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第一章
太子の幽閉 その2
しおりを挟むナツォクは寝台に腰かけて、四角く切り取られた午後の青空を眺めていた。
ツェンポの寝室だった小さな部屋。そこが大相に定められたナツォクの居場所だった。唯一の出入り口の扉の向こうにある王の居室には衛兵が数人詰めて厳しく見張っているらしい。
1日3回、朝と昼と夜に食事や着替えを持ってドンツァプの家来たちがやって来る。ここに入った初日にやって来た彼らに身体に触ることを禁じてから、ナツォクはひと言も口をきいていなかった。彼らも黙々と持って来たものを置くと、黙々と下がって行った。
寝室にあった西域や唐から取り寄せた父の調度品は、寝台を残してすべて取り払われていた。ドンツァプはそういった外国のものを毛嫌いしている。きっとすべて廃棄されてしまったのだろう。
ナツォクは懐に隠し持っていた春鈴の草稿をそっと取り出した。
宝物庫にあった父が集めた書画や工芸品も、春鈴が10年以上にわたって翻訳した仏典も、これ以外はみな同じ運命をたどったに違いない。
あれから1か月が経つ。
春鈴はどうなっただろう。
彼女は金城公主とともに唐からやって来た侍女だった。公主亡き後も、その学識を買われて宮中に残り、ナツォクが生まれるとその教師となった。
同じく唐人である学友のサンシは、幸いなことに使節団の一員として唐に行っている。が、この変を知らずに帰って来たらどうなるか。
ニャムサンのことも心配だった。事件を目撃していたことが大相に知られたら、殺されてしまうかもしれない。
みんないなくなってしまったら、ひとりぼっちになってしまう。
自分だって、これからどうなるのか。
震えが身体を走った。
怖い……。
草稿に目を落とす。春鈴の柔らかな筆跡がにじんで読めない。そこにポタリと涙が落ちて、慌てて袖で目をぬぐう。
ふと気配を感じて、ナツォクは顔をあげた。
「なに泣いてんだよ、チビ」
目の前でニヤニヤと笑うニャムサンに、夢を見ているのだと思った。でなければ、あまりの恐怖で自分の頭がおかしくなったのか。
「ニャムサン!」
ナツォクは思わず抱き着いた。それは確かに熱を持ってここに存在しているようだった。夢だったら覚めないで欲しい。
背中を温かい手が撫でた。優しい声が頭の上から降って来る。
「よく、ひとりで頑張ったな。エライぞ」
「本当に、ニャムサン?」
ゆっくりと顔をあげると、バチンと額をはじかれた。
「痛いっ!」
「な。幽霊じゃないだろ」
幽霊? 力が抜けて座り込みそうになったナツォクの両肩を、ニャムサンがガッシリとつかんだ。
「ちゃんと見ろって。オレは生きてる」
「じゃあ、どうやって入って来たの」
ニャムサンは真横に腕を伸ばして指さした。
「あそこから」
ニャムサンの指が示す先の青空には、白くて丸い小さな雲が浮かんでいた。
「雲?」
「バカだな。窓だよ」
「だって、この部屋は……」
「3階の窓から出入りするヤツがいるなんて思わないから衛兵も見張っていない。だから壁登りが出来るように練習したんだ。いまはこうして会えるってだけだけど」
ニャムサンは先ほどまでナツォクが腰かけていた寝台にドサッっと身を投げ出して寝ころんだ。
「逃げるのはまだ無理だけど、とりあえずおまえの無事な顔が見たかったんだ。すぐに出られなくてガッカリしたか?」
また新しい涙があふれてきた。
「ニャムサンが無事で、こうしてわたしのことを忘れないでくれていたのがわかって嬉しい。ずっとひとりで怖かったから」
「絶対助けてやるって言ったろ。これからちゃんと逃げる方法を考えてやるから、あきらめちゃダメだぞ」
ニャムサンは、この一か月に起こったことを話した。
都の人々はツェンポの死を知らされていないこと。それでもいつものように宮廷が離宮に移動するようすがないので、なにか異変が起こったのではないかと噂になっていること。都にいる外国人に退去命令が出ていること。唐人の和尚が去った仏教寺院は閉鎖され、壊され始めていること……。
「春鈴先生も殺されたって、衛兵が教えてくれた」
ナツォクはうなずく。ドンツァプは、父が仏教を保護するのは金城公主とともに唐から来た人間に誑かされたからだと信じていた。特に公主の死後も王宮にとどまっている春鈴を憎んでいて、何度も太子の教育係としてはふさわしくないと訴えたと聞いている。
サンシも、大相は殺すつもりだろう。彼とともに派遣されている使節団の主な目的は、ナツォクが欲しがっていた仏典を手に入れることだった。
「サンシに危険を知らせることは出来ないかな」
ニャムサンは宙を睨んだ。
「本当ならとっくに戻ってるはずなんだろ」
「うん。でも予定通りってほとんどないから」
唐とこの国は高山で隔てられている。天候が悪かったり、落石やがけ崩れで道が壊れていたら、帰国の予定は数か月、へたをすると1年以上遅れるのだ。
「オレには遠方まで使いに行けるような家来がいないしなぁ」
ニャムサンはため息をつく。ナツォクは伝統派の尚論の顔を思い浮かべて行った。
「そうだ。レン・タクラに相談してみたら?」
タクラ・ルコンは若いころ唐で兵法を学んでいた。伝統派ではあるが、それほど排他的な思想を持っているとは思えない。しかしニャムサンは首を振った。
「ダメだよ。ルコンの小父さんはなにがあってもマシャンの味方に決まってるだろ」
あのとき、ナツォクに中庭の惨状を見せまいと気づかいをしてくれたマシャンがこころの底から大相に従っているとは思えなかったが、マシャンのことを嫌っているニャムサンは認めないだろう。
ニャムサンの右手の人差し指で、キラリと赤い光が反射した。マシャンと同じ指輪は、ニャムサンの父の形見だ。
仲直りすればいいのに。
それを口にすることは出来なかった。
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