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本編
38-2
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(ヴェラド・フォルク……)
何だか舌を噛みそうな名前である。しかし万が一名前を間違えたり、失礼な態度をとろうものなら、やたらとでかいこの口で、パクリと食われてしまうかもしれない。
こわばる口端を上げ、何とか淑女の笑みを作ると、マシェリは人ひとり分ほどもある大きな水竜の頭に、恐る恐る手を伸ばした。
「はじめましてヴェラド・フォルク様。わたくし、マシェリ・クロフォードと申します。……今宵は、お会いできて光栄ですわ」
手のひらが冷たい鼻先に触れる。濃い翡翠色をした美しい鱗は思いのほか滑らかで、まるで絹のような触り心地だった。
そのまま二、三回撫でてやると、水竜が満足したように蒼い眼を細める。
(……サラ?)
思わずマシェリは振り返った。ーー今『ありがとう』と、声が聞こえたのは気のせいだろうか。
マシェリの手から離れて上を向くと、水竜はがばりと大きく口を開けた。その中からぴょん、と元気よく飛び出してきたのはーー水玉リボンの代わりに足が付いてる、緑と青のまだら卵。
マシェリは慌てて手を伸ばして受け止め、しっかりと抱き締めた。
「やったあ、お仕事終了! ねえねえ、林檎姫。皇城に帰ったら、クッキーのおかわりお願いしてもいい?」
「はいはい、何皿でも焼いてあげるわ。……あっ、待って!」
背を向け、ずぶずぶと湖面に沈みはじめた巨体に向かって小さな手を伸ばした瞬間ーーマシェリは、六年前のあの日のことを鮮明に思い出した。
くらくらするような花の香りの中で両手を広げ、マシェリを男たちの手から守ってくれたのは。今と同じように、礼も何も言わせぬまま、立ち去って行ってしまったのは。
(たとえ、姿形はちがっても)
「ーーわたくしを、助けてくれてありがとう!」
広がる波紋だけを残した湖に向かって、マシェリは大きな声で叫んだ。最後に聞こえた『さようなら』には、聞こえないふりをして。
マシェリは、足をばたつかせる卵をきゅっと胸に抱きすくめると、草原の上に座りこんだ。
「何かあったの? マシェリ……あっ⁉︎」
「ひと足遅かったですわね、殿下。今……水竜が連れて来てくれたんですのよ。この卵」
「えー。僕も頑張って捜したのにい」
不満げに抗議するイヌルを見て、グレンが目を見開く。
「イヌル? 何でこんなところに……あっ、もしかしてお父さんかおじいちゃんーー」
「だから違うってば。……皇子様たちこそ、ちっちゃくなっちゃってて、まるで妹か弟みたいなんだけど。魔女に呪いでもかけられちゃったの?」
的確すぎるイヌルのつっこみに、グレンとマシェリが顔を見合わせる。色々あって忘れていたが、言われてみれば、どうしてこの姿になったのかは謎のままだった。
幼女好きな魔王のいたずらかとも思ったが、マシェリだけでなくグレンまで子どもに戻っているところを見ると、犯人は彼ではないのかもしれない。
「……もしかしたら、リリアだろうか」
「魔王様じゃないとすれば、きっとそうですわ。それに……わたくし他にもひとつ引っかかってることがありますの」
「引っかかってること?」
「贈りものについてです。魔王様はなぜ懲りもせず、人間であるわたくしにあの花をーー」
「にゃっ!」
嬉しそうなサラの声に振り返ると、今度はしっかりとした足取りでこちらに近づいてくるコーネリアの姿が見えた。
さっき、水竜が出てくるところを見てしまったのかもしれない。
(隠れる必要はないはずだわ。……ああでも、また名前を聞かれたら)
「あれー? もしかしてあれってコーネリア様? どうして生きてーーむぐっ!」
「少し黙ってろイヌル。マシェリ、ここはいったんひこう。もうすぐ父上も来てしまうから」
イヌルの口を押さえつつ、ちらりとグレンはコーネリアのほうを見た。
しかし月光によって変化した姿で会えば、当然不審に思われてしまうだろう。ーー今のままのグレンでは、コーネリアとひと言の言葉を交わすことすらできない。
(せめてすこしの間だけでも、月がかくれてくれたらいいのに)
マシェリは森に向かって歩きながら、雲ひとつない夜空を見上げた。
何だか舌を噛みそうな名前である。しかし万が一名前を間違えたり、失礼な態度をとろうものなら、やたらとでかいこの口で、パクリと食われてしまうかもしれない。
こわばる口端を上げ、何とか淑女の笑みを作ると、マシェリは人ひとり分ほどもある大きな水竜の頭に、恐る恐る手を伸ばした。
「はじめましてヴェラド・フォルク様。わたくし、マシェリ・クロフォードと申します。……今宵は、お会いできて光栄ですわ」
手のひらが冷たい鼻先に触れる。濃い翡翠色をした美しい鱗は思いのほか滑らかで、まるで絹のような触り心地だった。
そのまま二、三回撫でてやると、水竜が満足したように蒼い眼を細める。
(……サラ?)
