テンシを狩る者

小枝 唯

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楽園へのプロローグ

喫茶店での相談者

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 会話が絶えない喫茶店は、静かでもどこか賑やかだ。それを利用して、相談する場として設ける客も多い。
 喫茶店『桜堂』も同じ。天と優牙は、そんな会話をさり気なく耳にしていた。
 カップを磨いている優牙の耳に、ふと会話が聞こえてくる。二人の女性客だ。友達同士だろうか、片方はもう片方の話を聞いて茶化している。何かを相談したようだ。しかし茶化された側はどうやら真剣な話のようで、友人に合わせて笑った顔は少し残念そうに見える。
 相手のスマホが鳴ると、そちらに夢中になってしまった。やがて通話を切ると、彼女は席を立つ。恋人に呼ばれたらしい。相談者は微笑んで頷いたが、相手が去ったあと深い溜息をついた。
 優牙は目の前でお茶を飲む天へ視線を向ける。彼は頷き、抹茶のクッキーをひと口放ると、席を立った。カウンターから離れ、相談者の机に片手を置く。

「こんにちは。相席、いいですか?」
「えっ? あ、はい、どうぞ」

 天は彼女の友人が座っていた椅子に腰掛け、綺麗に微笑む。

「ごめんなさい、急に。俺はって言います」
「あ、私は由香里ゆかりです」
「さっき、少し様子を見ていて、気になって」
「え、あ……すみません。うるさくしちゃってました?」
「ううん。実は友達にドタキャンされちゃって。俺も振られちゃったんです」

 少しふざけた調子で言うと、由香里は目をパチクリさせて可笑しそうに笑った。天はひとまず安堵する。怪しまれていたが、無事懐に入れた。
 彼の噂調査は、いつもこのやり方だ。女は噂が好き。必ずとは言わないが、確率的に噂話に花を咲かせるのは彼女たちだ。その花を枯らさずに摘めるのは、天だからこそ。彼の見た目は、男女問わず目を惹く美しさだ。だから基本、物腰柔らかく間に入れば、席に座る事を許してくれる。
 名前を偽っているのは、今後当たり障りなくするため。

「せっかくだから、何か食べますか? 奢りますよ」
「え、申し訳ないです!」
「俺から話しかけたんだから、持たせて?」
「あ……はい、じゃあ」

 紅茶とチョコを二人分頼み、半分が胃にしまわれた頃。他愛の無い話で、警戒心は完璧に解けた。天は本題に入ろうと、由香里へ首をかしげて顔を覗く仕草をする。

「なんか、元気ないね」
「え? そんな事ないよ」
「ごめん。何だか、視線が下向いてたから。何かあった?」
「……うん、ちょっとだけ。あでも、初対面でこんな話は」
「初対面だから言える事もあるよ」

 怖がらせたら終わりだが、ここでは少し強引にでも聞き出す必要がある。天は演者のように表情を作り、由香里を見つめた。もちろん、心配なのは本当だ。

「──実は、弟が居るんだけど……最近、変なんだ」
「変?」
「うん。治験のバイトに行ったんだけど、先週帰って来てから、なんだか別人みたいで。なんて言ったらいいのかな。行動も、口調も、性格も、全部変わらない。なのに、弟じゃない気がするの。さっきの友達は、弟とも知り合いだから相談したんだけど、気のせいだって言われちゃって」
「その治験の院長って、もしかして山崎竜真って人じゃないか?」
「う、うん、そう聞いてる。どうして知ってるの?」

 天は透き通るような碧眼を、やはりそうかと細める。以前リーラに情報提供した際、何人か帰らないと言った。それは半分の真実を交えた比喩。
 異常をきたした人物は、集中治療室へ向かう。そしてベッドに戻って来る彼らは、必ずと言って人間の香りがしないのだ。
 化けていて正体までは分からないが、確実に人ではない。おそらく被験者は死に、代わりを用意しているのだろう。リーラも言葉の意味に気付いている。だから、由香里の弟はもう人間ではない。

「実はさ、俺の知り合いで、その院長の治験を疑ってる人がいるんだ」
「警察の人?」
「警察とも繋がってはいるよ。まあ、まだその人以外動いていないけど」
「そう、なんだ」
「……弟くん、どこに住んでる? 少し会って、話をしたいんだけど」
「その人と一緒に?」
「できれば。ちょっとでも情報が欲しいんだ」

 由香里は視線を手元へ移す。戸惑うのは当然だろう。初対面の男に家族の住所を教えろなど、簡単にできない。焦りすぎたかもしれないが、今手がかりを逃せば被害者が増える。何より、目の前の彼女だって危うい。
 何か賛同をもらえる口説き文句は無いだろうか。しかしそう頭を悩ませる天と、由香里は再び目を合わせた。その瞳は真っ直ぐで、先程まであった不安は一切無い。

