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二章
12話目
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腕を引かれたまま、滑らかなシャツに覆われた背中を眺める。この背中がメアリーのものよりも小さかったのは、最初の数年だけ。あっという間に追い越されて、挙句の果てに置いて行かれた。一人で越した冬の寒さを思い出し、ヘッドドレスで隠した耳がしゅんと垂れ下がる。
「メアリー、こっち」
「きゃっ……!」
一際強く腕を引かれ、空き部屋に連れ込まれてしまう。どこをどう歩いたのかも分からない。帰り道の心配をするよりも先に、ソファの上に押し倒された。見上げたルドルフは、綺麗に整えられていた黒髪をくしゃりと手で乱している。
「なんだよ、その服」
不機嫌そうに鼻に皺を寄せる姿は、出会った頃と変わらない。それに安堵を覚え、ほっと息を吐き出した。
「制服なの。やっぱり似合わなかった?」
「似合うよ。可愛い」
手の甲で頬に触れられ、その手を覆う手袋に気が付いた。直接触れられないのがもどかしくて、手袋の縁に指をかける。白い革手袋は、ルドルフの手の形にぴたりと合っている。上手く脱がせることが出来ずに苦戦していると、小さく笑ったルドルフが高級そうな手袋の指先に歯を立てた。手袋から抜け落ちた指で直接頬に触れられ、久しぶりの感触に思わず目を細めた。
「……似合うとか似合わないとか、そういう問題じゃないだろ。サイズぐらいちゃんと確認しろよ」
ボタンの外れたブラウスを指摘され、「あっ」と小さな声を上げる。
「ボタン、失くしちゃった」
「あのなぁ」
呆れた声を出したルドルフが、開けた胸元に手を伸ばす。弾け飛んだのは、上から三番目のボタンだった。辛うじて止まったままだった一番上のボタンと二番目のボタンが、ルドルフに外される。
「なぁメアリー、本当に分かってる?」
「何を?」
「あんた、自分で思うよりずっと美人なんだよ」
不機嫌そうに鼻を鳴らされ、ことりと首を傾げる。冗談だと言われるのを待ってみたけど、いつまで経ってもルドルフがその言葉を言う気配はない。
「ルディの冗談は分かりにくいのね」
「冗談なんかじゃねーよ」
開けた胸元に、ルドルフが鼻先を沈める。以前の彼なら絶対に触れなかった場所に、簡単に触れていく。戸惑いと羞恥で心臓が激しく動き、頭が上手く回らない。
「あちこち触られたんだろう? 嫌な臭いが染み込んでる」
熱い吐息が柔らかな肌の上を滑り、ぴくりと身体が揺れた。
「皆、酔っ払ってたみたいで」
「そういうフリして触る奴もいるし、酔ってたからって何しても良いわけじゃない。あんたは怒るべきなんだ」
「でも」
「なんだよ」
顔を上げたルドルフが、不機嫌そうにメアリーを見下ろす。
「お陰でルディに会えたわ」
ふいに、ルドルフの顔が歪んだ。初めて見る嘲るような笑みに、戸惑いを浮かべる。
「可愛いことを言えば許されるとでも思ってるのか?」
「なんのこと?」
「俺を売ったなメアリー」
どきりと心臓が跳ねる。
「私、そんなことしないわ」
「いいや。あんたは俺を売ったんだ。……たとえあんたにその気がなくても」
心当たりがあるだろうと言われれば、首を横に振ることが出来なかった。
「でも私、お金は受け取らなかったわ」
「そんな言い訳が許される世界じゃないんだ。あんたは書類にサインした。俺を手放すことに――二度と会わないことに同意したんだ」
「違う!」
「何が違う?」
「会わせてくれるって言ってたわ。ルディと一緒に暮らせなくなるのは分かってたけど、時々会わせてもらえるなら私は生きていけるから。ルディは私といるより良い暮らしが出来るし、本当の家族と一緒にいられるって。……その方がルディのためになるって」
「誰かにそう言われた?」
唇を噛みしめ、こくりと頷く。ルドルフが、深いため息を落とした。
「……馬鹿なメアリー。自分で書類は読まなかったのか?」
「難しい言葉がいっぱいで、よく分からなかったの。でも簡単な言葉で説明してもらえたから」
「口頭での説明を信じてサインしたんだな」
もう一度、小さく頷く。頭の中を色々な言葉が巡っている。一つ一つは簡単な言葉でも、くるくると翻りながら頭の中を回り続ける言葉の羅列は難解で、上手く飲み込めない。馬鹿だなぁと言うルドルフの声が妙に耳についたのは、その声が耳元で囁かれたから。格好良い姿しか見せようとしなかった彼の声が、微かに震えていたから。
「勝手なことするなよ。……捨てられたかと思っただろ」
