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14.嫉妬
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「君は僕に相談……というか報告しなくちゃならないことがあるんじゃない?」
アレクシと会うのは十日ぶりだった。
会うなり責めるような口調で言われ、クラウスとのことを知られたのだろうか、とミシェルは焦った。
クラウスと寝たことを、正直に話したところで、嫉妬するふりはしても、アレクシが本心から嫉妬することはないだろう。
けれど、当の本人であるミシェルさえよくわかっていない、クラウスに手を出した理由を見透かされそうで、それが嫌だった。
「……何のこと?」
とぼけて、首を傾ける。
アレクシの飄々とした顔が、いつになく真面目になった。
「バルニエ男爵の夜会で襲われたんだってね。寛容なのは良いことだけど、この件については寛大な心なんていらない」
「ああ、そのこと……」
ほっと胸を撫で下ろしたミシェルの顔をアレクシが覗き込む。
「紳士らしからぬ行動をした罰は与えなくてはならない。相応の制裁は受けて貰うよ。君に手を出したって事は、僕の顔に泥を塗ったのと同意だからね」
「あなたに任せるわ。事を大きくされるのは嫌だけれど」
クラウスとの一件の方を優先していたが、あの男に受けた屈辱を忘れてはいない。
最近は、何となく、ドレスを着るのも悪くないと思っていた。今夜もどちらかというと、ドレスを着たい気分だったのだが、あの時のことが脳裏を掠め、結局、燕尾服を選んだ。
アレクシが知り、彼らの行為を許せないと言うのなら、止める気にはならない。
「……言わないでって言ったのに……クラウス、あなたに告げ口したのね」
「告げ口というか、お叱りに近かったけどね」
「お叱り?」
「恋人ならもっと君を大切に扱え、みたいな?」
「……何よ、それ」
「君の指を折ろうとしてたらしいね。そのことが特に許せなかったみたいだよ。まあ僕もね、いつか何か仕出かしそうだなって思っていた連中がいたにも関わらず、君を置いて帰ったわけだから、責任を感じてる。彼がちゃんと君を見張っててくれたお陰で、君は無事だったんだ。告げ口の件は、君の寛容な心で許してあげて欲しいな」
「私だって感謝はしているわよ。……それなりに」
肩を竦めて言うと、アレクシは意味ありげに笑みを深くした。
「それはそうと、気のせいかな……君、色っぽくなったよね」
「……気のせいよ」
動揺を悟られぬように視線を逸らしたが、アレクシはクスクスと小癪な笑い声を漏らしていた。
クラウスを招いていることもあってだろう。
さほど日が空いていないのに、バラティエ公爵家で夜会が催されていた。
クラウスと同じ舞台に立ちたくなかったミシェルは今夜の演奏を断っている。
クラウスの演奏が終わり、遠回しに舞台に上がることを薦められても、ワインを口にしたので情けない姿を見せたくない、と言って辞退していた。
単に、断る名目だったのだが――。
ガブガブとワインを煽りだしたミシェルに、隣にいるアレクシの微笑みが強ばり始めた。
「君がアルコールに強いのは知ってるけど……いくら何でも呑みすぎじゃない?」
「これくらい平気よ」
アレクシの演技じみた溜め息を無視し、ミシェルは給仕におかわりを頼む。
時を遡ること一時間前。
クラウスの演奏を聴き終えたミシェルに、以前のような動揺はなかった。
妬ましさはあるものの、彼のピアノを純粋に愉しむことも出来た。
今宵は未亡人、ロレーヌ姿があった。
未亡人に相応しくない淡い水色のドレスを纏っている。
演奏後、貴族連中から守るように、そっと彼女にクラウスが近づくのが視界に映っても、ミシェルは平然としていた。
いつも以上にアレクシがミシェルの肩に触れたり、髪を撫でたり、唇を耳元に止せ、内緒にする必要のない、どうでもいいことを声を落し囁いて来る。
