宝石少年の旅記録(29日更新)

小枝 唯

文字の大きさ
132 / 220
【宝石少年と霧の国】

隣にいる資格

しおりを挟む
 今度はルルの目が驚愕に丸くなった。本当はこんな事言う気は無かった。ただ彼があまりにも純粋だから、それを壊したくなったのだ。壊してしまわなければ、耐えられないから。

「ジプスが受けた呪いは、本来俺が受けるべきだったんだ」

 やけになってしまった口に、もう理性は効かない。
 ジプスとコーディエは、獣人が暮らす小さな集落で生まれた。家族共に仲が良く、幼い頃から隣にいた。しかしそれは、ここに来る事になった数年前までの話。
 村と言えるほど小さな土地に、貴族らしく小綺麗な見た目をした数名の人間が訪れた。一度きりではなく何度かやって来て、集落の長とよく話していた。どうやら隣にある彼らの町と交易関係を結びたいらしかった。比較的友好的で、手が結ばれるのにそう時間は掛からなかった。

「それも最初のうちだ。何を求めだしたと思う?」
『……何を?』
「獣人の体だ。剥製や毛皮を求め始めた。アイツらにとって、所詮俺たちは道具なんだ」

 そんな提案を、彼らは隠す事なく堂々と交渉した。もちろんそれを長が許すわけがない。交易関係は破断となった。地獄はそこからだ。
 彼らは断った長を迷わず殺した。おそらくだが、断る断らない関係無しに実行する予定だったのだろう。

「それを皮切りに、仲間は次々と捕獲、あるいは殺された。俺たちの親もそうだ」

 両親の死顔を見る暇も与えられなかった。とにかく逃げたが、子供だった自分たちが逃げ切れるわけはない。目の前を塞がれ、別の道を探して振り返った時だった。黒い霧のような物をまとった巨大な刃が、コーディエに向けて振り上げられたのは。
 一瞬の出来事に呼吸も止まり、石のように体も固まる。しかし刃が胸を貫くよりも前に、いつの間にか目の前に立ちはだかっていたジプスの手が、ドンと後ろに押していた。

「……心臓は免れた。だが……あの刃には呪術がかかっていたんだ。傷は一生塞がらない。あの傷は、精神を蝕むんだ」

 アガットの魔法は、所詮気休めだった。本来獣人であるため永いはずのジプスの寿命は、人よりはるかに短い。厄介な事に傷は常に彼の心臓に痛みを与え続けている。二人の魔法でかろうじて抑えてはいるが、呪いを解かない限り、痛みから解放される事は無いのだ。
 ルルはただ黙って聞いていた。何故彼がジプスが目覚める前に立ち去ろうとする理由も、なんとなく理解した。だが、ルルの手はコーディエを離そうとしない。

『ジプスを、傷付けたくないから、会わないの?』
「そうだ」
『嘘つき』

 コーディエは、鋭い目を零れ落ちそうなほど見開いた。感情がまとまらず、正直自分が何を言ったのかもう覚えていない。しかしそんな反応が返ってくるとは、予想していなかった。
 神と呼ばれる瞳から冷静さは途絶えず、からかいも見えない。

『ジプスが言ったの? 会いたくないと』
「……違う」
『ならそんなの、優しさじゃない。ただの、独りよがり。君が、傷付きたくなくて、逃げてるだけだ』
「お前に何が分かる!」
『僕の大事な人は、僕が、囮になったせいで、殺された』
「……どういう事だ?」
『声と気配を変えて、僕を、狙ったふりをした。気付けなかった。彼は、僕の家族は……そのまま僕を庇って、毒で、殺された。何も、できなかった。だから、二度と無いように、その記憶を、悲しいだけにしないと、約束をしたの』

 ルルは、まるでその頃の自分を睨むように、訴えるようにコーディエを見上げる。

『まだジプスは、生きている。なのに勝手に、彼の言葉を聞かずに、背を向けるのは、ただの逃げだ』

 抑揚の無い声は、不思議と激しく聞こえる。コーディエは圧巻されるように、ただ茫然としていた。
 そんな事知っていた。それでもまた繰り返すのが怖いから、止まっていた。そのまま何もしなければ楽だから。だがそれでは、何のために強くなったのだろう? あの、彼の背中に隠れて泣いていた頃と、何が違うのだろうか。
 握り締めらたコーディエの拳から、ふっと、落胆するように力が抜ける。

