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本編

13-1

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(走るにはヒールが少し高すぎたわね)

 靴ずれのできた踵が痛む。
 マシェリは噴水の縁に手を掛け、血が滲んだ靴を脱いだ。

 噴水を見上げてみると、三段ある受け皿の一番上から、勢いよく水が噴き出してきている。精霊が出て来るとしたらあの辺だろう。マシェリは笛を咥え、上に向けて息を吹き込んだ。
 ーーが、音が全く出てこない。

(ど、どうして? まさか故障?)

 焦って再び笛を咥えた次の瞬間、水しぶきとともに犬っぽいものが飛び出してきた。
 地面に降り立つなり体をぶるぶる震わせ、白いモフ毛に付いた水気を払う。 

「ねえ、おねーさんが僕を呼んだの? 」

 子どものような声で尋ねながら、青く真ん丸な瞳がマシェリを見上げてくる。

「そ、そうよ。ええと……はじめましてイヌル。わたくしはマシェリ・クロフォード。ご存知ないかもしれないけれど、皇太子殿下の婚約者なの」
「僕知ってるよ。皇子様をオトした林檎姫でしょ?」

 首を傾げ、ぱたぱたとしっぽを振りつつイヌルが言う。マシェリは思わず半眼で見返した。

「オトしてないし、姫でもありません。そんな事より、お仕事よイヌル。あの橋のところにいる、まだら卵を捕まえてほしいの」
「……何もいないよ?」

 マシェリの指す方を見たイヌルが、きょとんとした顔で言う。

「橋を渡ってしまったんだわ。ーーとりあえず、ユーリィ様のところへ行きましょう」
「うん! ユーリィ様、何かごはんくれるかなあ。僕お腹すいちゃったよ」
「それは後よ。いいから早くーー」

 振り返ったマシェリが言葉を切る。

「どうしたんです? マシェリ様。そんなに慌てて」
「……! ビビアン様」

 黒い顔に黒い衣。影のような姿の宰相が、目の前に立っていた。白いフェイスベールの上の瞳が、冷ややかな眼差しを向けてくる。

(何で今頃こんなところに……執務中のはずなのに)

「ユーリィなら、医務室へ連れて行きましたよ」
「……医務室へ? なぜ」
「腰を痛めたからに決まってるでしょう。心配せずとも、水竜の卵は私がちゃんと捕らえてさしあげます。もしも貴女が卵を逃した事を責任に感じているのであれば、このままどうぞ大人しくテラナ公国へお帰りください」

 目を細め、嘲るようにビビアンが笑う。
 まるで部屋の隅に獲物を追いつめた蛇のようだ。もう殺気を隠す必要などない、ということか。

 マシェリは本を持つ手にぐっと力を込め、大きく息を吐いた。

「お気遣い感謝いたします。けれどわたくし、自分の失敗の後始末を人任せにする趣味はございませんの。この責任はきっちり取らせていただきますわ」
「なかなか強情な方だ。しかし、一体どうやって? イヌルは精霊使い以外操れませんよ」
「あら。そんなご大層な肩書きなんかなくたって、いくらでも手段はありますわ。ーーそうね、例えば」

 マシェリの唇がにっと弧を描いた。

「ねえイヌル。わたくしと交渉してくださらない?」
? 何それ? 美味しいの?」
「ふふ、そうね。全くのはずれではなくってよ。……この魔本から逃げた、水竜の卵を追ってほしいの。もし捕まえて来てくれたら、わたくしがとびきり美味しいクッキーを焼いてさしあげるわ」
「本当⁉︎ ーーそれなら僕、捕まえに行ってくるよ!」

 ぱあっ、とイヌルの顔が輝いた。
 呆気に取られるビビアンを尻目に、ぶんぶん尻尾を振りながらマシェリに駆け寄ってくる。

「交渉成立ね」
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