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第三章
ニャムサンの受難 その10
しおりを挟む「それは違うわ、ゴーさん」
プティの声に、ニャムサンは寝転んだまま顔だけを向けた。プティが眉をしかめて半身を起こしていた。
「確かに昔のニャムサンは、ゴーさんの言うとおり、いい加減で逃げてばかりだったかもしれない。でもいまは、ちゃんと自分のやるべきことから逃げずに頑張っているのよ。わたしにはちっとも仕事の話しをしてくれないけど、わかるの。家を捨てる勇気がないわけじゃないわ。ねえ、あなたも本当はわかっているのでしょ? だから、ニャムサンのことが怖いのね」
ゴーはなにも言わずにプティの顔を見つめている。ニャムサンが両手をついてプティに這い寄ると、プティはニャムサンの顔をマジマジと眺めて、吹き出した。
「あら、すごい顔してるのねぇ」
だから、プティに見せたくなかったのに。プティはゴーに言った。
「怪我をしたっていうのは本当だったの」
ゴーが苦笑いを浮かべる。
「たまたま本当になってしまいました」
「あなた平気で嘘を言えるのね。いままで信じてたのに、ひどいわ」
「申し訳ございません」
続く言葉に、ニャムサンは思わずプティを抱き寄せた。
「ここで、おふたりには死んでいただきます」
「マシャンがそう命じたのか」
「捕縛に逆らったら、殺してもいいと。やっとご決心くださいました」
「まだ逆らってないだろ。順番が逆だ。アイツはこういうつまらないと思うようなことにうるさいから、絶対怒られるぞ」
昨日もティゴルと似たようなやりとりをした気がしてうんざりする。ゴーが珍しく笑顔を見せた。
「ティゴルの口をふさげば勝手に死んでくれると思ったのに。あの双子が余計なことをしてくれたおかげで、自分で手を下さなくてはならなくなってしまいました。だから、命令違反で咎められぬよう考えました」
「どういう意味だよ」
「ここでおふたりが密会していたところ強盗に襲われた、というのはどうでしょう」
「そんなこと、マシャンが信じると思うか?」
「わたしは今まで、一度だって摂政に嘘を言ったことはありません。わたしがやったという証拠を残さなければ、摂政は信じて下さります」
プティは少しも恐れるようすなく、まっすぐにゴーを見つめながら言った。
「それが、摂政さまのためなの」
ゴーは眉をひそめる。
「そうです」
「だったら嘘なんか言わないで、摂政さまに許可を得てから、堂々と殺しなさいよ」
プティは微笑んだ。
「ねえ、わたしを騙していたのは、ちょっと頭にくるけど、仕方がないって思うのよ。だって、それはあなたの仕事だったのでしょ? でも摂政さまを騙すことはしちゃダメよ。そんなことをしたら、あなたは一生後悔することになるし、摂政さまも悲しむわ」
「あいつが悲しむわけないよ」
ニャムサンがぼそっと言うと、頭をたたかれた。
「痛え。怪我人になにするんだ」
「自分の育てた子どもが殺し合いをして、悲しまないひとがどこにいるのよ」
ゴーが剣の柄に手をかけながら、震える声でつぶやいた。
「あなたには、死んでいただかねばならない。あなたの存在が、摂政のおこころを乱すのですから」
「だったら、オレが尚論をやめて都を出れば、マシャンも気にする必要がなくなるだろ」
「そんなわけにはいきません。あなたがどこに行こうと、あなたがこの世にある限り、あなたを担いで摂政を失脚させようと企む者が出る。あなたのお父上がそうだったように」
ゴーがスルリと剣を抜く。
「摂政をお苦しめしているのです。あなたと、あなたの御父上が。ずっと摂政のおそばにいたわたしには、わかる」
理不尽だ、と訴えたかったが、なにを言ってもゴーのこころは動かないだろう。ニャムサンは立ち上がるとプティを助け起こした。肩を抱いたまま後退する。背中が、壁にぶつかった。窓のない土壁だ。戸口はゴーの背後。そこにたどり着ければ、逃げられる。
せめてプティだけでも逃がしたい。ニャムサンが捨て身でゴーに飛びかかろうとしたとき、プティが腕を振り払って、ニャムサンの前に立ちはだかった。
「おい、やめろ!」「あなたは間違っているわ」
ニャムサンの叫びと、プティの言葉が重なった。
「ニャムサンが摂政さまのためにならない存在なら、どうして摂政さまはニャムサンを育てたの? おかしいじゃない。それとも、そんなこともわからないほど、摂政さまってバカなの?」
「無礼な……」
ゴーが、はじめて怒りの表情を見せた。
