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一章
4話目
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最近のルドルフはおかしい。好意を持たれていることには、ずっと前から気づいていた。でもそれは、思春期の男の子が身近な年上の女性に想いを寄せる、一時的なものだと思っていた。きっと成長すれば忘れてしまうだろうと――大きくなったら笑い話にしてしまえるような、そういう類のものだと思っていたのに。
久しぶりに町中まで出掛けてきたメアリーは、大きなため息をつく。強めの風が吹くのに気が付き、ツバの広い帽子が飛ばないように両手で押さえた。帽子は飛ばなかったけれどスカートの裾が広がって、膝上までめくれ上がる。
「きゃっ……!」
慌ててスカートを押さえて、今度は帽子から手が離れた。ふわりと浮き上がった帽子は、風に飛ばされることはなく、そのままメアリーの頭に戻された。帽子を押さえてくれた大きな手のひらが、買い物かごを奪い去る。
「なんで一人で出掛けてるんだよ」
「ルディ」
「その呼び方やめろ」
不機嫌そうな低い声を出したルドルフが、メアリーの隣に並ぶ。
「一緒にお買い物がしたかったの?」
わざとからかうような言い方をしたのに、ルドルフが乗ってこない。代わりに喉の奥で低い唸り声を出しているから、その視線を追いかける。
「ルディ、知らない人をそんなに睨みつけちゃいけないわ」
「時と場合によっては許されるだろ」
「時と場合? どんな?」
「あいつ、メアリーに色目使いやがった」
「そんな、気のせいよ」
堪えかねたのか、ルドルフの視線の先にいた男が逃げ出した。足早に立ち去る男の後ろ姿を申し訳なく思いながら見つめ、眉を下げる。羊獣人の適齢期は、十代半ばからの数年間だけ。メアリーは、とっくにその時期を過ぎている。だから誰かがメアリー相手に懸想するなんて、そんなことはもうあり得ない。
「あんたがそんなだから……くそっ、取りあえず帰るぞ」
ルドルフが、買い物かごを持つのと反対の手でメアリーの手を掴む。そのままぐいぐい引っ張って町の外に向かおうとするものだから、メアリーは足を踏ん張ってルドルフを止めなければならなかった。
「待って、まだ買い物が済んでないわ」
「……何が欲しいんだよ」
「卵と、じゃがいもと」
「なんで」
「え?」
「あんた、そんなの食わないだろ」
「私じゃなくてルディが食べるでしょう?」
「いらない」
「だめよ。成長期――は、もう終わっちゃったかもしれないけど。必要な栄養を摂るのは大事なことなのよ」
「いらない。……あんたと同じでいい」
ぽつりと落とされた言葉が、甘い響きを帯びている。
「……だめよ。私と貴方は違うんだから」
どう答えるべきか迷って、やっと口にしたのはそんな言葉だった。自分の言葉に、泣きたい気持ちに襲われる。ルドルフの肩が小さく震えるのが見えた。
「ちょっと前まで、そんなこと言わなかっただろ!」
大きな声で怒鳴られて、スカートの中に隠した尻尾がきゅうと丸くなる。ルドルフは恐いことを言っても、恐いことはしない。怒鳴られたことだって、一度もなかった。目にじわりと涙が浮いて、視界が滲む。
「私、一人で帰る。買い物しなきゃいけないもの」
情けない顔を見られたくなくて、左手で帽子のツバを引き下げる。右手はまだ、ルドルフに握られたままだ。
「駄目だ」
「どうして?」
怒気を孕んだ声に、泣き声で返す。ルドルフは振り返らない。メアリーの右手を掴んだまま、どんどん足を進めてしまう。
「ねぇ、どうしてそんなに怒ってるの?」
ようやく、ルドルフが足を止める。振り向いたルドルフは、これまで見たことが無いような冷ややかな視線をメアリーに向けていた。
「あんた、本当に何も分かってないのか? それとも、分からないフリしてるだけ?」
空っぽの買い物かごが、地面に落ちる。自由になった右手で、ルドルフがメアリーの頬に触れる。大きな手だ。ごつごつと節が目立ち、少しだけ乾燥している。
親指が、唇の上を滑る。中心を柔らかく押され、指先が歯に触れた。
「いや……!」
気づいた時には、ルドルフの手を払いのけていた。
「私、帰らない! ルディと一緒には帰らない!」
「いい加減にしろ! 帰るって言ったら帰るんだ!」
「ルディのばか! わからず屋!」
「分かってないのはあんたの方だろ……!」
喉の奥で唸るような声を出され、びくりと肩が揺れる。スカートの下の尻尾は、もうずっと情けなく丸まったままだ。
「……帰るぞ」
ルドルフが買い物かごを拾い上げ、反対の手をメアリーに差し出す。それでも動かずにいたら、大きなため息を落とされた。
