キスより甘く、甘噛みより深く

後向

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一章

5話目

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 ルドルフとメアリーは〝違う〟から、いつまでも一緒にいていい訳じゃない。見つからないうちに出かけてしまおうと、ツバの広い帽子を目深にかぶる。

「また一人で〝お出掛け〟か?」
「ルディ……」

 洗濯に行ったはずのルドルフが、開けたドアの先に立っていた。部屋の中に押し返されて、よろけながらベッドに尻もちをつく。

「ルディは心配し過ぎなのよ。ほんとにちょっと買い物に行くだけだもの。何も危ないことはないわ」
「買い物ね……その金はどこから出るんだ?」
「え?」
「内職くらいしか出来ないあんたが――一人で生きていくのに精一杯だったはずのあんたが、どうやったら俺の食費を全部賄えるくらい稼げるんだよ」
「それは」
「最近別の稼ぎ口を見つけたんじゃないのか?」
「……ルディには関係ないわ」

 目の前に立ちはだかるルドルフを押しのけ、立ち上がろうとする。ルドルフはそれを許してはくれなかった。肩を押され、簡単に押し戻される。被っていた帽子が取り上げられ、せっかく隠した角と耳が丸見えになってしまう。

「やっ、返して!」

 これでは出かけられないと慌てて手を伸ばしたのに、帽子に届く前に指がルドルフに絡め取られた。

「……あんた、町中でもそのままなんだな」
「え?」

 金茶の瞳が、じっとメアリーを見つめている。正確に言うと、ルドルフが見つめているのはメアリーの頭――そこにある角と耳だ。

「当たり前か。その方が効率がいいもんな」
「なんの話?」

 ひとり言のように呟くルドルフに、困惑して眉を寄せる。

「時々俺を置いて出掛けるのは、〝良い相手〟を見繕うためなんだろ?」

 ルドルフが身を乗り出すと、ベッドが軋んだ音を立てる。背中が壁にくっついて、後ずさりしていたことに気が付いた。間近で見つめたルドルフの金茶の瞳が、陽の光を受けて怖いほどに輝いている。こくりと唾を飲み込んで、張り付きそうな喉を懸命に動かす。

「ねぇルディ、分かるように話してくれる? 質問の意味が分からないわ」
「欲求不満なら、俺が相手してやるって言ってるんだよ」
「……え?」
「尻尾や耳を出してるのは、発情してる証拠だろ?」

 掬い上げた髪に口づけられ、ぽかんと口を開く。ルドルフの手が髪を滑り、耳朶に触れる。鼻先に擽るように口づけられる頃になって、ようやく何を言われたのか理解した。

「あんたみたいな女が耳も角も剥き出しにして歩いてたら、金を払いたがる男なんて簡単に釣れるんだろうな」
「なっ……」
「そうやって何人誑したんだ?」
「なっ、なっ……!」

 頭に熱が溜まって、上手く言葉にならない。ぱくぱくと口を開閉するメアリーを見て、ルドルフが鼻に皺を寄せる。

「また子供扱いして誤魔化す気か?」
「ちがっ、わたし、私はそんな、欲求不満だなんて、そんなこと」

 ようやく紡いだ言葉も、舌が縺れて意味をなさない。ルドルフの鼻に寄った皺が、さらに深くなる。

「なんだ。無自覚なのか?」
「~~!」

 真っ赤になって、堪らず拳を握りしめる。力加減なんて考えず、ルドルフに向かって全力で拳を振り下ろした。ルドルフの身体が硬く鍛えられ過ぎているせいで、ぽこぽこという妙に可愛い音が部屋の中に響く。

「いって! 何すんだよ!」
「違うもん! 私、昔から苦手で、上手くできないだけだもん! 欲求不満になったことなんてないもん!」
「いてぇって!」
「私だって恥ずかしいから、あんまり人前には出ないようにしてるのに! 出掛ける時はきちんと帽子で隠してるのに!」

 ぶわりと目に涙が浮かぶ。メアリーは、耳も尻尾も、角だって上手く隠せない。獣人の子供であれば自然に身につくはずのことが、出来ない。

 昔からのコンプレックス。同い年の子供達にはいつも揶揄われていた。だから一人になって、一人の方がいいと思うようになって。でもルドルフに会ったから。この子の前では格好良いお姉さんでお母さんで、頼れる存在でありたいと思って。格好悪い部分は全部隠した。隠したつもりでいた。それなのに。

「なんでルディがそんなこと知ってるの!? 尻尾と耳が欲求不満の現れだなんて、大人しか知らないことなのに」
「魚屋の親父が教えてくれたんだよ! っ、いてぇって言ってんだろ!」

 両手が呆気なく捕まって、大きな手のひらでひとまとめにされる。片手で壁に押さえつけられてしまえば、メアリーにはそれ以上どうすることも出来ない。

「う~~」

 みっともなく、ぼろぼろ涙を零す。羞恥と劣等感と、色んな気持ちがない交ぜになって、涙が次から次へと溢れて来る。真っ赤な顔でしゃくり上げるメアリーを見て、ルドルフがため息をつく。呆れたような、ほっとしたような、そんなため息だった。

「……悪かったって。でも俺だってちゃんと大人になったし、〝そういう類の話〟だって耳にする」

 大きな手のひらが、指が。頬に触れ、そのまま滑り落ちる。首筋を、鎖骨を辿り、胸元へ――。膨らみには触れず、肌に触れていた温もりが離れていく。

「分かっただろ? いつまでも子供のままじゃいられないんだ」

 そんなこと知っている。言われなくても、ずっと前から気づいていた。

「好きだよメアリー。俺はあんたの全部が欲しくて堪らない」

 私も好きよと言えないことが苦しくて、想いの全てに蓋をした。

 ――私も好きよ。貴方が好きよ。たとえ一緒にいられなくても、世界で一番貴方が好きよ。

 涙に滲む世界の中でも、ルドルフが一番格好良いと思う。でもそれは、決して口にしてはいけない言葉だ。別れの時は、もうすぐそこまで迫っているのだから。
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