「俺に、何ができる?」

 ああ、本当にこんな事、言うつもりなんて無かったのに。
 情けない声だった。ここまで考えて、なにも案は浮かばない。今までの厳格さはどこへやら、コーディエはまるで怯える子供のような顔を浮かべる。頬に、薄青い手がそっと触れ、慰めるように、言い聞かせるように撫でた。

『隣に居る事。彼を、見守る事ができる』

 呆気に取られるように、コーディエはポカンとした。もっと何か複雑な要件が来ると思っていたのに、そんな簡単な事だとは。すると、そんな思考をいとも容易く汲み取ったように、声が続く。

『傍に居なくて、何ができるの?』
「!」
『行動するのは、本人だけ。周りは、それに何もできない。だから、傍に居るの。常に。何が襲っても、独りに、させないために。それは紛れもなく、他人じゃない、君にしかできない』

 優しい声だ。そっと両頬を包む手と同じで、心まで溶かしそうなほど。もしジプスが、あの頃と同じように隣に居る事を許してくれるのなら、逃げる事をやめ、さらには自分を許す事ができるだろうか。

『独りじゃないという事、甘くみちゃ、ダメだよ』

 三つ聞こえていた呼吸の一つが変わった事を、鉱石の耳がルルに伝えた。途端に、微笑むように緩んでいた顔がハッとし、彼は急いでベッドに振り返る。コーディエも促されて視線を向けた。透き通る白い瞳が、僅かにまつ毛を押しのけている。

『ジプス、目が覚めた?』

 ボンヤリする頭に響く声は、少し怖がっているように聞こえる。ジプスは何度か目を瞬かせ、できる限りで笑って頷いて見せた。ルルは通話石が飾る胸に手を置いて、ホッと息をつく。

『アガットたちに、知らせてくる』

 安心している場合ではないと、すぐ気持ちを切り替えるようにコーディエに顔を向ける。何か言いたげの彼の返事を置き去りにし、部屋を出て行った。

 呼び止めようとしたコーディエの手は空中を彷徨う。今この部屋は、世界中のどの空間よりも静かなんじゃないだろうか。手持ち無沙汰に、腕が虚しそうに下される。

「コーディエ、居るんだよね?」
「!」
「待って、行かないで。目が、少し霞んで見えないんだ」

 コーディエは意を決したように、ゆっくりと振り返った。これまでだったら、恐らくすぐ窓から飛び去っていただろう。だが今そうしたら、一生後悔する気がしたのだ。彼に傷を負わせたあの日のように。
 ジプスは数秒目をキョロキョロさせたが、やはり視力はまだ戻らないのか、諦めたように閉じる。しかし口元は、嬉しそうに穏やかな曲線を描いて見えた。

「久しぶり」
「……先日、会っただろ」
「門番以外の君とだよ」
「何だそれは」

 意味を理解して逸らされた青い瞳に、ジプスはくすくすと笑った。門番以外──つまり仕事以外での会話は、本当にどれくらい振りだろうか。他愛の無い会話をした記憶なんて、もう薄れるほど昔だ。
 しばらくの間、再び沈黙が流れる。コーディエにとってそれは立っていられないほどの重さだった。

「……呪いは」
「うん、もう平気」
「そうか」

 会話はまた途切れた。ジプスから何か言うつもりは無いらしく、ただコーディエからの言葉を待った。コーディエは汗ばんだ拳を握り締め、怯えるようにギュッと目を閉じた。

「まだ俺を友と呼べるか……?!」

 思ってもなかった叫びにジプスは唖然とした。見えはじめた視界でチラリとコーディエを見れば、今からまるで殴られでもするのかと思うほど、目をギュッと固く閉じている。何か言わなければ。しかし開いた口から出たのは言葉ではなく、笑い声だった。
 まさか笑われるだなんて、微塵も予想していなかった。コーディエは珍しく呆けた顔をし、呆気に取られる。しばらくの間、部屋には軽やかな笑い声が響いていた。

