ゼロ・オブ・レディ~前世を思い出したら砂漠に追放され死ぬ寸前でした~

茗裡

文字の大きさ
52 / 66
第三章 ドワーフ国編

語られる出生

しおりを挟む
 ジークハルトとティア、そして周囲の者たちは病室を出た。
 部屋には、マリエル、ユリウス、ヴィクト──三人だけが静かに残された。

「外に馬車を待たせてある。そこで話そう」

 ジークハルトの言葉に、ティアは静かに頷き、彼の後をついて歩く。
 病室を出たところで、見知った三人の姿が目に入った。

「ティア!」

 エリー、ノア、ルゥナの三人が、心配そうな面持ちで立っていた。どうしても黙って送り出すことができなかったのだろう。

 ティアは小さく笑って、三人に「大丈夫」と口元だけで告げる。
 安心させるように穏やかな微笑みを浮かべながら、彼女は再びジークハルトの背中を追った。

 やがて外に出ると、そこには立派な黒塗りの馬車が静かに待っていた。
 その佇まいは、王族にふさわしい威厳と気品を湛えている。

 戸惑いと緊張で足が止まるティアの前に、ジークハルトが無言で手を差し出した。

「どうぞ」

 その仕草はあまりにも自然で、かつ丁寧だった。
 まるで、かつての穏やかな婚約時代を彷彿とさせるような、優雅で洗練された立ち振る舞い。

 ティアは一瞬、心の奥で何かが軋むような感覚を覚えた。

「え……あ、ありがとう……ございます……」

 驚きと困惑を隠せぬまま、それでもティアはその手を取る。
 温かく、確かな掌に導かれて、彼女は馬車の中へと乗り込んだ。

 ジークハルトは御者に小さく指示を告げ、馬車の扉を閉めて後に続く。
 カツン、と馬蹄の音が響き、馬車はゆっくりと走り出す。

 中には二人きり。

 ティアはジークハルトと向かい合う形で座っていたが、緊張に指先が震えそうになるのを必死で堪えていた。

 重い沈黙が流れる。
 ジークハルトは何も言わず、馬車の窓の外を見つめていた。
 ティアの方を一瞥することすらない。

 ティアの心は、言葉を紡がねばという焦燥に駆られた。
 心臓の鼓動が自分にしか聞こえないはずなのに、馬車の中に響いてしまいそうだった。

 ついに沈黙に耐えきれず、ティアは小さく口を開いた。

「……あの、どこに……行かれるんですか……?」

 問いかけに、ジークハルトは初めて彼女に視線を戻す。
 そして、肩の力が抜けたように静かに答えた。

「目的地はない。話が終わるまで、王都を巡るよう御者に伝えてある」
「え?」
「周囲に聞かれたくない話だ。静かな場所が必要だった」

 その落ち着いた口調に、ティアは何かを詰められるのではという怯えが少しだけ和らぐ。

 夕陽が窓を染めていく。
 王都の喧騒をよそに、馬車の中には、嵐の前の静けさのような時間だけが流れていた。

「レティシア……いや、ティアと呼んだ方がいいか」

 沈黙を破ったのはジークハルトだった。
 覚悟を決めたような声音で、ティアの目を真っ直ぐに見つめてそう言う。

 ティアの瞳が僅かに揺れた。
 彼と真正面から視線を交わすのは、いったい何年ぶりだろう。

 ──あの頃は、彼の意志の強い瞳が好きだった。

 けれど、いつしかその目には冷たい嫌悪と拒絶の色が宿るようになっていた。
 今の彼の瞳には、確かに真っ直ぐさがあったが、そこには困惑と戸惑いも入り混じっていた。

「レティシアは、ミレナ王国を追われたときに捨てた名前です。……ですから、ティアとお呼びいただけると幸いです」

 声は緊張にかすかに震えていたが、逃げるような弱さはなかった。
 過去から目を背けることを、もうやめようとティアは決めていた。
 彼がどんな言葉を向けようとも、正面から受け止める覚悟はできている。