「あら、あなたがそう言ったのよ。摂政さまは自分のためにならないこともわからずニャムサンを生かしている大バカ者だから、自分が正してやるんだって」
「やめろって!」
ニャムサンがプティの帯をつかんで後ろに引っ張った瞬間、怒号とともに振られたゴーの剣が空を切った。
「逃げるんだ!」
ニャムサンはプティを思い切り戸口の方へ突き飛ばすと、姿勢を低くして返された剣先をかいくぐり、ゴーの腰に取りついた。
何かが床に落ちる音がした。
指輪が転がっていくのが見えたが無視する。
いまは、それよりも守らなくてはならないものがある。
プティが、戸口に座り込んだままこちらを見ていた。
「早く、外へ出て助けを呼んでくれ」
背中に、衝撃が走った。ニャムサンは死んでも離さぬつもりで、「早くしろ!」とわめきながらゴーの胴に食らいついていた。もう一度、衝撃が背中を襲う。息が詰まる。わずかに腕の力が緩んだ。甲高い悲鳴とともに、扉の開く音が聞こえた。プティが外に逃げたのだ。と思った瞬間、ゴーの膝がニャムサンの胸を蹴った。仰向けに倒れたニャムサンはそれ以上抗わず、空気を求めて荒い呼吸をしながら天井を眺めていた。
天井の下に、ゴーの顔が現れた。腹をまたいで両手で剣を掲げ、ニャムサンの胸にピタリと剣先を向ける。
「助けを呼んでもムダですよ」
「わかってるよ」
下町の住宅地にゴーを止められる人間がいるわけがない。
「あの女が自ら逃げるように言ったのですか。健気なことですね。あなたに免じて見逃してあげましょう。あんな小娘の訴えなど握りつぶすのは簡単ですから」
「ありがとう。で、もうひとつお願いがあるんだけど」
ゴーは黙ったままニャムサンの顔を見ていた。
「あのさ、昨日から痛い思いばかりしてるから、もうこれ以上は勘弁してほしいんだ。一瞬で楽にしてくれよ」
声がかすれているのがわかる。
死ぬのは怖い。でも、もう逃げることは出来なそうだ。
ゴーが微笑むのを見て、目をつぶる。
ゴーの声が聞こえた。
「ご心配は無用です」
扉が開かれる音に目を開く。乱れた複数の足音と鋭い声が響いた。
「ゴー、やめよ」
マシャンが、ゴーの手から剣をもぎ取ってガランと床に放った。
「もうよいのだ。わたしが、すべて間違っていた」
ルコンが、呆然とマシャンを見つめるゴーの肩を抱いて、ニャムサンから遠ざける。
マシャンは跪いてニャムサンを助け起こした。
「伯父さん……どうして」
ニャムサンは混乱した。どうしてマシャンが助けてくれたのか。これまで聞いたことのない、優しい口調でマシャンが言う。
「タクが、地図に書かれていた場所をおぼろに覚えていたのだ」
ニャムサンの顔を見つめる視線も、これまで見たことのない柔らかなものだった。
「家来たちと手分けしてこの辺りを探していたところ、彼女が助けを求めながらこの家から飛び出して来た」
マシャンが戸口へ視線を向ける。つられて見ると、プティとタクが泣きながらこちらを見つめていた。
「その怪我は……」
「ゴーじゃないよ」
目立つ傷はすべてティゴルのつけたものだったから、ニャムサンは急いで言う。一番痛むのは、さっきゴーに殴られた背中だけど。
マシャンが微笑んだので、ニャムサンは驚いてしまった。
「ティサンどのの兵士から話しは聞いた。どうだ、立てるか」
「なんとか」
背中の痛みをこらえて立ちあがろうとすると、プティとタクが駆け寄ってマシャンと三人で支えてくれた。
「ほら、言ったとおりでしょ。摂政さまはふたりが殺し合うのを望んでらっしゃらないって」
プティが部屋の隅に駆けよって、かがみこむとまた戻って来る。涙に濡れてグシャグシャになった頬をほころばせながら差し出す指輪を、ニャムサンは受け取った。
ゴーは、と見回すと、ルコンに腕を捕まれて、ぼんやりとした顔でこちらを眺めている。ニャムサンは呼びかけた。
「ゴー、来いよ」
ルコンが腕を放して肩をたたくと、ゴーはノロノロと歩み寄って来た。
「兄弟、仲直りしようぜ」
ニャムサンがゴーに向けて手を伸ばすと、ゴーは奇妙なものを見るような目でそれを見つめて言った。
「あなたとは、兄弟ではありません」
「ちぇっ、意地っ張り。ホントは家族がうらやましいくせに」
「命令は撤回する。わたしが悪かったのだ。仲直りして、これからはニャムサンの言う通り、兄弟のように助け合ってくれ」
マシャンの言葉に、ゴーは「ご命令とあらば」と顔をしかめたが、ニャムサンの手を取ることはなかった。
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