。 従属せよ。 これを拒否すれば、戦争である。 追い込まれたサナリアには、超大国との戦いには応じられない。 そこで、サナリアの王アハトは、帝国に従属することを決めるのだが。 当然それだけで交渉が終わるわけがなく、従属した証を示せとの命令が下された。 命令の中身。 それは、二人の王子の内のどちらかを選べとの事だった。 出来たばかりの国を守るため。 サナリア王が下した決断は。 第一王子【フュン・メイダルフィア】を人質として送り出す事だった。 フュンは弟に比べて能力が低く、武芸や勉学が出来ない。 彼の良さをあげるとしたら、ただ人に優しいだけ。 そんな人物では、国を背負うことなんて出来ないだろうと。 王が、帝国の人質として選んだのである。 しかし、この人質がきっかけで、長らく続いているアーリア大陸の戦乱の歴史が変わっていく。 西のイーナミア王国。東のガルナズン帝国。 アーリア大陸の歴史を支える二つの巨大国家を揺るがす。 伝説の英雄が誕生することになるのだ。 偉大なる人質。フュンの物語が今始まる。 他サイトにも書いています。 こちらでは、出来るだけシンプルにしていますので、章分けも簡易にして、解説をしているあとがきもありません。 小説だけを読める形にしています。

クロワッサン物語

コダーマ
歴史・時代
 1683年、城塞都市ウィーンはオスマン帝国の大軍に包囲されていた。  第二次ウィーン包囲である。  戦況厳しいウィーンからは皇帝も逃げ出し、市壁の中には守備隊の兵士と市民軍、避難できなかった市民ら一万人弱が立て籠もった。  彼らをまとめ、指揮するウィーン防衛司令官、その名をシュターレンベルクという。  敵の数は三十万。  戦況は絶望的に想えるものの、シュターレンベルクには策があった。  ドナウ河の水運に恵まれたウィーンは、ドナウ艦隊を蔵している。  内陸に位置するオーストリア唯一の海軍だ。  彼らをウィーンの切り札とするのだ。  戦闘には参加させず、外界との唯一の道として、連絡も補給も彼等に依る。  そのうち、ウィーンには厳しい冬が訪れる。  オスマン帝国軍は野営には耐えられまい。  そんなシュターレンベルクの元に届いた報は『ドナウ艦隊の全滅』であった。  もはや、市壁の中にこもって救援を待つしかないウィーンだが、敵軍のシャーヒー砲は、連日、市に降り注いだ。  戦闘、策略、裏切り、絶望──。  シュターレンベルクはウィーンを守り抜けるのか。  第二次ウィーン包囲の二か月間を描いた歴史小説です。

間違えられた番様は、消えました。

夕立悠理
恋愛
※小説家になろう様でも投稿を始めました!お好きなサイトでお読みください※ 竜王の治める国ソフームには、運命の番という存在がある。 運命の番――前世で深く愛しあい、来世も恋人になろうと誓い合った相手のことをさす。特に竜王にとっての「運命の番」は特別で、国に繁栄を与える存在でもある。 「ロイゼ、君は私の運命の番じゃない。だから、選べない」 ずっと慕っていた竜王にそう告げられた、ロイゼ・イーデン。しかし、ロイゼは、知っていた。 ロイゼこそが、竜王の『運命の番』だと。 「エルマ、私の愛しい番」 けれどそれを知らない竜王は、今日もロイゼの親友に愛を囁く。 いつの間にか、ロイゼの呼び名は、ロイゼから番の親友、そして最後は嘘つきに変わっていた。 名前を失くしたロイゼは、消えることにした。

