ゼロ・オブ・レディ~前世を思い出したら砂漠に追放され死ぬ寸前でした~

茗裡

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第三章 ドワーフ国編

黒き燔祭獣

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 ラズフェルドの殺気が、わずかに漏れた──その瞬間、空気が一変した。

「……っ」

 冷気のような殺気が肌を刺し、背筋を這い上がる。カイとレイが、ほぼ同時に上空を見上げるが、夜の闇が広がっているばかりで、何も見えない。だが──確実に、何かがいる。

 見えずとも、感じる。あの気配は尋常ではない。
 得体の知れぬ存在の圧力。それは、ただの気配ではない。異様な濃度の“力”が、遥か上空から地上を見下ろしていた。

 カイはすぐさま振り返り、ジークハルトたちに向かって声を張った。

「俺たちはこれで失礼する。魔獣の残党を追う。お前たちも、すぐにここを離れろ。生き延びたきゃな」

 言い終えるや否や、崩れかけた建物の向こうから、重々しい号令が響き渡った。

「止まれ!中央軍が到着した!」

 ずらりと並ぶ銀の鎧、その先頭に立つのは、一際豪奢な装甲をまとった男だった。
 逞しく編まれた赤毛、背中に背負った巨大な戦槌。そして、その腰には王家の紋章が燦然と輝いていた。

「我はボルグラム王第五子、ギルバン・ロッグハンド。王国軍将軍だ。強大な魔力の揺らぎを感じ、急ぎ駆けつけた。……この戦場、お前たちが制したのか?」

 レイが一歩前に出て、手早く状況を説明する。

「五体のヴァルゴイアが出現しました。私たち三人で、応戦し、全て撃破。……ですが、まだ終わっていません」

 彼の言葉に、周囲の兵士たちがざわつく。
 五体。しかもそれを、この短時間で……。

「ほぅ。力は申し分ないようだな」

 ギルバン将軍が目を細め、微かに笑う。

「ならば頼もう。王都の民を守るため、我らに力を貸してくれ」

 カイは即座に頷いた。

「もちろんだ」

 ギルバンはうむと深く頷き、全軍に向けて命じた。

「父上──ボルグラム王も、間もなく支度を終え、ここに現れるだろう。それまでに、王都の民を一人でも多く救い出す。全隊、散開!逃げ遅れた者の保護、および魔獣残党の掃討にあたれ!」

 兵たちは号令に従い、すぐさまそれぞれの持ち場へと散っていく。
 カイたちもその動きに合わせようとした、そのとき──。

「……あれは、なんだ?」

 誰かが呟き、東門の方角を指さす。

 夜の帳の向こうから、巨大な“影”が、ゆっくりと姿を現した。
 地を這うように進むその巨体は、建物よりも高く、全身から濃厚な魔力が滲み出ている。

 カイが息を呑む。

「……見たことがない。こんな魔獣、文献にも載ってなかったはずだ」

 場がざわめき、兵士たちがざっと武器を構える。
 明らかに“異質”。この世界に属していないような、悪夢じみた魔獣の出現に、空気が張り詰める。

 それは、ただ立っているだけで、場の全てを呑み込むような存在感を放っていた。

 それは異形だった──

 東門の先から姿を現した“それ”は、確かに魔獣の類だった。だが、その存在感は、もはや魔獣という範疇で語れるものではない。建物を軽く超える高さの、黒き巨影。四足で這い出る様は、地の底から滲み出た悪夢そのものだった。

「……あれが、魔獣……?」

 黒曜石のような漆黒の装甲に覆われた巨体。その表面に走るひび割れからは、赤黒い瘴気と炎が絶え間なく噴き出している。
 歪んだ顔面には無数の瞳が蠢き、ねじれた長い角が空を裂いていた。

 そして、尾。
 蛇のようにうねるそれが、兵たちの思考に、直接、触れようとしていた。

 ──《我、災いを与える者。汝らの嘆きとともに、地を焦がすべし》

 言葉ではない“囁き”が、頭蓋の内側に響く。意味をなさぬ音の羅列が、思考を侵し、精神を蝕む。

 レイが顔を歪め、頭を押さえた。

「……クソ、こいつ……直接脳に……!」

 ティアが震え、目を逸らす。あの視線を正面から受ければ、理性が崩れる。
 ギルバンでさえ、眉を顰めて呻いた。

「く……こやつ、ただの魔獣ではない……!」

 まさに怪物──。
 その場にいた者たちがうずくまる中、怪物はどこか愉快げに喉を鳴らした。
 それは笑い声のようだった。

 ──咆哮。

 空間そのものが震え、音が地を裂いた。

「きゃあああああ!」

 ティアが絶叫し、その場に崩れ落ちた。

「ティア!?」

 駆け寄ったカイが彼女を支える。

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 ティアは錯乱し、自分の髪を両手で掴み、涙を流しながら謝罪の言葉を繰り返していた。
 カイとレイが彼女の様子に戸惑っていると、背後でばたばたと人の倒れる音が響く。

 兵士たちが、次々と倒れていく。
 ある者はティアと同じように錯乱し、ある者は意識を失い、ある者は──息絶えていた。

「精神……攻撃か……っ」

 ジークハルトとユリウスも、なんとか意識を保っていたが、顔色は土気色に近く、精神攻撃に抗うだけで精一杯のようだった。

 咆哮一つで、これほどの惨状。
 この場でまともに動けるのは、カイ、レイ、ギルバン、そしてわずかな兵士だけとなっていた。

「ここは……一旦、引いて──」

 カイがティアを抱きかかえ、そう言いかけたその時だった。

「くひひひ。逃げちゃっていいのぉ?早くヤツを止めないと、もっと被害が出ちゃうよ?」

 どこか狂気を孕んだ声が、虚空から響いた。

 声の主は、いつの間にか瓦礫の上に腰を下ろしていた。
 黒い髪に紅い瞳。異様な笑みを浮かべるその人物──スピナ。

 突如現れた存在に、レイが素早く反応し、ギルバンも魔槌を構えて問いかける。

「何者だ……」

 スピナは口元を吊り上げ、楽しげに応えた。

「僕はスピナ。そして、あれはアモン=ヴァル=ゼルグ。別名、《黒き燔祭獣はんさいじゅう》。あんなの、放っておいたら大勢死ぬよ?」
「貴様……魔族か。あの怪物、お前が呼んだのか!」

 ギルバンが殺気を込めて睨みつける。
 だが、スピナは肩をすくめて、まるで悪びれた様子もなく言い放った。

「怪物じゃなくて“アモン”だってば。そうだよ。あれは僕が、魔界からわざわざ呼び寄せたんだ」

 涼しい顔でそう言うスピナに、ギルバンの眉がさらに吊り上がる。

 スピナは足をぶらつかせながら、指先で髪をくるくると弄び、口を尖らせた。

「いやぁ、ヤツくらいの大物になると、召喚するのも一苦労でさ……」

 まるで愚痴でもこぼすかのように、言葉を継ぐ。

「本当なら、東区の人間、ほとんど全滅させるはずだったんだよ?でも、誰かさんたちがさ、ヴァルゴイアをあっさり片付けちゃうから……」

 顔をしかめ、子どもが拗ねるように不満をこぼす。

「予定の三分の一しか魂、捧げられなかったんだよねぇ。そのせいで、アモンの力も不完全でしか呼び出せなかったんだから……ほんっと迷惑」

 唇を尖らせ、ぷいっと顔を背けるスピナ。
 場違いな仕草と口調。だがその内容は、あまりに異常だった。
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