そのことを訝しみながらも、ミシェルもまた寄り添うクラウスとロレーヌを見ていると、張り合うような気持ちになり、積極的にアレクシに絡んでいた。
なぜ、どうしてそういう流れになったのか――。
とある淑女がロレーヌにピアノを弾くよう薦めた。
ロレーヌは手習い程度の拙いものですから、と顔を真っ赤にさせ、断っていたが、それでも構わないから、と言ってしつこく、まるで囃し立てるみたく、彼女を壇上に追いやった。
どうやら、未亡人の存在を気に食わなく思っていたのは、ミシェルだけではなかったようだ。
たとえば彼女が披露するのがピアノではなくダンスであったなら、いい気味だと内心嗤っていたことだろう。
けれど、クラウスの演奏した舞台で、自分がピアノを奏でる。彼女の置かれた状況を自身に重ね合わせると、哀れみの感情が湧いてきた。
彼が動くのが数秒遅かったら……ミシェルが、淑女達のささやかな嫌がらせを窘めていたかもしれない。
「手習い程度だと仰っていたのは謙遜ね。聴き惚れましたわ」
「いえ、そんな私なんて……クラウスのお陰です」
顔を紅潮させ、おどおどとロレーヌが答えている。
「いやいや、ベンター夫人もなかなかのものでしたよ。いくらクラウス殿でも、私が隣にいたら、聴くに堪えなかったでしょう」
「ああいうのって息が合っていないと駄目なのでしょ。呼吸がぴったり合っているというのかしら。微笑ましくなるような演奏でしたわ」
「わたくしも以前、妹と連弾したことがあるのだけれど、意外と難しいのよ。テンポだけでなく強弱を合わせるのって」
紳士淑女が二人を取り囲み、朗らかに会話している。
(難しい?あの女は難易度の低い譜面を、普通に弾いていただけでしょ。クラウスが合わせてただけじゃない)
舞台に追いやられたロレーヌは、まるで仔犬が母犬に縋るような視線をクラウスに向け、彼はそれに応えた。
夜会での連弾は珍しかった上に、その演奏が悪くなかったものだから、嫌がらせをしていた淑女達も、掌を返し、彼女を賞賛していた。
その状況がミシェルをさらに荒ませる。
(息が合ってるのは恋人、愛人だからでしょ。あんな風に仲の良さを見せつけるなんて……汚らわしいわ)
ぐびり、とワインを一口呑んで、足を進める。
「……ミシェル」
ふいにロレーヌの方へと歩き始めたミシェルに、不穏な空気を感じたのだろう。
アレクシが腕を掴み、引き留めようとするが、ミシェルはその手を振り払った。
つかつかと歩み寄るミシェルに気づき、クラウスの顔があからさまに強ばる。
彼に優雅な微笑みを向けてから、ロレーヌに眼差しを移した。
「素晴らしい演奏でしたわ。本当に」
ロレーヌだけではなく周囲の視線もミシェルに集まる。
ざわめきがミシェルの一言で静まったのは、褒めてはいるがその声音が冷ややかだったからだろう。
「あなたにピアノを教えたのはクラウスなのかしら?あなたの拙さ……癖を、彼は上手く補っていたわね。いくら技術が優れていても、なかなか出来ることじゃないもの」
「……ええ。ピアノは幼い頃から習ってはいましたが、クラウスにも……」
「何年ほど習ったのかしら?クラウスが父の元を、ライネローズから出て行ったのは八年前。あなたがベンター家に嫁いだのは四年前よね?」
「……三年ほど前に旦那様……夫に、クラウスを紹介されたので……それくらいの時期から、教えて貰うように」
「あら!驚いたわ。三年前といえば公爵はまだご健在よね。その時から二人が懇意にしてたなんて、公爵は随分、寛大なお方だったのね!」
わざとらしく。大袈裟にミシェルは言った。
「ミシェル」
怒りをはらんだ低い声に名を呼ばれ、ミシェルはクラウスを一瞥する。
「隠す必要なんてないでしょう?みんな知っているわよ。あなたとロレーヌ夫人がただならぬ仲だってことぐらい」
衆目を浴び、朱を帯びていたロレーヌの頬がさらに赤味を増す。
男に庇護欲を抱かせる恥じらった彼女の姿を、ミシェルは一笑した。
