宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と言葉の国】

自由の定義

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 とある晴天の日の朝。久し振りにジェイド1人が大図書館に訪れていた。天井のシャンデリアは消えていて、まだ夜の空気を引きずっている。それは、ここの住人が目覚めていない事をさしていた。
 ジェイドは明るい外から暗闇に目を細め、慣らしながらジャスパーを探した。ここにベッドの様な寝床は無く、彼はその日の気分で寝る場所を作る。しかし全体を軽く見渡しても姿は無い。今日はすぐ見つかるような場所には居ないらしい。
 ジェイドは少しだけ考え、本棚が壁になる細い道へ入った。早起きでもなく見える場所に居ないとなると、心当たりは1つ。
 迷い無く辿り着いたのは、奥まって影になった突き当たり。

「やっぱりここか」

 ジャスパーが眠っていたのは、お気に入りの場所でもあり、初めて出会った場所だった。1人用の狭いソファの上で、彼は体を丸くして目を閉じている。まだ結われていない茶色の髪が無造作に床に広がっていた。
 ジェイドは髪を踏まないよう歩み寄り、しゃがむと頬を撫でた。

「ジャスパー、もうそろそろ、夢から帰って来てはくれないか?」
「ン~……」

 ジャスパーは柔らかな声に、迷惑そうに顔を歪めて腕で目元を隠してしまった。彼の寝起きはあまり優れない。眠るのも時間が必要で、そのせいで起きるのもまた苦手なのだ。
 だがこんな狭い場所で、まだ体を小さく出来るのか。自分より背があるのに器用なものだとジェイドは笑い、リュックから紙袋を取り出す。その中から顔を出したのは、カスタードドーナツだった。ふわふわな生地の中にあるタップリなカスタード。少し胸焼けしそうなほど甘い菓子が、ジャスパーの好物だ。
 漂い始めた甘い香りに鼻がピクリと反応する。まだ眠そうな色違いの瞳が、恐る恐る腕からこちらを覗いた。

「……ジェイド?」
「ああ、おはよう。今日もいい朝だぞ」

 ジャスパーは何度も瞬きをする。そして優しい笑みを見せるのがジェイドだと分かると、折りたたんでいた体をようやくソファから伸ばす。長い手足をピンと伸ばし、気持ち良さそうに凝りを解した。これで寝違えた事が無いのが驚きだ。

「オハヨゥ。ふあぁ」

 大きな欠伸を噛み締め、チラリとジェイドの後ろを見ると、彼の肩に頭をグリグリと押しつける。

「1人ナンダ? 今日」
「ああ。ルルは街を見て回るそうだ」
「ふぅん……イイノ? ボクに構って」

 随分と機嫌が悪い。『悪い夢』を見た朝は、決まって不機嫌そうに拗ねるのだ。

(不機嫌と言うよりは、怖がっている……と言ったところか)

 ジェイドは肩に乗る頭をポンポンと撫で、やれやれと仕方なさそうに笑った。
 ジャスパーは幼い頃の記憶が曖昧だった。しかし本能的に、極度に人を、特に大人を怖がる。人に何か恐ろしい事をされたのは明確だ。
 よく、脳が心を保つために記憶を屈折させると言うが、残酷にも消し切れていないカケラが夢として、彼の前に現れるのだ。ルルへ警戒していなかったのを見ると、出会った頃よりは人へ寛大になったと思ったが、まだトラウマを克服は出来ていないらしい。
 ジャスパーの不機嫌な朝はそんなに珍しいものではない。そのためジェイドは、その斜めな機嫌を直す方法をいくつも知っていた。1つは満足するまで遊ぶ事。そしてもう1つは、一緒に朝ご飯を食べる事だ。今日は後者を試みようと、主張するように紙袋をカサカサと振って見せた。

「暖かいうちにどうだね? それともいっぱいか?」
「……カスタード?」
「さて? 食べてごらん」

 ジャスパーはじーっとドーナツを見つめ、恐る恐る受け取り小さく囓る。トロッとした濃厚なカスタードクリームが生地から溢れ、眠気が覚めたようにパッと目が大きく開く。

「ボクが大好きなヤツ。カスタードだ!」
「そうか、安かったからな」
「フフ、アリガトウ」

 ジャスパーは幼い子供の様な満面の笑みを見せる。すっかり機嫌が直ったようで、ジェイドも安心して微笑んだ。
 思い出さなくていい。彼の心はまだ耐えられないのだから。思い出すのは、本人すら気付かない傷を共に癒して、耐えられるようになってからでいい。それはゆっくり時間をかけて行うべきなのだ。
 ジェイドは上機嫌そうに半分渡されたドーナツを食べる。やはり朝からこの甘さは少し応えそうだった。

 ふとジャスパーは、話に相槌を打ってくれていたジェイドの横顔を見て口を止めた。

「? どうした」
「……ジェイドは出たいって思わナイ? グリードからサ」
「憧れはするがね。行動にはしないだろう」
「勿体ないと思うナァ。腐っちゃうヨ?」
「はっはっは、私はここでの自由を堪能するつもりだ。グリードでだって、出来る事はいくらでもあるのだよ? 私が人生を全うするまで、時間が足りないくらいにな」
「…………ウソつき」

