ゼロ・オブ・レディ~前世を思い出したら砂漠に追放され死ぬ寸前でした~

茗裡

文字の大きさ
9 / 66
第二章 魔ノ胎動編

魔界生息魔獣ヴァルゴイア

しおりを挟む
 村の中央広場に、村人たちと商隊の面々が集まった。
 ティアは少し緊張しながら、皆の前に立つ。

「水の問題を、解決できるかもしれません。ダムを作って、水を溜めて、村まで導くんです。魔法と、知識と、みんなの力があれば……きっとできます」

 一瞬の沈黙ののち、どこかから拍手が起こり、やがて広場中に広がった。
 誰もが水を欲している。その希望に、村人たちは沸き立った。
 安堵と期待がないまぜになった空気が、ゆっくりと場を包んでいく。
 そのときだった。
 広場の外から、血相を変えた若者が駆け込んできた。

「た、大変だ!水場に行ってたバロスさんが、怪我して戻ってきた!」

 すぐさま人々が駆け寄り、血に染まった男を抱えて運び込む。
 肩から胸元にかけて、大きな裂傷が走っていた。服は破れ、肉が裂け、血が止まらない。
 男はかすかに口を動かした。

「……やつが……また……あいつが……」

 それだけ言うと、意識を失った。
 騒然とする広場。希望に満ちていた空気が、一瞬で冷え切る。
 やがて、杖を突いた長老が、静かに前に出た。

「ダムを作るのは、やめた方がいい」

 その言葉は、場の熱を一気に冷ました。

「……どうして?」

 ティアが思わず問いかけると、長老は深くため息をついた。

「泉には、昔から魔獣が棲みついておる。姿を現すのは年に数度。めったに出てこないが、出たときには、必ず誰かが傷を負う。今回は……運が悪かった」

 重い沈黙が降りる。

「だが、あの泉はまだ生きている水源じゃ。村の誰かが、毎日交代で水を汲みに行っておる。慎重に行けば、襲われることも少ない。今までは、そうしてやりくりしてきた」
「でも、それでは根本的な解決にはならないわ」

 ティアは、必死に食い下がる。

「距離も遠いし、水の量も限られてる。毎日誰かが危険を冒さなきゃいけないなんて……そんなの、もう終わりにしなきゃ」

 長老は、ティアの目をじっと見つめた。

「お主らが、魔獣を倒せるとでも言うのか?」

 その問いに、ティアは戸惑う。
 そして、長老は重い口を開いた。

「あれはな、昔から泉の近くに現れる魔獣なんじゃ。封じたこともないし、倒した者もおらん。普段は姿を見せぬが、時折、泉に近づいた者を襲う……。鋭い牙に、鎧のような皮膚、人の声にも似た咆哮をあげるという。あれに襲われた者は、逃げ延びても……心まで削られる」

 人々が息をのんだ。さきほど運ばれた男の傷と怯えた様子が、その言葉の裏付けのように思えた。
 だが、カイは一歩前に出て、静かに言った。

「だったら、なおさら放ってはおけないな」

 その声には迷いがなかった。

「俺たちは、ただの商隊じゃない。旅の途中で何度も魔物と戦ってきた。魔法が使える奴もいる。誰一人、死なせずに終わらせてみせる」

 その言葉に、村人たちは再びざわめく。驚きと戸惑い、そしてわずかな希望の色が混じっていた。

 村人たちが散っていく中、一人だけ引き下がらなかった。

「私も行くわ。魔獣と戦うのに、私の魔力はきっと役立つはずよ」

 ティアの言葉に、カイの顔が曇った。

「……ダメだ」
「なんで?私、足手まといになるつもりはないわ」
「そういう問題じゃない!」

 カイの声が思わず強くなる。

「相手は魔獣だ。訓練や野盗とは訳が違う。死ぬかもしれないんだぞ!」
「だから?死ぬかもしれないのは、カイも同じじゃない」
「だから……ティア、お前には来てほしくない。危ないからだ。女のお前に怪我なんて、させたくないんだよ!」

 静まり返った空気に、カイの言葉だけが落ちた。だがティアは怯まず、強い目で見返す。

「私だって、誰かが傷つくのを見ていたくない。それに、もう子どもじゃない。守られるばかりじゃいたくないのよ」
「それでも、だ……!」
「ダムを作ろうって言ったのは私よ。あの提案で皆を巻き込んだ。だったら、私にも責任がある。見ているだけなんて、できない。自分だけ、安全な場所にいて……仲間が傷ついて帰ってきたら、きっと私は一生、自分を許せない!」