「いいよ」
「え? 本当?」
「うん。その代わり、私も連れて行って」
「それは駄目。危険だ」
「お願い」
「死ぬかもしれない。一生のトラウマになる。脅しじゃないよ」
「いい。私、家族が弟しかいないんだ。両親はもう他界していて……。だから、放っておきたくないの」

 天はそれまで用意していた脅し文句を、思わず口の中で留めた。こういった言葉には弱い。天使であった天には、家族という存在がいなかった。そして恋人や親兄弟という関係には、少しだけ憧れもある。
 やがて言葉は飲み込まれ、諦めの溜息として口から出る。

「……分かった。でも、ここから先、全部私たちに任せてもらうよ。それが条件。あと、見た事も他言無用」
「もちろん。あれ、今私って言った?」
「言った。ほら立って、先に玄関に居てね。バイク出してくるから」
「は、はいっ」

 半ばヤケになった天は、二人の様子を見ていた優牙に手を振って、外出を示す。頷いた彼を視界の端に捉えながら、カーテンで隠した勝手口から出て行った。
 勢いの良さに、由香里はほぼ反射で返事をした。ポカンとしていると、優牙と目が合う。優しい笑顔で会釈をされて我にかえり、大きく頭を下げると慌てて玄関へ向かった。
 ドアベルの激しい音に、バイクの唸り声が混ざる。ガス臭さに思わず閉じた目を開くと、目の前にヘルメットが差し出された。受け取ると、彼は背中に乗るよう指で支持する。言われるがまま、背後に回ったところで、彼は思い出したようにヘルメットの目元を下げた。

「住所、教えて」
「あ、えっと、スギナミの──」
「オーケー。変な顔してるけど、やっぱやめる?」
「え、や、やめない! けど、アマネさん」
「天。てんって書いて、あまだよ。喋り方も、名前も、情報収集で使ってる偽物。ごめんね、この職、嘘ついてナンボなんだ。捕まって。行くよ」
「きゃっ」

 天はスマホの操作を終えた途端、エンジンをふかし走り出した。離れかけた由香里の腕を片手で腰に抱かせ、一気にスピードを上げる。
 由香里は慣れない風圧に耐えながら叫んだ。

「今までの、全部嘘なのっ?」
「嘘は喋り方と名前だけ。君に嘘つくの、馬鹿らしくなっちゃった」

 いつもなら名前を明かしたり、素性を晒す事もしない。しかし彼女のように変に素直な人間を相手にすると、どうでもよくなる。それにどのみち、深入りしたら全てを知るのだ。黙っている意味が無い。
 信号が赤となり、タイヤがゆっくり止まる。無駄に吸った空気を、やっとの思いで吐く由香里に振り返り、天は優しく目を細めた。

「いろいろ信じられないだろうけどさ、味方なのは本当だから。でも、振り回してごめんね」
「……ううん、信じる。だって、私の話を信じてくれたの、天さんだけだから」

 由香里の声は小さい。だが腰に回った腕に力が入った事に、天は安心したようにメットの中で笑った。

 三十分程度、素早い景色を見ていた。やがて見慣れた一軒家がハッキリしてくる。そこが、弟と二人で暮らしている家だ。玄関に、塀より頭が一つ分高い女の後ろ姿があった。彼女の周りを、紫の煙が取り巻いている。
 天は少し手前でバイクを止める。

「リーラ!」

 彼女は手を大きく緩く振った天へ振り返る。珍しい紫の目と、由香里の色素の薄い茶の目が合った。
 リーラは怪訝そうに眉根を寄せると、葉巻を口から外して、天へ文句の代わりに煙を吐いた。彼は煙たそうに顔を振る。

「条件付きだったんだよ」
「キミねぇ──」
「あ、あの! 私が無理言って、天さんに連れてきてもらったんです。わがままで、すみませんっ」

 由香里は硬く目をつぶり、背中までの髪が少し乱れるほどの勢いで頭を下げた。まさか謝罪されると思っていなかったリーラは、驚いて目を瞬かせる。
 チラリと天を見ると、無責任に肩をすくめた。由香里が来る事は、あえて伝えなていなかったのだ。

「お嬢さん、ここから去ってくれれば、あとで多額の金が手に入るよ?」
「要りません。私はお金じゃなくて、真実が欲しいんです」

 リーラは細い目をまた大きくさせると、ふっと小さく吹き出す。その反応は、天の予想通りだった。彼女は由香里のような、人間が好きなのだ。
 頭を深く下げたままでいる由香里の鼻腔を、爽やかな匂いがくすぐる。これは自然の香りというより、香水の香りだ。
 恐る恐る上げた顔の目の前に、黒に包まれた手が差し出されていた。

「ワタシはリーラ。お嬢さんには負けたよ」
「! わ、私は由香里です」

 由香里は自分の顔を覆えそうに大きな手を、手袋越しに握り返した。
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