きつく、きつく抱きしめられて、息をするのもままならない。それでも「苦しい」と文句を言うことは出来なかった。自分がとても酷いことをしたのだと気づいたから。ルドルフをひどく傷つけたのだと、気づいてしまったから。
「メアリー、こっち」
「きゃっ……!」
一際強く腕を引かれ、空き部屋に連れ込まれてしまう。どこをどう歩いたのかも分からない。帰り道の心配をするよりも先に、ソファの上に押し倒された。見上げたルドルフは、綺麗に整えられていた黒髪をくしゃりと手で乱している。
「なんだよ、その服」
不機嫌そうに鼻に皺を寄せる姿は、出会った頃と変わらない。それに安堵を覚え、ほっと息を吐き出した。
「制服なの。やっぱり似合わなかった?」
「似合うよ。可愛い」
手の甲で頬に触れられ、その手を覆う手袋に気が付いた。直接触れられないのがもどかしくて、手袋の縁に指をかける。白い革手袋は、ルドルフの手の形にぴたりと合っている。上手く脱がせることが出来ずに苦戦していると、小さく笑ったルドルフが高級そうな手袋の指先に歯を立てた。手袋から抜け落ちた指で直接頬に触れられ、久しぶりの感触に思わず目を細めた。
「……似合うとか似合わないとか、そういう問題じゃないだろ。サイズぐらいちゃんと確認しろよ」
ボタンの外れたブラウスを指摘され、「あっ」と小さな声を上げる。
「ボタン、失くしちゃった」
「あのなぁ」
呆れた声を出したルドルフが、開けた胸元に手を伸ばす。弾け飛んだのは、上から三番目のボタンだった。辛うじて止まったままだった一番上のボタンと二番目のボタンが、ルドルフに外される。
「なぁメアリー、本当に分かってる?」
「何を?」
「あんた、自分で思うよりずっと美人なんだよ」
不機嫌そうに鼻を鳴らされ、ことりと首を傾げる。冗談だと言われるのを待ってみたけど、いつまで経ってもルドルフがその言葉を言う気配はない。
「ルディの冗談は分かりにくいのね」
「冗談なんかじゃねーよ」
開けた胸元に、ルドルフが鼻先を沈める。以前の彼なら絶対に触れなかった場所に、簡単に触れていく。戸惑いと羞恥で心臓が激しく動き、頭が上手く回らない。
「あちこち触られたんだろう? 嫌な臭いが染み込んでる」
熱い吐息が柔らかな肌の上を滑り、ぴくりと身体が揺れた。
「皆、酔っ払ってたみたいで」
「そういうフリして触る奴もいるし、酔ってたからって何しても良いわけじゃない。あんたは怒るべきなんだ」
「でも」
「なんだよ」
顔を上げたルドルフが、不機嫌そうにメアリーを見下ろす。
「お陰でルディに会えたわ」
ふいに、ルドルフの顔が歪んだ。初めて見る嘲るような笑みに、戸惑いを浮かべる。
「可愛いことを言えば許されるとでも思ってるのか?」
「なんのこと?」
「俺を売ったなメアリー」
どきりと心臓が跳ねる。
「私、そんなことしないわ」
「いいや。あんたは俺を売ったんだ。……たとえあんたにその気がなくても」
心当たりがあるだろうと言われれば、首を横に振ることが出来なかった。
「でも私、お金は受け取らなかったわ」
「そんな言い訳が許される世界じゃないんだ。あんたは書類にサインした。俺を手放すことに――二度と会わないことに同意したんだ」
「違う!」
「何が違う?」
「会わせてくれるって言ってたわ。ルディと一緒に暮らせなくなるのは分かってたけど、時々会わせてもらえるなら私は生きていけるから。ルディは私といるより良い暮らしが出来るし、本当の家族と一緒にいられるって。……その方がルディのためになるって」
「誰かにそう言われた?」
唇を噛みしめ、こくりと頷く。ルドルフが、深いため息を落とした。
「……馬鹿なメアリー。自分で書類は読まなかったのか?」
「難しい言葉がいっぱいで、よく分からなかったの。でも簡単な言葉で説明してもらえたから」
「口頭での説明を信じてサインしたんだな」
もう一度、小さく頷く。頭の中を色々な言葉が巡っている。一つ一つは簡単な言葉でも、くるくると翻りながら頭の中を回り続ける言葉の羅列は難解で、上手く飲み込めない。馬鹿だなぁと言うルドルフの声が妙に耳についたのは、その声が耳元で囁かれたから。格好良い姿しか見せようとしなかった彼の声が、微かに震えていたから。
「勝手なことするなよ。……捨てられたかと思っただろ」
きつく、きつく抱きしめられて、息をするのもままならない。それでも「苦しい」と文句を言うことは出来なかった。自分がとても酷いことをしたのだと気づいたから。ルドルフをひどく傷つけたのだと、気づいてしまったから。
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