「今まで、友達じゃなかったの?」
「そ、れは」
「僕はずっと友達だったのになぁ」

 ジプスはいじけるように寝返りをうち、コーディエに背を向ける。気まずそうに目線を左右に迷わせ、言葉を詰まらせているコーディエの様子に耐えきれず、小さく笑った。

「意地悪言ってごめん。でも、ずっと友達だと思っていたのは、本当だよ」
「……呪いを負ってもか?」
「胸が苦しくなった時も、悪い夢を見た朝も、後悔は浮かばない。でも、少し文句はある」
「な、何だ」

 ジプスは身構えた彼を見上げると、ベッドから起き上がった。そして、咄嗟に体を支えようとして伸ばした腕を掴み、飛びついた。

「なっ?!」

 重みにグラリと後ろへ傾く。そのまま二人は床の上に倒れ込んだ。ジプスはしてやったというような悪戯な笑みで、目を白黒させるコーディエの顔を両手で包む。

「逃げる事! やっと捕まえた」
「お前……傷が開いたらどうするんだ!」
「その時は看病してよ。散々僕からそっぽ向いたんだから」

 深い紺の瞳が、痛いところを突かれたというように、静かに逸らされた。しかし白い瞳は、追いかけるように真っ直ぐ向けられる。
 ジプスは自分の感情を、自分の中で撤回する。コーディエの事を許しているつもりだった。そもそも許すも何も、初めから責めていない。それでも、本当は許していないのだと、今理解する。自分さえ犠牲になればいいと言いながら、こちらに背中ばかり向けていた事を、結構根に持っていたのだから。
 しかし、彼の気持ちが分からないわけではない。もし別の立場だったら。例えばそれこそ逆に、自分のせいで彼が傷付いたとしたら、同じように思うだろう。恨んでいる、嫌っている。しかし本当はそんな事思っていないのを理解している。その優しさが心苦しく、様々な理由を付けて逃げるのだ。
 だから今まで黙っていた。何もせず、コーディエの好きにさせた。それでも限界は来る。

「──君の代わりが居ると思ってるの?」
「!」
「アガットが居ても、アンブル様が居ても……君の代わりには、ならないんだよ」

 鼻先が当たりそうなほどの近くで、目が合った。こんなに長く目線が交わるのは、どれくらい振りだろう。とても久しぶりだ。
 ジプスは嬉しそうに微笑む。コーディエはあの頃と全く変わらない笑顔に、自分が本当に彼へ背を向けていたのだと、胸の奥底でやっと理解する事ができた。

「だから」
「取ろう」
「え?」

 両肩に手が置かれたと思えば、グイッと体が離される。キョトンとするジプスに、コーディエは真剣な眼差しを向ける。

「責任を取る。友としてもうお前の隣から逃げず、今度は俺がもしもの時、壁になる」

 ジプスは力強くぶつかる宣言に目を瞬かせる。彼はやはりバカ真面目だ。別に壁となって欲しいわけじゃない。しかし彼らしい責任の取り方で、思わず笑ってしまった。
 互いの間で、小指を差し出して見せる。一体なんだと、コーディエは訝しそうにした。

「じゃあ約束。僕を独りにしない事。それと、コーディエも独りにならない事」

 彼は今日何度目かの呆けた顔をした。そしてどこか憑き物が落ちたような表情で笑い、自分より少し細い小指に自分のを絡めた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

物語は始まりませんでした

王水
ファンタジー
カタカナ名を覚えるのが苦手な女性が異世界転生したら……

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

婚約破棄? 私、この国の守護神ですが。

國樹田 樹
恋愛
王宮の舞踏会場にて婚約破棄を宣言された公爵令嬢・メリザンド=デラクロワ。 声高に断罪を叫ぶ王太子を前に、彼女は余裕の笑みを湛えていた。 愚かな男―――否、愚かな人間に、女神は鉄槌を下す。 古の盟約に縛られた一人の『女性』を巡る、悲恋と未来のお話。 よくある感じのざまぁ物語です。 ふんわり設定。ゆるーくお読みください。

笑い方を忘れた令嬢

Blue
恋愛
 お母様が天国へと旅立ってから10年の月日が流れた。大好きなお父様と二人で過ごす日々に突然終止符が打たれる。突然やって来た新しい家族。病で倒れてしまったお父様。私を嫌な目つきで見てくる伯父様。どうしたらいいの?誰か、助けて。

処理中です...