宝石少年の旅記録

小枝 唯

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【宝石少年と霧の国】

心の隙を

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 広大な森の四方から中央へ向けて、獣人の大移動は順調に行われた。ほとんどが命の籠へ避難を終え、残されたのはあと一種族のみ。
 その種族は魔獣で体が小さく、普段隠れて過ごす。そのため、速く動くのには長けていないのだ。鉱石に化ける美しい体なため、守る必要がある。ゆっくり進む前後を、ジプスとコーディエが挟んで慎重に先を急ぐ。あと少しで、目的地の籠が肉眼で見える近さになる。そうなったら安全だ。
 道が暗くなってきた。そんな頃、ジプスとコーディエは自分たち以外の足音を察知していた。二人は視線を合わせ、頷き合う。瞬間、木陰から人間が数人飛び掛かってきた。

「背中が留守だぞ獣人!」

 魔獣目当てなのか、無数の手が彼らへ伸びる。しかしその指先は、触れるより先に地面に落ちた。草に紛れた手は、肘から先がない。響き渡った絶叫に、羽根を休めていた鳥が飛んで行く。

「背中が……何だって?」

 コーディエの持つ両剣の刃から、パタパタと血が地面へ滴り落ちる。あまり森の中で殺生はしたくないが、この状況なら仕方ない。森の肥料となってもらおう。取り囲んだアパティアの部下だろう相手は、八人程度。二人でどうにかできる。
 ふと、取り囲んだ相手の一人の視線が、不自然に小さく揺れた。それは動揺しているように見せかけた、仲間への合図。見計らったように、ジプスの背後を大柄の男が襲いかかる。しかし抱き潰そうとでもした両腕は、白い体ではなく、空気を熱く抱擁していた。疑問に目を瞬いた瞬間、強烈な痛みが顎から脳天へと駆け巡る。ジプスの足が、男の顎に直撃したのだ。
 ジプスとコーディエの目は、特に暗闇で効く。夜が訪れた今、人間が分かるような合図を見逃すはずはないのだ。

「お引き取りを」
「こ、の……っ」

 見た目からして筋肉質であるコーディエではなく、細身のジプスに負けたのが悔しいのだろう。男は懲りもせず襲い掛かった。だがジプスにとっては、熊より怖くない相手だ。無鉄砲に走る男をひょいと避け、うなじへ踵を落とした。
 ジプスはコーディエと背中を付け、囁く。

「ここに居る人たちだけだと思う?」
「足止めの意味もあるだろう」
「じゃあ、速く済ませた方がいいね」

 このままでも、確実に相手は倒せる。しかし少なくとも十分以上は時間を取られるだろう。今はその時間も惜しい。八人といえど、この人数を一掃するのは魔法が最適だ。
 ジプスは目を閉じ、胸の高さまで手を上げると、指先を合わせた。彼には、自然という強力な味方がある。呼びかけに応えて周囲の木々が騒めきだした。変化に気付いて止めさせようとする敵は、コーディエが薙ぎ払う。
 ヒュンッと鋭い音がした。音が耳に伝わった時、一人の男の肌に赤い線ができる。それはジプスが作り出した風の刃だった。しかし腰を抜かす彼らとは別に、コーディエは訝しそうに眉根を寄せる。刃が外れた事が不思議なのだ。確かに的は動いてはいたが、あの軌道では静止していても外れていた。

「ジプス、どうし──」

 顔だけ振り向かせた視界に、ふらりと倒れるジプスの体が映った。

「ジプス!」

 彼の細い首元に、忌々しいアザが浮かび上がっている。呪いだ。
 ジプスは浅い呼吸するのが精一杯のようで、立ち上がらない。震える手足が冷たく、まるで他人の物のように動かせなかった。
 敵にとってこの状態は理解できずとも、またとないチャンスだった。彼らは驚きながらも目配りをし、何かを仕込んだ拳をジプスへ振り上げる。

「やめろっ……!」

 コーディエは邪魔させないよう掴みかかる敵を振り解き、その拳にくらい付いた。押し合いに拳が緩み、小さな石が零れ落ちる。それはコーディエにぶつかると、眩しく輝く宝石の網となって彼へ降り注いだ。
 逃れようともがくが、宝石で紡がれた糸は何よりも硬く、流石の力でも破れない。むしろ絡み付いてくる。

「ふぅ……よし、行くぞ」
「ああ。手こずらせやがって」

 敵は美しい石に扮した魔獣に見向きもしない。狙いは、最初から魔獣ではなかったのだ。

「コ、ディエっ」

 悠々と去って行く彼らへ、ジプスはただ手を伸ばす事しかできない。体を引きずる事すら、今は不可能だった。遠くなる音の中、小さくも自分の名を叫ぶコーディエの声が聞こえる。それを最後に、ジプスの意識は途絶えた。

~               **              ~               **                 ~

 箱のような小さな部屋の中、アパティアだけは広々と空間を使っていた。大きく豪華な椅子に座る姿は華やかなはずなのに、形相は鬼のようで相応しくない。今、彼女はひどく腹を立てている。

