宝石少年の旅記録(29日更新)

小枝 唯

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【宝石少年と霧の国】

侵食する悪意

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 自然と出来上がった平たい石の階段を降り続けてしばらく。洞窟の中で大きく響く足音とは別に、ルルの鉱石の耳は小さな水流を聞き取っていた。魚が泳ぐ壁の中は重く低い音だが、遠くで聞こえる水流は、外で流れる川などのせせらぎとよく似ている。

「ルル、ここの段差は深いです。手をどうぞ」
『ありがとう』

 言われた段差は体の半分くらいの深さで、ルルはアウィンの手を借りて飛び降りた。
 今まで散々降りてきた階段はこれが最後で、あとはなだらかな平面が続いている。それまで高かった天井は低くなり、縦に狭かった壁は遠くへ広がった。それは洞窟の終わりを表していた。やがて肉眼で外の光が見えてきた。
 その頃三人は自分の耳を確かめように、互いの顔を見合った。音が聞こえる。聞き間違いかと思うほど、ほんの微かだ。風とは違う、何かが唸る音と重たい音。
 後ろのルルに視線が向いた。小さくても、皆が聞こえているのだ。彼の鉱石の耳ならば、もっとハッキリ聞き取れるだろう。すると彼はフード越しに、硬い耳に手を添える。近付くに連れて大きくなるせせらぎに混ざるその音は、胸を痛くさせた。

『怒ってる』
「やっぱり、妖精の母が暴れる音なんじゃないか?」
「記憶からして見ても、確かに我を忘れている様子でした」
『でもこの音は、狂った声じゃない』

 ルルが感じるのは泣き声。アメジストの湖の主と似た、怒りと悲しみ、苦しみが混じり合っている。妖精の母はきっと、これ以上子供たちを傷つけたくない。しかし体が言う事を聞かないのだ。
 今度は大きな音が、風に運ばれてきた。それは低い叫び声。今なら分かる。あれは確かに嘆きの声だ。
 それが理解できると、自然と心が焦りだす。声に引っ張られるように、四人の足取りは速くなっていった。遠かった光はあっという間に一歩前となる。何の壁も無く降り注ぐ太陽の光が皆を包み込み、眩しさに三人は目をつぶった。
 目の光にいち早く慣れたのはジプスだった。フクロウの獣人のため、人間とは目の作りが違うのだ。彼は広がった光景に目を丸くした。

「み、水が!」

 ジプスの声は震え、悲観の色を思わせた。急いでアウィンとコーパルも、なんとか目を開く。数回瞬きをしてようやく鮮明になった視界に広がるのは、とても広い滝壺だった。壁の所々に生える巨大な鉱石の柱から、大小様々な滝が流れて浅い湖を作っている。その湖は、真っ黒に染まっていた。
 訪れるのが初めての者でも分かる。本来の湖がその色ではない事を。それほどまでに、歪に水の中で蠢く黒は、異質だった。
 妖精は変わり果てた巣に、絶望するように両手で頬を覆った。皆の前へ出て、湖へ手を伸ばす。

『ダメ』
「っ!」
『その水、触っちゃダメ。嫌な臭いがする』

 その言葉に、アウィンはズボンのポケットから手の平サイズの透明な宝石を取り出した。それを半分ほど湖に浸す。すると宝石はたちまち赤黒く染まった。

「毒です。触れれば命に関わります」
「そんな……ここは本来、命の水と呼ばれていたのに」

 妖精の母の浄化によって、この水はどんな傷でも癒す命の水だった。そんな湖が、逆に命を奪うものになるだなんて。

「なあ、そういえば、嫌に静かじゃないか?」

 コーパルは、辺りを見渡しながら恐る恐る言った。確かにそうだ。暴れていると思っていた母も、他の妖精たちも居ない。まるで戦地のように荒れた滝壺だけが残されている。
 小さく鈴の鳴る音がした。だがそれは少し遠くから聞こえ、四人の側に居る青い瞳の妖精ではない。彼女はハッとし、リンッと音に応えた。するとそれに共鳴するように、また音が鳴る。
 妖精は短い鉱石の柱が壁になっている場所を見つめた。その頃には全員の耳にやりとりは聞こえていて、皆彼女の視線を辿る。影をじっと見て少し。チラリと、柱から数人の妖精が顔を出した。