「未亡人という立場にありながら、若い男を引き連れているあなたに、羞恥心があるなんて驚きだわ。舞台の上では堂々と仲睦まじくしていたじゃない。ねえ?夜もクラウスは、あなたの拙さを補ってくれているの?それとも夜はあなたの方がお上手なのかしら」
頭で考えるよりも早く、彼女を侮辱する言葉が口から溢れ出てくる。
悪意をぶつけられたロレーヌの大きな瞳が揺れ、潤んでくると、一層、腹が立ってきた。
すぐに泣く女は大嫌いだ。
「ダトルではどうかしらないけど、ライネローズではあなたみたいな人のこと、恥知らずって言うのよ」
ミシェルは言い放つと同時に、手にしたグラスの中身を彼女に向けてぶち撒けてやった。
まだ半分ほど残っていたワインが水色のドレスの胸元を赤く染め、ロレーヌの顔がくしゃりと歪んだ。
(ざまあみろ、よ)
清々した気分に酔っていたミシェルは、周囲の空気に気づき、深くさせていた笑みを引き攣らせた。
連弾の演奏で和やかになっていたとはいえ、ロレーヌに対して、特に淑女連中は良い感情を抱いていないはずだ。未亡人が色男のピアニストを連れて歩く厚顔さを陰では嗤っていて、ミシェルの言葉に同調するはずだった。
言い辛いことを、良く言ってくれた、と。同調し、拍手してくれたって良いのに――。
しんと静まり返った雰囲気の中、ロレーヌが顔を覆いミシェルに背を向けて走っていく。
彼女の名を呼びながら、クラウスがその後を追った。
ミシェルへの怒りより、彼女の心配の方が勝ったのだろう。ミシェルを睨み付けることすらしなかった。
「やりすぎだよ。ミシェル」
空になったグラスを取り上げられる。
見ると、アレクシが無表情で見下ろしていた。
そしてゆったりした足取りで、彼もまたロレーヌを追った。
(何よ、あなたまで彼女に……行くことないじゃない……)
凍り付いていた空気がロレーヌ達がいなくなったことで溶けていく。
しかし、誰一人ミシェルに話し掛けてくる者はいない。腫れ物に触るような微妙な空気感。
白けたような視線……。
(……これじゃあ、私だけが悪者じゃない)
和やかな雰囲気を壊した。恥知らずなのはお前の方だ。
周囲の視線がそう言っていた。
アレクシと会うのは十日ぶりだった。
会うなり責めるような口調で言われ、クラウスとのことを知られたのだろうか、とミシェルは焦った。
クラウスと寝たことを、正直に話したところで、嫉妬するふりはしても、アレクシが本心から嫉妬することはないだろう。
けれど、当の本人であるミシェルさえよくわかっていない、クラウスに手を出した理由を見透かされそうで、それが嫌だった。
「……何のこと?」
とぼけて、首を傾ける。
アレクシの飄々とした顔が、いつになく真面目になった。
「バルニエ男爵の夜会で襲われたんだってね。寛容なのは良いことだけど、この件については寛大な心なんていらない」
「ああ、そのこと……」
ほっと胸を撫で下ろしたミシェルの顔をアレクシが覗き込む。
「紳士らしからぬ行動をした罰は与えなくてはならない。相応の制裁は受けて貰うよ。君に手を出したって事は、僕の顔に泥を塗ったのと同意だからね」
「あなたに任せるわ。事を大きくされるのは嫌だけれど」
クラウスとの一件の方を優先していたが、あの男に受けた屈辱を忘れてはいない。
最近は、何となく、ドレスを着るのも悪くないと思っていた。今夜もどちらかというと、ドレスを着たい気分だったのだが、あの時のことが脳裏を掠め、結局、燕尾服を選んだ。
アレクシが知り、彼らの行為を許せないと言うのなら、止める気にはならない。
「……言わないでって言ったのに……クラウス、あなたに告げ口したのね」
「告げ口というか、お叱りに近かったけどね」
「お叱り?」
「恋人ならもっと君を大切に扱え、みたいな?」
「……何よ、それ」
「君の指を折ろうとしてたらしいね。そのことが特に許せなかったみたいだよ。まあ僕もね、いつか何か仕出かしそうだなって思っていた連中がいたにも関わらず、君を置いて帰ったわけだから、責任を感じてる。彼がちゃんと君を見張っててくれたお陰で、君は無事だったんだ。告げ口の件は、君の寛容な心で許してあげて欲しいな」