「ルースめ……ゴミの分際で私を裏切るなんて」

 獣人や森全体の偵察として放ったルースが、コーパルとして姿を消した。目の事は彼に話していないというのに、これまでの出来事でどうやら勘付いていたらしい。彼の目を通して情報が掴めなくなった。さらには操れなくもなった。
 ついでに手に入れようとしていた獣人も、突き止めていた場所はもぬけの殻だ。寝返ったルースが情報を渡したのだろう。ここまで、何もかも失敗だ。だがこの間、全て相手の思う壺だったわけじゃない。むしろ部外者だからこそ気付けた事があるのだ。
 アパティアは鋭い靴底がカツンと響くほど、勢い良く立ち上がる。

「私の足はまだか!」
「申し訳ございません。少々手こずっており……。しかし、こちらは奪えました」

 部下の一人はアパティアの前で跪くと、甲斐甲斐しく両手を掲げる。手の平の布に丁寧に置かれたのは、美しく赤を揺らめかす赤黄岩。それはただの鉱石ではなく、世界の王が新たに命を宿した物だ。

「ああ、なんて美しいのかしら」

 先程までの怒りはどこへやら。アパティアはうっとりと赤黄岩を見つめ、手を伸ばす。すると指先が触れた瞬間、恍惚な表情は醜く歪んだ。赤黄岩は、彼女の長い指を拒否するようにして、床に落ちる。
 そう、それは明らかな拒絶。見た目の美しさには似つかないほど、鋭利な痛みが指を襲ったのだ。アパティアはその態度に、赤い口紅を纏った唇を噛む。

(王の寵愛を、私は受ける権利が無いというの? どれだけコケにすれば……!)

 しかしそれは当然の事。世界の王にとって悪だと認識され、ましてや反抗する意思があるのだから。世界の王の寵愛は、認めた者のみ持つ事が許される。調度品のような扱いをしていれば、手にする資格は無い。

「アパティア様!」
「一体何が……!?」

 騒めく部下の一人を、アパティアの手が叩き落とす。単なる八つ当たりだ。だがそれだけでは怒りは収まらない。彼女の苛立ちは、これの持ち主へ移った。

「例の獣人を連れて来なさい」

 低い声に、部下たちは互いに戸惑いの視線を交わす。割り入るように、鞭が彼らの空気を切り裂いた。
 これ以上逆撫でしないようにと、部下が数人部屋から出て行く。慌てて戻って来た手には、鎖が握られていた。鎖の先には、コーディエの姿。彼の首には、無理やり着けられた枷が、鎖と繋がっている。アパティアは鎖を部下から受け取ると、グイッと引っ張った。

「ずいぶんと暴れたみたいね?」

 コーディエは何も言わず、血の混ざった唾をアパティアへ吐いた。
 彼の体は傷だらけだった。痣や切り傷が肌を覆い、口から血が顎に垂れた跡もある。それは部下に、壊れない程度に拷問させたからだ。
 理由は洗脳しやすくするため。アダマスは言葉のみで洗脳できるが、彼以外が使う場合はひと工夫が必要だった。工程の中で最も重要なのは、相手の心の動き。僅かでも隙があれば、アダマス以外でもブラックダイヤの力を持って洗脳できる。コーディエのように、元々少しの隙も見せない相手だと、拷問やらで衰弱させてつけ入る。かと言って、完璧に心を壊すとむしろ使い物にならないから、加減が面倒だった。
 それにしても、獣人が丈夫なのは知っているが、これだけ痛めつけてもまだ反抗的だとは。さすがは門番と呼ばれるだけある。
 アパティアは頬を拭いながら、笑顔を微かに引き攣らせる。彼に物理的な痛みが効かないのはよく分かった。

「お前、友を犠牲に晒したのに、どうしてそう平然としていられるの?」
「……」
「全て知っているわ。あのフクロウの獣人、呪いを受けているのでしょう? お前が弱かったせいで」
「だがお前は、そんな弱かった相手も従えられないじゃないか」

 囁きに返ってきた声に、アパティアは思わず美しい顔にシワを寄せる。
 聞いた話と違うじゃないか。ルースの目を通して見た彼は、いつも友への罪悪感に駆られていた。だからこの言葉に弱いと思っていたのに。
 拷問が効かないのなら、精神的に攻めるしかない。それはアパティアが一番得意とする作業だ。これまでも、相手の弱みを握って何人も従順に落としてきた。それなのに目の前の獣人の青い目は強い。しかし彼を手中にできれば、相手を掻き乱すのに役立つため、逃すわけにはいかない。
 アパティアは思考を巡らせ、彼の僅かな隙を探す。しかしコーディエは別行動が多かったため、中々他に印象強い弱みがない。彼は仲間を信じている。それを崩すのは難しかった。

(解けない呪い……)

 しかしその悩みは、途端に晴れた。考え方を少し変えてみればいいじゃないか。今までは、他人の傷を抉る事で心を揺らしていた。今回は逆に、彼にとって甘い言葉で誘いだせばいい。

「貴方、私の仲間になりなさい。きっといい思いができるわ」
「断る」

 被せるような拒否。しかしアパティアは、顔を背けたコーディエに対して、ニィッと口角を引き上げた。

「私なら、呪いを解けるとしても?」
「なんだと?!」

 コーディエは青い目を見開き、アパティアを見る。そう、彼にとって、それは願っても無い甘い誘惑。誰よりも友を思うが故の、心の隙。
 視界の端に、不気味に吊り上がった唇と黒い宝石が映る。それがブラックダイヤモンドであると理解した時、コーディエは世界が揺れたのを感じた。
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