ゼロ・オブ・レディ~前世を思い出したら砂漠に追放され死ぬ寸前でした~

茗裡

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第三章 ドワーフ国編

焔災、開帳

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 ギルバンの言葉に、その場の者たちは一様に動揺した。

「魔族だって!?」
「そいつは、架空の種族じゃなかったのか」

 魔族の存在が語られていたのは、三千年以上も前の話だ。
 それは、神がまだ人間と近しい関係にあり、地上に降り立っていたとされるほど、現実味の薄い神話のような話である。

 カイの脳内では、かつてないほど思考が高速回転していた。
 目の前には、魔族──スピナ。そして天変地異の如き災厄をもたらす存在、アモン。
 どちらも、放置すれば甚大な被害を招くことは明らかだった。早急に叩かなければ、取り返しのつかない事態となる。

 しかし、戦える者は限られていた。
 錯乱状態にあるティアも、直ちにこの場から退かせなければならない。
 進むべきか、退くべきか。判断を誤れば、スピナの言う通り、大勢が死ぬ。

 苦渋の決断の末、カイはギルバンに進言した。

「三手に分かれましょう──」

 カイの考えはこうだ。
 一つは、スピナの抑え。
 一つは、アモンとの正面対決。
 そして、残る一つは、離脱と救助にあたる組。

 意識を保っている兵士たちで、昏倒者や錯乱状態の者を連れ、安全圏へと退避する。
 その指揮を任せるのは、ジークハルト。

 ギルバンは静かに頷いた。

「……それしか、道はあるまいな」

 すぐにジークハルトとユリウスが前に出て申し出る。

「私たちも戦う!このままでは引き下がれない!」

 だがカイは、即座に首を振った。

「無理だ。あんたたちは精神攻撃に耐えるだけで精一杯だろう。そんな状態で戦場に出たら、今度こそ命を落とすぞ」

 声に棘はあったが、そこに嘲りや侮蔑はなかった。
 それは、戦場に立つ者としての冷静な判断。そして、彼なりの誠意でもあった。

「……それに、敵はスピナとアモンだけとは限らない。これ以上の犠牲を出すわけにはいかない。腐っても王族というならば、助けられる命を救うのも立派な務めだろう」

 そう言って、カイは錯乱したティアの背後に回り、首元に手刀を落とした。
 一瞬、ティアの身体がびくりと震え、そのまま意識を失う。
 倒れる彼女を、カイは優しく支えた。

 その手つきは、まるで壊れ物を扱うように繊細だった。
 乱れた前髪をそっと払うと、彼女を静かに抱き上げる。
 腕に感じる重みと体温に、カイは僅かに力を込めた。

 本当は、自分の手で安全な場所まで運びたかった。
 いや、できることなら、ずっと目の届く場所に置いて守り通したかった。
 だが──敵の力量を前に、それが叶わぬ願いであることは痛いほどに理解していた。

 不完全な状態で召喚されたとはいえ、アモンの力は異常だ。
 ヴァルゴイアを一撃で倒すほどに力をつけたカイとレイでさえ、アモンに通じるかどうかは分からない。
 それほどまでに、目の前の“災厄”は異質で、規格外だった。

 カイはティアを抱いたまま、ジークハルトのもとへと歩み寄る。

「ティアを頼む。……本当は……お前なんかにティアを預けたくはない。だが、今は時間がない。……もしティアを死なせたら、すべてを捨ててでも、俺がお前たちを殺しに行く。覚えておけ」

 ジークハルトは言葉を失った。
 カイの言葉は痛烈だったが、間違ってはいなかった。
 今は争っている場合ではない。それは、彼自身も理解している。
 ヴァルゴイアに太刀打ちできなかった自分が、この場で戦っても足手まといになるだけだ。