「私だって感謝はしているわよ。……それなりに」
肩を竦めて言うと、アレクシは意味ありげに笑みを深くした。
「それはそうと、気のせいかな……君、色っぽくなったよね」
「……気のせいよ」
動揺を悟られぬように視線を逸らしたが、アレクシはクスクスと小癪な笑い声を漏らしていた。
クラウスを招いていることもあってだろう。
さほど日が空いていないのに、バラティエ公爵家で夜会が催されていた。
クラウスと同じ舞台に立ちたくなかったミシェルは今夜の演奏を断っている。
クラウスの演奏が終わり、遠回しに舞台に上がることを薦められても、ワインを口にしたので情けない姿を見せたくない、と言って辞退していた。
単に、断る名目だったのだが――。
ガブガブとワインを煽りだしたミシェルに、隣にいるアレクシの微笑みが強ばり始めた。
「君がアルコールに強いのは知ってるけど……いくら何でも呑みすぎじゃない?」
「これくらい平気よ」
アレクシの演技じみた溜め息を無視し、ミシェルは給仕におかわりを頼む。
時を遡ること一時間前。
クラウスの演奏を聴き終えたミシェルに、以前のような動揺はなかった。
妬ましさはあるものの、彼のピアノを純粋に愉しむことも出来た。
今宵は未亡人、ロレーヌ姿があった。
未亡人に相応しくない淡い水色のドレスを纏っている。
演奏後、貴族連中から守るように、そっと彼女にクラウスが近づくのが視界に映っても、ミシェルは平然としていた。
いつも以上にアレクシがミシェルの肩に触れたり、髪を撫でたり、唇を耳元に止せ、内緒にする必要のない、どうでもいいことを声を落し囁いて来る。
そのことを訝しみながらも、ミシェルもまた寄り添うクラウスとロレーヌを見ていると、張り合うような気持ちになり、積極的にアレクシに絡んでいた。
なぜ、どうしてそういう流れになったのか――。
とある淑女がロレーヌにピアノを弾くよう薦めた。
ロレーヌは手習い程度の拙いものですから、と顔を真っ赤にさせ、断っていたが、それでも構わないから、と言ってしつこく、まるで囃し立てるみたく、彼女を壇上に追いやった。
どうやら、未亡人の存在を気に食わなく思っていたのは、ミシェルだけではなかったようだ。
たとえば彼女が披露するのがピアノではなくダンスであったなら、いい気味だと内心嗤っていたことだろう。
けれど、クラウスの演奏した舞台で、自分がピアノを奏でる。彼女の置かれた状況を自身に重ね合わせると、哀れみの感情が湧いてきた。
彼が動くのが数秒遅かったら……ミシェルが、淑女達のささやかな嫌がらせを窘めていたかもしれない。
「手習い程度だと仰っていたのは謙遜ね。聴き惚れましたわ」
「いえ、そんな私なんて……クラウスのお陰です」
顔を紅潮させ、おどおどとロレーヌが答えている。
「いやいや、ベンター夫人もなかなかのものでしたよ。いくらクラウス殿でも、私が隣にいたら、聴くに堪えなかったでしょう」
「ああいうのって息が合っていないと駄目なのでしょ。呼吸がぴったり合っているというのかしら。微笑ましくなるような演奏でしたわ」
「わたくしも以前、妹と連弾したことがあるのだけれど、意外と難しいのよ。テンポだけでなく強弱を合わせるのって」
紳士淑女が二人を取り囲み、朗らかに会話している。
(難しい?あの女は難易度の低い譜面を、普通に弾いていただけでしょ。クラウスが合わせてただけじゃない)
舞台に追いやられたロレーヌは、まるで仔犬が母犬に縋るような視線をクラウスに向け、彼はそれに応えた。
夜会での連弾は珍しかった上に、その演奏が悪くなかったものだから、嫌がらせをしていた淑女達も、掌を返し、彼女を賞賛していた。
その状況がミシェルをさらに荒ませる。
(息が合ってるのは恋人、愛人だからでしょ。あんな風に仲の良さを見せつけるなんて……汚らわしいわ)
ぐびり、とワインを一口呑んで、足を進める。
「……ミシェル」
