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第三章
バー・ケサン・タクナン
しおりを挟む謁見を終えて、ラナンと話をすると残ったニャムサン以外の三人が離宮の外に出たとたん、ティサンに声をかける者がいる。先ほど大相とともにいたレン・ケサン・タクナンだった。彼は胡乱な目つきで呂日将を見つめた。
呂日将は無言で、レン・ケサンの視線を受け止めた。ティサンとひとこと、ふたこと、言葉を交わす間も、レン・ケサンは呂日将から目を離さない。ティサンが歩き出す。サンシに促されてそれに従ったあとも、背にその視線が注がれているのを感じた。
「待ち構えていたのでしょうか」
ティサンの天幕に入るとサンシは眉をひそめて言った。ティサンが笑う。
「偶然を装っていましたが、本当は日将どのの身のこなしから同類の臭いを嗅ぎとって、わざわざ見に来たのでしょう。ご心配はいりません。古い仲ですのでよく知っていますが、悪い男ではありませんよ」
「ニャムサンどのからは、唐の将軍と知られたら噛みつかれると言われましたが」
ティサンはレン・ケサンと親しいようすなので、『狂犬みたい』と言うのはやめておく。
「噛みつかれるのはニャムサンどのだけです。大相に対してあまりにも無礼な振舞いをするので叱られるのです」
ティサンは肩をすくめた。
「明日お帰りになるのですから、タクナンどののことは気になさることはないでしょう。それよりニャムサンどののほうが心配です。軍の演習など見るのも嫌いですから、機嫌が悪いかもしれませんよ」
「そんなご無理をさせては申し訳ない。来た道を帰るだけですから、通訳が出来る方をつけていただければ充分です」
サンシが首を振った。
「またあんなやつれた顔をしているから、仕事を離れて気晴らしをするようにとの思し召しです」
嫌いなものを無理に見せて気晴らしになるのか。はなはだ疑問だが賛普の意向では逆らうわけにもいかないのだろう。
もっとも、軍で過ごせる喜びでいっぱいの呂日将の胸の中に、ニャムサンの機嫌の善し悪しを憂える余裕などなかった。
ティサンの予想と違って、調練の地に向かうニャムサンの機嫌は悪くなかった。訳経所に寄らずに、旅を続けたので、体調もよさそうだ。
タクも一緒に三人で都を出発してから三日目のこと、背後に迫る馬蹄の響きに振り返ったニャムサンが、眉間にしわを寄せて険しい顔をした。呂日将も振り返って見ると、バー・ケサン・タクナンを先頭に、十人ほどの騎馬の一行が駆け寄って来る。呂日将はタクとともに馬を降りた。追いついた一行も、レン・ケサン以外は下馬する。
騎乗のままのニャムサンとレン・ケサンは、まるでケンカのような乱暴な口調で言い合いを始めた。
応酬が五回ほど繰り返された後、レン・ケサンが、呂日将に目を向ける。その視線に先日と違う好意の色が見えて、呂日将は戸惑った。
「こやつは貴公が翻訳官のひとりだと言い張ってきかぬのだが、まことか」
突然、レン・ケサンが唐語で語りかけて来た。ニャムサンの言葉がピタリと止まる。
唐語で話しかけられたのだから、唐語で返していいのだろうか。呂日将が戸惑っていると、レン・ケサンは弾けるように笑い出した。
「失礼した、呂将軍。陛下よりお話をうかがっておる。オレもこれから王命によりシャン・ゲルシクのもとに向かうところなのだ。オレのことはご存知だな」
いっきに肩の力が抜けた。
「ティサンどのよりうかがっております、レン・ケサン将軍」
「タクナンと呼んでくれ。ケサンという名は多いので、誰のことやらわからんのだ」
そういえば、賛普を暗殺したという先の大相も、ケサンという名だった。
ニャムサンが口を挟む。
「唐語を話せたのか」
「バカにするな。周辺国の主な言葉はたいてい出来る。オレは敵との交渉も、捕虜の尋問も、自分でする主義なのだ。部屋のなかで座ったまま、ああでもないこうでもないとチマチマやっているおまえよりは、よほど話せるぞ」
ニャムサンは真っ赤な顔をしてそっぽを向いた。
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