 その声には、後悔を拒む強さがあった。
 カイは目をそらし、唇を噛んだ。しばしの沈黙ののち、怒りとも悲しみともつかぬ声で言い放つ。

「……勝手にしろ!」

 カイはそれ以上何も言わず、背を向けて歩き去った。肩が僅かに震えていた。

 その様子を、隊列の後ろから見ていた青年が一人。

 レイ。カイと同じ年頃の青年で、商隊の護衛を務めている。
 商隊の中でも特に頭の切れる存在で、明るく気さく、場の空気を読むのが得意なタイプだ。
 その一方で、本質的には他人の心の機微に敏く、表には出さずとも仲間を支える縁の下の力持ちでもある。軽妙な振る舞いの裏に、冷静さと深い洞察を秘めた人物だ。

 彼が、ふらりとティアの隣に来て肩をすくめた。

「悪く思うなよ、ティア。カイはお前が傷つくのが、怖いんだ」
「……分かってる。でも、私だって同じなのよ」

 その言葉にレイはふっと笑い、肩をすくめた。

「ったく、似た者同士め」

 翌朝、霧の立ちこめる山道を、魔法使いたちを中心に編成された少数精鋭の討伐隊が、慎重に進んでいた。

 先頭を行くカイの背に、朝露が静かに落ちる。足元は濡れて滑りやすく、岩肌の間から吹き上がる風が視界を奪う。誰もが無言のまま、昨日のバロスの傷を思い出していた。
 目的地は、この先の渓谷。魔物が潜むという、古の泉が眠る場所だ。
 そして、渓谷へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
 湿った風に混じって漂う、血と獣臭。木々は不自然に裂け、地面には無数の爪痕が刻まれている。

「警戒しろ……近い」

 カイが長槍を構えた瞬間、茂みが激しく揺れた。

 次の瞬間、黒い影が跳ねるように飛び出し、雷鳴のような咆哮が谷に響き渡る。まるで人の怒声のようなそれは、全身を濃紺の甲殻に覆われた異形の魔獣──「ヴァルゴイア」だった。

 四肢は節くれだった巨木のように太く、背中からは岩のような突起が突き出ている。鋭い牙を剥き、赤く光る目には、狂気とも呼べる怒りが灯っていた。

「ヴァルゴイア、だと?」

 カイが目を見開いた。

「あれは……魔界に棲む魔獣のはず……!どうして、こんな場所に……」

 ティアが声を震わせる。

 この世界には人族、エルフ族、ドワーフ族、亜人族、そして……魔族がいる。

 魔族は、いずれの種族よりも強大な魔力を持ち、残虐で、嗜虐的。幾度となく他種族を苦しめてきた。かつて、その脅威に耐えかねた種族たちは結託し、大魔法によって魔族を“別空間”へ封じる戦争を起こした。