 この狭い空間にも響かない声はブスッとしていて、ジェイドは紡がれた言葉に驚いて顔を見上げた。

「知ってるヨ、行カナイ理由。ボクが出ラレナイからだって。置いて行ってイーのにさ」
「そんな顔をして言う奴があるか」
「ジェイドは凄イ人ダ。それなのに……イヤだよ、ボクのせいで小サクなっちゃうなんて」

 ジャスパーは顔をクシャッとして、細く長い足を腕に抱えてソファの上に縮こまった。当の本人は丸くなった目を瞬かせ、優しく笑って頭を撫でる。

「だがそう言っても、私はお前を置いて行こうとは思わない」
「…………」
「お前が居なくては、旅は楽しくないだろう。私がここに居る事を望んでいるのだよ、信じてはくれないか?」

 そう言っても彼は不服そうだ。しかしまさか、そんな事を気にしていたとは思わなかった。
 確かにこの国の外に出れば、沢山の出会いによって大きな知識を得るだろう。しかしジェイドは、それを充分理解しながらここに腰を鎮めている。世界が彼に尋ねたのは、膨大の知識を取るか、我が子同然愛しい子を取るかの2択。迷わず手に取ったのが後者だっただけだ。

「自由なのにサ」
「ではジャスパーよ、その自由とは何か?」
「エ? え……何ニモ縛られないで、どこへデモ行ける…事……? そう、例えばルルみたいに。違うノ?」
「おかしいな、それなのに私は自分を自由だと言った。どう思う?」

 ジャスパーは突然の問題に眉根を寄せて難しそうに頭をかしげる。元々哲学だったり難しいものを考えるのが嫌いだ。しかも今は寝起きで、更に頭は役に立たない。それでもいくら考えても、答えは『縛りが無い事』しか自由に結び付かない。これが正解ではない事だけが分かる。

「嫌い……難シイの」
「はっはっは! 簡単さ。これは宿題にしよう」
「えっ教エテクレナイノ?!」
「言ったろう、簡単だと。教えずとも、お前なら分かる」
「イジワルゥ」
「答えを思い付いたら、いつでも教えておくれ」

 何を言っても、本当に答えを教えてはくれなさそうだ。ジャスパーはせめてとムスッとした顔を向ける。
 それは威嚇は威嚇でも子猫がする様子にそっくりで、全く効果が無い。ジェイドはシワが寄る鼻を軽く摘み、笑って腰を上げた。

「ア、行っちゃうの? モウ」
「ああ、そろそろな」
「……マタ来る?」
「当然だ」

 彼は決まって、永遠の別れかの様に尋ねてくる。ジェイドは不安そうに視線を合わせるジャスパーの額に自分の額を付け、いつも通り再会を誓う。
 名残惜しそうに手を振るジャスパーを大図書館が閉じ込める。もしいつか、彼がここから解放される日が来たら、旅に出るのも悪くない。
 ジェイドはそんな事を考えながら空を見上げた。低く冷たかった太陽がもう真上に昇り、熱く輝いている。

(ついでに昼を買うか)

 いい香りが漂い、腹の中をくすぐる。手頃なサンドウィッチをと店を品定めしていると、予想していなかった背中を見つけた。

「ルル」
「!」

 ルルは匂いに気を散らしていたのか、ジェイドの声に驚いた様子で振り返った。ジェイドは彼と肩を並べて歩く。

「今帰りかね?」
『うん、そっちも?』
「ああ。何か食べたかね?」
『ううん、これから』
「それはちょうど良い。何を食べたい?」

 2人は、大きな窓から美味しそうな香りが漏れている、サント専門店を選んだ。ルルはメニューを教えてもらい、生クリームとフルーツを挟んだ商品を頼んだ。ジェイドはサラダと肉のサントを注文する。
 この店は窓の外から作る工程が見れるのが売りだ。ルルは丁寧な説明を聞きながら、興味深そうに覗いている。
 礼を言って受け取り、生地が暖かいうちにと口いっぱいに頬張った。クリームが少し溶けていて、小さく切られた果実に染み込んでいる。生地は初めて食べたカフェの物より少し厚くてモチモチしていた。

「どうだ?」
『とっても美味しい』
「そうかそうか」

 幸せそうに堪能する姿に、ジェイドは先程のジャスパーとの会話を思い出した。

「ルル、君は自由とは何だと思う?」

 彼は突然の問いに、仮面の下で目をパチクリとさせて首をかしげた。ジャスパーが自由の例として挙げた人物は、何を答えとするのだろうか。
 ルルは口の中の果物を咀嚼しながら、視線を両手で持ったサントに落とす。そして少しの間考えてから、ジェイドへ顔を向けた。

『……選択肢がある事、かな』

 ジェイドはその答えに満足そうに目を細める。

「いい答えだ」
『もしかして、ジャスパーに聞いた?』
「ああ。答えが出るまで課題にしたよ」
『答えって……あるの?』

 自由の定義なんて、そう簡単に決定されていいものではないだろう。形の無い自由は自分が決めるものだ。しかし彼はそれを否定する事はせず、むしろ深く頷いて同意を示す。

「自由はその者が決めたものが答え。しかしあの子は、私や君を見て決めた。だから、不正解なのだよ」

 ルルはキョトンとした顔をすると、意味を理解してクスッと笑った。はたして、ジャスパーが助言無しで意味を導けるのだろうか。

『それはとても……イジワルだ』
「よい教育と言ってほしいね」

 ジェイドは、子供の様にしてやったというニヤッとした笑みで、人混みの喧騒に負けないくらい大きく笑った。
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