俺は異世界の潤滑油!~油使いに転生した俺は、冒険者ギルドの人間関係だってヌルッヌルに改善しちゃいます~

あけちともあき
ファンタジー
冒険者ナザルは油使い。 魔力を油に変換し、滑らせたり燃やしたりできるユニークスキル持ちだ。 その特殊な能力ゆえ、冒険者パーティのメインメンバーとはならず、様々な状況のピンチヒッターをやって暮らしている。 実は、ナザルは転生者。 とある企業の中間管理職として、人間関係を良好に保つために組織の潤滑油として暗躍していた。 ひょんなことから死んだ彼は、異世界パルメディアに転生し、油使いナザルとなった。 冒険者の街、アーランには様々な事件が舞い込む。 それに伴って、たくさんの人々がやってくる。 もちろん、それだけの数のトラブルも来るし、いざこざだってある。 ナザルはその能力で事件解決の手伝いをし、生前の潤滑油スキルで人間関係改善のお手伝いをする。 冒険者に、街の皆さん、あるいはギルドの隅にいつもいる、安楽椅子冒険者のハーフエルフ。 ナザルと様々なキャラクターたちが織りなす、楽しいファンタジー日常劇。

フィライン・エデン Ⅰ

夜市彼乃
ファンタジー
高校入学直前、一年前に時間が巻き戻ったことに気づいた、中学三年生の雷奈達。 謎を探っていた彼女らの前に現れたのは、しゃべる二匹の猫だった。 「フィライン・エデン」から来たという彼らは、人間との交流を図るとともに、この現象を明らかにするべく、パートナー関係になりたいという。「人間以外の動物が人間以上の存在になる世界」フィライン・エデンと人間界を舞台に、不思議な猫達との非日常な日常が始まる!

和風ファンタジー世界にて、最強の武士団の一員になる!

烏丸英
ファンタジー
高校2年生の不良男子、虎藤燈。 彼はある日、クラスメイトや教師たちと共に、通っている学校ごと異世界に呼び寄せられてしまう。 召喚先である『大和国』にて、仲間たちが妖と呼ばれる化物たちと戦う英雄として期待を寄せられる中、クラスでたった1人だけその素質が認められなかった燈は、他の落伍者たちと共に下働き組として劣悪な環境下で働き続ける日々を送ることになる。 だが、彼の悲劇はそこで終わらない。 悪意あるクラスメイトが燈を疎み、その命を奪う計画を実行したのだ。 仲間たちに裏切られ、暗い奈落の底に落ちた燈は、自分を陥れた奴らへの復讐を誓う。 そんな燈を救った刀匠『宗正』は、燈自身も気が付いていなかった彼の並外れた才能を指摘すると共に、こう告げるのであった。 「その力を使い、妖の被害に苦しむ人々を救え。それがお前の復讐だ」 ※タイトル、タグ、文章や校正力、その他諸々の点に関して、もっとこうしたらいいのではないか? というご意見がありましたら遠慮なくご教授ください。 より良い作品を作るため、皆さんのご意見を頂いて成長していきたいと思っています。どうぞ、よろしくお願いいたします。 ※カクヨムさんの方でも投稿しています。 そちらの方は5章まで進んでおりますので、興味を持った方は読んでいただけると嬉しいです。

【草】の錬金術師は辺境の地で【薬屋】をしながらスローライフを楽しみたい!

雪奈 水無月
ファンタジー
山と愛犬を愛する三十二歳サラリーマン・山神慎太郎。 愛犬を庇って命を落とした彼は、女神の手によって異世界へ転生する。 ――ただし、十五歳の少女・ネムとして。 授けられた能力は【草限定の錬金術】。 使える素材は草のみ。 しかしその草は、回復薬にも、武器にも、時には常識外れの奇跡を生み出す。 新しい身体に戸惑いながらも、 「生きていること」そのものを大切にするネムは、静かに世界を歩き始める。 弱そう? 地味? いいえ――草は世界に最も溢れる“最強素材”。 草を極めた少女が、やがて世界の常識を塗り替える。 最弱素材から始まる、成り上がり異世界ファンタジー!

さようなら、たったひとつの

あんど もあ
ファンタジー
メアリは、10年間婚約したディーゴから婚約解消される。 大人しく身を引いたメアリだが、ディーゴは翌日から寝込んでしまい…。

処理中です...