「あぁ……良かった」
「ええ。見たところ、皆隠れていただけのようです」

 湖もこんな状態なのだ。もしかしたら全員死んだのではという、最悪な想像をしてしまっていた。
 妖精は再会の喜びを交わしたあと、こちらを見て安堵している人間たちに気付いた。顔を青くさせた彼らに、四人を連れて来た妖精はこれまであった事を説明した。しかし仲間の目は疑惑に泳ぐ。それも仕方ない。皆、アンブルとアガット以外、あまり人間にいい思い出が無いからだ。
 どうすれば害も無く、協力してくれる相手だと分かってもらえるだろう。妖精は逡巡し、いい事を思い付いたのか四人の元へ飛んだ。彼女はアウィンの手を掴み、グイグイと引っ張る。引かれるままに妖精たちの前まで連れて行かれる彼を、ジプスたちも追った。
 妖精はしなやかな指にまだ巻かれた包帯を、仲間に見えるよに解く。露わになった傷口は、止血されてはいるものの、まだ塞がっていない。ジプスの治療魔法は通常の場合、一日とかからず治る。それでも傷が塞がっていないのは、妖精の咬み傷だからだろう。あの時、身の危険を感じた彼女は、本能的に毒を仕込んだのだ。
 妖精の仲間は傷口と四人を交互に見比べ、互いの顔を見合う。もう一度、皆を連れて来た青い目の妖精へ確認するような視線を送ると、そっとアウィンの手に触れた。

「どうやら、敵意が無いと分かってくれたようです」

 鉱石の隙間を覗くと、負傷した妖精たちが身を隠していた。手当てをするなら、妖精の母の姿が無い今のうちだ。いつ何があってもいいように、手当てを終えた順で、水の洞窟内へ避難した方がいいだろう。
 しかし一人一人運ぶには時間がかかりそうだ。それに困った三人の声に、ルルはとある事を思いつく。彼はフードをトントンと揺らすように叩いた。

『妖精を、安全な場所に、連れて行きたいの。力持ちな、君たちの力を、貸してくれない?』

 するとモゾモゾとフードが動きだし、中からスモウたちが飛び出してきた。そうだ、着いてきた彼らの事をすっかり忘れていた。スモウは手当てされた妖精の下に潜りこみ、持ち上げると洞窟へ運んだ。頼りがいのある彼らに任せ、治療に専念できそうだ。
 青い目の妖精は治療を受ける仲間を見て、改めてアウィンの指の傷に視線を落とす。その視線が申し訳なさそうで、彼は優しく頭を撫でた。

「そんな顔をしないで。痛みもすっかり引きましたから」

 それでも彼女の表情は晴れない。妖精は傷口に優しくキスをし、小さな舌でペロペロと舐め始めた。彼女なりの慰めだろうか。少しくすぐったい。

「おや? 傷が……」

 赤子ほどの舌が退いた肌には、それまであった傷が忽然と消えていた。傷跡すら無く、目を凝らして見ても、どこに傷があったかさえ分からない。驚いているアウィンに、妖精は大きな瞳を嬉しそう細めた。
 治療は順調に進み、半分の妖精の手当てが終わった。しかしアウィンとルルも避難の誘導を手伝おうとした時だ。ふいに、ルルがビクッと肩を跳ねさせ、頭を抱え始めた。

