ゼロ・オブ・レディ~前世を思い出したら砂漠に追放され死ぬ寸前でした~

茗裡

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第二章 魔ノ胎動編

魔界生息魔獣ヴァルゴイア

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 村の中央広場に、村人たちと商隊の面々が集まった。
 ティアは少し緊張しながら、皆の前に立つ。

「水の問題を、解決できるかもしれません。ダムを作って、水を溜めて、村まで導くんです。魔法と、知識と、みんなの力があれば……きっとできます」

 一瞬の沈黙ののち、どこかから拍手が起こり、やがて広場中に広がった。
 誰もが水を欲している。その希望に、村人たちは沸き立った。
 安堵と期待がないまぜになった空気が、ゆっくりと場を包んでいく。
 そのときだった。
 広場の外から、血相を変えた若者が駆け込んできた。

「た、大変だ!水場に行ってたバロスさんが、怪我して戻ってきた!」

 すぐさま人々が駆け寄り、血に染まった男を抱えて運び込む。
 肩から胸元にかけて、大きな裂傷が走っていた。服は破れ、肉が裂け、血が止まらない。
 男はかすかに口を動かした。

「……やつが……また……あいつが……」

 それだけ言うと、意識を失った。
 騒然とする広場。希望に満ちていた空気が、一瞬で冷え切る。
 やがて、杖を突いた長老が、静かに前に出た。

「ダムを作るのは、やめた方がいい」

 その言葉は、場の熱を一気に冷ました。

「……どうして?」

 ティアが思わず問いかけると、長老は深くため息をついた。

「泉には、昔から魔獣が棲みついておる。姿を現すのは年に数度。めったに出てこないが、出たときには、必ず誰かが傷を負う。今回は……運が悪かった」

 重い沈黙が降りる。

「だが、あの泉はまだ生きている水源じゃ。村の誰かが、毎日交代で水を汲みに行っておる。慎重に行けば、襲われることも少ない。今までは、そうしてやりくりしてきた」
「でも、それでは根本的な解決にはならないわ」

 ティアは、必死に食い下がる。

「距離も遠いし、水の量も限られてる。毎日誰かが危険を冒さなきゃいけないなんて……そんなの、もう終わりにしなきゃ」

 長老は、ティアの目をじっと見つめた。

「お主らが、魔獣を倒せるとでも言うのか?」

 その問いに、ティアは戸惑う。
 そして、長老は重い口を開いた。

「あれはな、昔から泉の近くに現れる魔獣なんじゃ。封じたこともないし、倒した者もおらん。普段は姿を見せぬが、時折、泉に近づいた者を襲う……。鋭い牙に、鎧のような皮膚、人の声にも似た咆哮をあげるという。あれに襲われた者は、逃げ延びても……心まで削られる」

 人々が息をのんだ。さきほど運ばれた男の傷と怯えた様子が、その言葉の裏付けのように思えた。
 だが、カイは一歩前に出て、静かに言った。

「だったら、なおさら放ってはおけないな」

 その声には迷いがなかった。

「俺たちは、ただの商隊じゃない。旅の途中で何度も魔物と戦ってきた。魔法が使える奴もいる。誰一人、死なせずに終わらせてみせる」

 その言葉に、村人たちは再びざわめく。驚きと戸惑い、そしてわずかな希望の色が混じっていた。

 村人たちが散っていく中、一人だけ引き下がらなかった。

「私も行くわ。魔獣と戦うのに、私の魔力はきっと役立つはずよ」

 ティアの言葉に、カイの顔が曇った。

「……ダメだ」
「なんで?私、足手まといになるつもりはないわ」
「そういう問題じゃない!」

 カイの声が思わず強くなる。

「相手は魔獣だ。訓練や野盗とは訳が違う。死ぬかもしれないんだぞ!」
「だから?死ぬかもしれないのは、カイも同じじゃない」
「だから……ティア、お前には来てほしくない。危ないからだ。女のお前に怪我なんて、させたくないんだよ!」

 静まり返った空気に、カイの言葉だけが落ちた。だがティアは怯まず、強い目で見返す。

「私だって、誰かが傷つくのを見ていたくない。それに、もう子どもじゃない。守られるばかりじゃいたくないのよ」
「それでも、だ……!」
「ダムを作ろうって言ったのは私よ。あの提案で皆を巻き込んだ。だったら、私にも責任がある。見ているだけなんて、できない。自分だけ、安全な場所にいて……仲間が傷ついて帰ってきたら、きっと私は一生、自分を許せない!」

 その声には、後悔を拒む強さがあった。
 カイは目をそらし、唇を噛んだ。しばしの沈黙ののち、怒りとも悲しみともつかぬ声で言い放つ。

「……勝手にしろ!」

 カイはそれ以上何も言わず、背を向けて歩き去った。肩が僅かに震えていた。

 その様子を、隊列の後ろから見ていた青年が一人。

 レイ。カイと同じ年頃の青年で、商隊の護衛を務めている。
 商隊の中でも特に頭の切れる存在で、明るく気さく、場の空気を読むのが得意なタイプだ。
 その一方で、本質的には他人の心の機微に敏く、表には出さずとも仲間を支える縁の下の力持ちでもある。軽妙な振る舞いの裏に、冷静さと深い洞察を秘めた人物だ。

