元婚約者でも、容赦しません

真壁 莉雨

文字の大きさ
3 / 7

3話

 スタンリーは、机の上に置かれた書類を指先でなぞりながら、ふっと視線を上げた。その瞳には、先ほどまでの同情とは異なる、熱を帯びた輝きが宿っている。

「エミリア。君のような才知を、ただ『自由になった』と、市井に埋もれさせておくのは、国として最大の損失だと思わないか?」
「……殿下、それはどういう意味でございましょう」
「言葉通りの意味だ。君のその領地経営の手腕、そしてダラスの無能さを完璧に補填していた事務処理能力。それを、もっと大きな場所で……つまり、王宮の政務の中枢で振るってほしいのだ」

 エミリアは、その言葉の重みを慎重に量った。
 王宮で政務に携わる女性など、この国では稀有だ。それは単なる「職員」としての登用ではない。

「私のような、婚約を破棄されたばかりの女が王宮に出入りすれば、余計な噂が立つのではございませんか?」
「噂か。それなら、誰も文句の言えない形にすればいい。……例えば、私の『婚約者候補』として、王宮に籍を置くというのはどうだ?」

 静かな室内で、その言葉だけが鮮明に響いた。
 エミリアは思わず、持っていた扇を握りしめる。

「殿下、それは……あまりに冗談が過ぎますわ」
「冗談に見えるか? 私は大真面目だ。君をダラスのような愚か者の隣に座らせていたことが、どれほどの無駄だったか。今の話で痛いほどよくわかった。私は、君のその頭脳を、そしてその誇り高い魂を、私自身の隣に置きたい」

 スタンリーの声は低く、そして確かな熱を持っていた。
 彼は立ち上がり、エミリアの元へ一歩歩み寄る。

「君には『自由』が必要だ。だが、私の隣にいることが、今の君にとって最大の自由を保障する手段になるとは思わないか? 君を縛るものは何もない。ただ、君の能力を最大限に発揮できる場所を提供したいのだ」

 エミリアは、彼の真摯な眼差しを見つめ返した。
 これは「求婚」という形を借りた、最高のスカウトだ。そして同時に、ダラスへのこれ以上ない「ざまぁ」でもある。
 捨てられたはずの女が、その日のうちに王子から、それも能力を認められた上での打診を受ける。これを知った時の、あの傲慢な男の顔を想像するだけで、胸がすく思いだった。

「……殿下。私は、可愛げのない人形でございますよ?」
「ああ、知っている。だが、私は飾り物の人形など欲してはいない。私と共に国を導く、賢明なパートナーを求めているんだ」

 エミリアの唇に、確信に満ちた笑みが浮かんだ。

「そのお言葉、後悔なさいませんよう。私は、ダラス様のように扱いやすい女ではございませんから」
「望むところだ、エミリア」

 その日の夕刻、王宮から一つの「告知」が出された。
 内容は、ダラス卿とエミリア嬢の婚約解消の承認。そして――。
 エミリア嬢を、スタンリー王子の筆頭補佐官兼、婚約者候補として王宮に迎え入れるというものだった。

 この知らせは、瞬く間に社交界を駆け抜けた。
 高級クラブで友人たちと「厄介払い」を祝って酒を煽っていたダラスの元に、その報せが届く。

「……な、なんだと!? エミリアが、スタンリー殿下の婚約者候補!? 馬鹿な、あんな無能な女を……っ!」

 ダラスの手からグラスが滑り落ち、床で粉々に砕け散った。
 周囲の貴族たちの視線が、一瞬にして「憐れみ」から「軽蔑」へと変わる。
 国を支えるほどの才能を持った令嬢を、自ら手放し、さらには王子にその価値を証明されてしまった愚か者。そのレッテルは、これからの彼の一生に付きまとうことになるのだ。