 彼女はしっかりとジークハルトの目を見つめ返し、はっきりとした口調で言った。
 ジークハルトは、少しの沈黙の後、短く静かに答えた。

「……わかった」

 その言葉は、彼女の選んだ名をきちんと受け止めるという意思の表れだった。

 そして、彼の瞳が一瞬だけ鋭くなる。

「それでは、ティア。単刀直入に聞こう。──君は魔族と、どんな関係がある?」

 その問いに、ティアは一瞬呆気に取られたように目を丸くした。
 まるで、自分がなぜそのような質問をされるのか、まったく心当たりがないといった様子で。

「……どんな関係と申されましても……」

 困惑したように言葉を選びながら、ティアはゆっくりと答える。

「一度、戦場で遭遇したことがあるだけで……。言葉を交わしたこともありません。特別な関わりなど、まったく──」

 その声には、偽りの色はなかった。
 ジークハルトは、その反応をじっと見つめながら、静かに息をついた。

「君が戦闘中に倒れ安全地帯に運んでいる際、一人の魔族と遭遇した」

 その言葉を聞いた瞬間、ティアの中で複数の感情が一気に湧き上がった。
 戦闘中に倒れてしまった自分の不甲斐なさ。
 自分を助けてくれたのが、かつて自分を嫌悪していたはずのジークハルトであったことへの戸惑い。
 そして、魔族と遭遇して無事に帰還できたという事実への驚き。

 混乱する思考の中で何から問えばよいか分からずにいるティアに、ジークハルトは続ける。

「魔族は黒い長髪の男だった。紅い瞳に、何か紋様のようなものが浮かんでいて……タレ目がちで、一見穏やかに見えたが、あれは──冷徹な印象の男だった」

 その描写に、ティアの脳裏にある顔が浮かぶ。
 ──ノワールとバルザを一瞬で葬った、あの魔族。
 彼の姿とジークハルトの言葉が重なり、心当たりがあるとすぐに悟った。

 ティアの変化にジークハルトも気づいた。

「心当たりがあるのか?」
「……問われれば、あります」

 ティアはわずかに俯きながらも、はっきりと答える。

「ですが、先ほど申し上げた通り──私もただ遭遇しただけで、彼と会話を交わしたことはありません」
「どこで会った?」
「……あるダンジョン攻略者たちと戦ったときに現れました。彼の目的は、ダンジョン攻略者たちの抹殺──そして、彼らが持ち出していた“武具”の破壊だったようです」

 その言葉に、二人はほぼ同時に沈黙する。
 そして、はたとある一点に思い至る。

 魔族が王都グラントハルドを襲撃した理由。
 ──ダンジョン攻略者であったボルグラム三世。
 ──そして、彼の持ち帰った強力な武具。

 その二つが一致するのなら、魔族の目的が「ボルグラム王の抹殺」と「武具の破壊」であったことは、もはや明白だった。

 ティアは、深く息を吐いた。
 しかし、彼女はただ商隊に同行していただけ。
 たまたま王都に滞在していただけであり、魔族の計画には関係がないはずだった。
 それなのに──なぜ、あの魔族は、自分を知っていたのか。