 彼が、ふらりとティアの隣に来て肩をすくめた。

「悪く思うなよ、ティア。カイはお前が傷つくのが、怖いんだ」
「……分かってる。でも、私だって同じなのよ」

 その言葉にレイはふっと笑い、肩をすくめた。

「ったく、似た者同士め」

 翌朝、霧の立ちこめる山道を、魔法使いたちを中心に編成された少数精鋭の討伐隊が、慎重に進んでいた。

 先頭を行くカイの背に、朝露が静かに落ちる。足元は濡れて滑りやすく、岩肌の間から吹き上がる風が視界を奪う。誰もが無言のまま、昨日のバロスの傷を思い出していた。
 目的地は、この先の渓谷。魔物が潜むという、古の泉が眠る場所だ。
 そして、渓谷へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
 湿った風に混じって漂う、血と獣臭。木々は不自然に裂け、地面には無数の爪痕が刻まれている。

「警戒しろ……近い」

 カイが長槍を構えた瞬間、茂みが激しく揺れた。

 次の瞬間、黒い影が跳ねるように飛び出し、雷鳴のような咆哮が谷に響き渡る。まるで人の怒声のようなそれは、全身を濃紺の甲殻に覆われた異形の魔獣──「ヴァルゴイア」だった。

 四肢は節くれだった巨木のように太く、背中からは岩のような突起が突き出ている。鋭い牙を剥き、赤く光る目には、狂気とも呼べる怒りが灯っていた。

「ヴァルゴイア、だと?」

 カイが目を見開いた。

「あれは……魔界に棲む魔獣のはず……!どうして、こんな場所に……」

 ティアが声を震わせる。

 この世界には人族、エルフ族、ドワーフ族、亜人族、そして……魔族がいる。

 魔族は、いずれの種族よりも強大な魔力を持ち、残虐で、嗜虐的。幾度となく他種族を苦しめてきた。かつて、その脅威に耐えかねた種族たちは結託し、大魔法によって魔族を“別空間”へ封じる戦争を起こした。

 それは史上最大規模の戦争だった。膨大な犠牲を払いながらも、ついに魔族たちは異界である魔界に封じられた。

 魔界──それは瘴気に満ち、魔獣たちが跋扈ばっこする世界。そこに生息する魔獣が人間界に現れるなど、本来あってはならない。

 だが、目の前にいる。

 その逡巡を断ち切るように、ヴァルゴイアが咆哮し、突進してきた。

「下がれ、ティア!」

 仲間の魔法使い、レイが叫び、詠唱に入る。

「雷鎖の術式・雷鉄縛サンダー・シャックル!」

 青白い雷の鎖が空を裂き、魔獣の前脚に巻きついた。だが、ヴァルゴイアは筋肉を膨らませ、力任せに鎖を引きちぎる。

「ちっ、魔力耐性もあるのかよ!」

 レイが舌打ちした。

「来るぞッ!」

 カイが地面を蹴り、槍を薙ぎ構える。槍の間合いを活かし、正面から突進してくる魔獣の頭部を狙う。
 だが、槍の穂先が甲殻に当たった瞬間、岩を突くような鈍い音が鳴る。

「クソッ、通らねぇか!」

 次の瞬間、ヴァルゴイアの尾が唸りを上げ、カイの身体を薙ぎ払った。背中から木の幹に叩きつけられ、ずるりと地面に崩れ落ちる。

「カイ!」

 ティアが叫び、すかさず前へ飛び出す。

「私も……戦える!」

 短剣を二振り抜き、風の力を纏わせて魔獣の目元を狙う。鋭い切っ先が、甲殻の隙間に滑り込む。

 ヴァルゴイアが咆哮を上げた。まるで人間の怒声のようなその叫びが、耳の奥を震わせる。

「ティア、危ない!下がれッ!」

 カイが怒鳴る。

「いいえ、私が引きつける!」

 その声が返るより早く、ティアは滑るように地を駆け、魔獣の脚の継ぎ目に短剣を突き立てた。
 しかし、ヴァルゴイアが咆哮と共に一瞬身を沈め、大地をえぐるように力を込めた。

「跳ばせるかッ!」

 レイが叫び、地面に雷陣を描く。

雷鉄縛サンダー・シャックル!」

 再び青白い鎖が絡み、ヴァルゴイアの動きが一瞬止まる。その隙にティアが跳び退いた。

「ナイス援護!」

 カイが血を流しながら立ち上がり、槍を再び構える。

「お前の鎧が効かない場所……知ってるぜ!」

 槍に風の魔力を纏わせ、跳躍。左脇の関節部、甲殻の継ぎ目に鋭く槍を突き刺す。
 ヴァルゴイアが悲鳴を上げた。その隙にティアが反対側へ回り、右脚の腱を断ち切る。

「今だ、レイ!」
「任せろッ!爆雷陣・断裂!」

 雷光が迸り、魔獣の内部で爆ぜる。肉を裂くような轟音と共に、ヴァルゴイアの動きが鈍る。さらに、

「火の矢、五連!全員、撃て!」

 魔法士たちが魔力を練り、浮かび上がった五発の火矢を一斉に放つ。矢は弧を描き、ヴァルゴイアの脇腹に次々と突き刺さった。炎と爆音が重なり、渓谷が揺れる。

 爆煙の中でよろめいたその瞬間、カイとティアが同時に跳んだ。

 槍が、短剣が、甲殻の継ぎ目に深々と突き立つ。

 そして、ヴァルゴイアは崩れ落ちた。
 静寂が、谷を包み込む。

「……倒した、の?」

 ティアが肩で息をしながら、かすれ声でつぶやいた。

「ああ。勝った」

 カイが微笑み、血に濡れた槍を地面に突き立てた。



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