 それが、悔しかった。
 無力さが、情けなかった。
 だが、その悔しさをぶつける場所もない。カイの瞳には、誰かを守る覚悟と責任しか宿っていなかったからだ。

 ジークハルトは小さく息を呑み、下唇を噛む。
 唇の内側に滲む鉄の味を感じながら、静かに頷いた。

「……必ず、守る」

 わずかに震える声でそう答え、カイからティアを受け取る。
 その体は軽いはずなのに、責任の重さがずっしりと肩にのしかかってくるようだった。

 その間に、ギルバンが魔槌を担ぎ直し、言う。

「スピナは我がやる。……うちの兵も、まだ動ける者をつける」

 カイはそれを受け入れ、レイと目を合わせた。

「行くぞ、アモンは俺とお前で」

 その時だった。

「──残念だけど」

 ふわりと浮遊しながら、スピナが口を開いた。

「僕は君たちとは戦わないよ。せっかくの場面だけどさ、戦う気なんてないんだよね」

 気の抜けた声。どこまでも不気味な笑み。

 そして、スピナは指先をくるりと回しながら、最後にこう言い残した。

「僕と戦いたければ、まずはアモンを倒してみなよ」

 そう言って、スピナの姿はふっと掻き消えた。

 残されたのは、圧倒的な巨躯。
 《黒き燔祭獣》アモン。 

 その咆哮が、再び空を震わせた──。

 スピナの姿が掻き消えたあとも、場に残った余韻はただひたすらに不気味だった。
 その異様な空白を断ち切ったのは、ギルバンの低く、怒りを抑えた声だった。

「……戦わないだと?ふざけた真似を」

 魔槌を強く握り、石突で鋭く大地を鳴らす。
 ごう、と空気が震えたような気がした直後──ギルバンが叫んだ。

「三手に分かれる案は、撤回だ!」

 一言で、戦場の空気が一変した。
 混乱しかけていた兵たちの視線が、一斉にギルバンに集まる。

「意識のある者は、周囲の仲間を担いで離脱!混乱してる奴は殴ってでも動かせ!」

 その指揮の声に、兵士たちの身体が反応を取り戻す。
 各所で叫びと動きが生まれ、戦場に再び命が宿った。

 ギルバンがアモンへ視線を向けると、巨獣は既に動き出していた。

 灼熱と氷結がせめぎ合うような、異様な空気。
 天地のバランスが狂い、理性がひっくり返る。世界が狂気に飲まれていく錯覚さえ覚える。

 地の底から響くような、重低音のうねり。
 その中心に、アモンがいた。

「死ぬ覚悟がある者だけ、我に続け!あの怪物を打ち倒す!!」

 ギルバンの雄叫びに呼応するように、カイとレイが駆け出す。
 その背を追うように、わずかなドワーフ兵たちが集い、アモンへと向かった。

 黒き巨獣を囲むように、各々が配置に着く。

 アモンの巨体が、ぎしりと軋み音を立ててゆっくりと動く。
 全身を包む黒炎はまるで意思を持つかのように脈動し、地を這い、空を焼いた。
 余熱だけで地表が罅割れ、熱波が兵士たちの肌を焼く。

「来るぞ!」

 カイの叫びと同時、アモンの巨腕が唸りを上げて振り下ろされた。

 それはただの肉弾ではなかった。
 空気を爆ぜさせる衝撃波。触れずとも、至近距離にいるだけで命を奪うほどの暴力。

 カイと近くの者たちは即座に逆方向へ跳躍。
 直後、先ほどまで立っていた地面が音もなく吹き飛び、巨大なクレーターが口を開けた。

「……この化け物め」

 カイは歯を食いしばり、即座に着地。槍を構え直す。
 目の前の存在は、ただの獣ではない──災厄そのもの。

 黒い瘴気をまとうその姿は、呪詛の塊であり、炎の化身。
 存在するだけで周囲を蝕む“厄災”が、今ここに現出している。

「カイ、これ……本当に“不完全”な召喚なのかよ」

 いつの間にか隣に来ていたレイの声。静かだが、わずかに震えていた。
 カイは苦笑で返す。

「ああ。不完全でこれなら、完全体なんて冗談にもならない!」

 だが、それでも退くわけにはいかない。
 ここでアモンを止めなければ、誰かが死ぬ。
 いや──国が、街が、すべてが呑み込まれる。

 全身の血が沸き立つような感覚。
 心臓の鼓動が、剣戟のように耳に響いた。

 ギルバンの咆哮が戦場に轟いた。

「一斉にかかれッ!!」

 カイとレイ、そして精鋭のドワーフ兵たちが、怒涛のごとくアモン=ヴァル=ゼルグへ突撃する。
 その巨体はまるで山の如く、びくとも動かない。蠢く尾は不気味に地を這い、空気は灼けるような熱を帯びていた。

 その瞬間、声が彼らの脳髄に直接、侵入してきた。

 ──《笑止》

 低く、鈍く、しかし途轍もない威圧を孕んだ声。それは鼓膜を通らず、思考を呑み込むように響く。

 ──《千と数百年を生きる我が身に……この程度の刃を向けるとは。無知は罪、無謀は愚。愚か者どもよ、地に伏し灰となれ》

 その言葉が終わると同時に、アモンの全身が赤黒く光を放ち始めた。まるで地獄の炉の中心にでもいるかのように。

「来るぞッ!!」

 レイが叫んだ。

 ──《焔災殲域えんさいせんいき

 地面が悲鳴をあげて裂け、赤黒い光柱が天を突く。瞬き一つの間に、戦場は灼熱の魔界へと変貌した。

 轟音、爆炎、煉獄の奔流。
 溶け落ちる岩盤、焦げて消えゆく草木。
 そして、ドワーフ兵たちの断末魔が、すべてを呑み込む熱にかき消されていく。

 レイは即座に魔法陣を展開し、多層の魔法障壁で自身とカイを包み込んだ。火焔が目前まで迫る中、結界が赤く軋みながらも、ギリギリのところで踏みとどまる。

 ギルバンもまた、咄嗟に魔槌を地に叩きつけ、衝撃波の盾を展開。全身で炎を受け止め、寸前のところで焼き尽くされるのを防いだ。

 だが──

 炎が静まり、硝煙が晴れた後、戦場に立つ者は三人だけだった。

 屈強で知られたドワーフの精鋭たちは、無惨にも灰と化し、焼け焦げた装備だけを遺していた。

「……クソッ……!」

 ギルバンが奥歯を砕かんばかりに噛みしめる。鉄をも砕く腕力を持つその体が、わずかに震えていた。

「これが……魔界に住まう魔獣の力か!」

 レイの声も、かすかに震えている。どれほどの戦場を潜り抜けた者でも、目の前の“それ”を前にして、心が凍えぬはずがなかった。

 カイはただ、唇を噛みしめる。怒りか、悔しさか、恐怖か、あるいはそのすべてか──その目が、かすかに揺れていた。

 そして、再びアモンの声が、静かに、確実に、脳を抉るように響く。

 ──《ほう。我が焔を前にして、生き残ったか。しかし、三匹残ったところで何になる。踊れ。笑え。喚け──その絶望のままにな》
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