 ジークハルトが、低い声で言った。

「……襲撃の本来の目的は、やはりボルグラム王で間違いないだろう。だがあの魔族は、君のことを知っていた。明らかに、君に向けて言っていた。自分たちの“もの”だ、と」

 ティアは言葉を失った。
 血の気が引いていくのが自分でも分かった。

「……私を、“自分たちのもの”……?」

 震える声が、馬車の中に落ちた。

「君のことを──“救いでもあるし、災いでもある”……そう、魔族の男は言っていた」

 ティアの心に、ぞわりと冷たい感覚が広がる。
 得体の知れぬ何かが、自分の存在そのものを蝕んでいるような不安。

 しかし、混乱の中にあっても、ティアの思考は止まらなかった。
 過去の違和感が、ひとつ、またひとつと脳裏に浮かび上がる。

 ──自分の“異常なほどの回復力”。

 擦り傷や切り傷が他の人よりもはるかに早く治っていた。
 痛みも、出血も、すぐに引いていく。
 最初は体質だと思っていたが、その回復の早さはもはや人間のそれではなかった。
 獣人や亜人よりも遥かに早く、下手をすれば──精霊か、回復特化の魔獣の域にすら届く速度。

 それを知られぬよう、今まで巧みに隠して生きてきた。

 だが──魔族の言葉と、ジークハルトの証言。それらが、自身の出生に何か大きな秘密があることを否応なく突きつけてくる。

 ティアの脳裏に、母のことが浮かんだ。
 母はかつて、田舎貴族の娘として生まれ、容姿の美しさを理由に公爵家に嫁いだ。

 だが、ティアは知っている。

 公爵家に嫁いだ時点で、すでに母の腹には“ティア”がいたことを。

 ──本当の父は、人間ではなかったのではないか……。

 その仮説が浮かんだ瞬間、身体がわずかに震えた。
 それは恐怖ではない。
 ようやく辿り着いた“可能性”に対する、冷たい真実の予感。

 そのとき、ジークハルトが口を開いた。

「……私は以前、勝手ながら君の出生について調べたことがある」

 ティアが驚いたように彼を見つめる。

「君の境遇が、少しでも改善されればと思ってのことだった。だが……結果は、君にとって利益になるものではなかった。だから私は……その時、黙っていた。勝手に調べたことは──すまない」

 彼の声には、誠意がにじんでいた。

「……い、いえ……」

 ティアは首を横に振った。
 ジークハルトが、かつてそんな想いで動いてくれていたことを初めて知り、胸の奥がじんわりと熱を帯びる。
 かつて壊れたと思っていた関係が、まだ完全には消えていなかったのかもしれない──そんな錯覚すら覚えた。

「君は、自分の本当の“母親”について……どこまで知っている?」

 ティアは静かに目を伏せた。

「……母は、田舎貴族の出身です。ご両親とは不仲で、早々に縁を切っていたと聞いています。公爵家に嫁いでからは、一切実家とは関わりを絶っていたようです」

 そして、一拍置いて──ティアは、少しだけ言葉を詰まらせながらも続けた。

「それと……公爵家へ嫁いだ時、母はすでに私を身籠っていたと、後に知りました。本人も気づいていなかった可能性はありますが……外で、公爵以外の男性と関係を持っていたのは……事実かと」

 その言葉が落ちると、馬車の中の空気がわずかに沈んだ。

「……そこまで、知っていたか」

 ジークハルトが静かに呟いた。

 ティアが聞いた話の多くは、直接人から聞かされたわけではない。
 幼い頃、人よりも少しだけ耳が良かった彼女は、使用人たちが陰で交わす噂話や憶測を、壁越しに、扉越しに、偶然耳にしてしまっただけだった。

「私が調べたことと、大きな差はないようだ」

 ジークハルトの目が、ティアに向けられる。

「では……君の髪色が、母親譲りであるということは知っているか?」
「──え?」

 ティアは驚きに目を丸くした。

 銀の髪──それは彼女が物心ついた時から背負わされていた、“異物”の象徴。
 母は濃い茶色、焦げ茶に近い髪色だったと聞いている。父である公爵は金髪だ。

 両親とも違う色。
 それゆえに、自分は“不義の子”として疎まれ、冷たい視線を向けられてきたのだ。

「母の髪色は……茶色だと……聞いていました。銀では、なかったはずです……」

 ティアの震える声に、ジークハルトは一瞬だけ口を閉ざし、言葉を選ぶように目を伏せる。
 そして、意を決したように告げた。

「──君の母は、本来、銀に近い髪をしていた。君とよく似た色だったそうだ」

 ティアの目が大きく見開かれた。

「だが、その髪色が災いした。銀や白といった色は、稀少であると同時に、“忌み色”として扱われることもある。君の母も例外ではなかった。“あの子は本当に私の子なのか”と母親──君の祖母に疑われ、幾度も暴力を受けたという。髪はクルミの殻で染めさせられ、外見まで変えられた。君が“茶髪だった”と聞いていたのは……その染めた後の姿だったのだろう」