 それは史上最大規模の戦争だった。膨大な犠牲を払いながらも、ついに魔族たちは異界である魔界に封じられた。

 魔界──それは瘴気に満ち、魔獣たちが跋扈ばっこする世界。そこに生息する魔獣が人間界に現れるなど、本来あってはならない。

 だが、目の前にいる。

 その逡巡を断ち切るように、ヴァルゴイアが咆哮し、突進してきた。

「下がれ、ティア!」

 仲間の魔法使い、レイが叫び、詠唱に入る。

「雷鎖の術式・雷鉄縛サンダー・シャックル!」

 青白い雷の鎖が空を裂き、魔獣の前脚に巻きついた。だが、ヴァルゴイアは筋肉を膨らませ、力任せに鎖を引きちぎる。

「ちっ、魔力耐性もあるのかよ!」

 レイが舌打ちした。

「来るぞッ!」

 カイが地面を蹴り、槍を薙ぎ構える。槍の間合いを活かし、正面から突進してくる魔獣の頭部を狙う。
 だが、槍の穂先が甲殻に当たった瞬間、岩を突くような鈍い音が鳴る。

「クソッ、通らねぇか!」

 次の瞬間、ヴァルゴイアの尾が唸りを上げ、カイの身体を薙ぎ払った。背中から木の幹に叩きつけられ、ずるりと地面に崩れ落ちる。

「カイ!」

 ティアが叫び、すかさず前へ飛び出す。

「私も……戦える!」

 短剣を二振り抜き、風の力を纏わせて魔獣の目元を狙う。鋭い切っ先が、甲殻の隙間に滑り込む。

 ヴァルゴイアが咆哮を上げた。まるで人間の怒声のようなその叫びが、耳の奥を震わせる。

「ティア、危ない!下がれッ!」

 カイが怒鳴る。

「いいえ、私が引きつける!」

 その声が返るより早く、ティアは滑るように地を駆け、魔獣の脚の継ぎ目に短剣を突き立てた。
 しかし、ヴァルゴイアが咆哮と共に一瞬身を沈め、大地をえぐるように力を込めた。

「跳ばせるかッ!」

 レイが叫び、地面に雷陣を描く。

雷鉄縛サンダー・シャックル!」

 再び青白い鎖が絡み、ヴァルゴイアの動きが一瞬止まる。その隙にティアが跳び退いた。

「ナイス援護!」

 カイが血を流しながら立ち上がり、槍を再び構える。

「お前の鎧が効かない場所……知ってるぜ!」

 槍に風の魔力を纏わせ、跳躍。左脇の関節部、甲殻の継ぎ目に鋭く槍を突き刺す。
 ヴァルゴイアが悲鳴を上げた。その隙にティアが反対側へ回り、右脚の腱を断ち切る。

「今だ、レイ!」
「任せろッ!爆雷陣・断裂!」

 雷光が迸り、魔獣の内部で爆ぜる。肉を裂くような轟音と共に、ヴァルゴイアの動きが鈍る。さらに、

「火の矢、五連!全員、撃て!」

 魔法士たちが魔力を練り、浮かび上がった五発の火矢を一斉に放つ。矢は弧を描き、ヴァルゴイアの脇腹に次々と突き刺さった。炎と爆音が重なり、渓谷が揺れる。

 爆煙の中でよろめいたその瞬間、カイとティアが同時に跳んだ。

 槍が、短剣が、甲殻の継ぎ目に深々と突き立つ。

 そして、ヴァルゴイアは崩れ落ちた。
 静寂が、谷を包み込む。

「……倒した、の?」

 ティアが肩で息をしながら、かすれ声でつぶやいた。

「ああ。勝った」

 カイが微笑み、血に濡れた槍を地面に突き立てた。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

追放された聖女は旅をする

織人文
ファンタジー
聖女によって国の豊かさが守られる西方世界。 その中の一国、エーリカの聖女が「役立たず」として追放された。 国を出た聖女は、出身地である東方世界の国イーリスに向けて旅を始める――。

私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜

AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。 そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。 さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。 しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。 それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。 だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。 そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?

タマ マコト
ファンタジー
王国直属の宮廷魔導師・セレス・アルトレイン。 白銀の髪に琥珀の瞳を持つ、稀代の天才。 しかし、その才能はあまりに“美しすぎた”。 王妃リディアの嫉妬。 王太子レオンの盲信。 そして、セレスを庇うはずだった上官の沈黙。 「あなたの魔法は冷たい。心がこもっていないわ」 そう言われ、セレスは**『無能』の烙印**を押され、王国から追放される。 彼女はただ一言だけ残した。 「――この国の炎は、三日で尽きるでしょう。」 誰もそれを脅しとは受け取らなかった。 だがそれは、彼女が未来を見通す“預言魔法”の言葉だったのだ。

夫より強い妻は邪魔だそうです【第一部完】

小平ニコ
ファンタジー
「ソフィア、お前とは離縁する。書類はこちらで作っておいたから、サインだけしてくれ」 夫のアランはそう言って私に離婚届を突き付けた。名門剣術道場の師範代であるアランは女性蔑視的な傾向があり、女の私が自分より強いのが相当に気に入らなかったようだ。 この日を待ち望んでいた私は喜んで離婚届にサインし、美しき従者シエルと旅に出る。道中で遭遇する悪党どもを成敗しながら、シエルの故郷である魔法王国トアイトンに到達し、そこでのんびりとした日々を送る私。 そんな時、アランの父から手紙が届いた。手紙の内容は、アランからの一方的な離縁に対する謝罪と、もうひとつ。私がいなくなった後にアランと再婚した女性によって、道場が大変なことになっているから戻って来てくれないかという予想だにしないものだった……

処理中です...