ゼロ・オブ・レディ~前世を思い出したら砂漠に追放され死ぬ寸前でした~

茗裡

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第二章 魔ノ胎動編

活気のない村

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 野営地に戻ると、商隊の主人と女主人が安堵の表情でカイたちを出迎えた。

「本当に……助けてくれてありがとう。君たちがいなければ、どうなっていたことか……」

 主人が深く頭を下げる傍ら、女主人は真っ先にティアのもとへ駆け寄り、彼女の腕を取った。

「怪我してるじゃないか!こっちへ、すぐに手当てを……!」

 ティアは少し戸惑いながらも、女主人の手に引かれて簡易テントへと入っていく。
 袖をまくり上げ、傷口に指先が触れた瞬間、女主人が小さく息をのんだ。

「え?……もう塞がってる?」
「……え?」

 ティアは思わず自分の腕を見下ろした。
 数時間前に斬られたはずの傷は、すでに血が止まり、薄く線のような痕跡を残すだけになっていた。痛みも、ほとんどない。

 ──どうして?

 幼い頃から屋敷の中で育ったティアにとって、怪我をすること自体が珍しかった。
 だからこそ、こんなにも早く治っていることに、かえって不安を覚えた。

「ふふ、若いって、すごいのね」

 女主人は感心したように笑い、丁寧に包帯を巻いてくれたが、ティアの心には奇妙なざわめきだけが残った。

 翌朝。

「ティア!包帯、替えましょうか?」

 女主人がにこやかに声をかけてきたが、ティアは慌てて首を振った。

「……自分で、やりますので」

 人気のないテントの隅でそっと身をかがめ、包帯をほどいていく。
 だが、その下に現れた肌はまるで、初めから傷などなかったかのように滑らかだった。

「……うそ……」

 目を疑った。傷跡すら残っていない。肌の色も均一で、怪我の形跡はどこにも見当たらない。
 回復薬の効果だとしても、こんな回復は聞いたことがない。
 理由は分からない。でも、誰かに知られてはいけない気がする。

 「これは、普通じゃない……」

 恐怖とも戸惑いともつかぬ感情が、喉元までこみ上げてくる。
 ティアは黙って包帯を巻き直すと、それを隠すように袖をしっかりと下ろした。


 #

 それから数日後。一行は目的地である山間の村へとたどり着いた。
 しかし、そこに活気はなかった。
 人々の顔は土色にくすみ、言葉を交わす声も小さい。
 子どもたちは道ばたに座り込み、ぼんやりと地面を見つめている。

 聞けば、この数ヶ月、雨が一滴も降らず、村の唯一の井戸はすでに枯れてしまったという。
 わずかな水を得るために、数日がかりで山奥の泉まで通う者もいるが、高齢者や幼子にはとても無理な話だった。

 何度も役場や領主に救援を求めたが、返ってきたのは冷たい言葉と追い返しだけ。
 「辺境の小村に構っていられない」と突き放され、行政はまるで存在しないかのようだった。
 依頼を出そうにも、金がない。特産品も産業もなく、村人たちはただ飢えと乾きに耐える日々を送っていた。

 その夜、焚き火の傍らで、ティアは地面に棒を使って線を引いていた。

「アースダム……それに、導水路……Leat(リート)って呼ばれてたはず……」

 前世で見たドキュメンタリー映像の記憶が蘇る。
 日本人の技術者が干ばつに苦しむ地で、現地の人と協力して土を積み、小さなダムと導水路を築いた。
 それだけで、村に水が戻り、作物が育ち、生活が甦ったのだ。
 ティアは唇を引き結んだ。

 ──私にも、できるかもしれない。

 幸い、この世界には魔法がある。
 水や土を操る魔法が使える者がいれば、時間も労力も大きく短縮できる。
 本来なら何ヶ月もかかる建設が、数日、あるいは数週間でできる可能性もある。

 けれど、一人では無理だ。
 村の人々、商隊の人たちの協力があってこそ、実現できる計画だった。

 焚き火の火がぱち、と小さく爆ぜる音を聞きながら、ティアは地面に引いた線をじっと見つめた。

「何を描いてるんだ?」

 背後から不意に声がして、ティアは顔を上げた。
 カイが焚き火の向かい側から身を乗り出し、彼女の描いた地面の線を覗き込んでいる。

「あっ……これは……」

 戸惑いながらも、ティアは描いた図と周囲の地形を照らし合わせながら口を開いた。

「ダム……というか、土を積んで水をせき止める壁と、水を引くための水路。それから……ここに水を溜めておける場所も作りたいの。雨が降らなくても、水が残せるように……」

 言いながら、やはり自信がなかった。
 彼女は元の世界でも、ダムの専門家でも建築士でもなかった。ただの一般人。
 映像や断片的な知識を頼りに描いたものに過ぎない。

「でも、あんまり上手く描けなくて……やっぱり、こんな話……」
「それ、面白いじゃないか」

 カイが笑いながら腰を下ろした。それを合図に、他の商隊の仲間たちも焚き火の周りに集まり始める。

「水をためる仕組み、か。ああ、魔道具の【流し壺】なら、一定量の水を一方向に流せるぜ。村にあるのと同じ型なら、まだ使えるかもな」
「高低差をつければ、水の流れは魔法なしでもいけるんじゃない?あたし、昔畑に水引いたことあるし」
「けど、図がないと村の人にも説明しづらいな……」

 次々と飛び出す意見。思いがけず皆が興味を持ってくれたことに、ティアは目を丸くした。
 そのとき、一人の男がふっと笑って手を挙げる。

「だったら俺に任せてくれ。こういうの、ちょっと得意なんだ」

 彫り師の男──商隊の一員で、魔道具に装飾を施す職人だった。
 彼の腕には見事な刺繍のような紋様が刻まれており、それは道具を通して魔力の流れを調整するための彫魔しゅうまという技術だという。

 男はティアの描いた拙い線を見て、懐から紙と炭筆を取り出した。

「ここが高台なんだな?じゃあ、水をこう流して……土手をこの辺に──」

 炭筆が滑るように動く。数分もしないうちに、彼は仮設ダムと導水路の詳細な図を描き出していた。

「……すごい……」
「やるなぁ、彫り師のくせに絵描きみたいじゃん!」
「うるせぇ、どっちも手先の仕事だよ」

 笑い合う声。ティアは、その輪の中にいる自分を少し不思議な気持ちで見ていた。
 最初は自分ひとりの思いつきだった。誰にも言わずにいようかとさえ思った。
 それが今では──

「……私、みんなを巻き込んでしまって……。こんな大変なこと、何日かかるかもわからないし……ごめんなさい」

 ティアの小さな声に、男たちが一斉に顔を上げた。
 カイが、にっと笑って肩を叩く。

「何言ってんだ。面白そうじゃねぇか、村を救うなんてよ」
「暇だったしなぁ。足止めも悪くない」
「こんなこと、滅多にできる経験じゃない。オレ、魔道具の記録に残すぞ」

 誰も文句を言わないどころか、どこか楽しそうに準備を始めていく姿を見て、ティアの胸の奥に温かいものが広がった。

 翌日から、一行はさっそく行動を開始した。

 地形の確認。必要な土や資材の運搬。村人との打ち合わせ。
 魔法が使える者は、水の流れを操って水路の試作を始め、彫り師は設計図をさらに精密に描き上げていく。

 これはもう、ひとつの「プロジェクト」だった。
 ティアの心には、言葉にならない充足感があった。
 たとえ偶然でも、たとえ不完全な知識でも「誰かを救いたい」という想いは、ちゃんと届いていた。
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