ゼロ・オブ・レディ~前世を思い出したら砂漠に追放され死ぬ寸前でした~

茗裡

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第三章 ドワーフ国編

坑道の地獄

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 A群の一行が現場の坑道に足を踏み入れたとき、息を呑むような熱気と異臭が全身を包んだ。

 まだ暑さの残る季節。だが、瘴蚊を避けるために皆が長袖で身を固め、首元や手首まで布で覆っている。重ね着で汗が滲み出すが、誰一人として袖をまくろうとはしなかった。

 暗く、湿った空間に、人々の苦悶が響く。

 岩壁にもたれ、床に横たわり、隅にうずくまる者たち。
 そのどれもが、正視できないほどに苦しげだった。
 青白く乾いた唇。震えるまぶた。止まらない咳と呻き。あちこちに吐しゃ物が広がり、消毒の匂いすら追いつかない。

 その惨状に、誰ともなく、ぽつりと呟いた。

「……酷い……」

 それは呻きのようで、祈りのようでもあった。続けて言葉を発する者はいなかった。ただ、全員がその一言の重みに、ただ黙って息を詰めていた。

 バルニエだけが、沈黙を裂くように動いた。

「手持ちの桶を並べろ。水を張って、すぐに手と器具を浸けて消毒!次に、痙攣の強い者は入り口付近へ!風の通る場所に。密集を避けろ」

 坑道内の限られた空間。その構造を熟知した上で、迅速な判断を下していく。

「重症者は中央にまとめろ。動かせない者はその場で処置を始める。風下は避けろ、瘴蚊が集まりやすい。明かりを確保しろ、影に潜まれる」

 バルニエの声が響くたびに、空気が張り詰める。誰もが即座に動き始めた。

「人数を数えろ、年齢と症状も!名前がわかるなら記録するんだ。意識がはっきりしている患者は外へ!」

 男たちが手分けして担架を組み、意識のある者から順に抱えていく。通路の幅と天井の低さを読み、搬出の順序が即座に決まる。

「B群、C群と連携を取れ!外で受け入れ態勢を整えているはずだ。空きのある場所から順に搬送!」
「了解!」

 残った女たちはバルニエの補助につき、道具を渡し、水を差し出した。

「ルゥナ、霧晶果を。砕いて、すり潰してくれ。できるだけ早く」

 少女は大きく頷くと、大きめのすり鉢に霧晶果を入れ、慎重に果実を扱い始めた。指先を震わせながらも、丁寧にすり鉢を回す。

「……ほら、飲みな。薬だよ。諦めるんじゃないよ」

 完成した薬液は、お上さんの手に渡り、次々と重症者の喉元に流し込まれていく。

 ティアとミナは布を湿らせ、清潔なタオルで患者の体を一人ずつ拭っていた。熱を帯びた肌に触れながら、少しでも苦痛を和らげようと必死だった。

 目を背けたくなる光景の中、誰もがそれぞれの手で命を支えていた。

 ひと通りの搬送と初期処置が終わると、坑道内にはひとまずの静けさが訪れた。
 重苦しい空気の中で、遠くの咳や呻き声だけが、かすかに響いている。

 ティアは最後に拭いていた患者の額からタオルを離し、そっと息を吐いた。滲んだ汗と涙に似たものが混じり、タオルの端ににじむ。

 その隣で、ミナがふと手を止め、ぽつりと呟く。

「……この街、立ち直れるのかな」

 声はほとんど聞き取れないほどに小さかったが、確かに届いていた。
 バルニエが、傷薬をしまいながら低く答える。

「そうだな……街が機能し始めるまで、一ヶ月といったところだろう。病の拡大を止めて、物流を回復させる。それが俺たちの役目だ。……経済の立て直しは、領主の仕事だ」

 その言葉には、任務の線引きだけでなく、どこか苦い諦観が滲んでいた。

 一方、坑道の外では、B郡・C郡がすでに街の住民たちへの救援を開始していた。

 広場に即席の診療所が設けられ、手当を受けた人々が列をなして座っている。
 重症者こそ少ないが、衰弱した者、咳をこらえる者、脱水症状の子どもたち。そのすべてが、助けを必要としていた。

 街にかろうじて残っていた医師と修道士たちも駆けつけ、治療班に加わってくれている。
 B郡とC郡を統括するのは、商隊の団長本人。普段は物静かで寡黙な男だが、戦場のような状況を前に、冷静な采配を振るっていた。

「診療を受けた者は名簿に記録していけ。霧晶果の在庫と使用数も、随時報告を」
「団長、こちらの子ども、薬が効いてきたみたいです。熱が下がって、笑ってます」

 治療を受けた住民のひとりが、かすれた声で団長に頭を下げる。

「助かったよ……ほんとに、ありがとう……」

 その光景を遠巻きに眺めていた一団があった。

 装飾の凝った外套をまとった男が、その中央に立つ。肩で風を切りながら、ずかずかと歩み寄った。
 彼の名はオルセリオ男爵。ドルマリスの辺境で成り上がった新興の貴族であり、地元の鉱山を買収して莫大な富を得たと噂されている。

「聞いたぞ。霧晶果を持っているそうじゃないか。いくらだ?全部買おう」

 言葉の端に、当然の権利のような傲慢さが滲む。
 団長は顔色ひとつ変えず、低く返した。

「申し訳ありません。これはあくまで、治療目的の支給分です。販売はしておりません」

 オルセリオの眉が吊り上がった。

「冗談を言うな。ドワーフどもに施しておいて、貴族である我々には売らぬというのか?優先する相手が間違っているぞ!」

 騒ぎに振り返る者が出る。
 だが次の瞬間、団長が叩きつけるように声を張った。

「ふざけるな!人命に、優劣があるかッ!」

 その怒声に、場が静まり返った。

 普段は温厚で、言葉数も少ない団長の声が、空気を鋭く切り裂いた。

「貴族であろうと、平民であろうと、今ここで命を落としかけている者は皆同じだ。治すべき命に、上下も順番もあるものか!……あんたに売る品はない。引き取ってくれ」

 オルセリオは顔を真っ赤にし、なにか言いかけたが、周囲の目と団長の無言の圧に押され、言葉を飲み込む。

 数瞬の後、彼は踵を返し、無言のまま去っていった。
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