キスより甘く、甘噛みより深く

後向

文字の大きさ
4 / 13
一章

4話目

しおりを挟む
 最近のルドルフはおかしい。好意を持たれていることには、ずっと前から気づいていた。でもそれは、思春期の男の子が身近な年上の女性に想いを寄せる、一時的なものだと思っていた。きっと成長すれば忘れてしまうだろうと――大きくなったら笑い話にしてしまえるような、そういう類のものだと思っていたのに。

 久しぶりに町中まで出掛けてきたメアリーは、大きなため息をつく。強めの風が吹くのに気が付き、ツバの広い帽子が飛ばないように両手で押さえた。帽子は飛ばなかったけれどスカートの裾が広がって、膝上までめくれ上がる。

「きゃっ……!」

 慌ててスカートを押さえて、今度は帽子から手が離れた。ふわりと浮き上がった帽子は、風に飛ばされることはなく、そのままメアリーの頭に戻された。帽子を押さえてくれた大きな手のひらが、買い物かごを奪い去る。

「なんで一人で出掛けてるんだよ」
「ルディ」
「その呼び方やめろ」

 不機嫌そうな低い声を出したルドルフが、メアリーの隣に並ぶ。

「一緒にお買い物がしたかったの?」

 わざとからかうような言い方をしたのに、ルドルフが乗ってこない。代わりに喉の奥で低い唸り声を出しているから、その視線を追いかける。

「ルディ、知らない人をそんなに睨みつけちゃいけないわ」
「時と場合によっては許されるだろ」
「時と場合? どんな?」
「あいつ、メアリーに色目使いやがった」
「そんな、気のせいよ」

 堪えかねたのか、ルドルフの視線の先にいた男が逃げ出した。足早に立ち去る男の後ろ姿を申し訳なく思いながら見つめ、眉を下げる。羊獣人の適齢期は、十代半ばからの数年間だけ。メアリーは、とっくにその時期を過ぎている。だから誰かがメアリー相手に懸想するなんて、そんなことはもうあり得ない。

「あんたがそんなだから……くそっ、取りあえず帰るぞ」

 ルドルフが、買い物かごを持つのと反対の手でメアリーの手を掴む。そのままぐいぐい引っ張って町の外に向かおうとするものだから、メアリーは足を踏ん張ってルドルフを止めなければならなかった。

「待って、まだ買い物が済んでないわ」
「……何が欲しいんだよ」
「卵と、じゃがいもと」
「なんで」
「え?」
「あんた、そんなの食わないだろ」
「私じゃなくてルディが食べるでしょう?」
「いらない」
「だめよ。成長期――は、もう終わっちゃったかもしれないけど。必要な栄養を摂るのは大事なことなのよ」
「いらない。……あんたと同じでいい」

 ぽつりと落とされた言葉が、甘い響きを帯びている。

「……だめよ。私と貴方は違うんだから」

 どう答えるべきか迷って、やっと口にしたのはそんな言葉だった。自分の言葉に、泣きたい気持ちに襲われる。ルドルフの肩が小さく震えるのが見えた。

「ちょっと前まで、そんなこと言わなかっただろ!」

 大きな声で怒鳴られて、スカートの中に隠した尻尾がきゅうと丸くなる。ルドルフは恐いことを言っても、恐いことはしない。怒鳴られたことだって、一度もなかった。目にじわりと涙が浮いて、視界が滲む。

「私、一人で帰る。買い物しなきゃいけないもの」

 情けない顔を見られたくなくて、左手で帽子のツバを引き下げる。右手はまだ、ルドルフに握られたままだ。

「駄目だ」
「どうして?」

 怒気を孕んだ声に、泣き声で返す。ルドルフは振り返らない。メアリーの右手を掴んだまま、どんどん足を進めてしまう。

「ねぇ、どうしてそんなに怒ってるの?」

 ようやく、ルドルフが足を止める。振り向いたルドルフは、これまで見たことが無いような冷ややかな視線をメアリーに向けていた。

「あんた、本当に何も分かってないのか? それとも、分からないフリしてるだけ?」

 空っぽの買い物かごが、地面に落ちる。自由になった右手で、ルドルフがメアリーの頬に触れる。大きな手だ。ごつごつと節が目立ち、少しだけ乾燥している。

 親指が、唇の上を滑る。中心を柔らかく押され、指先が歯に触れた。

「いや……!」

 気づいた時には、ルドルフの手を払いのけていた。

「私、帰らない! ルディと一緒には帰らない!」
「いい加減にしろ! 帰るって言ったら帰るんだ!」
「ルディのばか! わからず屋!」
「分かってないのはあんたの方だろ……!」

 喉の奥で唸るような声を出され、びくりと肩が揺れる。スカートの下の尻尾は、もうずっと情けなく丸まったままだ。

「……帰るぞ」

 ルドルフが買い物かごを拾い上げ、反対の手をメアリーに差し出す。それでも動かずにいたら、大きなため息を落とされた。

「泣いても暴れても連れて帰るからな」

 強引に腕を引かれ、止まっていた歩みを再開させる。これではどちらが子供か分からない。そう思いながらも、メアリーに出来たのは、涙が溢れないように堪えることくらいだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

新人メイド桃ちゃんのお仕事

さわみりん
恋愛
黒髪ボブのメイドの桃ちゃんが、働き先のお屋敷で、旦那様とその息子との親子丼。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

【完結】シュゼットのはなし

ここ
恋愛
子猫(獣人)のシュゼットは王子を守るため、かわりに竜の呪いを受けた。 顔に大きな傷ができてしまう。 当然責任をとって妃のひとりになるはずだったのだが‥。

踏み台(王女)にも事情はある

mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。 聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。 王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...