思わずマシェリは振り返った。ーー今『ありがとう』と、声が聞こえたのは気のせいだろうか。
マシェリの手から離れて上を向くと、水竜はがばりと大きく口を開けた。その中からぴょん、と元気よく飛び出してきたのはーー水玉リボンの代わりに足が付いてる、緑と青のまだら卵。
マシェリは慌てて手を伸ばして受け止め、しっかりと抱き締めた。
「やったあ、お仕事終了! ねえねえ、林檎姫。皇城に帰ったら、クッキーのおかわりお願いしてもいい?」
「はいはい、何皿でも焼いてあげるわ。……あっ、待って!」
背を向け、ずぶずぶと湖面に沈みはじめた巨体に向かって小さな手を伸ばした瞬間ーーマシェリは、六年前のあの日のことを鮮明に思い出した。
くらくらするような花の香りの中で両手を広げ、マシェリを男たちの手から守ってくれたのは。今と同じように、礼も何も言わせぬまま、立ち去って行ってしまったのは。
(たとえ、姿形はちがっても)
「ーーわたくしを、助けてくれてありがとう!」
広がる波紋だけを残した湖に向かって、マシェリは大きな声で叫んだ。最後に聞こえた『さようなら』には、聞こえないふりをして。
マシェリは、足をばたつかせる卵をきゅっと胸に抱きすくめると、草原の上に座りこんだ。
「何かあったの? マシェリ……あっ⁉︎」
「ひと足遅かったですわね、殿下。今……水竜が連れて来てくれたんですのよ。この卵」
「えー。僕も頑張って捜したのにい」
不満げに抗議するイヌルを見て、グレンが目を見開く。
「イヌル? 何でこんなところに……あっ、もしかしてお父さんかおじいちゃんーー」
「だから違うってば。……皇子様たちこそ、ちっちゃくなっちゃってて、まるで妹か弟みたいなんだけど。魔女に呪いでもかけられちゃったの?」
的確すぎるイヌルのつっこみに、グレンとマシェリが顔を見合わせる。色々あって忘れていたが、言われてみれば、どうしてこの姿になったのかは謎のままだった。
幼女好きな魔王のいたずらかとも思ったが、マシェリだけでなくグレンまで子どもに戻っているところを見ると、犯人は彼ではないのかもしれない。
「……もしかしたら、リリアだろうか」
「魔王様じゃないとすれば、きっとそうですわ。それに……わたくし他にもひとつ引っかかってることがありますの」
「引っかかってること?」
「贈りものについてです。魔王様はなぜ懲りもせず、人間であるわたくしにあの花をーー」
「にゃっ!」
嬉しそうなサラの声に振り返ると、今度はしっかりとした足取りでこちらに近づいてくるコーネリアの姿が見えた。
さっき、水竜が出てくるところを見てしまったのかもしれない。
(隠れる必要はないはずだわ。……ああでも、また名前を聞かれたら)
「あれー? もしかしてあれってコーネリア様? どうして生きてーーむぐっ!」
「少し黙ってろイヌル。マシェリ、ここはいったんひこう。もうすぐ父上も来てしまうから」
イヌルの口を押さえつつ、ちらりとグレンはコーネリアのほうを見た。
しかし月光によって変化した姿で会えば、当然不審に思われてしまうだろう。ーー今のままのグレンでは、コーネリアとひと言の言葉を交わすことすらできない。
(せめてすこしの間だけでも、月がかくれてくれたらいいのに)
マシェリは森に向かって歩きながら、雲ひとつない夜空を見上げた。
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