「ルル?!」
『国宝、がっ』

 存在を忘れるほど静かだった国宝が、突然泣きだしたのだ。響く音は大きさのあまり、頭痛を引き起こす。
 妖精たちが何かを感じ取ったのか、慌てたように視線を泳がせた。その数秒後、ドンッと地面が突き上げられる揺れが襲う。強さに立っていられず、四人はその場にしゃがんだ。

「地震か……?!」
『違う、これは』

 ルルが仮面越しに向いた先は、漆黒の湖。よく見ると、中心が薄く渦を巻き始めていた。
 渦は徐々に大きさを増し、やがて巨大な柱を作り上げる。高く作り上がった柱は一瞬で弾けたかと思うと、黒い水のドレスに身を包んだ巨大な妖精が現れた。
 アウィンは目の裏に浮かぶ記憶でハッとする。あれは妖精の母だ。今や禍々しいと思える怒りに歪んだ顔や姿でも、見せてもらった記憶に映る母と同一人物だと分かる。

「コーパル殿、ジプス殿、早く妖精たちと避難を!」

 穢れを見つけ、浄化できるのはルルだけ。そんな彼を守れるような攻撃手段を持っているのは、ジプスとアウィンの二人。優秀な治療を行えるジプスより、アウィンが残った方がいいのだ。

「ルル、穢れの元凶は分かりますか?」

 アウィンは杖の鞘を抜き、彼の隣に立つ。しかしいくら待っても、頭に返答が来ない。どうしたのかと見てみれば、ルルはじっと母を見つめていた。フードと仮面でほとんど分からない感情は、どこか驚いているように見える。
 母の鋭い赤の両目が、二人をとらえる。彼女の鋭利な爪をした手が下から空気を撫でると、つられるように高波が彼らを襲った。アウィンは前に出ると、迫り来るのは毒の水へ手をかざす。手と水の間に薄い膜のような結界が隔たり、二人を防いだ。

「しっかりしてください、ルル! 一体どうしたのですか」

 アウィンは、未だ唖然としているルルの肩を揺する。すると、仮面越しに虹の目がこちらを向いた気配を感じた。ポツリと、頭の中に言葉が落ちる。

『違う』
「え?」
『あれは、穢れのせいじゃ、ない。操られてる』
「何ですって?」

 王である本能なのか、ルルは意識の動きを肌で感じる事ができた。それによって、その人物が他者に従っているのか、それとも自分の意思なのかが分かる。彼女から感じるのは、他者の意思。しかしそれだけではない。もう一つ、糸のようなか細い意思をその裏に感じる。必死に自分を止めようとする、嘆きの感情は、母自身の物だ。

『血の臭いがする。外傷は、見える?』

 アウィンは結界を解き、今度は上から振り落とされた水の鞭から、ルルの手を引いて逃げる。次の攻撃に備えながら、母の体の隅々を見つめた。だが体を作る黒の中に、赤色は見当たらない。傷らしいものも無さそうだった。
 しかし、それとは別にアウィンの目を止めた物があった。胸の中心、ちょうど心臓部分に、水の色とは異なる黒い輝きを見たのだ。

「あれは……ブラックダイヤ?」

 足元の岸で、波が派手に跳ね返る。母に集中しすぎたあまり、その音に気付いた頃には、散った水飛沫が鋭い雨となって降り注いだ。しかしそれはアウィンが結界を張るよりもはやく、キラキラとした宝石の膜が二人を包み、全て跳ね返した。

『ブラックダイヤ?』
「えっ?」
『今、ブラックダイヤと言ったの?』
「あ、ええ。妖精の母の胸に、ブラックダイヤが見えます」

 その宝石の名前は、ルルにとってまだ記憶に新しい。ブラックダイヤこそが、あの心を抑える力の依代。アレを使う人物を、一人知っている。そしてその人物であれば、このやり方も納得できた。自身が直接及ばないからと、自然の力にたよろうという事だろう。
 そこまでして、世界の王の心臓が欲しいか、アダマス。
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