「泣いても暴れても連れて帰るからな」
強引に腕を引かれ、止まっていた歩みを再開させる。これではどちらが子供か分からない。そう思いながらも、メアリーに出来たのは、涙が溢れないように堪えることくらいだった。
久しぶりに町中まで出掛けてきたメアリーは、大きなため息をつく。強めの風が吹くのに気が付き、ツバの広い帽子が飛ばないように両手で押さえた。帽子は飛ばなかったけれどスカートの裾が広がって、膝上までめくれ上がる。
「きゃっ……!」
慌ててスカートを押さえて、今度は帽子から手が離れた。ふわりと浮き上がった帽子は、風に飛ばされることはなく、そのままメアリーの頭に戻された。帽子を押さえてくれた大きな手のひらが、買い物かごを奪い去る。
「なんで一人で出掛けてるんだよ」
「ルディ」
「その呼び方やめろ」
不機嫌そうな低い声を出したルドルフが、メアリーの隣に並ぶ。
「一緒にお買い物がしたかったの?」
わざとからかうような言い方をしたのに、ルドルフが乗ってこない。代わりに喉の奥で低い唸り声を出しているから、その視線を追いかける。
「ルディ、知らない人をそんなに睨みつけちゃいけないわ」
「時と場合によっては許されるだろ」
「時と場合? どんな?」
「あいつ、メアリーに色目使いやがった」
「そんな、気のせいよ」
堪えかねたのか、ルドルフの視線の先にいた男が逃げ出した。足早に立ち去る男の後ろ姿を申し訳なく思いながら見つめ、眉を下げる。羊獣人の適齢期は、十代半ばからの数年間だけ。メアリーは、とっくにその時期を過ぎている。だから誰かがメアリー相手に懸想するなんて、そんなことはもうあり得ない。
「あんたがそんなだから……くそっ、取りあえず帰るぞ」
ルドルフが、買い物かごを持つのと反対の手でメアリーの手を掴む。そのままぐいぐい引っ張って町の外に向かおうとするものだから、メアリーは足を踏ん張ってルドルフを止めなければならなかった。
「待って、まだ買い物が済んでないわ」
「……何が欲しいんだよ」
「卵と、じゃがいもと」
「なんで」
「え?」
「あんた、そんなの食わないだろ」
「私じゃなくてルディが食べるでしょう?」
「いらない」
「だめよ。成長期――は、もう終わっちゃったかもしれないけど。必要な栄養を摂るのは大事なことなのよ」
「いらない。……あんたと同じでいい」
ぽつりと落とされた言葉が、甘い響きを帯びている。
「……だめよ。私と貴方は違うんだから」
どう答えるべきか迷って、やっと口にしたのはそんな言葉だった。自分の言葉に、泣きたい気持ちに襲われる。ルドルフの肩が小さく震えるのが見えた。
「ちょっと前まで、そんなこと言わなかっただろ!」
大きな声で怒鳴られて、スカートの中に隠した尻尾がきゅうと丸くなる。ルドルフは恐いことを言っても、恐いことはしない。怒鳴られたことだって、一度もなかった。目にじわりと涙が浮いて、視界が滲む。
「私、一人で帰る。買い物しなきゃいけないもの」
情けない顔を見られたくなくて、左手で帽子のツバを引き下げる。右手はまだ、ルドルフに握られたままだ。
「駄目だ」
「どうして?」
怒気を孕んだ声に、泣き声で返す。ルドルフは振り返らない。メアリーの右手を掴んだまま、どんどん足を進めてしまう。
「ねぇ、どうしてそんなに怒ってるの?」
ようやく、ルドルフが足を止める。振り向いたルドルフは、これまで見たことが無いような冷ややかな視線をメアリーに向けていた。
「あんた、本当に何も分かってないのか? それとも、分からないフリしてるだけ?」
空っぽの買い物かごが、地面に落ちる。自由になった右手で、ルドルフがメアリーの頬に触れる。大きな手だ。ごつごつと節が目立ち、少しだけ乾燥している。
親指が、唇の上を滑る。中心を柔らかく押され、指先が歯に触れた。
「いや……!」
気づいた時には、ルドルフの手を払いのけていた。
「私、帰らない! ルディと一緒には帰らない!」
「いい加減にしろ! 帰るって言ったら帰るんだ!」
「ルディのばか! わからず屋!」
「分かってないのはあんたの方だろ……!」
喉の奥で唸るような声を出され、びくりと肩が揺れる。スカートの下の尻尾は、もうずっと情けなく丸まったままだ。
「……帰るぞ」
ルドルフが買い物かごを拾い上げ、反対の手をメアリーに差し出す。それでも動かずにいたら、大きなため息を落とされた。
「泣いても暴れても連れて帰るからな」
強引に腕を引かれ、止まっていた歩みを再開させる。これではどちらが子供か分からない。そう思いながらも、メアリーに出来たのは、涙が溢れないように堪えることくらいだった。
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