 一方、エミリアはすでに前を見ていた。
 王子の差し出した手を取り、彼女は新たな戦場へと足を踏み出す。

「さて……まずは、ダラス様が使い込んだ公金の回収から始めましょうか。殿下?」
「ああ、容赦なくやってくれ。期待しているよ」

あなたにおすすめの小説

ようやく自由にしてくださって感謝いたします

一ノ瀬和葉
恋愛
華やかな舞踏会の夜、突然告げられた婚約破棄。 誰もが涙と屈辱を予想する中、令嬢の唇からこぼれたのは――思いがけない一言だった。 その瞬間から、運命は静かに、しかし決定的に動き出す。 ※ご都合です、小説家になろう様でも投稿しています。

婚約破棄の翌日に謝罪されるも、再び婚約する気はありません

黒木 楓
恋愛
 子爵令嬢パトリシアは、カルスに婚約破棄を言い渡されていた。  激務だった私は婚約破棄になったことに内心喜びながら、家に帰っていた。  婚約破棄はカルスとカルスの家族だけで決めたらしく、他の人は何も知らない。  婚約破棄したことを報告すると大騒ぎになり、私の協力によって領地が繁栄していたことをカルスは知る。  翌日――カルスは謝罪して再び婚約して欲しいと頼み込んでくるけど、婚約する気はありません。

「婚約破棄だ」と笑った元婚約者、今さら跪いても遅いですわ

ゆっこ
恋愛
 その日、私は王宮の大広間で、堂々たる声で婚約破棄を宣言された。 「リディア=フォルステイル。お前との婚約は――今日をもって破棄する!」  声の主は、よりにもよって私の婚約者であるはずの王太子・エルネスト。  いつもは威厳ある声音の彼が、今日に限って妙に勝ち誇った笑みを浮かべている。  けれど――。 (……ふふ。そう来ましたのね)  私は笑みすら浮かべず、王太子をただ静かに見つめ返した。  大広間の視線が一斉に私へと向けられる。  王族、貴族、外交客……さまざまな人々が、まるで処刑でも始まるかのように期待の眼差しを向けている。

悪役令嬢の去った後、残された物は

たぬまる
恋愛
公爵令嬢シルビアが誕生パーティーで断罪され追放される。 シルビアは喜び去って行き 残された者達に不幸が降り注ぐ 気分転換に短編を書いてみました。

【完結】真実の愛とやらに目覚めてしまった王太子のその後

綾森れん
恋愛
レオノーラ・ドゥランテ侯爵令嬢は夜会にて婚約者の王太子から、 「真実の愛に目覚めた」 と衝撃の告白をされる。 王太子の愛のお相手は男爵令嬢パミーナ。 婚約は破棄され、レオノーラは王太子の弟である公爵との婚約が決まる。 一方、今まで男爵令嬢としての教育しか受けていなかったパミーナには急遽、王妃教育がほどこされるが全く進まない。 文句ばかり言うわがままなパミーナに、王宮の人々は愛想を尽かす。 そんな中「真実の愛」で結ばれた王太子だけが愛する妃パミーナの面倒を見るが、それは不幸の始まりだった。 周囲の忠告を聞かず「真実の愛」とやらを貫いた王太子の末路とは?

婚約破棄で見限られたもの

志位斗 茂家波
恋愛
‥‥‥ミアス・フォン・レーラ侯爵令嬢は、パスタリアン王国の王子から婚約破棄を言い渡され、ありもしない冤罪を言われ、彼女は国外へ追放されてしまう。 すでにその国を見限っていた彼女は、これ幸いとばかりに別の国でやりたかったことを始めるのだが‥‥‥ よくある婚約破棄ざまぁもの?思い付きと勢いだけでなぜか出来上がってしまった。

あなたのことなんて、もうどうでもいいです

もるだ
恋愛
舞踏会でレオニーに突きつけられたのは婚約破棄だった。婚約者の相手にぶつかられて派手に転んだせいで、大騒ぎになったのに……。日々の業務を押しつけられ怒鳴りつけられいいように扱われていたレオニーは限界を迎える。そして、気がつくと魔法が使えるようになっていた。 元婚約者にこき使われていたレオニーは復讐を始める。

幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。

灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。 曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。 婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。 前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。