ふいにロレーヌの方へと歩き始めたミシェルに、不穏な空気を感じたのだろう。
アレクシが腕を掴み、引き留めようとするが、ミシェルはその手を振り払った。
つかつかと歩み寄るミシェルに気づき、クラウスの顔があからさまに強ばる。
彼に優雅な微笑みを向けてから、ロレーヌに眼差しを移した。
「素晴らしい演奏でしたわ。本当に」
ロレーヌだけではなく周囲の視線もミシェルに集まる。
ざわめきがミシェルの一言で静まったのは、褒めてはいるがその声音が冷ややかだったからだろう。
「あなたにピアノを教えたのはクラウスなのかしら?あなたの拙さ……癖を、彼は上手く補っていたわね。いくら技術が優れていても、なかなか出来ることじゃないもの」
「……ええ。ピアノは幼い頃から習ってはいましたが、クラウスにも……」
「何年ほど習ったのかしら?クラウスが父の元を、ライネローズから出て行ったのは八年前。あなたがベンター家に嫁いだのは四年前よね?」
「……三年ほど前に旦那様……夫に、クラウスを紹介されたので……それくらいの時期から、教えて貰うように」
「あら!驚いたわ。三年前といえば公爵はまだご健在よね。その時から二人が懇意にしてたなんて、公爵は随分、寛大なお方だったのね!」
わざとらしく。大袈裟にミシェルは言った。
「ミシェル」
怒りをはらんだ低い声に名を呼ばれ、ミシェルはクラウスを一瞥する。
「隠す必要なんてないでしょう?みんな知っているわよ。あなたとロレーヌ夫人がただならぬ仲だってことぐらい」
衆目を浴び、朱を帯びていたロレーヌの頬がさらに赤味を増す。
男に庇護欲を抱かせる恥じらった彼女の姿を、ミシェルは一笑した。
「未亡人という立場にありながら、若い男を引き連れているあなたに、羞恥心があるなんて驚きだわ。舞台の上では堂々と仲睦まじくしていたじゃない。ねえ?夜もクラウスは、あなたの拙さを補ってくれているの?それとも夜はあなたの方がお上手なのかしら」
頭で考えるよりも早く、彼女を侮辱する言葉が口から溢れ出てくる。
悪意をぶつけられたロレーヌの大きな瞳が揺れ、潤んでくると、一層、腹が立ってきた。
すぐに泣く女は大嫌いだ。
「ダトルではどうかしらないけど、ライネローズではあなたみたいな人のこと、恥知らずって言うのよ」
ミシェルは言い放つと同時に、手にしたグラスの中身を彼女に向けてぶち撒けてやった。
まだ半分ほど残っていたワインが水色のドレスの胸元を赤く染め、ロレーヌの顔がくしゃりと歪んだ。
(ざまあみろ、よ)
清々した気分に酔っていたミシェルは、周囲の空気に気づき、深くさせていた笑みを引き攣らせた。
連弾の演奏で和やかになっていたとはいえ、ロレーヌに対して、特に淑女連中は良い感情を抱いていないはずだ。未亡人が色男のピアニストを連れて歩く厚顔さを陰では嗤っていて、ミシェルの言葉に同調するはずだった。
言い辛いことを、良く言ってくれた、と。同調し、拍手してくれたって良いのに――。
しんと静まり返った雰囲気の中、ロレーヌが顔を覆いミシェルに背を向けて走っていく。
彼女の名を呼びながら、クラウスがその後を追った。
ミシェルへの怒りより、彼女の心配の方が勝ったのだろう。ミシェルを睨み付けることすらしなかった。
「やりすぎだよ。ミシェル」
空になったグラスを取り上げられる。
見ると、アレクシが無表情で見下ろしていた。
そしてゆったりした足取りで、彼もまたロレーヌを追った。
(何よ、あなたまで彼女に……行くことないじゃない……)
凍り付いていた空気がロレーヌ達がいなくなったことで溶けていく。
しかし、誰一人ミシェルに話し掛けてくる者はいない。腫れ物に触るような微妙な空気感。
白けたような視線……。
(……これじゃあ、私だけが悪者じゃない)
和やかな雰囲気を壊した。恥知らずなのはお前の方だ。
周囲の視線がそう言っていた。
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