 ティアは、言葉を失った。

 ずっと、自分だけが異質なのだと思っていた。
 家族からも、周囲からも、そう思わされてきた。
 だが──母もまた、同じように“異物”として扱われていた。
 己の存在を否定され、髪の色さえも塗り替えられて。

 そのとき、不意に脳裏に浮かんだのは、銀髪の女の姿だった。
 過去に夢で見た光景。
 銀の髪をなびかせた女が魔族の中に立ち、その顔がこちらへと振り向く。
 微笑むその口元。だけど、どこか冷たく、哀しげだった。

 ──ズキンッ。

 突然、こめかみに鋭い痛みが走り、ティアは眉を寄せて額を押さえた。

「大丈夫か?」

 ジークハルトが立ち上がりかけたが、ティアは片手を上げて制した。

「大丈夫……です」

 痛みは一瞬だった。だが、それ以上に心を締めつけるのは胸の痛みだった。

 自分と似た境遇。
 いや、それ以上に過酷だったのかもしれない。
 親から暴力を受け、異質だと拒絶され──髪の色さえも塗り替えられた人生。

 ティアは、知らぬはずの母の心に、静かに思いを馳せていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

追放された聖女は旅をする

織人文
ファンタジー
聖女によって国の豊かさが守られる西方世界。 その中の一国、エーリカの聖女が「役立たず」として追放された。 国を出た聖女は、出身地である東方世界の国イーリスに向けて旅を始める――。

私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜

AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。 そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。 さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。 しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。 それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。 だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。 そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。

幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない

しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

追放された私の代わりに入った女、三日で国を滅ぼしたらしいですよ?

タマ マコト
ファンタジー
王国直属の宮廷魔導師・セレス・アルトレイン。 白銀の髪に琥珀の瞳を持つ、稀代の天才。 しかし、その才能はあまりに“美しすぎた”。 王妃リディアの嫉妬。 王太子レオンの盲信。 そして、セレスを庇うはずだった上官の沈黙。 「あなたの魔法は冷たい。心がこもっていないわ」 そう言われ、セレスは**『無能』の烙印**を押され、王国から追放される。 彼女はただ一言だけ残した。 「――この国の炎は、三日で尽きるでしょう。」 誰もそれを脅しとは受け取らなかった。 だがそれは、彼女が未来を見通す“預言魔法”の言葉だったのだ。

夫より強い妻は邪魔だそうです【第一部完】

小平ニコ
ファンタジー
「ソフィア、お前とは離縁する。書類はこちらで作っておいたから、サインだけしてくれ」 夫のアランはそう言って私に離婚届を突き付けた。名門剣術道場の師範代であるアランは女性蔑視的な傾向があり、女の私が自分より強いのが相当に気に入らなかったようだ。 この日を待ち望んでいた私は喜んで離婚届にサインし、美しき従者シエルと旅に出る。道中で遭遇する悪党どもを成敗しながら、シエルの故郷である魔法王国トアイトンに到達し、そこでのんびりとした日々を送る私。 そんな時、アランの父から手紙が届いた。手紙の内容は、アランからの一方的な離縁に対する謝罪と、もうひとつ。私がいなくなった後にアランと再婚した女性によって、道場が大変なことになっているから戻って来てくれないかという予想だにしないものだった……

処理中です...